禁断CLOSER#50 第2部 破砕の扉-open-

5.迸出-Gush- -2-


「隆大さん、呆れちゃった?」
 果歩が消えたあと那桜がとうとつに訊ねると、隆大は苦笑いでもなく、ただおもしろがっているような笑みを見せた。
「はっきり云うよなって感心してるほうかも。妹のまま、躰だけ大きくなったって感じがする」
「どういう意味?」
 散々な云い様ではあるが、そのことよりも妙に妹という言葉を強調されたようで、那桜は思わず問い返した。
「結局のところ拓斗さんが折れてるから。きっと、いままでずっとそうやってきたんだろうなって思った」
 予想外のことを云われて那桜は目を見開いた。
「ずっと? そんなことないよ。戒兄が家を出るまでは――二年まえだけど、わたし、拓兄とほとんど口を利いた覚えがないの。ずっと、なのは“無視されてきたこと”だよ」
 那桜が話している間に、隆大までが驚いた様になった。
「そうなんだ。小さい頃のまんまで仲良くきたのかと思った」
「小さい頃のまま、って?」
「さっき云ったとおり那桜さんのことはうろ覚えだし、だから僕の記憶じゃないけど、那桜さんが行方不明になった話を祖父さんから聞いたんだ」
「……うん、あったよ。わたしも覚えてないけど。それで?」
 那桜は意外なところで何か聞けるかもしれないと期待した。
「覚えてないのは当然だよ。死にかけたって聞いた。拓斗さんが見つけたそうだけど、ずっと那桜さんを離さなかったって。祖父さんが見たかぎりだから、麓に下りるまでってことになるけど。だから、那桜さんと拓斗さんが一緒にいるのを見てて、まだ何回かだけど、なるほどって思った」
「……それだけ?」
「それだけって? 何かある?」
 那桜はため息が出そうなくらいがっかりした。
「ううん。たぶん何もない」
「それから何があったのか、僕のほうが気になるよ。ご両親にも預けたくないくらい妹想いで、ずっと無視されていて、それで“いま”だろう? 興味あるな」
 隆大の言葉に、ふっと那桜は気づかされた。
 何かあったのはひまわり畑ではなくて、その“あと”なのだ。
 隆大は、表情が止まってしまった那桜を問うように見下ろす。
「那桜さん、どうかした?」
「あ、ううん、隆大さん、ありがと。うっかりしてたって気づいたの」
 隆大が不思議そうに首を傾けたそのとき、すっと車が横に来た。完全に止まらないうちに隆大が前に出る。
「隆大さん、いいの!」
 助手席のドアを開けるつもりだと察して、那桜はすぐさま隆大を制した。隆大は上げかけた手をおろして那桜を振り向く。
「いいって?」
「それは拓兄がやることだから。わたしがお姫様になる唯一の時間なの」
 隆大は可笑しそうにして肩をすくめた。
「さっきも充分、お姫様扱いだったと思うけど」
「そう? でもわたしが優位に立ってるって実感できるのはこの時間だけ――」
 運転席のドアが開いて那桜は口を閉じた。車の屋根越しに拓斗を見ると、その視線は隆大に向かう。
「もういい」
 拓斗は車のフロントを回ってきながら、自分が付き添うよう云いつけたにも拘らず、今度は淡々と追い払う。
 身勝手な指示なのに、隆大は快くうなずいた。
「では拓斗さん、失礼します。那桜さん、また明日」
「うん。ありがとう、隆大さん。さよなら」

 背中を向けた隆大の姿を何気なく追うと、那桜はそのずっと先に佇む有沙を捉えた。
 有沙がこっちを向いているのは確かだけれど、那桜や拓斗を見ているかといえば、遠すぎて断言はできない。
 見たくもないのに。那桜は苛立ちながら目を外して、助手席のドアを開けた拓斗を見上げた。
「触られた?」
「なんのことだ」
「あの人、拓兄に触りたそうにしてるから」
「乗れ」
 拓斗は答える気がないどころか、話を切りあげようとする。
 従う気にはなれずに突っ立ったままでいても、那桜と違って拓斗は苛立ちも表さず、二年まえの最初の日みたいに辛抱強く待っている。何を思っているのか、さっぱりわからない。

 ――おれから出られると思うな。
 内側に入りこんで閉じこめられたはずが、二重扉だったとわかったのはすぐ。もしかしたら、入れ子細工みたいに三重にも四重にもなっているかもしれない。つまり、那桜はその裏にある内心をいまだに覗けていないのだ。
 覗けないなら目を閉じていよう。そうしてきて、さきは見えなくてもそれでいいと思ってきたけれど、ひまわり畑で扉は歪んだ。
 ますます開けられなくなったのか、それとも開く兆候なのか。
 拓斗の心底は覗けなくても、少なくとも歪んだ隙間から、那桜へと何かが零れてくる。

