禁断CLOSER#23 第1部 解錠code-Dial Key-
5.施錠 -7-
車の中で惟均との電話を終えたあと、駐車場から歩道に出たとたんの光景に拓斗は足を止める。
そこまでだ。
自分の声がリフレインした。
何故。
無意識にこの言葉が浮かんだ。
いや、考えたのか。
自制と疼痛が錯綜する。
なんのためにおれは。
そう思う自分を、すべてが表面化するまえに、自制が止めた。“最初”から価値はなかった。
真の愚者はだれなのか。
握りしめた拳を見下ろし、そうしていると気づいて手を緩めた。
間を邪魔する障壁がだれであろうと関係ない。
顔を上げたと同時に隔てるものがなくなり、那桜の驚きに満ちた顔が現れた。
そこにあるのはなんだ?
拓斗は踵を返した。
自制が諭す。
捨ててしまえばいい。
疼痛がそそのかす。
許さない――。
*
“だれ”と名指すこともなく制止した声をどう判断したのか、那桜の正面にある翔流の顔が離れる。そのまま翔流は慌てることもなく躰を起こした。
那桜の視界が開け、教室一つぶんくらい離れた場所に立つ、拓斗の眼差しとぶつかる。
何も疚しいことはないのに、その声が、那桜の中を後悔で満たした。
なぜ?
そう疑問に思うほど、あのあとから昨日まで見せていた眼差しが異色だったと、瞳が交差したこの瞬間に知った。気づかないうちに開かれていた隙間は、いままた閉じた。
息さえ詰めて固まった那桜に、拓斗は近づくでもなく、逆に背中を向けた。
このまま置いていかれるなどということはありえない。けれど、気持ちだけでいえば置き去りにされたのも同じだ。
「拓兄!」
拓斗は聞こえないかのように、ずっとまえ和惟が止めていた駐車場に入った。那桜は立ち尽くして追いかけることもできない。
「おれが無理やりやったって――」
「やってない!」
翔流をさえぎって、那桜は自分でも思いのほか激しく否定をした。翔流は小さく息を吐くと、こめかみ辺りの髪をクシャリとつかんで苦笑いをした。
「悪い。とにかく、おれが勝手やろうとしたって潔白証明してやる」
動けなかった那桜はつまずくように一歩を踏みだし、歩きだした翔流のジャケットの袖を慌ててつかんだ。
「待って!」
「けど――」
「余計なことはしないで。わたしのことはほっといて。だって、翔流くんにはきっといつまでたったって応えられないから」
那桜のきっぱりした宣告に、翔流は不似合いに歪めた表情で目を逸らした。衝動と成り行きに任せてきた那桜にとって、始まるまえにはじめて止めることができたのかもしれない。
「じゃ、ばいばい」
返事を待たずに那桜は駆けだした。
拓斗が消えたところで折れると、拓斗は車の横で、助手席の後ろのドアを開けて待っていた。那桜はためらいがちに拓斗を見つめる。
「わたし、今日は助手席に乗るから……」
拓斗は微動だにせず、那桜の希望は眼差しだけで退けられて尻切れに終わった。
それでも、気を変えてくれないかとしばらく待ってみた。けれど、気が変わるどころか、那桜、と促すこともない。
那桜は怖さを感じながらも、後部座席には荷物を放っただけで、自分で助手席のドアを開けて乗りこんだ。
いまの時点で見捨てられてしまったら、那桜は頼るものがなくなってしまう。あんなことがあってからも尚、そんなことを思うなんて愚かだ。ただ、この期に及んで那桜は自分が、あの“謝罪”の時間を当てにしていたことに気づいた。
拓斗は一言も口にせず、運転席に乗るとエンジンをかけた。引きずりだされなかっただけでも那桜はほっとする。拓斗がハンドルの左下にあるパーキングブレーキに手を伸ばすのが見えると、とっさに両手でつかんで止めた。
「拓兄、聞いてほしいの! いまちょっと果歩とうまくいってなくて、今日誘ったんだけどダメだった。すぐ拓兄に電話するつもりだったんだけど、翔流くんに告白されてて、でもわたしはそんな気なくて、だからちゃんと云わなくちゃって思って。それで云ったんだけど、翔流くんはいまのままでいいって。さっきのはいきなりでびっくりして動けなかっただけ。キスなんてしてない。拓兄が止めてくれたから。ごめんなさい。ちゃんと報告しておけばよかったんだよね? わたし、順番どおりに考えられなくて……」
さえぎられるまえにと急いで云ったことは、自分でも道筋がめちゃくちゃに聞こえる。とにかく、信じてほしい、何か返してほしいという一心だったのに、拓斗は正面を向いて一向に反応はない。
不安を抱えながら、那桜はふと、いつか考えたことを思いだした。いまの那桜の状況はまるで狼少年だ。そして、お姫さまを笑わそうとした王さま。
ふたりの結末で、もし、王さまがお姫さまより先に殺されたとして、そして、それを見ていたとしたら、お姫さまはそのとき何を思ったんだろう。何も思わない? それとも、愚か極まりない王さまを見て笑ったんだろうか。
いずれにしろ、王さまはお姫さまに見捨てられたことになる。
拓斗がそうしないと信じるより、そうするだろうと命を投げうって賭けることのほうが容易い。
子供っぽく問題集を投げつけたときに見せてくれた拓斗を取り戻すにはどうしたらいい?
