禁断CLOSER#35 第2部 破砕の扉-open-

2.アフガンの帯 -5-


 歩いているうちにくたくたした足もしっかりしてくる。階段をおりて踊り場から方向を変えたとたんにカレーの匂いが強くなって、キッチンにいる和惟が目に入った。足が怯んでも、拓斗の手がそれを見越して那桜の手を強く握りしめる。
 同じことを繰り返している。せめて和惟とは目を合わせたくない。そう思って、那桜はあえて和惟のほうを見ないことにした。
 幸いにして拓斗はキッチンカウンターじゃなく、ソファのほうへと連れていく。けれど、そこで手を離された那桜ははたと立ち尽くした。
 昨日、そこで……。
 脳裡で幻視していた光景が嘘のようにソファは整然として、当然ながらなんの跡形もない。その隣のソファに拓斗が座って、那桜は反射的にそれを追い、拓斗と目が合った。平然として何も見えない瞳だ。
 夢だと云ってほしいのに、夢かどうかを訊くなんてできない。躰を縛っていただけの拓斗、以前と変わらず侵すことのない和惟。みっともなく淫らだったのは那桜だけだ。
 那桜から何を得ようとしているのか、拓斗は目を離そうとせず、所在なく突っ立った那桜は拓斗を見返すしかない。

「座って」
 不意に真後ろから和惟の声がして、那桜の肩がびくっと揺れた。拓斗の向かいで、慌ててテーブルの前の床に座る。不自然なのはあからさまでも和惟がどう思っているのか見当もつかず、快楽のあとの和惟の冷笑を知っているだけに那桜はどうにもできない。
 ただ心細くて、針のむしろに座らされているみたいに感じた。
 だって、また一つ気づいた。拓兄が抱かなかったこと。
 願望が見せた幻想でなければ、一晩中、拓斗は眠る那桜を包んでいた。
 朝まで一緒に眠るという機会は両親が外泊するときに限られていて、指で数えられるほどしかない。そんなときは飽くことがないように、那桜を追い詰めてまでも抱くくせに、昨日も今朝もそうしなかった。
 出ていけばいい――その言葉が脳裡で表面化する。遠ざけられるんだ。漠然と結論づけた。

「食べて」
 目の前にカレーが据えられる。おなかが空いているのかどうか、よくわからないままスプーンを取った。同時に背後で那桜の背中を跨ぐようにソファに座る気配がして、それが和惟だと結びつくまえに後ろから回ってきた手に顎をすくわれた。不意打ちで、不安定に仰向いた那桜の躰を和惟の足が挟んで支えた。
「無視はないだろ」
 可笑しそうな声が届く。那桜を見下ろす和惟の目が一瞬上向いて、顎から喉骨にかけての優美なラインが見えた。おそらくは拓斗に目をやったんだろうが、またすぐ那桜に戻る。そして視線がずれ、和惟の顎が目の前に迫ったと思ったとたん、口がふさがれた。
 んっ。
 それがキスと理解できないうちに、仰向いたせいで緩んだ那桜の口の中を和惟の舌が侵す。逆さまのキスは舌と舌が真正面から絡んで逃れられない。なんの前触れもないどころか、あり得ない行為。その突飛さが思考を停止させ、那桜を無防備にして、和惟にされるがまま軽い酸欠に陥った。
 関節が白くなるほどスプーンを握りしめる那桜の手が、かろうじて抵抗を示している。
 上気が苦しさに変わる寸前、和惟が那桜の口を解放した。和惟はくちびるの端から喉へと伝いおりて、那桜の口から零れたキスの痕を追う。
 拓兄はいま何を見てるの?
 思考力が戻り、那桜は和惟の脚にもたれたまま起きたくないと思った。