 拓兄、聞いて。
 声に出さず、くちびるで伝えてみた。
 いま拓斗の瞳は那桜にあって、間違いなく耳を傾けている。
 拓斗がわずかに顔を動かして反応する。
「拓兄、キスして」
 今度は息を吐くように囁いてみる。
 聞き取れなかった拓斗は、無意識なのか、なんだ、とドアを片手で支えたままわずかに前かがみになる。
 聞いている、どころか、気になる?
 察して逃げられないうちに那桜は爪先立ち、下りてきた拓斗の顔に自分の顔を近づける。気づいた拓斗がさえぎろうと手を上げ、那桜はそれより早く拓斗の腰に巻きついた。くちびるに触れるのと同時に、拓斗の手が那桜の肩をつかむ。
 見た目よりはずっとやわらかくて温かいくちびるに自分のくちびるを押しつけたあと、拓斗が引き剥がさないうちに那桜から離れた。
 那桜の意向が先行していたぶん、願ったり叶ったりのシチュエーションが成立した。
「ありがと、拓兄」
 おもしろがって笑う那桜を見下ろして、拓斗がほんのわずか目を狭めた。
「怒った?」
 訊ねながら構内の奥を見やると、まだこっちに顔を向けた有沙が目に入る。隆大が声をかけたのか、有沙の顔は焦点をずらした。
 那桜がまた拓斗へと視線を戻すと、〇・五秒後に同じ方向から帰ってきた目と合った。目論見を知った拓斗がどう思ったのかはわからない。
「恥を曝すような真似はするな。乗れ」
 突き放した口調でもなければ、咎めるでもなく、那桜が拍子抜けするくらい負の感情は見当たらない。もっとも、見えづらいというだけなのか。ただ、少なくとも那桜の行動に感情を害したふうではない。そのかわりになんだろう、強いて挙げるなら懸念みたいなものが滲みでている。
 はじめてのことだ。
 それはわたしに対して? それともほかの何か?

 助手席に乗りこんでシートベルトをするより早く、拓斗は運転席に落ちつくと車を出した。
「公共の場じゃないなら、恥を捨ててもいいってこと?」
「明日から迎えは和惟をやる」
 那桜の屁理屈とまるで咬み合わないセリフは、極め付きの突っぱね方だった。お喋りする気力は奪われ、苛立ち混じりの拗ねた気持ちだけが残った。

 *

 那桜が喋らなければ、拓斗が無視しているかのように無反応なのはいつものことだ。
 家に帰っても沈黙は続いて、今日は静かね、と詩乃の口から発せられたとおり、食卓は食器のぶつかる音がやたらと目立った。
 那桜の当番である食器洗いをすませ、お風呂をすませ、部屋の机で課題に向かっていると、ドアの閉まる音がした。
 時間的におそらく風呂だろうが、十分くらいまえに出ていったばかりだということを思えば、本当に拓斗の入浴時間はカラスの行水だ。
 また仕事に戻ったに違いない。なかなか課題が(はかど)らない那桜と違って、なんの支障もなく拓斗は仕事ができているだろう。
 それとも、少しは考えている?

 那桜自身、拓斗が那桜とのことをどうするつもりなのか、あまり考えないようにしてきた。
 いずれ、切られると考えるのは容易い。兄妹なのだから、例えば、“高校生のときの有沙”という立場よりも将来的展望でいえば確実なことだ。
 ただし、拓斗は有沙に対して留まるためのなんの材料も見いだすことなく、引き際の時宜(じぎ)を得ていた。
 けれど、肉体的繋がりがあって、だめになって、何年もたてば、何事もなかったようにあんなふうに普通に振る舞えるんだろうか。
 感情が欠如している拓斗と本気にならない有沙、つまり性欲を満たしていただけの拓斗と拓斗を気に入っていただけの有沙。互いに“好き”という感情はなくて、そんなふたりだから、なのか。
 那桜は似たような関係にある、自分と和惟に照らし合わせてみる。
 親族という顔を合わせざるを得ない状況下、何年たっても何事もなかったように振る舞えてはいない。和惟にしろそうだ。
 那桜はなるべく避けようとするし、和惟は故意に那桜を不快な立場に置こうとする。
 拓斗と有沙、那桜と和惟、その違いはなんだろう。
 隆大は、那桜と和惟のことを切る意思がなければ切れないと云う。
 拓斗と兄妹のラインを超えたと知って以来、和惟のちょっかいは鳴りを潜めていたけれど、最近は――別荘での出来事のあとは再び危うくなったという気がする。
 昨日だって、和惟は那桜を愚弄し、肉体的にはさらに容赦なく那桜を嬲った。
 昨日の終わりを那桜は見ていない。失神しかけていたときさえも覚えていない。
 朝になってすでにスーツを着た拓斗に起こされ、夢じゃなかったと那桜に教えたのは、脚の間に残っていた濡れた感触と下半身の重さだ。
 隆大が那桜と和惟の両側にないという“切る意思”は、いつも拓斗の中にある。自分の目の前で和惟に抱かせるのはその実証だ。相対してそれを引き止めている何かがあって、その何かは切る意思よりは強いのだ。だからこそ、拓斗は那桜の中に妹という価値の矛盾を招き、そして那桜を切り捨てできないでいる。
 歪んだ扉の隙間から零れている何か。それが巨大になれば、那桜が抉じ開けなくても拓斗は自らで開けてくれるだろうか。

