禁断CLOSER#57 第2部 破砕の扉-open-

5.迸出-Gush- -9-


 敏感さだけが居残って快楽は遠のき、躰は重く、温感は鈍っている。
 自分の躰の中心が熱いのか、そこに触れるくちびるが熱いのかよくわからない。零れる感覚は治まっているのに、熱と熱が離れる寸前、吸いつくように含まれて息が悲鳴をあげる。
 小刻みに震える脚が解放されると、和惟は首筋から離れてその腕が全身を支えた。
 ゆっくりと目を開けると潤んだ視界に立ちあがった拓斗が映る。ベルトを締めるときのかすかな金属音がして、那桜のうえにいったん止まった瞳は頭上へと移動した。
「帰れ」
「那桜は?」
 無色の拓斗と愚弄した和惟の端折(はしょ)られた会話が絡み合う。
 拓斗は黙ることで答えを示したのだろうか。那桜の頭の天辺(てっぺん)に和惟のため息がかかる。
 そして、那桜を支える和惟の腕がふと緩み、躰が崩れかけたのに背中を押されるという追い打ちを受けた。縋る間さえなくよろけた刹那、拓斗が那桜を捕まえた。
「しばらくここにいるだろう? 鍵はかけていく。いろいろと物騒だからな」
 和惟の声も発言も、まるで何事もなかったように聞こえた。
 あんな酷いことをしたくせに。
 和惟はジャケットを取って袖を通しながら、拓斗の後ろを通っていく。首を回して反対を向くと、回りこんだ和惟がちょうど目の先に見えた。
 既視感(デジャ・ヴ)だ。場所と時間が変わっただけで、そのくちびるは同じ言葉を告白する。
 それとどっちが早かったかというくらい、いきなり躰をすくわれたから見間違いかもしれない。
「あ……っ」
 那桜は宙に浮いて小さく悲鳴をあげた。何をされるのかと思うと、すぐ傍にあった椅子に座らされて、拓斗が那桜の(はだ)けた胸もとを整えていく。
 玄関先では、和惟がまだ外に出ていないというのにカチッという解錠音がして、いつのまにか施錠されていたと知った。和惟が出た直後、静けさの中でまた鍵をかけられた。

 だれの意図で施錠され、さっきまでのことはなんだったのか、拍子抜けするくらい空気は平温に戻った。
 穿(うが)った見方をすれば、拓斗と和惟、ふたりとも熱くなるほどになんらかの激情が存在して、その一角が表面化したとも取れる。人である以上、外見はいくら無敵に見えても内情には計り知れない感性がうごめいているのかもしれない。
 すぐ目の前には上半身を折った拓斗の顔がある。なんにもない面持ちであっても、いま那桜に対する行為にはなんらかの情があるはずだ。
 いまもそうだけれど、抱かれたあとにいつも甘やかされるのは、きっとそれが“セックス”という言葉では終わらないことの証明だ。希望的観測じゃない。
「拓兄」
 呼びかけたものの、拓斗が口を開くまで、返事するかどうか迷ったように少し間が空いた。
「なんだ」
「さっきのキス、よかった。……うれしい」
 くちびるへのキスさえ頼んだときにしかなくて、ましてやくちびる以外の、躰に触れる拓斗のキスははじめてだった。勘違いでもさっきのことは惜しむような感じがして、キス紛いの息継ぎとは絶対に違う。
 つらいというのは別にして、そんな触れ方は、いつか見た、従姉の腕の中でミルクを与えられてゲップするときの赤ちゃんみたいな気分にしてくれる。
 拓斗は答えず、那桜の上半身が整うと下半身に移った。右脚をショーツとレギンスに通してから那桜の腋を抱えて立ちあがらせると、拓斗は自分に寄りかからせてお尻まできれいに穿()かせた。
 那桜は怠い腕を無理やり上げて拓斗の腰に巻きつける。横向けた顔の側面に拓斗の鼓動が添う。

