禁断CLOSER#39 第2部 破砕の扉-open-

3.クラインの壺 -4-


「拓斗がいきなり連れてくるって連絡してきたときはびっくりしたけど、賑やかなのはいいわね」
 粉にしたコーヒーの入った缶を開けながら、詩乃はいつになく浮かれた感じだ。独りでいるほうが好きなんだろうと思っていたのに、それは那桜の勝手な解釈なのかもしれない。
 そういえば、あまり思いだしたくないクリスマスの日、翔流がたくさんの食料品を手にしていたときも楽しそうにしていた。そのときも思ったけれど、兄たちには、いまみたいに友だち――現況、リビングにいるのは後輩だけれど、そういう普通の交流をしてほしいと詩乃は願っているんじゃないだろうか。
 那桜にしろ、拓斗には、例えば翔流みたいにかまえずに、せめて会話が成り立つくらいには普通に振る舞ってほしいと思う。
 那桜はキッチンのカウンター越しにリビングを見やった。拓斗を囲むようにして集まった光景は一端(いっぱし)の普通だ。
 けれど、ただセッティングしただけの有沙が拓斗の隣を陣取る必要なんてない。
「そうかな」
 詩乃に答えた声は自分でも刺々しく聞こえた。事実、隠す気になれないくらいそのとおりの気持ちだ。
 詩乃はコーヒーのフィルターを取りつける手を止め、那桜の視線を追った。そして、摩訶不思議といった顔を那桜に向けた。
「妬いてるの?」
「なんのこと?」
「香堂さんのことよ。さっきもヘンに身構えてたみたいだけど」
 詩乃は侮れない。ずばりと指摘されたくないことを突いた。
 妬いているのか。そうかもしれない。いや、そのとおりだ。和惟との夏からまったく成長していない自分が明確になる。有沙から子供扱いされて不満を持つなんてとんでもなく、二年まえもさっきも自分の振る舞いは子供じみていた。
「違うよ。きれいだからうらやましいって思っただけ」
「那桜だって充分だと思うけど」
 ごまかしただけの発言が即座にフォローされると、那桜はため息をつくしかない。
「親から云われてうれしいと思う? 余計に落ちこみそう。拓兄も戒兄もずば抜けてるのに、わたしだけ違わない? それだけでわたしにしたらすっごいプレッシャーなんだから」
「……そうかしら」
 詩乃が相づちを打つまでにちょっとした時間があり、そうしたかと思えば口調は膜が張ったように聞こえた。
「お母さん?」
「血統上、有吏の男はずるいのかもね。結婚が決まったとき、友だちに云われたことあるわ。『詩乃さん、お相手の殿方、素敵ね。このうえなく理想的じゃなくて?』って、言葉遣いは上品だったけど目はギラギラしてたわね。うらやましがられたけど、当時はそれがうれしいなんて思ったことないわ。ミスターパーフェクトは眺めているにはよくても、傍にすると逆にうんざりしちゃうのかしら」
 冗談か本気か判断しかねた。詩乃は至って生真面目な顔だ。
「早いよね、お母さんの結婚」
「昔のことだから、結婚の話自体は飛びぬけて早いってことでもないのよ。私にとって早かったってことは確かだけど」
「恋愛結婚……じゃないよね?」
 ずっと疑問に思っていたことをはじめて訊ねてみると、詩乃は口もとに笑みを浮かべたけれど、その意味する感情とはかけ離れているように感じた。
「理想どおりにはいかないわね」
「いまは?」
「いまは、何?」
「だから、当時はうれしくなかったって。いまは、どうなのかなって思って」
「どうかしら」
 詩乃は、今度は本当に可笑しそうにして惚けた。やっぱり真意はわからない。うちの家族というのはどうしてこうも仮面ばかりなんだろう。那桜は拓斗を見やって内心でまたため息をついた。

「お母さんは香堂さんのこと知ってた?」
「どういう意味で?」
「拓兄の……カノジョ、とか」
 ためらいがちに云うと、詩乃は驚いたように目を丸くした。
「気にしてるの?」
「あ、だから拓兄は友だちとかカノジョとか連れてきたことないし、興味があるってだけ!」
「そう? 対面という意味では、香堂さんとは会ったことないわ。生徒会って三年生は六月で引退でしょう? 拓斗が高等部あがったばっかりで引退じゃあ短い期間だし、行事ごとで見かけたことはあるかもしれないけど覚えてないわね」

