禁断CLOSER#51 第2部 破砕の扉-open-
5.迸出-Gush- -3-
十月の下旬に入ってずいぶんと肌寒くなっているけれど、今日はポカポカした陽気だ。昼食はいつものメンバーで集まり、オープンカフェの学生食堂で待ち合わせた。
外で食べられる時期は限られているから、こういう天気のときは大抵オープンスペースで食べることのほうが多い。となると、郁美は、日焼けしちゃう、と朝すでにカバーしてきたにも拘らず、食べるまえに必ず剥きだしの手やら脚やらに日焼け止めのクリームを塗りたくる。
控え目という最初の印象は那桜の見当違いで、何事にもあっけらかんとしている郁美だが、肌の色に関しては神経質になるくらいの拘りがあるらしい。
自分が色白じゃないと思いこんでいる郁美は、那桜がうらやましいと云う。那桜からすれば、自分は色白というより蒼白いし、郁美は色白じゃないかもしれないけれど色素が濃いとも思えない。
「クリーム落とすの、たいへんじゃない?」
果歩は買ったサンドイッチを手にしながら郁美の腕を指差した。
「そういうのを面倒くさがるより、服を脱いだときに色が真っ二つってほうが嫌なの。勇基にいつまでもピュアに見てほしいじゃない? 色白は七難隠すって云うし」
「郁美ったらおばあちゃんみたいなこと云ってる。それに、谷坂くんにっていうとこ、ちょっとヘンに違って聞こえるんだけど」
「全然違ってないよ」
郁美は屈託なく笑って、果歩は呆れ返っている。勇基は苦笑い、翔流は吹きだす。那桜は声を立てて笑いながら、郁美の脳内思考が本当にそのとおりなのか覗いてみたいと思ってしまった。
「色素が薄いからって理由で谷坂くんが郁美を好きになったんならともかく、女の子から見ても郁美は可愛いって云われるんだから、それくらいのこと気にしなくてもいいと思う。少しくらいいいじゃない。紫外線はカルシウムの吸収を助けてくれるんだって。わたしは家にこもってることが多いから、おばあちゃんに少しは外に出なさいって云われてるよ」
「那桜は色が白いからそう云えるの! 果歩、那桜を見てて思わない? 見た目、絶対得してると思うよ。お人形さんぽくて壊れそうな感じあるし、逆に妖しいっていうか。男の人、惹かれちゃうと思うんだよね。ね、翔流くん」
突然で矛先が自分に向かってきた翔流は、わずかに身を引いた。
「今更おれに振るなよ。那桜の云うとおり、郁美はヘンなとこに拘りすぎだ。色が白いから惹かれるなんてさ、フェチの領域だろ。ピュアに見られたいっていう意味がわかんねぇ。お互いに好きでうまくいってんだから、不安になることないはずだけどな」
「だから、油断しないように努力してなきゃってこと。あたりまえじゃなくって、いつも好きって思われたいじゃない」
「そこは共感していいけど、色素に拘るって“くだらない”って言葉に尽きるよ」
果歩は控えることなくズバリと郁美の拘りを切った。郁美は不満げに口を尖らせていて、それを見た翔流が首を一振りして口を開く。
「だいたいが“わたしのどこが好き?”って女はよく訊いたり疑問に思うらしいけど、気持ちが長ければ長いほど、どこってのはわからなくなるもんだろ。少なくとも、おれは答えられない」
「だな。いまとなると、おれは全部ってしか答えられねぇ」
「郁美、だってさ。それを疑うからおかしくなんだよ」
「わぁ、またダブルでお惚気が始まった。郁美、いいかげんにしてよね」
翔流と勇基の会話に辟易したようで、果歩は当てつけがましく息を吐いた。
「いいじゃない。翔流くん、念のために云っておくと勇基のことは疑ってないよ。それでもって果歩、お惚気は幸せのお裾分け。果歩も早く幸せになればいいんだよ。綺麗なんだから選り取り見取りだと思うけど」
「郁美に云われなくてもなるよ」