「拓兄」
「なんだ」
 耳から届く声と肌から届く声が共鳴して、那桜の中で水の中にいるように振動する。
「わたしは何?」
 そう訊いたとたん、一回だけ心拍の間隔が空いた気がした。
 ごく簡単な答えですむはずなのに、拓斗からの返事は待ちくたびれるくらい遠かった。
「答えるまでもない」
「どうして妹が抱けるの? 拓兄にとって妹って何?」
「価値がない」
 犯されたはじめてのときと同じ答えだ。あのときは、ただショックだった。けれどいまその意味は、妹という立場にまさに価値がない、とも、相反して、妹だろうがなんだろうが関係なく――つまり価値がある、とも取れる。もっとも、質問自体に価値がないということも考えられる。
「いつまで続けられるの? それとも……もういつだってやめる気でいる? だから拓兄からは抱いてくれなくなったの? わたしはいらない?」

 立て続けの質問への答えは、いくら待っても何一つとして示されない。突っ立っただけの拓斗が、緩々に締めつけた那桜の腕を解くことはなく、ただ、心音が一つ一つの質問に反応を示した。
 それらが答えそのもののような気もする。
 拓斗は、絡みつく那桜を振り解くこともできなければ、腕を回して応えることもできない。
 そんな葛藤をさせるまでのなんらかが拓斗の中にあるのだろうと思いたい。夏に別荘へ行って以来、拓斗のほうから抱こうとしなくなったことも、きっとその表れだ。
 那桜の記憶にはない時間か、もしくは記憶がなくなるきっかけになったひまわり畑での出来事のあとか。雨に(まみ)れたひまわり畑の中、那桜の首に手をかけるほどの衝動。この夏に、そのなんらかが拓斗の中に還ったのかもしれない。

「拓兄、決められた人なんて許さない。でも、拓兄の中でわたしがいちばんなら理解してもいい。だって。わたし、和惟に抱かれても躰は応えるけど、拓兄に抱かれてるみたいにうれしくないから」
 拓斗がかすかに身動ぎをした。気怠く頭を動かして見上げてみると、条件反射のように視線が下りてきた。
「それでお相子にできる? わたしの躰の中、拓兄にしか許さないの。だから拓兄、キスはだれにもしないで。いつまでもこんなふうにいられないってわかってる。だから、それだけは約束して」
 拓斗の表情は微々とした動きも見せない。もしくは、喰い入るように那桜を見つめている。
「離せ」
 那桜は笑みを零す。
「だめ、いま離したら倒れちゃうから。拓兄は続き、やらなくていいの?」
「仕事がある」
「集中できる? まだ拓兄は終わってない。おなかに当たってる」
 怒ったのか、ただ単に気に喰わないだけなのか、拓斗は目を細めた。
「息抜きしてあげる。もう始まる頃だから安全だと思うの。捕まえて」
 拓斗の腰から手を解き、顔に向かって伸ばしかけたところで躰がぐらりと揺れた。やっぱり拓斗は見捨てなくて、那桜の手を取ると自分の首に巻きつけさせた。
 しばらくじっと見つめ合い、(おもむろ)にかがんだ拓斗は、ワンピースの下に手を潜らせて那桜のお尻を剥きだした。そのままお尻の下から那桜を持ちあげて、自分が穿かせたショーツとレギンスを再び引き下ろした。
「脚を開け」
 左側の脚を抜けると拓斗が命じた。
 従う間にも拓斗は躰を翻して、それから椅子に腰を下ろした。拓斗に巻きつけるまえに脚がそれぞれに椅子の袖から飛びだす。お尻は拓斗の太腿に落ちて、那桜は目の前の胸にもたれた。拓斗の手がふたりの間に入ってうごめいたあと、少しだけその腰が持ちあがり、那桜の躰も一緒に浮いてしまう。下りたときは下腹部と拓斗の慾が直に触れた。

