禁断CLOSER#48 第2部 破砕の扉-open-

4.惑溺-wakudeki- -7-


 口に(かぶ)る手のひら、パジャマの下へと潜ってウエストに巻きつく腕、それがだれものか直感的に察した。拓斗とは面と向かっている以上、那桜の背後にいるのは、そしてこんなことをするのは和惟以外に考えられない。
 察せないほうがおかしい。わかっていても驚愕し、動悸に伴って呼吸を苦しくする。
 背中は引き寄せられて和惟にぴたりと密着し、それから耳もとには和惟のくちびるが触れた。吐息がかかり、那桜の躰が寒気を感じたように震える。
「那桜、無謀すぎるんだ。おれが教えてやっただろう? 見縊(みくび)った結果、どうなるのか」
 脳裡に和惟の声がわんわんと響く。耳をくすぐる温かい息は足もとまでも危うくして、那桜は避けるように肩をすぼめた。そのうえ、胸の起伏が激しくなるほど息苦しい。和惟の手から逃れようと、もがきながら仰向いた。
 すると、手がわずかに浮いて(くぼ)みをつくり、呼吸する隙間ができた。荒い息が手のひらの中にこもって狭い空間を湿らせる。
 かすみかけた視界が鮮明に戻っていくなか、拓斗が徐にベッドから立ちあがった。手に持っていたコーヒーカップを那桜のデスクに置き、嬲るような様で近づいてくる。
 拓斗は三〇センチくらいの距離を置いて正面に立ち止まった。肩が動いたと思ったとたん、その手が那桜の首もとに添う。
 また違う感覚で慄いた。拓斗の背景にひまわり畑が迫り、那桜は息を呑む。
 拓斗の指先が首筋から鎖骨の間へと回り、ゆっくりと胸骨に這いおりる。後頭部は和惟の首もとに押しつけられていて、下を向くことはできないが、パジャマの引っ張られるような感覚にボタンを外されているんだろうとは見当がついた。
 抵抗するどころか、呼吸できているんだろうかと自分でも曖昧で、混乱さえしてくる。
 自分で招いたこと。和惟のことまでは予測していなくても、拓斗が自分の中に発生したものをなんらかの衝動に変換するだろうことはわかっていた。
 やっぱり別荘でのことが甦る。果てしない夜。違うのは、縛っているのが和惟だということ、閉じられているのが視界ではなく声であること。

 胸を(はだ)けられて、肩からキャミソールの肩紐ごとパジャマが引き下ろされる。拓斗の瞳が那桜を射て、手はふくらみをそれぞれにつかんだ。湯上がりの素肌には冷たく感じる。その内心にあるのは、そのとおりの冷たさだろうか。それとも――。
 んっ。
 手が捏ねるように回すように動き始めた。拓斗と和惟のそれぞれの手のひらのもとで、だんだんと那桜が発散する灼熱の温度がこもる。
 和惟の腕はしっかりと那桜を捕えていて抜けだせない。せめて拓斗の手を制御しようとしても、肘の下辺りでパジャマが()れていて、手を動かすこともままにならない。
 拓斗の手を受け止めるしかなく、胸は熱く火照っていく。やがて、胸先を擦るような動きに変わった。そこは硬く反応していて、思考がかすんでいるぶん、那桜の感覚は快楽で満たされていくような気がした。

 怖いのかうれしいのかわからない。
 嫌らしいことをしながらも拓斗は那桜をじっと見つめているままで、那桜にしてもそうしている。
 いまみたいに、近くにいないときもわたしたちは見つめ合っているべきだ。
 拓斗がはじめてを教えてくれたときに心に決めた。