「わお、断言してる。お相手、だれよ。いないって絶対に嘘だって思ってたんだよね」
「だからそういうことじゃなくって、未来の話だよ。郁美に云いたいのは余計なお世話ってこと。でも、広末くん」
果歩は不意に翔流を名指しした。注意を引くように呼びかけただけで、果歩は翔流の反応を待っている。
「なんだよ」
「“好き?”って確かめないと不安だっていう一方通行的な関係もあるんじゃない? 広末くんはモテるから付き合うとしてもそんな不安はないだろうけど」
「んー……」
果歩の意見に翔流は唸り、口を閉じたかと思うとその目が那桜を向く。
「何?」
思わず訊ねてしまうと、じっと那桜にあった翔流の視線がふと逸れて果歩に向いた。
「んー、前言撤回。おれ、那桜と付き合えたら、訊かないとしても、しょっちゅう疑問に思ってるかもしれない」
「そういうのって、好きのバランスが違うんだよね。もしくは、相手が自分を好きじゃないって知ってるからかも」
「厳しぃな」
「果歩、やっぱりいるんじゃない? カレシいないわりに具体的な主張だよ」
郁美は果歩を覗きこむ。
「友だちの話」
「そういうの、よく云い訳にされるんだよね。実は自分の話なのに」
「果歩?」
那桜も覗きこむと、両側からそうされた果歩は背筋を伸ばしながら顔を引いた。
「那桜まで疑う気? 那桜に打ち明けないわけないでしょ。よっぽどそうできない理由がないかぎり、たとえ不倫だとしても打ち明けるよ」
「……不倫は云えて、そうできない理由ってほかに何があるの?」
「なんだろうね」
果歩は可笑しそうにしながら惚けた。
那桜の中に漠然とした不快さが生まれる。ないなら“ない”と答えればいいのに。そう云いたくなるすっきりしない返事と、たぶん果歩の瞳が口もとと違って笑っていないからだ。
「今度、果歩のこと尾行しちゃおっかな」
「時間の無駄だよ。郁美、ベタベタした手を洗ってきて早く食べるべき。昼休みはあと三〇分しかないんだし、大好きなシチュー、冷めて油が分離しちゃうよ」
「あー、だよね。ちょっと洗ってくる」
郁美はすぐさま立ちあがってカフェの中へと入っていった。
その姿を追いながら笑う那桜の横で、果歩は二つ目のサンドイッチをつかみながら肩をすくめた。
「郁美って、結局は人のことを勘繰る余裕があるほどラブなんだよね。ね、谷坂くん」
「まあ、破局ってのは考えられねぇな。おれ、“全部”のなかでアイツの裏表ないとこがいちばん気に入ってるかも」
「ぷ。やっぱり日焼け止めって無駄になってるみたい。云ってあげるべき。過度に散財と水質汚染してるから」
果歩の指摘は笑い声を呼んで、那桜の不快さも少し払拭される。
その笑顔がまだ残っているうちに郁美が戻ってきて、一斉に注目された郁美は首をかしげた。
「どうかした?」
「今日はアツいねって云ってた」
「ちょうどいいと思うけど」
郁美はわざとなのか本当にまっすぐに受け取ったのか、軽くあしらい、それでまた沸いた。
それから十分余り、それまでと打って変わってほぼ黙々と昼食を取り、終えた頃に翔流と勇基がコーヒーを持ってきてくれた。
「那桜、青南祭、あと一カ月だよね。順調?」
果歩の向こうから郁美が問いかけた。
「うん、問題なく進んでるよ。いちばんのネックだった舞台もいい感じで纏まって、任されてたパンフレット作成もだいたい終わったから、わたしのメインの仕事は落ち着いてる。委員会も今週から週二でいいようになったし」
六月に立ちあがった実行委員会は、立矢がピンチヒッターで委員長に格上げになってから一カ月。バタバタしていた雰囲気もようやく冷静になって、やるべきことに追われていたところを追いつけた感じだ。
ちょうど一カ月後、十一月二十二日の前夜祭から始まって二十五日までの開催になる。
「那桜ってばネットとか興味ないって云うし、そういうことはしなさそうなのによくできたね」
