禁断CLOSER#26 第1部 解錠code-Dial Key-
5.施錠 -10-
那桜は和惟の腕にぐったりと躰を預けた。拓斗が目の前に立ったのはわかっても、那桜は醜さに顔も上げられない。和惟の腕が緩み、那桜の躰を押しだす。余韻の消えない躰はクタクタしていて、そのまま倒れかけた。
拓斗の前でますます無様な格好になるかと思った瞬間に、那桜の躰は支えられる。横向きに抱えあげた拓斗の首に本能的に腕を巻きつけ、那桜は唯一の救いであるかのようにしがみついた。
拓斗の顔も和惟の顔も、那桜の背中の向こうだ。視界の外で、ふたりは無言のままに何を交わしているのだろう。波の音さえ消えたような静けさが漂う。
「終わりだ、拓斗。あとはおまえの好きにしろ」
不自然な長い沈黙のあと、背後で聞こえた声は薄く笑っているようで、和惟は那桜も拓斗も突き放した。
何が終わったのか、拓斗は何も答えないままくるりと躰を反転させる。
那桜の目に和惟が入ってきた。那桜をじっと見つめ、和惟は声に出さずにくちびるを動かした。そこに形づくられたのは空言なのに、いつも最後には背を向けるくせに、和惟はゆっくりとあとを追ってきながら、那桜の視野にいる間、少しも目を逸らすことはなかった。
和惟――。
刹那、それは内心でつぶやいたはずが、拓斗の手がまるで聞き取ったかのように那桜を締めつけた。
和惟と別れ、家に帰りつくまでの二時間、惟均の車の中は拓斗とふたりきりで、那桜は一言も口をきかなかった。拓斗が何を考えているのかわからないのはもとより、下手に口にして、それをへんに受け取られたくない。
拓斗は途中でコンビニに寄ると、ウエットティッシュとお茶を買ってきて那桜に手渡した。口を拭け、と云われてはじめて、那桜は口もとにこびり付いた和惟の慾の痕に気づいた。拓斗に指摘されたことを惨めに思いながら、口の中に残る痕跡もお茶を飲んで洗い流した。
帰る間に日も暮れた。車庫から家まで、拓斗のあとを三歩遅れてとぼとぼと歩くたびに、等間隔にある外灯が順繰りで足もとを照らしていく。家の中は、奥の廊下に間接照明の灯りのみで薄暗い。ヘルパーの戸田は帰ったらしく、今朝はうきうきしていたのに、それは何日もまえのことのようで、拓斗とふたりということが怖い。
拓斗は無言で二階に上がっていく。その意思は表に出ていなくても理解できた。
あとをついて拓斗の部屋に入ると、拓斗は振り向いて那桜をまっすぐに見る。
Pコートの大きなボタンに手をかけたものの、震えてうまくいかない。手間取っている那桜に痺れを切らしたように拓斗が近づいてきた。那桜の手を払いのけ、半ば裂くように制服を剥ぎ、そしてショーツとソックスだけが残った。
「行け」
那桜は拓斗が顎先で示したベッドの端に座った。那桜の正面で拓斗は自分の服を脱ぎ捨てていく。怖いと思いながらも、流れるような動作と、そつのない躰から目が離せず、やがて、拓斗の裸体は邪魔するものが何一つなくなった。
「どうする?」
その言葉に拓斗の顔を見上げた。あのときと同じ、冷えきった眼差しが那桜を見下ろしている。違うのは、一方的にやろうとはせず、那桜に自らで従わせようとしていること。
なんでもする。那桜を支えるのはその誓いの言葉だ。
那桜は拓斗の手をそれぞれに握り締めた。目の前にある拓斗の慾は手で支える必要もないほど、心情の度合いを表している。口に含むと同時にピクリと慾が動いて、拓斗の手が那桜の手を握り返した。
口の中はいっぱいで浅い動きしかできない。苦しくても、拓斗の手が反応を知らせてきて、それが那桜の手を潰しそうなくらいだんだんと強くなる。すると、那桜の中にももっとという気持ちが生まれる。その気持ちのまま何度か吸いついているうちに、拓斗の手が離れ、那桜の頬を支えるようにすくった。
拓斗は喉の奥へと突き刺し、その苦しさから無意識に吐きだすように舌を動かした直後、こもった呻き声と同時に拓斗の慾が爆ぜ、むせるような味が口の中に広がった。
那桜にとってはけっして歓迎したい行為ではないのに、拓斗が抜けだすと物足りないくらいに口の中がスカスカになる。喘いでいるうちに布団を剥いだベッドの上に躰を倒され、那桜の頭は枕に載った。ショーツと靴下が脱がされると、前置きもなく拓斗の慾が侵入してくる。