 だから、いまは快楽に溺れるのみが那桜のすべきことじゃない。
 けれど、那桜の決意を嗤うように拓斗自らの指先が弱いところを弾いた。それだけじゃなく擦られるように摘まれる。
 んんっ。
 躰全体がピクリとした反応を示し始めて、同時にじっとしていられない感覚がおなかの奥に及んでいく。ふと、拓斗の右手が左側のふくらみから離れたと思うと、パジャマのズボンの中に忍びこんだ。そのままショーツの中へと侵入する。
 拓斗の指がそこに触れたとたん、全身へと痙攣が走った。一回、二回と縦に添う。酷く滑らかな感触で、触れられるまえから胸の先と同じくらい、躰の中心も応えているのだ。
 足もとは覚束なくなって、視線は拓斗の瞳から浮き、躰を背後の和惟に預けた。ピクピクとしながら揺れる躰が和惟を反応させいるんだろうか、少し反った腰のあたりは小さな空き間があって、そこに和惟の硬くした慾が触れている。
 いま和惟にとって、その腕が絡めとっているのは、果たして“那桜”なんだろうか。
 その疑惑さえ許せないという気持ちになったのは一瞬で、ただ、那桜は下腹部の奥にある熱の塊に集中していく。
 部屋は那桜のくぐもった声を除けば静寂しか残らない。そのなか、拓斗の指先がそれぞれの場所でくねりだして、猫がミルクを舐めるときのような音が交じり始めた。
 熱の塊が融解していき、脳内に平べったい空間が広がっていくような感覚がした。その間も指の動きは繰り返されていて、快楽が達するまでの時間を引き延ばす。
 両方の指先がそこそれぞれに巻きつくように絡んだ刹那、躰が跳ね返り、和惟の腕が離さないとばかりにきつくなった。一週間放っておかれたぶんだけ激しく収縮が起きている。そのたびに腰が跳ねた。

 拓斗の手は惜しむような動きで触覚を這い、次には、那桜の躰から離れた。そのしぐさは。
「好きにしろ」
 と、直後に吐いた言葉と同じように突き放すようだ。
 だれのことを対象にして、だれに向けたのかは明白だ。
 それでいいの?
 それが過程だとわかっていても、一瞬、気力が()える。ぼんやりとした目は拓斗の顔を捉えても瞳に焦点を合わせることはできていない。
 耳もとではふっと嗤ったような息が漏れる。拘束していた手が緩んで、よろけた那桜はすぐに躰をすくわれた。和惟の腕の中、余韻が定期的に躰を小さく痙攣させる。
「い……やっ」
 やっと息がまともにできるようになったばかりで、拒絶を発した声は効果なく弱々しいだけだ。
「聞こえただろ」
 拓斗の発言を示唆し、和惟は一蹴した。
「拓兄っ」
 助けを求めた声はかすれていた。
 ベッドにおろされて那桜は起きあがろうとしたが、拓斗の姿を確認するまえに両肩をつかまれ、ふわふわした布団の上に押さえつけられる。そのままベッドに上がってきた和惟は那桜の腿の上に跨った。
 拓斗の意思であり、助けてくれるなんて思っていない。
「汚い気持ちで……触らないで!」
 それでも求めたのは、和惟の中に自分じゃない“だれか”がいるからだ。
 和惟の顔が真上に来て迫ってくる。押し退けたくても肩を動かせないうえに、中途半端に腕に絡んだパジャマを躰の下に敷いているせいで、手を上げることも叶わない。それを見越している和惟は、那桜の口もとで惑わすような笑みを浮かべた。
「汚い? いや、違う。見ていた――そうかもしれない。けど、那桜を“見る”のとは意味が違う」
 小さく抑制した声で云い放ったあと、囁き声にさえならない、語りかけるような息がくちびるに触れる。なんと云ったのか考えてもわかるわけはないけれど、そうするまえに和惟の舌が那桜の口の中を侵してきた。