「ペナルティはどうだった?」
 和惟の質問に、那桜は閉じていた目を開けた。
「……ペナルティ?」
「那桜は自分で勝った気でいるけど、正確に云えば、おれたちが勝ったのは偶然でも、那桜には勝たせてやったんだ」
「だって……!」
 さっき、拓兄は『なんだ』って訊いたのに。
 那桜は云いかけて止めた。どうせならペナルティと理由づけされたほうがいい。それ以上のことは何も考えなくてすむのだから。
「まあ、那桜にとってペナルティになってたかは疑問だ。那桜は感じまくって、おれはソファと床の後始末させられた」
 和惟の瞳にプラスティックスマイルが浮かぶ。快楽のあと、那桜を惨めにさせるところは少しも変わっていない。そのうえ、和惟は無下に那桜の頭を起こした。
 そして、けっしてそうしたくはないのに、那桜はやっぱり拓斗を見つめた。
 けれど、そこには那桜が覚悟したものは何もなかった。冷やかさも。怖くなるくらい何もない。
 下を向けば潤んだ目から涙が落ちるのはわかっている。ふたりの前で泣いてもなんの意味もなさない。昨日の夜が証明している。
「拓兄……は……食べないの?」
 拓斗を呼んだ声はかぼそくおどおどして聞こえ、那桜は少し(つか)えたあと、自分で自分を惨めにはしたくなくて、せめてと声を明瞭にした。
「もう食べた。おまえだけだ」

 昨日、和惟にピザを食べさせてもらったときは遠回しに批難したくせに、ひまわり畑から出たときだってキスと勘違いして不快にしてたくせに。
 いまのはそれより酷い“キス”。
 それなのに、咎める雰囲気もなくただ事実を述べているというその声はどういうこと? そもそも、拓兄はキスを止めもしなかった。
 それらが意味しているのは一つしかない。
 どうでもよくなっているということ。
 信じたくなくて、量れる限界を超えて、ただ泣き叫びたくなった。
 忘れたい。全部。
 そう心の中でつぶやくと自分じゃない、那桜よりはずっとずっと小さい女の子の声が似たような言葉をつぶやくのが聞こえた。
――忘れちゃダメ?
――全部、忘れろ。
 泣いているのはだれ? 答えたのはだれ?

「那桜」
「那桜、早く食べて」
 拓斗と、それに重なった和惟の催促に那桜はふと現実に返った。
 食べ始めたカレーは、昨日は美味しかったはずが、いまは舌にざらついて纏わりつくだけだった。


 那桜が食べ終わるのを待ってちょっとした片づけをやったあと、十二時少しまえに別荘を出た。
 外に出ると、昨日のことが信じられないほど雨の名残が薄れ、暑い日差しに迎えられた。眩しい光とは裏腹に、那桜の中には昨日の暗い空が残っている。一向に気持ちの整理がつくことはなくて、そんな那桜におかまいなしにふたりはいつものとおりだ。
 落ち着かないまま、和惟の濃紺の車が納まる車庫に向かった。
 三人のときはおよそ助手席に乗る拓斗がめったになく後ろに座った。奇妙に思っているうちに、和惟が那桜の名を呼んで手招きする。
 運転席の後ろに回ると、和惟はドアに右手をかける一方で、左手が那桜の頭を抱えこんだ。右側のこめかみが和惟の胸に触れると同時に離れる。顔を上げかけたところで、和惟がドアを開けて肩を押し、結局その表情は見られなかった。
 大丈夫だ。そう聞こえたのは気のせいだろうか。それくらい和惟の声は音になっていなかった。
 プラスティックスマイルと重篤の瞳。那桜に向けられているのはどっちが真実なんだろう。

 車はゆっくりと発進して、まもなく別荘地帯の入口にある柵の手前で止まった。東堂家に炊飯ジャーやら鍋やらを返しに寄ったわけだが、車を降りれば東堂一家が待ちかねていたように次々と家から出てくる。そのなかに昨日は見かけなかった老人がいた。
 きっとひまわりが好きな、あの口癖の人だ。