うくっ。
躰には和惟が開いた名残はあっても、指の大きさとはまったく違っていて、めり込んでくる感覚にはのけ反ってしまう。慾を吐きだした直後というのに狭い中を潜る力は衰えていず、逆に拓斗は那桜の中でまた息づいた。
「拓兄……」
「おまえにとって和惟はなんだ?」
思いがけない質問が那桜に向かってきた。答えは出せない。和惟に対して、ずっとまえに何を期待したのか、何を見てほしかったのか、いま何を見たいのか。
「許されると思うな」
答えられないでいる那桜を真上から見つめ、拓斗は非情に云い放つ。許されないことはきっとたくさんあって、拓斗が何を指して云うのか見当もつかない。ただ、許さないと突っぱねつつも拓斗は那桜を見捨てていない。
自分を裏切る自分から、那桜は自身を守りきれなくて、けれどどんなに汚れても、拓斗のために自分を守りたいいまの気持ちはだれも壊せない。汚れた自分をリセットできるのは拓斗だけで、那桜は訴えるようにじっと見上げた。
「拓兄……わたしをきれいにして」
それをどう受け取ったのか、かすかに目を細めた拓斗は、那桜の脚を腕で抱えて両脇に手をつき、伸しかかるような体勢になった。お尻が宙に浮き、拓斗がゆっくりと奥深くまで突いてくる。和惟が指先でそうしたように、拓斗は自分の慾で那桜を探る。やがて拓斗は那桜の弱点を見切った。いっぱいすぎるつらさの中で、躰を投げだしたくなるような感覚が生まれた。
あ、あふっ、はぁ……っ。
拓斗が弱点で擦れるたびに躰の表面まで震えが走った。もっとという気持ちが拓斗の慾に絡みついて、自分で自分の感覚を煽る。
耐えられない。そう内心で叫び、目を閉じると快楽が浮き彫りになって、那桜の神経を侵していく。
「だれだ」
振り絞るような声が届いた。薄らと目を開けると、濁った瞳が那桜を捕える。
「拓兄……」
意味もわからず拓斗を呼ぶと、イケ、と命令が下る。拓斗はズルッと這いずるような律動に変えた。
あ、あ、あ、あ……。
突かれても引かれても声が飛びだす。悪寒に似た感覚が躰の内部を走り抜け、脳内まで伝わった。まっさらな静寂のあと。
ぅぁああ――っ、んくぅっ。
抑えきれなかった声は悲鳴のようで、連動して痺れた痙攣が躰を襲う。続く律動が那桜の声も痙攣も持続させ、やがて真上から拓斗の呻き声が降った。拓斗の慾がピクピクと小さく跳ねるような動きをして、那桜の体内が熱くなり、いっぱいになった気がする。
拓斗は那桜の脚を離し、躰の上に倒れこんできた。荒い息が耳もとにかかり、那桜は力なくも腕を上げて拓斗の背中に手を回した。裸の胸と胸が触れ、呼吸がぶつかりあって密着する。
きつさはあっても、満ち足りた気分はこうやって繋がっていることからくるんだと気づいた。
やっぱり先に回復したのは拓斗のほうで、那桜の腕から逃れるように躰を起こした。しばらく拓斗は那桜を見下ろすだけで、それから腰を引いた。抜けだす感覚に背中を反らせた瞬間、拓斗はまた奥まで貫いた。
「ああっ、拓兄っ」
「まだだ」
拓斗は感触を確かめるようにゆっくりと動く。那桜と拓斗の混じり合った体液が恥ずかしくなるような音を立てる。拓斗が引くたびに粘液がお尻を伝った。
「だめっ」
すぐに躰は震えだし、那桜は無自覚に口走った。拓斗が動きを止め、押さえつけるように那桜の額に触れた。
「那桜、おれが許すことはない。おまえが入ってきたんだ」
そう云って那桜の脚を再び抱えこみ、拓斗は三度果てるまで、那桜にとっては果てしない律動を始めた。那桜の体内を知った拓斗は容赦なく、気が狂うかと思うくらいに攻めたてる。ついには躰の震えが止まらず、拓斗の三度目を見ることなく那桜の意識はなくなった。
目が覚めたとき、那桜は独り、拓斗のベッドで布団に包まっていて、カーテンの隙間からは太陽の光が漏れていた。
暗い夜中に泣きそうな気分で目覚め、きれいに戻れた? そう訊ねて、大丈夫だ、と答えてくれたことも、那桜の躰をずっと包んでいた躰も、全部が那桜の願う夢だったんだろうか。
ふとドアが開いた。
拓斗は那桜に目を留めたまま、ベッドまでやって来る。
「戸田さんが来るまえに風呂に入れ」
「はい」
