禁断CLOSER#29 第2部 破砕の扉-open-

1.メビウスの帯 -3-


 躰の内部にあった熱が引いて、ふたりの放った芳香が木の香りに紛れた頃、ベッドが少し(きし)んで揺れる。頭上に感じていた呼吸が消えて繋いでいた手が取り残されても、簡単に目が開けられないほど疲れていて、しばらくは微睡に任せた。
 わずかに開けた窓から風が入ってくると、外の空気に触れて、ひまわりを見たいという気力が戻ってくる。やっと、まぶたを震わせながら薄らと目を開けかけたとき、いったん部屋を出ていた足音が帰ってきた。
「那桜」
「うん」
 のんびりした返事をしつつ目を開くと、那桜の視界はかがんでくる拓斗の上半身で占められた。那桜の躰とは全然違って、拓斗の皮膚は、いつも緊張しているのかと思うほどピンと張りつめている。でこぼこした表面は男であるからこその美しさがあって、那桜は見るたびに触りたくなる。その欲求のままに手を伸ばした。
「起きるぞ」
「うん」
 拓斗の腕が肩と膝の下に潜って躰をすくい、那桜は伸ばした手を背中に絡めた。互いのしっとりした胸肌が、ペタリと吸着して気持ちいい。
 拓斗は、そんなに自分は軽いんだろうかと思うほどスタスタと歩いて部屋を出た。一階へおりる階段とは逆に折れて、奥のほうへと進んでいく。
 突き当たりの浴室に入ると、拓斗は那桜を洗い場におろしてシャワーの蛇口をひねった。浴室の床に敷いたスノコが湯を弾き、湯気が立つにつれて木ならではの匂いが漂う。
 浴室は日当たりがよく、ヒノキの風呂は風情があって好きだけれど、湯を溜める気配はなくて、つまり拓斗は入る気がないらしい。もっとも、ここに来たのは拓斗の気まぐれで、宿泊どころか夕方には帰らないといけない。

 いま何時だろう。窓に目を向けると、外はまだまだ日差しが強い時間帯のようだ。
「二時だ」
 那桜の疑問が聞こえたように拓斗が声をかけ、那桜の肩にシャワーを向けた。不意のことで、那桜はびくっと小さく躰を跳ね、拓斗は支えようとして那桜の腕をつかむ。
 那桜は拓斗に視線を戻した。そこに表情はなく、拓斗の手は腕から離れて、大ざっぱに那桜の躰を擦りながら汗を洗い流していく。
 拓斗と風呂に入るのは指で数えられる程度だ。那桜は平気なふりをしているものの、自分でもへんに思うくらい戸惑う。裸なんて、那桜自身よりも拓斗のほうが詳しいほど、奥深くまで曝しているのに、いつまでたっても恥ずかしい気持ちは消えない。セックスもそうだ。兄妹ということが関係しているのか、和惟のときほど積極的になれないでいる。
「おなか空いた」
「下に行けば何かある」
 那桜のごまかしに、拓斗はあっさりと返した。ちょっとした疑問は読めても、感情は読めないらしい。

 ひとまず、おなかが空いたというのはまるっきりの嘘でもない。
 今朝、朝食後に着替えを終わって、今日は何をしようかと考えているとき、拓斗が那桜の部屋に来て、いきなり、出かける、と一言で誘いだしたのだ。その朝食以来、何も口にしていなくて、空腹感も一度は通り越している。
 目の前の拓斗は、空腹と快楽でクタクタしている那桜とは対照的に、どれだけ体力があるのかと思うほどピンピンして見える。躰を洗われている隙に拓斗を眺めると、伏せた目の先には、ちょっとでも触れればまた襲われるんじゃないかと思うくらい、生気を失っていない拓斗の慾が見える。
 どうやったらこんなに、バランスよく起伏した躰を維持できるんだろう。日曜日でもおかまいなしに仕事に行くか、あるいは自室でパソコンを開いているという、どう見てもインドア派なのに。
 そういう、生真面目なくらい仕事一筋、尚且つ有吏一族に忠実な拓斗も、今日はめずらしくちゃんと休むことにしたらしくてここに至っている。
 連れだされたのは強引だったけれど、那桜は大学が夏期休暇中で毎日が“日曜日”であり、出かける理由がなんであれ、那桜に断る理由はない。そして、拓斗の理由は考えるまでもなく那桜には明け透けで、ここに来てすぐ、察したとおりにふたりで快楽に浸かった。
 一度では足らず、あまつさえ、何度でも飽き足らないかのように欲求を向けられて、那桜の躰は倦怠感いっぱいになっている。けれど、気分は幸せだと錯覚するくらいに満ち足りている。

 戒斗が家を出て二年がたち、那桜と拓斗が兄妹という壁を破ってしまって一年半を過ぎた。
 初めのうちは、事あるごとに拓斗はまさに那桜を組み伏せた。和惟のときは――(こじ)れるまえに限ってだが、なんとなくその気が芽生えた那桜から始まっていたことが、拓斗とは、すべて拓斗の意思によって始まる。
 いつも同じ表情でいる拓斗の意思は、家庭教師という口実のもとにある時間のなか、始まったばかり、途中、終わってから、ということに関係がない。よってそれが“いつ”なのかは見当がつけられず、那桜にとってはいつも不意打ちだった。
 仕事が遅くなって家庭教師ができないときは、帰るなり拓斗が部屋にやってきて、那桜、と自分の部屋に呼びつける。
 それが変わったのは今年の三月初日、那桜が高等部を卒業してからで、つまり半年まえからだ。むやみに抱くということがなくなった。