「那桜嬢ちゃん、あんなに小さかったのに……別嬪(べっぴん)さんにおなりです」
 老人はあまり聞かない言葉で那桜を称えた。その瞳は心なしか潤んで見える。那桜は申し訳なく笑った。
「わたし、ここに来てたこと覚えてなくて。ごめんなさい」
「心配ないない」
 老人はあの言葉を云って那桜を笑わせてくれた。
「それは覚えてたみたい。それに、ひまわり畑はすごくきれい」
 老人は、うんうん、と顔をくしゃくしゃにした。笑っているのか泣いているのか、那桜には区別がつかない。
「那桜嬢ちゃん、ありがとうございます。毎年ひまわりを育てながら……後悔しました。あのひまわり畑さえなければ――」
「東堂、そのことはいい。たまたま、だっただけだ。那桜が元気でいるってことが嘘じゃないとわかったはずだ。それでいいだろう」
 和惟は明らかにさえぎり、老人はまた二度うなずいた。
「那桜嬢ちゃん、また、ひまわりを見にきてくださいますか」
「はい」
 和惟に問い質したいところを堪えて、那桜は老人に応えた。そこへ会話の区切りを待っていたように、隆大(りゅうた)が一歩出てきて老人の隣に立った。
「カレーはどうだった?」
「こら、隆大。口の利き方に気をつけるんだ」
 老人がすぐさま隆大を叱り、隆大は立場に気づいたのか、まずかったというような表情になった。那桜は急いで口を挟む。
「あ、大丈夫です。わたしも青南大に通ってるの。隆大さん、わたしからすれば先輩だし。カレー美味しかったよ、いままででいちばん」
「よかった」
 何か受けたらしく、隆大はおもしろがって答えた。
「那桜」
「帰ろう」
 拓斗の呼びかけを和惟が引き継いだ。ふたりで一つの文にするってどういうことだろうと那桜は思う。半ば呆れ、半ば可笑しくなって、そして東堂家と接したことで憂いが紛れて那桜の気分も少し軽くなった。
 あらためて拓斗と和惟が東堂家にお礼を伝えると、老人は深々と頭を下げた。
「天気がよくなったとはいえ、麓の被害は酷いようです。気をつけてお帰りください」
 一家に見送られ、和惟の濃紺の車は別荘地をあとにした。

 拓斗は今度も後部座席に乗り、那桜はなんとなく居心地が悪い。通常がパターン化しているだけに、いつもにないことはほんのわずかでも那桜を戸惑わせるのだ。
 現実逃避ができたのもつかの間、まごついたせいで(しこ)りが甦って那桜の気分はもとに戻った。
 前と後ろというせいか拓斗と和惟の会話もなくて、カーオーディオから流れるFMラジオのかすかな声が、かろうじて息詰まりそうな空気に酸素を供給している。
 もうちょっと声が大きければいいのに。と、そこまで思った那桜は、ボリュームを上げればいいんだと気づく。腰を浮かして座席の間から身を乗りだした。
 手を伸ばしてボリュームアップのボタンに触れたとたん、脚の間に手が入って躰をすくわれ、那桜は小さく悲鳴をあげる。その勢いで目一杯ボタンを押してしまい、耳をふさぎたくなるほどの音が車内に充満した。
「何やってるんだ」
 那桜の耳もとで云った和惟の声さえぼんやりとしか聞こえない。振り向こうとしたのと、ウエストに腕が回りこんだのが同時だった。和惟がまた聞きとれないくらいボリュームを下げるうちに、那桜は横向きで拓斗の脚の上へと載せられた。

「拓兄っ」
 見開いた那桜の瞳のすぐ傍に拓斗の瞳がある。拓斗の右手がチュニックの下に入ってきて、那桜はとっさに身を縮めた。胸のすぐ下で腕を組んでそれ以上の侵入を防ぐ。
「“きれい”にしてやる」
 場所を弁えない行為に、拓斗を信じられない気持ちで見つめていた那桜は、その言葉でさらに拓斗に見入った。
 ずっとまえに拓斗に頼んだことを、拓斗はその意味を知って覚えていた。
 ちらりと前を向くと、まるで阿吽の呼吸でルームミラー越しに和惟の目と合った。いまその瞳はプラスティックなのか篤いのかわからない。拓斗が後ろに乗った時点で感づいていたのだろうか。
 車は山道から街中へと変わる交差点の手前で止まっていて、一瞬のつもりが和惟とのアイコンタクトは長かったのかもしれない。その隙に拓斗が那桜の下半身から下着ごとレギンスを剥ぎとり、サンダルが座席に転がる。それから拓斗の手のひらが頬に添い、那桜を振り向かせた。
 わずかに無理やりなしぐさが拓斗の苛立ちだとしたら。
 那桜は腕を解く。
 和惟は口を挟むことなく車を発進させた。那桜は声にならなかった“大丈夫”に縋る。拓斗の脚の上からからおりると、向かい合う格好で座り直した。待っていたように拓斗の手が脚の間に滑りこんでくる。
 昨日、和惟が口で蹂躙した場所を、いまは拓斗が指先で嬲る。見つめ合っていたのはつかの間、那桜はうつむき、拓斗の胸に置いた手はTシャツを握りしめた。
 もしかしたら遠ざけられるという怖れが、応えたいという気持ちを強くしている。那桜は拓斗の指を過敏に受け止め、背中を丸くして躰を震わせた。
 縦に沿う指先は急激に滑りをよくしていく。動きは緩やかでも執拗さを伴う触れ方で、応えたい気持ちは不要なほど、嫌でも感度は上昇していった。
「拓兄っ」
 堪えていた声が拓斗を呼ぶ。応えたのは拓斗の指先で、縦に沿うだけの単調な動きだったのが、くるりと那桜の突起に巻きつくような動きに変わる。じっとしていられないような快楽に見舞われ、来る、という感覚に嵌った。
 うぅくっ。
 硬直、そしてそれが緩む瞬間に拓斗にしがみついて、その肩にくちびるを押しつけた。叫び声はそれでも小さな隙間から漏れだした。