 那桜は課題を閉じて立ちあがった。パジャマを脱いで淡いピンクのベビードール姿のまま部屋を出る。二つ奥にあるドアを躊躇なく開けた。
 一瞬だったけれど、めずらしく拓斗の目が向く。
 けっして何も考えていないわけではないということ?
 机に向かった拓斗の傍に立った。マウスを弄る手は止まることがない。那桜はその右腕をどかして強引に拓斗の脚の上に跨った。
「仕事してる」
 そう云いながら、放りだそうとまではしない。那桜はにっこりした笑顔をつくって、少し上にある拓斗の目を見つめた。
「わたしは昨日、課題やれなかった」
「自業自得だ」
「わたし、何かした?」
 那桜が首をかしげて問い返すと、拓斗は口を噤んで答えない。拓斗の葛藤が見えて、今度は本物の笑顔を向けた。
「もしかして立矢先輩のこと? キスのこと? だって、キスは拓兄も反応してたよ? それとも、わたしがあの人を嫌いなように、拓兄も立矢先輩が嫌い? 狙ってるって云われたのは……ホント。でも……立矢先輩を好きになっても……和惟や翔流くんのときみたいに……“許さない”?」
 もったいぶりながら云っているうちに拓斗の目が細くなる。
「出ていけ」
「拓兄が開けてくれないんだよ。……出ていきたくても」
 曖昧に付け加えた言葉は拓斗になんらかの衝動を与えたようだ。わずかに目の色が変わった気がする。

「拓兄、何を誘われてるの?」
 拓斗は、なんのことだ、とでも云いたげにしてかすかに首を動かす。
「昨日。『私の誘いを断る理由はないわよね』ってあの人、云ってた。またセックスするの? そのことしか考えられないよ」
「暇じゃない」
「でも、あの人のほうは仕事してないんだし、ずっと暇。拓兄に合わせられるんだよね」
「面倒だ」
 那桜にとってそれらの答えが保証になっていることを、拓斗は果たして気づいているだろうか。
「そう? でも、わたしのほうがきっともっと面倒だと思うの」
 那桜は伸びあがって拓斗の首に腕を巻きつけると、くちびるを重ねた。反応がないことにもかまわず、したいがままにくちびるに舌を這わせる。
「拓兄、触って」
 くちびるがくちびるに囁く。しばらく待ってもキスのお返しはなく、那桜は顔を離した。
「それとも、恥知らずなことをしたから和惟を呼ぶ? わたしはいいよ。拓兄でも和惟でも。気持ちいいのは同じだから」
「黙れ」
「こういうの、なんていうかな? セックス依存症?」