「自分で合わせろ」
 そう云って拓斗が那桜のお尻をすくう。肩の上まで顔が浮き、合わせるまでもなく躰の中心に拓斗の中心が触れる。
「大丈夫」
 那桜の言葉を合図に拓斗が腕の力を緩めると、重力に伴って体内に杭が埋もれていく。
 堪える必要はないのだろうが、那桜はキュッとくちびるを結んで声を抑えた。それでも体内をいっぱいに侵されるぶん、空気が押しあげられるような感じがして呻き声が漏れる。やがて最奥でピタリと合うと、那桜は首を反らして喘いだ。
「拓兄……もう……大丈夫」
 呼吸が落ち着き、胸もとで囁くと、那桜のお尻をつかんだまま拓斗が下から動きだす。動くというよりは緩やかに腰をうねらせ、合わせて那桜のお尻を引きつけたり緩めたりする。
 まえの激しさはまったく消えて、ふたりの密着した躰は最小限度で律動した。
「んふ……は……っふ……」
 突かれているわけでもないのに時間がたつにつれ、息があがっていく。必要最小限の動きはじわじわと快楽を(はぐく)んで、気づいたときは那桜をそこから降りられなくさせていた。かすかに残っていた力も奪われて、拓斗の胸に埋もれた。
 那桜の喘ぎと拓斗の吐息が呼応する。鼓動と鼓動が共鳴する。全身が拓斗と同化したような錯覚に陥った。
 セックスに伴う、だいたいに於いての強烈な感覚とは違って、ともすれば眠ってしまいそうに心地いい。
 そんな微睡みのなか、とうとつに果てはやって来た。しかも、そこに到達するまでの時間がいままでになく長い。時間がまっすぐに平べったく伸びているような二次元が続くのと並行して、息は苦しく詰まる。
「あ……ふっ……拓、にぃ……」
 到達できなくてこのまま終わってしまいそうな感覚に慄いた刹那、覗きこむようにしてくちびるがすくわれた。軽く開けた隙間から舌が忍びこんでくる。口の中で舌と舌がもつれるように絡み合い、その痺れが繋がった中心と連携した。
 拓斗の口内に呻き声を発し、望んだ果ては躰の中心から始まって内側にも外側にも震えを波及させた。
 体内の襞は痙攣して拓斗の慾に纏わりつき、那桜のあとを追うように口を重ねたまま拓斗が呻く。
 痛みすれすれでお尻を握り潰されながら、おなかの奥深くではくすぐったいような温かさが満ちた。

 くちびるを放した拓斗は荒く息を吐き捨て、那桜は満ち足りた気分で震える息を吐いた。
 このまま離れないでいられたら。
 そう思ったことが逆に、離れる時が必ずやって来ることを鮮明にした。
 その時に、自分は本当に“理解”できるだろうか。那桜は怖くなり、急いでその想定を頭の中から振り払った。
 お尻を支えていた手が移動して背中を包んだことがなぐさめになって、那桜は動物みたいに頬を拓斗の胸に擦り合わせる。
「拓にぃ……」
 間延びした呼びかけに応え、躰を包んだ腕が心持ち那桜を締めつけた。

「See you next week!」
 ちらりと腕時計を見た教授は、いつものごとく、とうとつに土曜日の英語Uの授業を終わらせた。席を立つ音と学生たちのお喋りが始まり、教室は一際ざわつく。
「那桜、行こ」
 果歩の向こうから郁美が前かがみになって顔を覗かせた。はしゃいだ声はプレゼントが待っているせいだ。今日はこれから、立矢とした約束の履行のために舞台の稽古場に向かうのだが、ついでに郁美たちとの約束も履行されることになった。
「わかってる。立矢先輩が気の毒だって思うのは取り越し苦労かな」
 那桜はため息を吐き、そしてほぼ三人同時に椅子から立ちあがった。廊下側に近い郁美を先頭に出口へと向かう。
「いいじゃない。ちゃんとモニターするよ」
「そうだね。郁美が肌管理に熱心なのは那桜も知ってるでしょ。わたしももらうからにはちゃんとやるよ」
「そうそう。那桜、心配しないで。タダより怖いものないって云うし」
「だったら、買うよって云えばいいのに」
「那桜、あのシリーズがどれだけ高いか知ってる? お手入れのだけで一揃いするのに五万はかかるんだよ。那桜はポンと出せるかもしれないけど、わたしはお小遣い制の学生だし、無理」
「わたしも無理だよ。生活費を節約するとか、そこまではいかないけど、わたしも郁美も普通にサラリーマン家庭だから、那桜みたいにはいかない。ね」
「うん。那桜の友だちでラッキー。ね、果歩」
 果歩が相づちを求めたように、今度は郁美がそうした。
 けれど、果歩は口もとに笑みを浮かべただけで、はっきりとした肯定はしなかった。