心許なく思ったとき、拓斗をつかんでいた手は簡単に振り払われた。同時に横顔を見せていた拓斗が那桜のほうを向く。
「証明しろ」
「……証明?」
問い返すと、拓斗がフロントガラスの向こうを見た。釣られて正面を向くと、翔流が立っていた。ずっとそこにいたんだろうか、その表情はわからない。
拓斗はゆっくりと那桜に目を戻す。
その瞳につかまったまま、『証明』が何を意味するのか、那桜は考えた。
寄り道は承知していたことで、拓斗が不愉快になったのは明らかに相手が果歩ではなかったこと。つまり、寄り道の相手が翔流でなければならなかった理由の証明にほかならない。
那桜は拓斗の太腿に両手をついて伸びあがった。ほんの目の前にある顔が逸れることなく、その瞳は那桜の顔を映している。那桜はためらって少し視線を落とした。またちょっと近づいてみる。拒絶されないということは間違っていないのだろう。
ちらりとフロントガラスに目をやると、まだその先に翔流がいる。再び、拓斗に向き直って、その瞳に那桜が広がるまで顔を近づけた。呼吸が感じられるまでになると目を伏せた。
直に触れたのは二度目。一度目はあの直後。それはキスと呼ぶよりは呼吸を合わせただけで、しかも異様な状況下でよく覚えていない。
二度目のいま、拓斗のくちびるが鮮明になる。
どちらかというと薄っぺらと思っていたのに、重ねてみると厚みを感じる。けれど、ここからどうしたらいいんだろう。
拓斗に応えようという意思は見られず、あまつさえ、キスしたまま、舌先で拓斗のくちびるを舐めたとたんに那桜は頭をつかまれて引き離された。押しのけられたと感じるほど無造作なやり方で、拓斗は前を向いてハンドルに手をかけた。
「シートベルト」
素っ気なく単語で命令されたとおり、那桜は助手席に座り直してシートベルトに手を伸ばした。
せめて、キスのあと、拓斗がくちびるを拭わなかったことが救いかもしれない。
拓斗は車を出し、通りに出るまえに一時停止した。そこで那桜は、この場所に翔流がいたことを思いだした。キスしたと同時に翔流のことは眼中になくなった。一度に一点しか集中できない那桜の欠点。
翔流が見ていたのは間違いなくて、ブラコンもシスコンもからかう手段にすぎなかったはずが、何を思いながらここを去ったんだろう。
ここはアメリカでもイギリスでもなくて、挨拶がわりのキスはあたりまえじゃない日本だ。抱きつくくらいならおふざけですまされても、キスは冗談にしてしまうこともできない。
いまのままでいいという関係は絶たれた。いや、翔流のためには踏んぎりがついてよかったのだ。
好きという感覚はよくわからないし、仮にそんな気持ちが生まれたとしても、那桜には自由にできない何かがあって、それが翔流と繋がっていないことは確かだ。
一方で、拓斗が最初の結論を翻してくれたのかどうかもわからない。キスは、拓斗にとって確かめるための手段だったのだろうけれど、同時に醜聞も孕んだはず。翔流がお喋りだとは思わないものの、保証はない。
明日が怖い。でも考えたくない。
拓斗がアクセルを踏み、車は通りに出て青南大学の校舎に沿い、それから片側三車線という大通りに合流した。コンピュータで計算しているかのように緻密な車線変更をしながら、車はぐんぐんと先に進む。
那桜はなんとなく自分を車に重ねた。人目に触れない裏道を進みながら、なんとか本道の流れに沿おうとしてきたけれど、それどころか、スムーズに流れる車とは対照的に、那桜は裏道からも食みだしてしまったのかもしれない。
*
家に帰り着くと、今週末まで和惟が不在のせいか、拓斗は那桜を降ろして会社へと行った。
昨日は那桜が夕ごはんを食べ終わった頃に帰ってきたけれど、今日は那桜が風呂をすませてもまだ帰ってきていない。
それは仕事のためではないような気がした。