 定期的な身震いが治まらないなか、拓斗の指は襞を沿って体内への入口におりた。快楽を与えるためではなく感度を確かめているようで、冷めた行為に思えた。身悶えしつつもそれが那桜に分別を戻らせ、後悔を覚える。静かな車内で、那桜が快楽を得たことは和惟にも隠しようがない。
 背中の向こうで和惟は何を思っている? そんな心許なさから隠れたい気分で拓斗に寄りかかっていると、ふたりの躰の間に拓斗が手を入れてきた。手は那桜の下腹部でもぞもぞと動き、ジッパーの音がしたあと拓斗は腰を少しせり上げる。また腰を落とすと手は引き抜かれ、かわりに那桜のおなかには拓斗の硬くなった慾が触れた。拓斗が那桜の肩をつかんで那桜の躰を引き離す。そして、やれ、というような眼差しが向いた。
 きれいにするというのがそういうことだとは互いにわかっている。けれど、いざとなると那桜はためらった。
 手や口で触れられることと、慾を突き立てられることは違う。
 和惟からそうされたことはなくて、ひまわり畑での和惟の嘲笑を思いだして……その和惟の前で――。

 拓斗が目を細めて躊躇している那桜を見やる。もしかしたら那桜の迷いの要因まで読んだのかもしれない。拓斗の手がアヒル座りした那桜の膝の下に潜ってきて持ちあげた。それから膝の裏に腕を潜らせて那桜の躰を浮かせる。あられもなく開脚させられて不安定になった那桜は拓斗の肩をつかんだ。同時に、那桜の潤んだ場所にまともに拓斗の慾が触れた。
「あ……拓兄」
 悲鳴じみて縋るように名を囁くと、拓斗が那桜を抱えたまま躰を上下させ始めた。体内を貫くことなく、指先に変わって拓斗の慾が縦にスライドした。いや、那桜の躰が動いている以上、那桜が沿っているのだ。指よりも格段に当たる面積が広がり、脚の間の触覚器はすべて拓斗の慾に絡んで逃れるすべがない。抵抗なく、それどころか陶酔を呼ぶ摩擦を生みだしているのは、那桜自身が零す証のせいだ。
 躰中が脳内麻薬(エンドルフィン)に侵犯されていった。ここがどこかも、和惟がいることも頭から消えていく。
 咬みしめたくちびるの間から呻き声が漏れ、それを境に口が開いた。膝を抱えている腕が邪魔して拓斗に密着できず、おまけに肩に置いた手は離せずに口をふさぐこともできない。
「あ、ふっ……拓にぃっ……あ、あ……」
 単調なはずのただの上下運動は、拓斗の躰から伝わる車の振動に加勢され、那桜をまた追い立てた。
 う……くっぁああっ。
 イク瞬間に縮こまった躰はその果てしない高さから急降下したと同時に小さく跳ねた。腰が揺らいで拓斗の慾に擦れ、身震いが止まらない。息が詰まりそうなほど喘いだ。
 その躰を拓斗がまた少し持ちあげる。窪みに拓斗の先端が触れて、那桜はできるかぎりでお尻を引いた。が、躰にかかる重力は拓斗の腕が支えていて、すぐもとに戻ってしまう。
「自分で合わせろ」
「ダ、メ……いま、は……無理」
 拓斗がほのめかした要求に、那桜は緩慢に首を振った。
「無理じゃない。とことんイケるはずだ」
 拓斗は非情に云い放ち、また首を振る那桜を無視して入口を探り当てると、那桜の躰を落とした。
「う、あ、ああ、んああっふっ」
 挿入するのは無理やりなのに、動作はゆっくりとしながら那桜の躰の奥まで達する。那桜の躰は拓斗の慾すべてを呑みこんだ。こんなふうに向き合う体勢ははじめてで、余計に拓斗を奥のほうまで感じている。そのぶん、いつにも増してきつく、那桜は躰を強張らせて息を詰めた。
「那桜」
 拓斗が名を呼びながら、呼吸を促そうと顔を下ろしてくる。繋がっているときに、ましてやそのときは受け入れることに精一杯で、こんなふうに近くに拓斗の顔を見ることはない。いま、潤んだ視界の向こうで、那桜と同様に拓斗の顔は苦しそうにかげって見えた。
 呼吸が触れるまえに、那桜は大きく喘いで自らで息を吐いた。