起きあがってベッドから下り立つと、体内から白濁した液が脚の間に零れた。太腿の内側にも伝っている。那桜が目を上げると、拓斗もまた自分が放った痕跡を追っていた。
拓斗は机の隅に置いたティッシュをとって、那桜の脚を拭うと、行け、と促した。
那桜の脚もとを見ていたとき、拓斗の顔によぎった一瞬の表情は、犯した日、いまと同じように浴室へと行く那桜を見送っていたときにあったものと似ている。
それは過ちへの後悔なんだろうか。
那桜の中には両親に対しての後悔がある。拓斗と自分に対して、後悔はもしかしたらずっとさきにあるのかもしれない。咎の重みは消えることがないかもしれない。けれどいまは。
後悔なんてしない。見棄てられたときに、自分が何をしてしまったかということを後悔することはあっても。
土曜日から日曜日にかけて、両親がいない間、ほとんどを拓斗の部屋で過ごした。暗黙の了解のなかで飽きることなく、拓斗は思いついたように那桜を抱いた。
月曜日に学校へ行くと、また那桜の平穏は壊されて、早くも後悔しないという決心が揺らぐ。
登校したとたんに職員室に呼びだされた翔流が、一週間の停学を云い渡された。理由は無断早退という、いきなりの停学には不自然で、そのうえ値しない程度なのにもかかわらず。
噂はとうに駆け巡っていて、那桜は教室に入ってそう聞くなり、職員室に向かった。翔流はその手前の靴箱のところにいて、すでに帰りかけていた。
「翔流くん!」
人目を気にせず叫ぶように呼び止めると、翔流は振り向いて目をちょっと見開き、それから笑った。
「那桜が気にすることじゃない。おれはどうってことないからさ」
そう云うこと自体、那桜と一緒で、翔流は停学になった経緯を察しているのだ。
「翔流くん、でも――」
「那桜、また来週な」
翔流の背中を見送りながら、自分に自由はないのだとあらためて思い知った。
「那桜」
半ば呆然としているなか、知った声が親しげに那桜の名を呼んだ。ちょっとまえまで本当に親しかった声。
「果歩……」
その顔から先週の突き放した表情は消え、かわりに見慣れていた、屈託のない笑顔があった。
「那桜、ずっとごめんね。衛守さんにフラれちゃって、ちょっと……あ、違うね、すごくショックで落ちこんでて、那桜に八つ当たりしてた。でも、もう大丈夫。酷いこと云ったけど、あれはホントに子供っぽい八つ当たりなの。許してくれる? また友だちでいられたらって思ってる」
果歩は果歩らしく、謝罪も希望も率直に口にした。
「うん」
那桜が笑ってみせると、果歩は本当にうれしそうにした。
「広末くん、大丈夫だって?」
「どうってことないって。でも……」
「だいたいの見当はつくけどね。広末くん、那桜をゲットするには前途多難だよね」
気が沈んだ那桜を励ますように果歩はからかった。
簡単に歪になって、簡単にもとに戻る。すべてが“なぜ”の連続で、那桜の意思とそぐわない。
果歩を見つめながら、また信頼は失われたことを悟った。
迎えにきた拓斗は、翔流のことを何も訊かず、何も云わない。知らないはずはなく、それどころか自分の指示であるはずなのに。
「拓兄、翔流くんのこと、どうして!?」
我慢できなくて、勉強の時間になり、拓斗の部屋に入ったとたん、詰るように疑問をぶつけた。それが、また拓斗を焚きつけてしまった。
「気になるか?」
「気にしてない!」
少なくとも拓斗が思っているような意味では気にしていない。那桜はそう確信しながらも、拓斗は何を思っているというのだろう、と自分に問う。
那桜の否定は役に立たず、拓斗は近づいてきて那桜を抱きあげ、ベッドに転がした。
「拓兄っ」
「下に聞こえてもいいなら叫べ」
那桜の手を痛いほど強く括り、無理やりに手が脚の間に入りこむ。これまでと違ったのは拓斗が侵さなかったこと。ただ那桜から感覚を引きずりだす。声を堪えなければならず、そのぶん、脳内が楽園と見紛う快楽に侵され堕落した。
「那桜、外を見ることはできても、おれから出られると思うな」
隔離された楽園に拓斗の声が響き渡る。
CLOSERの解錠は成功したのかもしれない。
けれど、わずかな隙間は那桜を閉じこめたまま、再び施錠された。
−第1部 解錠code-Dial Key- The End.−