 あれから拓斗に有沙のことを聞いたことはないけれど、いま、詩乃の発言に気づかされることがあって、那桜はますますおかしいと思う。いや、おかしい以上に那桜の疑惑、つまりは拓斗が濁した訳が裏づけられた。
 拓斗の入学から三カ月なら、いくら拓斗が学級委員をやっていて接点があったからといって、それだけの間に『拓斗』と呼んだり、そして、クローザーである拓斗が有沙を覚えていたりするはずがない。ましてや、接点がなくなって八年もたっているのに、拓斗は面倒くさいと思うに違いないことを引き受けている。それは、なんらかの拘りが拓斗にあるということだ。
 ますますもって不愉快だ。拗ねているのか怒っているのか、うっとうしいものが渦巻く。妹という那桜にとって、それら全部を客観的に見たら理不尽な感情でしかない。
 酷い。こんな思いさせるって間違ってる。
 内心でつぶやくと、伝わったように拓斗の目が向く。捕まって見透かされるまえに目を逸らした。

「いいよね。拓兄のことは知らなくていいことがあってもよくて。わたしはきっと全部、知られたくないことまで知られてるのに」
 口調がつっけんどんであれば、浄水器(ウォーターディスペンサー)のバルブを開く手もどこか乱暴になった。
「それだけ那桜は守られてるのよ。それに、あなたと同じくらい拓斗にも自由はないわ」
 それが有吏一族の長であるからという理由にしては、詩乃の声はまるで気持ちを一切隠すようで淡々としすぎている。
「どういうこと?」
「拓斗も弁えてるってこと。香堂さんがカノジョなんてことないわ。だから、那桜が香堂さんにやきもち焼くなんてまったく無駄な労力ね」
「そんなんじゃないよ!」
 詩乃の一転したからかいに、那桜は声をひそめながらも強く打ち消した。
 詩乃に有沙のことを訊いたのは間違いだった。やきもちとは別のところで、だんだんと居心地悪く、胸が痛くなる。ただの妹としてのやきもちならどんなにらくだろう。
「あなたたちって、二年まえに比べると考えられないくらい一緒にいることが多いわよね。そのうえ、拓斗のカノジョが気になるなんて」
「だから、大げさにとらないで」
「那桜はともかく、拓斗まで……。……ああ、違うわ」
 ふと間を空けた詩乃は何かを思いだしたようだ。
「違うって何?」
「昔は……あなたたちが小さい頃は、どちらかというと拓斗のほうが那桜のことを気にしてたわね」
「拓兄が?」
 意外なことに目を丸くすると、詩乃は首をかしげた。
「そうよ」
「……どんなふうに?」
「少なくとも、戒斗よりはべったりだったわ」
「戒兄はいつもやさしいけど、拓兄とは……全然そんな記憶ないよ?」
「……そうね。でも、いままた仲良くなれて、それでいいんじゃない?」
 詩乃は曖昧に相づちを打って、自分が話を持っていったくせにどう考えても話を避けようとしている。そういえば、さっきの拓斗が自由じゃないという話も巧妙に逸らされた気がする。
 そして、自分が口にした『記憶』という言葉が、那桜に別荘でのことを思いださせた。
「別荘にいるとき、拓兄と和惟から聞いたんだけど、わたし、肺炎で入院してたって。わたしって小さい頃のことあんまり覚えてないなって気づいたんだけど、そのせい?」
 詩乃は那桜から受け取った水をコーヒーメーカーに注いでいて、集中しているのか、すぐには答えない。
「拓斗は云わなかったの?」
 やがて疑問で返ってくると、那桜は詩乃もまた、そのときのことは教える気がないのだと悟った。
「……うん。このまえみたいに雨に濡れたせいだってことと重症だったってことしか」
「あのときは本当に危なくて、だから蒸し返したくないっていうのもわかるでしょう?」
 詩乃はいつもの有無を云わさない声音で締め括った。

 那桜はあからさまにため息をついた。が、それはリビングのドッと沸いた笑い声にかき消される。反射的に目をやると、拓斗以外はみんなが笑っている。
「お母さん、大学の中だったら、ちょっとくらいやりたいことやってもいいよね?」
「何がやりたいの?」
「香堂さんが……弟さんのほうだけど、云ってたこと。青南祭の実行委員会の手伝い、とか。時間が遅くなるとしたって、拓兄は仕事あるから、迎えの時間が遅れてちょうどいいかなって思うけど?」
「拓斗がうんて云うかしら。さっきの様子じゃあね」
 さっきの、というのは邪魔者扱いされたときのことだろうか。詩乃は渋っているものの、那桜は活路を見いだした。
「ってことは、お母さんはべつにいいと思うんだよね?」
 いいともよくないとも云わず、今度は詩乃がため息をついた。