「パソコンは授業とか必要なときはちゃんと扱ってきたよ。目的がないから触らないってだけの話。ソフトがあるし、使い方を覚えるまではたいへんだったけど、あとは楽しかった」
「那桜には付き人さんたちがいるから、居心地もよさそうだし。楽しいはずだよ」
果歩の言葉はやっぱり引っかかる。那桜は、かもね、と何気なく受け合ってやり過ごした。
そんな不穏分子にはまったく気づかない郁美の目が、那桜を通り抜けるや否や、びっくり眼になった。
「あ!」
「え?」
「一人、“付き人”来る!」
郁美の視線を追うと、立矢が見えた。友人だろうか、数人を伴っていて、立矢は那桜たちに気づいて軽く手を上げた。立ち止まって何やら会話を交わした立矢はそこを抜けだし、独りでやって来る。
「やあ、ここで昼? もう食べ終わった?」
「こんにちは。食べ終わりました。三年と違って一年はきっちり授業あるから、あんまりゆっくりしていられないし」
「代理とはいえ、委員長の仕事、頑張ってるんだけどな」
「それは知ってます。わたしも頑張ってる?」
「もちろんだ」
立矢はスマートに笑いながら受け合った。
那桜はわずかに前のめりになって郁美を見やる。
「ほら。ちゃんとやれてるでしょ」
「疑ってるわけじゃなくて、感心してるだけ」
郁美は首をすくめて答えると、テーブルの端に立つ立矢を見上げた。
「香堂先輩、訊きたいことあるんですけど」
「何かな」
「那桜の色の白さって気になります?」
何を云いだすかと思えばまた郁美の話は振り出しに戻った。その疑問を取り押さえる間もなく立矢が口を開く。
「気になる?」
「郁美!」
「ストレートに云えば惹かれるかってことです」
那桜がたしなめるも、郁美は我関せずで続けた。立矢がおもしろがっているからいいものの不躾すぎる。何より、出しに使われた那桜にとっては決まりが悪すぎる。
「そうだな。家業が家業だし、惹かれないって云ったら嘘になる」
「あ、そっか。でも、逆に云えばやっぱり色が白いほうが得なんだ」
「つまり、なんの話?」
立矢は可笑しそうにしながら首を傾けた。
「わたしみたいに蒼白くなりたいっていう郁美の話です」
那桜が答えると、立矢は合点がいったようにうなずいた。
「なるほど。確かに色が白いと、洋服の色とか選ばないからね。けど……郁美さん、だっけ。充分、色の白さイケてると思うよ。気になるんだったら、今度、ウチのUVケアシリーズをプレゼントしようか。ホワイトニング効果もある」
「え、ほんとですか!」
「そのかわり、モニターやってほしいって条件が付くけど」
「もちろんです!」
「飯田さんもどう?」
「ぜひ」
「メンズコスメもあるけど」
「冗談だろ」
自分たちに回ってくるとは露ほども思っていなかったのだろう。勇基は頓狂な声で一蹴した。
「メンズファンデってのはおれも遠慮するとこだけど、ローションは普通に使うはずだよ」
「勇基、使ってみたら。フレビューは香りがいいから」
「郁美さん、ナイスフォロー。ありがとう。じゃ、今度持ってくるよ。那桜ちゃんには、委員会が落ち着いたし、約束のメイクアップ付きで」
「ありがとう、楽しみ」
「おれのほうが手がムズムズしてるよ。とりあえずは明日、委員会で」
「はい」
那桜の返事を見届けて、立矢は挨拶がわりに手を上げながら背中を向けた。
郁美が小さく、ラッキー、とつぶやく。
「んー、爽やかだよね、香堂先輩。カノジョいないっていうのが不思議」
「本気になりにくいらしいよ」
「へぇ、そんな話するんだ。それで那桜、キミのことは本気だよ、って云われた?」
「そういう安っぽいセリフは云わない感じ。どっちかっていうと回りくどいかも」
「ってことは、それらしいこと云われたんだ!」