ベッドに座ってみると、机にはノートパソコンが変わらずあるけれど、拓斗がいないだけで部屋が広く感じる。ちょっとの間に、それくらい当てにしていたんだろうか。積みあげられた本から、次に、端っこに置かれた問題集が目につき、那桜は考えこんだ。
どんな理由にしろ、おそらく今日は拓斗がここに来ることはない。それなら。
那桜は立ちあがると、筆記用具と問題集を持って部屋を出た。
*
拓斗が部屋に入ってきたのは十時を過ぎていた。ドアの開く音に気づいて那桜が顔を向けたのと、拓斗が机にいる那桜に気づいたのは同時だった。
拓斗はほんのわずか足を止め、それから那桜を無視してクローゼットに向かった。その様子から、拓斗はやはり那桜の部屋に来るつもりがなかったと確信を持った。
拓斗を見守っていると、着替えを持って部屋を出ていく。よかった、と那桜がそう思った矢先、拓斗は廊下に出たところで足を止めた。
「おれが戻ってくるまでに問題集置いて出ていけ」
聞きたくなかった言葉が拓斗の口から飛びだした。ショックの根源はクリスマスのときのほうが酷かった。けれど、感情的に云えば、まえもいまも変わらない。
ひんやりした眼差しはドアが閉まると同時に消えた。
那桜は出ていかなかった。
隠すものが何もなく、那桜が那桜であると知った拓斗にどこまでも従う。ただし、出ていけと云われても絶対に出ていかない。
果歩も翔流も他人で、確かなものなんて何もない。けれど、拓斗と那桜には確かに繋がっている血がある。
拓斗は価値はないと云う。それと“謝罪”は矛盾している。“妹”、それでなければ“那桜”に、なんらかの価値があると云っているようなものなのに。
三十分が過ぎて一時間が過ぎても拓斗は戻らず、そこにもなんらかの拘りが見えた。
出ていくつもりなんてないんだから。
那桜は独り笑う。
そういう余裕があることを自分でも不思議に思う。
欠伸をしながらものんびりと問題集をやった。その欠伸が何度目だろうか、だれもいないというのに嗜みは忘れず、手を口もとに置いたときドアが開く。
拓斗は驚きもせず、不快な顔もせず、ただ那桜を見据える。
言葉にしなくても互いにわかっている。
拓斗が望む支配。那桜が縋る繋がり。
那桜が椅子から立ちあがると、拓斗が近づいてくる。
どうなるか承知していたのに、拓斗に追い立てられるようにして那桜は後ずさりしてしまう。膝の裏にベッドが当たり、かくんと折れて腰かけた。目の前に立った拓斗がかがみ、すとんとした膝までのパジャマをたくし上げて剥ぐと、拓斗は上半身を曝した那桜を後ろに倒した。まえみたいな乱暴さはなくてもやり方は強引で、パジャマのズボンもショーツごと取り去られる。
拓斗がベッドに上がるのと一緒に那桜の脚が持ちあげられ、拓斗はその間に納まった。
何から始まるかと半ばビクビクしていると、拓斗は鼓動の近くに右手を置いた。そこから一回り、ふくらんだ場所を這うように撫でたあと、那桜の胸はそれぞれに拓斗の手のひらに包まれた。
最初の触り方にはぞくりとさせられたけれど、ゆっくりと捏ねるように揺らされる間、那桜は拓斗を見つめてどこか冷静に受け止めた。その裏で着実に熱の浸食は進んでいた。拓斗が動きを変えたとたん、那桜はかすかに躰をくねらせた。胸の先に拓斗の指が集中する。
うくっ。
やさしくもなく、かといって強くもなく、痒みに似た感覚に襲われる。まえみたいな試す触れ方ではなくて、感じさせようとする触れ方だ。開いた脚の間に感覚が伝わった。
あ、あっ……ふ――っ。
我慢がきかずに声が漏れて、快楽から逃れようと那桜は身を捩る。それでも拓斗の指は那桜を離さない。
どうして、と思うくらい、こんなときでも拓斗はじっと見つめてくる。
セックスすることを、はじめて純粋に恥ずかしいと感じた。
目を伏せると拓斗が離れ、その伏せ目になった視界で、拓斗が裸になっていく。和惟と同じ、精悍で、尚且つしなやかな躰が露わになる。下半身からはすでに昂った慾が現れた。