 蜜を絡めるように甘ったるい和惟のキスは、拓斗の不器用さをあらためて教える。その幸せを裂くように、熱を持ったくちびるは喉もとを通ってふくらみにかかり、そして尖った先に温かく絡んだ。
 手で触れられるよりも数段上の快楽に襲われ、那桜は声を堪えながら腰を捩った。肩から手が離れて右側のふくらみを包み、もう片方の手は脚の間に及ぶ。
 あくっ。
 和惟の指は抵抗なく滑り、那桜は脚を突っ張った。まるで、もっと、というように腰がわずかに上がり、指先は応えるようにぬるっと這いだした。
 単調な指の上下運動は濡れた音を立て、那桜の躰をゆっくりとうねらせる。胸先には舌が這いずり、甘咬みされ、強く吸いつかれる。
 ついさっき拓斗に応えた躰は、嫌がることなく和惟に応えている。

 それでいいの?
 また同じ疑問、あるいは期待がよぎる。那桜は“答え”を探した。さまよわせた視線が答えを捉える。
 ベッドと反対側にあるデスクに腰を引っかけ、手は縁をつかみ、拓斗は無の表情で那桜の瞳を向いた。もしくは、最初からその視線は那桜にあったのかもしれない。
 違う、なければならない。
 拓斗を裏切るなんて簡単なこと。それを思い知ってもらうためなら、躰だけじゃなく自分の意思で和惟に応えてもいい。

 んふっ。
 和惟のキスが反対に移っただけで新たな刺激になる。背中を反らしたせいで胸までもがもっとと欲求するように持ちあがった。
 拓斗と目を合わせたまま、那桜はだんだんと昇っていく。頂上で時間が止まったように感じたとき、那桜の躰がせいいっぱいで反り返った。呼吸を止め、硬直した一瞬後、和惟の指がソフトに、それでいて強く襞を絡めとった。拓斗がぼやけ、吹きすさぶ風音に似た呼吸音を立てながら躰を波打たせた。
 和惟はすぐに離れたが、それは那桜を解放したわけじゃなかった。イったばかりで身動き一つできない那桜から、パジャマとショーツを一緒に剥ぎとった。
 拓斗はやっぱり止めることはなく、那桜は果てしない夜を思い起こして、快楽の名残とは別に躰を震わせた。
 そんな那桜の怖れにはかまわず、和惟は膝の裏を支えながら開脚させる。ベタベタして閉じていた襞が、熱の中に放りだされた貝のように無理やり開かされる。お尻が少しだけ浮く。直後、そこを和惟の舌が這いだした。
 指とは違う、温かくて柔らかい触角同士が触れると、もういいと思っていたはずの躰でも快楽を得てしまう。直前の快楽が収束していないなか、あまりの刺激で、ピクピクと動く腰は止めるにも止められない。キスするみたいにそこを咥えられ、吸いつかれると、何かが漏れそうな怖さに襲われる。
 那桜は目的を忘れて感覚の世界に入り、視界から拓斗が消えた。正確には那桜の目が離れたんだろう。
 和惟はそこに喰いついたままで、堪えきれず、感度を軽減しようとした躰が本能で頭上のほうに擦りあがろうとする。