郁美の誘導尋問に引っかかったようだ。少しまえに批難されたことを思いだして、那桜は果歩を見やった。が、思いのほか果歩は興味なさそうにしている。那桜は、答えを期待した顔で待つ郁美へと目を戻した。
「でも本気になれないのはわたしも同じだし、ちゃんとそう云ってる」
「だよね。那桜は那桜で行かなくっちゃ!」
郁美は訳のわからないことで締め括った。
すると、批難も何も口にしなかった果歩は、その一区切りを見計らっていたように席を立った。
「果歩?」
「わたし、これからちょっと用事あるんだよね。次の授業はパス」
果歩は携帯電話を開きながら答えた。
「え、どこ行くの」
「お母さんから頼まれ事。じゃあね!」
那桜たちがバイバイというより早く、果歩はバッグを肩にかけて足早にカフェを出ていった。
「なんだか、やっぱり怪しいよね」
郁美は片方の肘をテーブルについてその手に顎を預けると、果歩を見送りながら続けた。
「後期に入ってから今日みたいに昼休み抜けることあるし、何かあると見てるんだけど」
「何かあるって?」
「那桜、最近、果歩はケータイ弄ってるってこと多くない?」
「そう? 気づかなかったけど」
「わたしのほうが一緒にいることが多いからかも」
郁美は果歩と同じ国文科だから当然、ふたりは一緒のことが多い。那桜は首をかしげながら遠ざかる果歩を見て、またすぐ郁美に目を戻した。
「果歩は合コンとかたまに行ってるみたいだし、わたしたちの知らないところで交遊が増えたんじゃない?」
「それにしては楽しそうでもないんだけど? 果歩の行動って何かに制約されている感じするんだよね。買い物とか約束してても、急用入ったって途中キャンセルされることあるし。普通、友だちと約束してて断るとか、会ってるのに切りあげるとか、そういうことする?」
「わたしは出かけないから、友だちとの付き合い方ってよくわからないけど」
「それもそっか。那桜に訊いたのが間違い。とにかく、果歩は約束自体をあまりしないかな。“いつ予定が入ってもいいように”なんていう理由だとぴったりくる」
「どういうこと?」
那桜は眉をひそめた。
「だから、時間を合わせないといけないような相手がいるってこと。そういうのって普通に考えてオトコじゃない?」
「ていうと、やっぱ、まずい相手か?」
勇基は興味があるのか、テーブルに身を乗りだして口を挟んだ。
「何か相手に立場があるとしたらしっくりするよ。ほかの約束ができないくらい相手と会いたいっていうわりに、果歩、少しも浮き浮きしてないし。わたしが勇基と付き合い始めたときは、ドキドキもしたけど、それよりは独りでニヤニヤしちゃうくらいうれしかったんだから」
「いまもうれしいだろ」
「もちろんだよ」
勇基にせっつかれ、郁美は満面の笑顔で答えた。釣られて勇基の頬が緩む。目を合わせた翔流は、手に負えないとばかりに肩をすくめている。
「郁美、またお惚気に戻ったよ」
「いいじゃない、隠さなくっても。でも、いつからかなぁ、そういうこと」
郁美は記憶を思い巡らすように目を宙にさまよわせた。
「あんまり詮索するなよ。人にはいろいろ触れてほしくないこととかあるだろ」
翔流が正当な意見で諭すと、郁美はため息を吐きながら椅子の背にもたれた。
「まあね。触れてほしくないことといえば、那桜」
何を思いついたのか、郁美は背もたれから躰を起こした。
「今度はわたし?」
「お兄さんのこと」
「何?」
「お兄さんのことっていっても、わたしが勝手に妄想してるだけってことはわかってる。だからこそなんだけど、ちょっとお遊びしちゃったんだよね。那桜、わたしが見てみてって云ったブログ、あれ、結局無視しちゃった? 果歩、何も云ってこないし、わたしはわたしで忘れてたし」
「……ブログ? 果歩?」
拓斗のこととあって身構えていたにも拘らず、那桜は驚きを隠しきれずに目を見開いた。