 云い終わるが早いか、那桜が載っているというのに拓斗が椅子から立ちあがった。倒れそうになった那桜の腰を片手で支えた拓斗は、もう一方の手でノートパソコンを閉じた。
 くるりと躰を回されたかと思うと、首根っこを押さえつけられる。肩から先が机に載り、ちょうどパソコンの上にペタリと右頬がついた。
「拓兄っ」
「セックスしてほしいなら黙れ」
 首の後ろから離れた手が那桜のショーツを引き下ろした。机に手をついて上体を起こそうとしたと同時に、ベビードールの上から右側の胸が包まれる。ブラジャーをしていないうえ躰を覆うのは薄い生地だけで、感覚をさえぎるにはなんの役にも立っていない。拓斗の手の感触がはっきり伝わってくる。
 んふっ。
 押しつけるように撫でる手のひらが胸先を擦る。とたんに躰が反応し始めた。何度か同じことが繰り返されたあと、拓斗の手はそのまま下側から回りこんで躰の中心に触れた。
 腰が身震いするようにプルッと戦慄く。指が縦に添いだし、最初は少し引きつっていたが、その違和感は数回往復するとすぐに消えた。
 拓斗は那桜の快楽を簡単に呼び起こして躰の奥に熱い塊をつくる。力が入らなくなって、中途半端に伸ばしていた肘は折れ、那桜はパソコンの上に頬を預けた。拓斗の動きを潤滑にしているのは那桜自身が得ている快楽であり、それがまた快楽を増産する。
 果ての見えない感覚が始まった。
 腰を抱く拓斗の左手が離れる。躰の中心を弄られながらも薄らと布の擦れる音を聞き取った。
 このまま……?
 疑問に思ったのはつかの間、その答えは身をもって示された。
 拓斗の慾がそこに触れ、次の瞬間には那桜の体内へと潜ってくる。逃げないように那桜の腰をつかみ、拓斗は止まることなく、めり込むように突き進んでくる。その間、息を詰めていた那桜は、最奥に拓斗が到達したとたん、押しだされるように音を立てて息を吐いた。
 んあっ……うっふ……っ。
 ゆっくりと拓斗が律動を始めた。那桜のためか、逆に那桜を追い詰めるためか、真綿で首を締めるようにスローなリズムだ。触れている感覚が浮き彫りになって、拓斗に絡む那桜の襞が顫動(せんどう)する。
 じわじわと限界に連れられていった。慾が奥を突くたびに沼にのめり込んだような音が立つ。拓斗が慾を引けば、伴って那桜の快楽の印が体内から零れ、やがて脚を伝いだす。
「拓に……もぅ……」
 だめ。そう云いかけたとき、拓斗の指が剥きだした襞に触れ、弾き、そしてねっとりと揺らした。
「うっ、はぁ――……っ」
 脚から力が抜け落ちて、かくんと膝が折れた。それを拓斗の手が両側から腰をつかんで支える。そして、蠢動を繰り返す那桜の体内を(えぐ)るようにして、速度を増しながら突き始めた。
 躰の痙攣が止められないまま那桜は声を堪え、水音がますます響くなかで持続する快楽に耐えた。
 ベビードールがたくし上げられて背中が剥きだしになる。強く打ちつけられ、それに応えた那桜の最奥が慾に絡みつき、次の瞬間、拓斗は那桜から抜けだした。
 反った背中に温かい慾が散る。その上では拓斗が荒い息を吐きだしている。

 こんな格好で酷い。
 惨めな気がして呻いたとたん、躰からはそれとは裏腹の“気持ちよかった”印がトクンと溢れた。
 背後から拓斗が離れ、すぐに戻ってくると背中がきれいにされる。
「もういいだろ」
 することも酷ければ、云うことも酷い。ショーツが引き上げられる途中で、那桜は起きあがって拓斗に向き直った。
「よくない! 後ろからなんて」
 那桜が睨み据えると、拓斗までもが同じように見下ろしてくる。
「前からだろうが後ろからだろうがセックスはセックスだ。“気持ちよかった”だろ」
「全然、まったく、サイテー」
「イッた」
「拓兄もね。でも……」
 那桜は躰をぶつけるように拓斗に巻きついた。一週間ぶんを吐きだすにはまだ足りない。それを裏付けるように、那桜がくっついただけで拓斗の躰は反応を見せた。
「満足感はゼロ」
 拓斗とでも和惟とでも、躰が気持ちいいのは本当。でも、心が気持ちいいのは……。
「ちゃんとシて」
 首をのけぞらせて真下から訴えても拓斗は動かない。那桜も引くつもりはない。
 必要なのはこんなふうに見つめ合って躰を繋ぐことだから。
「拓兄」
「ベッド行け」
「……どっちの?」
「おれの、だ」
 その選択は拓斗が受け入れたことを確かにした。

 ほっとした那桜は手を解いた。ベッドに向かおうとしたとたん、脚にショーツが纏いついていることを忘れていて転びそうになる。すかさず拓斗に支えられ、那桜はその体勢を利用して縋るように抱きついた。
 結局は抱きあげられ、お姫様抱っこでベッドに入った。
 お姫様といえば、と、隆大と話したことを思いだしてくすくす笑っていた那桜だったが、まもなく拓斗によってその余裕は取りあげられた。

BACKNEXTDOOR

* 入れ子細工 … 同じの形で大きさの異なる容器を順に中に入れたもの
   重箱とか、ロシアのマトリョーシカ人形とか