「拓……にぃ」
「なんだ」
「ペナル、ティ……いま……いい?」
 拓斗は答えることなく、ただ目を細めた。那桜は勝手にそれを了解ととる。
「キス……して……大事に、してる……って、キスを、して」
 拓斗はすぐには応じない。那桜は、触れるまで五センチという距離を一センチまで詰め、わずかに口を開いた。簡単に応じてくれるとは思っていなくて、待っている間に、那桜の体内は拓斗の大きさに慣れていく。伴って拓斗の慾がやっと身動きできるといったふうに、那桜の中でピクリと小さく反応した。
 ふ、はぁっ。
 小さく喘いだその瞬間に、拓斗の顔が少し斜め向き、那桜のその吐息を呑みこんだ。
 合わせたくちびるは、昨日のように荒くもなければ、呼吸を合わせるような静けさもない。
 ゆっくりと拓斗の舌が那桜の口内を這っている。舌の裏に潜りこんだ拓斗は那桜を包むように巻きとった。痺れたような感覚が体内に落ちて、おなかの奥を刺激して、そして拓斗の慾を包む壁に波及した。その感覚は逆流して那桜を襲う。それを繰り返し、拓斗は少しも動いていないというのに、那桜独りが快楽を貪っていて恥ずかしいという感情が集った。
「はっ……拓兄」
「イケ」
 ほんの傍で命令した拓斗は那桜のくちびるを舐める。しつこいくらいにゆっくりと這いずり、そしてまた口内を侵してきた。躰全体が上気して、那桜は拓斗の口の中に呻き声を吐き散らす。
 快楽の抑制ができないまま、おなかの奥から全身に痙攣が走り抜けた。那桜の悲鳴は口から零れそうな蜜ごと拓斗が吸い取る。もう一つの入口もまた蜜を出して、拓斗の慾を伝い零れた。

 腕に膝を支えられ、躰の中心は拓斗の慾が支えている。そしてキス。那桜はすべて拓斗で固定されている。嫌じゃない。窮屈でもない。ただ――。

 キスは呼吸に変わる。ようやく落ち着いたとき、拓斗が今度は挿入したままで那桜の躰を上下させ始めた。那桜は呼吸を逃れ、首をのけ反らせて悲鳴をあげた。抜ける寸前まで持ちあがり、そしておろされる。緩やかでも那桜には強烈な律動だ。連続してイッていることが那桜を敏感にしていて躰全体が痙攣しだした。
 ああっ、ああっ、ああっ……。
 体力が尽きていく。声を抑えなければという意識は薄くなり、こうしていられるのならと、ほかのことはどうでもよくなった。
 もう……ダメっ。
 那桜は反らした頭をもたげ、残っている力をかき集めて拓斗の背中に手を回した。同時に那桜を引き寄せた拓斗のくぐもった声も聞こえず、ただ縋りつく。一瞬後、弾ける感覚と一緒に出た叫び声はどこか遠くに聞こえた。
 ふたりきりじゃなくてもかまわない。昨日のことがどういう真意であっても、きれいにしてくれる気持ちがあるならかまわない。

「拓にぃ……好き」

 意識が途切れる刹那、那桜の口をついて出た。

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