「和惟っ」
 小さく叫ぶと、和惟はそこから離れ、那桜の上に伸しかかるように顔を見せた。
「今更怖がることじゃないだろ。感じるだけ感じればいい」
 そう云って胸骨にくちびるをおろし、和惟はその起点から躰の真ん中を伝いおりていく。目的地は云わずもがな、おへそを通り過ぎてくちびるはまたそこに到達した。
 あふぅっ。
 たったいまの言葉は、遠慮しないぞという宣言だったかのように、和惟は明らかに那桜を追い詰めようという意思で触れだした。
 快楽が力を消去して、那桜の脚は自らで開いていく。
 もうだめ……。
 まっすぐに楽園を思わせる天井を見上げ、感覚に身を任せたとたん、那桜は背中を反らし、和惟の顔に押しつけるように腰を突きだした。その口の中へ、体内に生じた蜜を吐きだした。触角が交わすキスの隙間から蜜が零れ、お尻の間から背中へと伝った。
 那桜の呼吸は浅く深くと乱れてコントロールができず、ぐったりした躰のうち、胸だけが大きく上下していた。
 そして、落ち着く暇もなく和惟の指先が体内を侵してきた。その指が冷たく感じるほど体内は熱く潤っている。ひくつく体内の収縮に連動して、今度は那桜の襞が奥へと引きずるように和惟の指を絡めとる。
「も……いい……やめ……て」
 和惟はゆっくりと顔を上げた。
「容赦しない。少なくともおれはね」
 伏せた目に映る和惟は、那桜の脚の向こうで口を歪めて嗤っている。
 それがどんな気持ちから発生するにしろ、嫉妬という――正確には、嫉妬に近い感情は拓斗も和惟も変わりない。共通しているのはもう一つ、那桜をとことん追いつめるところだ。
 和惟は躰の中で指の関節を少し折り曲げた。そのまま徐に指が引かれ、そして根もとまで挿入する。律動のなか、このまえのように那桜の弱点を見出すと、和惟はその一点に集中した。その場所はどうなっているんだろう。自分の躰のことなのに不安になるくらい何も考えられなくなる。
 ふはぁっ……。
 不意打ちで快楽は弾けた。跳ねあがる躰にかまわず、続けて蠢動する体内が掻き回される。
 ぃやぁ……あくっ……ぁっ……ふっ……。

 思考力も体力も尽きた。
 同じ動作が繰り返され、和惟の指と那桜の襞の摩擦が躰の奥の中心部を溶かしていく。それを裏づけるように、べちゃべちゃと泥水を踏みしめるような音が体内から零れている。
 それが心底の記憶を浮上させ、那桜の意識を後退させた。

「拓に……い」
 那桜の瞳が拓斗を求めてさまよう。間延びした動作で首を横に向けると、ぼやけた姿が見えた。
「拓にぃ」
 ため息のように呼んだ。
 見つからないように声は出しちゃいけない。
 んはっ……。
 息が苦しい。
 でも、大好きな拓にぃの中にいるとつらくない。全部忘れても――。
「覚えて……るよ。拓に……はずっ……と……那桜のおに……ちゃ――」
「那桜」
 最後まで云わせてくれなかった声は怖いくらい鋭くて厳しくて、“拓にぃ”とは違う声音が希望を絶つように那桜の名を呼んだ。
「和惟、終わりだ」
 終わり?
 その意味を理解できないまま、那桜の躰の奥が引っかかれる。痛くはない。ただ、自分では止められない感覚に襲われる。刹那、躰中が深く激しく脈動を始めた。
 気を失う間際、ひまわり畑が還り、終わってもいい、とまた思った。



 夜中の一時すぎ、浴室を出て階段を上がっていく。上りきったところで立ち止まり、正面のドアに目を留めた。
 ためらったのはつかの間、そのためらいさえも打ち消して意思に従った。
 ドアを開けて部屋の中に進み、ベッド脇に立って寝顔を見下ろす。失神したあと布団に包んでやった。そのままの状態でほんの少しも動いていない躰は、額に触れても微動だにしない。
 手を放し、拳を握る。

 許さない。
 忘れようとした決意はずっと(くすぶ)っていた。
 忘れるべきだ。
 なぜなら、許されない。
 消えそうな呼吸を思いだし、いままた、確かめるように自らの躰を折った。
 触れた呼吸は温かい。
 無意識下、求めるようにそのくちびるが開く。
「拓……にぃ」
 布団を剥いで隣に横たわり、そしてまた裸体ともに自分の躰を覆った。
 何かのきっかけがあれば何時(いつ)の瞬間も鮮明に甦るあの夜、そうしたように必死に抱く。
「思いだすな」
 その言葉と裏腹に、あの夜が還ったように小さな躰がすり寄ってきた。

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