 卒業すると、拓斗の部屋へ行くために暗黙の了解でずっと続けていた、家庭教師という口実は役に立たなくなった。それでも、呼ぶことはいくらだってできるはず。現に呼びつけられていた。
 拓斗がどういうつもりなのか、生理でもないのに三日あいて五日あいて、そして一週間もあくと、さすがに不安になった。時間潰しだと那桜が部屋に押しかけてみても、わざと拓斗のベッドに潜って本を読んでいても、仕事に没頭していてその気が一向に見えない。
 そうするのが和惟だったら自分からだってできるのに、拓斗には訊くことさえできないでいた。
 飽きたのか。何か失態をやってしまったのか。それともだれか――。

 けれど違った。少なくとも飽きてはいなかった。
 三月も中旬に入ってすぐ、隼斗と詩乃は、前々から招待を受けていた、大阪に住む一族の結婚という祝い事で家を空けた。翌日に結婚式を控えた土曜日の午後、両親は出かけ、そのあと一時間くらいして拓斗が入れ違いに帰宅した。
 拓斗が不在でも、たまに那桜は拓斗の部屋に侵入する。それは拓斗も知っていて、咎め立てすることはない。その日も、両親を送りだしたとたん、拓斗のベッドに寝そべって本を読んでいたのだけれど、那桜はそのうち眠ってしまった。
 ベッドが揺れて布団が取りあげられ、はっきり目を覚ましたときは拓斗がのしかかるようにして真上にいた。驚きから覚めきれないうちに、拓斗の両手が服の下に忍びこんで胸をつかんだ。ほぼ十日ぶりで、那桜の躰も気持ちもすぐに反応した。
 それから時間の観念がなくなって、記憶も定かではなくなって、次の日までただ何度も何時間も拓斗の手が離れなかった気がする。今日みたいに。

 毎日というのから短くても一週間置きに変わったいま、それはまえよりも不意打ちで、まるで怒っているみたいに怖くて強烈で果てしない。
 拓斗の中で何かが動いている。それだけはわかった。
 那桜の中では、放っておかれるときの不安と抱かれているときの怖さと、そして抱かれたあとの充足感が繰り返されている。

「脚を開け」
「自分でする」
 那桜の軽い反抗を受けて、拓斗は首をひねった。無言の脅迫だ。おずおずと開くと、胸から伝い流れるシャワーの湯をすくうようにしながら、拓斗は手のひらを脚の間に滑らせた。その瞬間に、洗うだけじゃない意思を感じた。
「あっ、拓兄……」
 那桜はよろけそうになって急いで拓斗の腕をつかむ。それまで躰を擦っていた強さがなくなって、やさしすぎるくらいの洗い方だ。こびり付いた快楽の痕はすぐに落ちているはずが、拓斗の手は必要以上にそこに留まっている。
 拓斗の指の滑り方と感触から、いつまでたっても脚の間のぬめりが取れないのがわかる。それは那桜の体内から新たに零れているせいに違いなくて、どうしようもなく快楽を得ている証拠でもある。
 今更なのに、やっぱり羞恥が生まれて、那桜は声が出ないようにくちびるを咬みしめた。膝が折れそうになるのを堪えているうちに、拓斗はシャワーの位置を肩から下腹部へと変えた。
「拓兄、もうだめっ」
 その言葉も虚しいほど神経が一点に集中する。拓斗の指はわがままに襞を往復し、シャワーの適度な水力と相俟って那桜を簡単に押しあげた。
 あ、あ、ああ――っ。
 悲鳴と同時に手から力が抜け、腰が震え、脚がくずおれる。拓斗が那桜を抱きこむようにして一緒に座りこんだ。
 拓斗はシャワーをフックにかけて胡坐(あぐら)をかくと、揺らぐ那桜の躰を横向きにして自分の胸に寄りかからせた。スポンジにボディソープを垂らして泡立て、そのままの姿勢で那桜を石けん塗れにしていく。
 横向きで抱かれるというこの態勢は、手が額に触れるのと同じくらい、那桜をいつも安心させる。

「もういいな」
 委ねた躰にシャワーを向けられ、泡が流されていくうちに拓斗が訊ねた。自分で座っていられるかということだろう。
「うん」
 那桜はうなずいて躰を起こした。ぺたんと座っている横で、今度は拓斗が自分の躰を洗っていく。
 やっぱり見惚れてしまう。那桜が見ていることを知っていても、拓斗は恥じ入ることなく平然としている。
 拓斗の手を追っていると、それが下半身におりていって、必然的に“それ”が目に入った。ついさっき寄りかかっている間、投げだした那桜の右腕に触れていた拓斗の慾は、浴室に入ったときよりも昂っていて、まだ収まっていない。
 触れたい気持ちが湧く。
 けれど、触れたいと思っても、拓斗はあまり那桜に触れさせてくれなくて、那桜からも強引にはできない雰囲気がある。触っていいとき――というより強制的に、触れ、というときはなんとなくわかる。けれど、いまはそういうオーラもなく、侵してくる様子もなくて、那桜は疑問に思う。
 わたしだけイカせたその気持ちは何?
 和惟は『愛している』という証を立てるように、もしくは侵すことはないからこそそうしていたのかもしれないけれど、拓斗にはそのどちらも当てはまらない。
 わたしは拓兄にとってなんだろう。
 ふとした疑問が、那桜の不安定な立場を鮮明にさせた。

「那桜」
 名を呼ばれて顔を上げると、拓斗の細めた目に合う。漠然と咎められたように感じて、那桜は目を逸らし、またすぐに戻した。
「シャワー、今度はわたしがかけてあげるよ」
 出しっぱなしにしているシャワーヘッドを膝立ちしてつかむと、わざと拓斗の顔に向けた。その顔が思いっきり歪む。普段に見られない顔だ。
「那桜」
 それはちょっと責めるような声で、くすくす笑いだした那桜の手から、すぐにシャワーは取りあげられた。

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