 ちょうど校舎を出て、青空が一面に広がっているというのに、果歩の顔は暗がりにいるようにかげって見えた。その雰囲気は水曜日から続いている。
 その前日、和惟から、果歩が脅迫していると聞かされて、ただ単に那桜が(ねじ)けた見方をしているだけなのか。和惟は脅迫という言葉で逃げたけれど、郁美の憶測と照らし合わせながら考えれば考えるぶんだけ、猜疑(さいぎ)の目で見てしまう。
 なぜなら、あの写真を使って、那桜でもなく拓斗でもなく、果歩はなんのために和惟を脅迫するのか。まったく理由が見当つけられない。
 このところ果歩がおかしいと思うのにはもう一つ根拠がある。
 果歩と目が合うたびに、その瞳が無表情に見えてしまう。無表情というよりは何を考えているのかわからないといったほうが妥当だ。もちろん、人の考えることなんてわかるわけがないのだが、その質が違うのだ。
 なんだろうと目を凝らすのに瞬きすれば、果歩はいつもの賢明さの見える眼差しに戻っているから、那桜の思い過ごしかもしれない。

 そんなすっきりしない気分を郁美の弾んだお喋りに助けられながら、一つ隣にある中央キャンパスに入った。
 すると、南館の裏にある演劇サークルの稽古場で待ち合わせのはずが、南館の屋根が見えるとまもなく、その玄関口に立矢が待っていた。
 立矢も気づいたらしく、こっちへと向かってくる。
「香堂先輩、こんにちは!」
 元気いっぱいの郁美の声は、構内中に広がったんじゃないかと思うくらいに響く。建物が密集しているせいで、位置によってはへんに音が反響してしまうのだ。
 果歩は呆れたように息を吐いたあと立矢に挨拶をして、那桜もそれに続いた。立矢は可笑しそうにうなずく。
「こんにちは。楽しみにしてくれてたみたいだ。ケア品2サイクルぶんにプラスして、似合いそうな色でメイクアップ品をセットしてきた甲斐あった」
「わぁ!」
 郁美と果歩はそろって歓声をあげた。
「こっちが飯田さんで、郁美さんはこっち」
 立矢は手にした紙袋を覗きながら、ふたりそれぞれに手渡した。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。郁美さん、その中にカレシさんのも入れてるから」
「わお。ホント、ありがとうございます。モニター、びしばしさせてもらいますので」
「望むところだ。飯田さんもね」
「はい、ありがとうございます」
 深々と頭を下げた郁美と、ちょこんと一礼した果歩を見て立矢が笑う。どういたしまして、と再び応じ、それから那桜を向いた。

「那桜ちゃん、翔流くんは?」
「お昼を食べてくるって」
 明らかにからかっている質問に首をかしげながら那桜が答えると、立矢は笑みを漏らした。
「その程度には信用してもらってるってことか」
「なんの話?」
「那桜ちゃんにはそこそこで強力なボディガードがいるから、下手に手出ししないほうがいいって話」
「“手出し”ってダメですよ。那桜にはお兄ちゃん一号がいるから」
「郁美!」
「そう、それがいちばんのネックだな」
「ご存じだったらいいんです」
 立矢の受け答えに応じて、郁美はしたり顔でうなずいた。
 立矢が軽く応じてくれるからいいものの、郁美には警告ではなく訓戒をしておくべきだと那桜は思った。

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