“男”を見たのは、和惟に次いで拓斗という、二人しかいない。そこに人それぞれという違いがあるのかは知らないけれど、ふたりはそう変わらない。美的に申し分なく、適度に盛りあがった筋肉質の躰とバランス的に合っていると思う。
はじめて目にしたときはまじまじとそのグロテスクさに見入ってしまい、和惟を笑わせたけれど、あとで自分のを見てみたら、形は違ってもぎょっとしたのは同じだ。そこだけ別の生き物みたいで、意思から独立した感覚を持っている。だからこそ、快楽には負けてしまう。那桜はいつもそう自分に云い訳をする。
拓斗は服を脱ぎ捨ててしまうと、いきなり那桜の入り口に慾を当てた。那桜の躰はまだ痛みを忘れていなかったようだ。心と連携して全身が強張った。
「力抜け。気をつける」
そう云ったあと、拓斗は脚の間に触れた。躰の中でいちばん敏感な場所で、力を抜かなくても躰に震えが走って弛緩した。
あ、あ――っ、ぅくっ。
何かが漏れだしそうな感覚に声をあげたとたん、拓斗が体内へと掻き分けるようにして入ってきた。息が詰まり、背中を浮かせたまま那桜は動けなくなった。
指よりは確実に大きくて長くて、本当に杭を打ちこまれていると感じる。
「力抜け」
拓斗がまた同じ言葉を云ったけれど、そうするのは難しい。那桜の上に覆いかぶさるように拓斗が身をかがめてくる。その動きだけで躰が引きつった。少し斜め向けた拓斗の顔が近づく。
くちびるが触れ、拓斗の呼吸が那桜の呼吸を促し、息を再開した那桜の躰がほんのわずかに緩んだ。拓斗は躰を起こして、那桜の両脇に手をついた状態でほんの少し腰を引いた。そしてまた那桜の中に沈める。
それが繰り返されるたびに那桜の口から呻き声が漏れた。はじめてのときの痛みはないけれどつらい。拓斗の慾に慣れるには那桜の中でいっぱいすぎる。
「那桜、生理はいつだ?」
拓斗の動きに集中していて、何を訊かれたのかとっさにはわからなかった。が、わかったところで計算できるほどの余裕はない。
「わか……らない」
切れ切れに答えると、動きを止めた拓斗の手が額に来て那桜の髪をはらう。それから手は離れ、今度は繋がった場所の辺りを這いだした。体内は苦しくても、そこは別の感覚を得る。
んっ、ぅあっあっ……。
躰の奥が震えて拓斗の慾を鮮明に感じる。拓斗の指がどんなふうに動いているのか、それに応えて体内がうごめいて酷く潤っていくのがわかる。だんだんと上昇する感覚が生まれた。
「拓……兄……」
「逆らうな」
いつもと違ってしかめたような声。
体内のきつさより、外側で生まれた快楽に神経が集まって逆らうなんてできない。那桜の反応を見て学んだのか、拓斗はいちばん弱い場所に集中して、それは単調な動きなのに急速にふくれるような意識の中に入った。
あく――っ。
真上の天井が霞んで快楽はとうとつに弾けた。突っ張った躰が緩み、それを待っていたかのように拓斗の慾が侵し始める。快楽は収束しきれずに持続した。力なく投げだした躰を痙攣が何度も伝う。拓斗の律動が激しくなった瞬間、くぐもった声が聞こえ、拓斗は一気に体内から抜けだした。引きずられるような感覚に呻くなか、おなかから胸にかけて拓斗の慾が散った。
どさりと横に寝そべった拓斗と那桜の荒い息が重なる。余韻から早く抜けだしたのは拓斗のほうで、那桜のおなかをきれいにすると、ぐったりした躰にパジャマをもとどおりに着せて、それから自分もパジャマを身につけた。
ベッドをつけた壁に寄りかかった拓斗は、あの日のように手を那桜の額に置く。何を見ているのか、その横顔はいつものように何も映していない。
後悔していないだろうか。
何気なくそう思い、那桜は自分にも同じことを問いかけた。
ううん、そんなことよりも、ただ繋ぎとめられたこと。それだけでいい。
その証明は額に置かれた手。これさえあるなら、これを守るためならなんでもする。