 拓斗たちにコーヒーを持っていくと、那桜は追い返されないうちに、長方形テーブルの短い辺側の空いた場所に座った。すぐ斜めの位置にちょうど隆大がいて、歓迎した眼差しが向き、居心地も悪くない。
 拓斗と目を合わせれば無言の命令が下るに決まっていて、那桜はあえて見ようとはしなかった。
 テーブルの上には図案を含めた資料が広がっていて、たかが文化祭されど文化祭で、いかにもたいへんそうだ。
 拓斗は日頃から忙しいくせに、頼まれれば役を引き受けていた。青南祭の実行委員もそうで、だからこそ有沙が頼ってきたのだろうけれど、那桜はそういう拓斗に対して感心を通り越して唖然としていたものだ。
「さっき笑ってたの、何?」
「ああ。拓斗さんから歴史の裏側を聞いてね、笑ったってよりはびっくりしてたのかな」
 質問した那桜に向かい、隆大はおどけたように肩をすくめてから拓斗を見やった。つい釣られてしまった那桜は、やっぱり何を考えているかわからない拓斗の目と合う。
「拓斗がそういう無駄っぽい想像する人だってことが意外なのかもね」
 隆大を継いだ有沙の補足は、拓斗から視線を逸らす手助けになったけれど、ほっとするよりもうれしくない気持ちのほうが強い。
「歴史の裏側って?」

「今度の青南祭のテーマから、歴史上の人物について大々的に掘りさげて舞台やることになってるんだ。それが源頼朝。頼朝は、戦いに焦点を当てると指揮者としての功績はほとんど聞かれない。政治的交渉の方面に()けていた。身内殺しが多いし、冷酷っていうのが一般論だけど、いまいちはっきりしない人物なんだよ。義務教育受けた奴ならだれだって知ってる名前なのに、小説とかの主人公になることはない人物だって。だからこそ、人を惹くにはいい題材だ。そのぶん、主役性を追求しないといけないわけだけど、その話してるときに拓斗さんからお零れ話を聞かされた」

「その時代にあった“朝廷”対“幕府”の承久の乱は、当時の天皇だった後鳥羽上皇が討幕しようと挑んだ戦いだろ。結果は幕府が勝って朝廷の権力は制限された。この制限が味噌らしい。二頭政治となっていたにも拘らず、幕府はなぜ朝廷を根絶させずに存続させたか。朝廷の血統は有史以前まで(さかのぼ)る。それを考えれば、血族はどこでどう繋がっているかわからない。いつだって脅威になり得たはずだ。現にその百年後、後醍醐天皇によって鎌倉幕府は倒されて政権は奪還されたとなってる。ってことから可能性として、実は、真の裁量権を握っていたのは朝廷に変わりなくて、幕府はその手のひらの上で踊らされていたという拓斗さんの説。そうなると二回目の王政復古、つまり明治より以前の歴史の見方は変わってくる。明治維新だって意味合いが微妙に違ってこないかってこと」

 隆大の説明に立矢が続いた。
 今回の青南祭のテーマは『和しょく』だ。『和』は“日本”でも“調和”という意でもいいし、『しょく』についても、食、色、触、と解釈はそれぞれに任されることになっている。
 そこから『源頼朝』という歴史人物に至る発想まではわかるとして、拓斗が話したという説からどう笑うまでになるのか、那桜からすれば理解できない。
「歴史って苦手だからよくわからないけど」
 那桜が困惑した面持ちで首をかしげると、また笑い声があがった。
「極端だよね」
 隆大の向こうからちょっと身を乗りだした立矢は、おもしろがったふうに眉を上げて那桜を見やった。いま話していた、歴史について云っているのではないようだ。
「え?」
「那桜ちゃんと拓斗さん。拓斗さんはそうだな、多少(つつ)いたって動じることなさそうだけど、那桜ちゃんてその都度、どうにでも飛ぶって感じだ」
 これもまたよくわからない。目の端にクスッと笑う有沙を捉えたけれど、反省もあって、不快な気分も少し抑制できた。
「いい意味じゃないですよね」
「そうでもない」
 立矢はニヤリと口の端で笑う。隆大がからかいつつも(たしな)めたとおり、ちょっとナンパだ。
「続きだ」
 またもや拓斗が口を挟む。
 またやってるよ、と、隆大が可笑しそうにぼそっとつぶやいた。
 再び邪魔者扱いされたみたいで、那桜は少なからずむっとした。
 けれど、追いだされることはなくて――というより、さっきと違ってさすがに拓斗も追いだす理由が見つからなかったのだろう、那桜はそのまま居残って打ち合わせに立ち会った。

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* 歴史については史実をもとにしたまったくのデタラメです。
  “有吏一族”の物語から歴史に興味を持たれるのはいいとしても、学ぶことはできませんので悪しからず。