禁断CLOSER#22 第1部 解錠code-Dial Key-

5.施錠 -6-


 予鈴のあと、すぐに先生が入ってきて果歩とは話せなかった。
 那桜のほうが席は後ろで、果歩の背中を見ながら土曜日のことを考えた。そのことしか思い当たらない。
 とにかく和惟に果歩と関わりを絶ってほしいという一心で、和惟が何を喋っていたのかはっきり覚えていない。いくら冷静じゃなかったとはいえ、和惟が那桜のせいだと云った記憶はなく、ただ残酷なくらいの素っ気なさで拒絶を示しただけのはずだ。
 那桜の誤算を挙げるとすれば、果歩が点と点を結んで線にできないほど馬鹿じゃないこと。

 一時間目が終わったあと、那桜はすぐさま果歩の席へ行った。
「果歩、わたし、今日は来るのがちょっと遅かったよね。だから帰りにケーキおごるよ。拓兄に云えば――」
「那桜、悪いけどいまは話したくないの」
 果歩は果歩らしく率直に那桜をさえぎった。横に立った那桜を見上げることもせずに、隣の子たちのお喋りに加わった。
 お喋りは休みの日に行ったらしいファンシーショップの話題で、果歩は知っているようだけれど那桜は行ったことがなく、話していることはちんぷんかんぷんでついていけない。
 会話に入りこめないまま立ち尽くし、果歩の『いまは』というのがどれくらいなのか、那桜は途方に暮れた。果歩の隣の席の子から、あれ? というような眼差しを向けられる。この場からの立ち去り方さえわからない。

「那桜、昨日メールしたやつ、見せてやるよ」
 声のしたほうを見ると、廊下側の窓際の席から翔流が那桜を手招きした。果歩に目を戻しても背中を見せたまままったくの無視で、那桜は呼ばれたことに少しほっとして翔流のところへ向かった。
「おまえ、ちょっと気をきかせろよ」
 翔流は那桜が来ると、よく(つる)んでいる谷坂勇基(ゆうき)を指差してそのまま払いのけるようなしぐさをした。
「なんだよ、その露骨さは。有吏、こいつ、人当たりよさそうに見えるけどかなりの自己中だって忠告しておく」
 勇基は翔流を見やって鼻で笑うと、いいよ、と那桜に自分の座っていた椅子を指差して教壇にいる子たちのところへ向かった。
「座れよ」
 翔流にも前の席を示され、那桜は椅子に横向きで座って壁に寄りかかった。
「昨日のメール、まだ読んでないの。電源切ってたの忘れてて、さっき気づいた。ごめんね」
「メールのことはどうでもいいんだ。それより、飯田はどうしたんだ? あいつは早くから教室いるのにおまえ来ないし、休みかと思った。いまも」
 翔流は中途半端に言葉を切ると、右側だけ肩をそびやかした。逸早く、翔流は果歩の変化に気づいていたようだ。
「……よくわかんないけど、あれかなって思うことはあるの。でも大丈夫」
 那桜は首をかしげながら、大丈夫だという根拠もないまま、ただその場(しの)ぎのセリフで受け合った。
「ま、おれとしては遠慮なく那桜を口説けそうでラッキーだけどな」
 那桜が目を丸くすると、翔流はお茶らけて肩をすくめた。どこまでが意味のあるセリフかはわからなかったけれど、いくらか気が紛れたことは事実で、那桜は笑ってしまう。
 そうしてふと視線を正面に向けると、果歩と目が合った。逸れるまえの一瞬に敵がい心が見えたのは気のせいだろうか。
「那桜、居づらいようなことがあるんなら、おれんとこはいつでも来ていい。勇基は男女関係なくダチになれる奴だし」
「翔流くんと同じだよね」
 那桜はからかってみたものの、自分でもぎこちないとわかる。翔流はそこに触れることなく、あくまでおもしろがって見せた。
「わかってんなら遠慮なしだ」
「ありがと」

   *

 それから一日、果歩には近づけないまま終わった。帰りのホームルームが終わると、果歩は別の友だちと連れ立って教室を出ていく。見送っていると、翔流が鞄を持って那桜の席にやって来た。
「那桜、帰ろうぜ」
「あ、うん」
 ぼんやりしていた焦点を翔流に合わせると、那桜は立ちあがった。

 昼休みは、やっぱり果歩は別行動で、那桜は翔流とふたりでごはんを食べた。そのあと翔流のグループに合流して、那桜が時間を持て余すようなことはなかった。
 グループには、クラスを超えて男ばかりのなかに一人だけ女の子がいる。話したこともなければ名前も知らなかった子だけれど、その子、真田郁美(さなだいくみ)は那桜のことを知っていた。
 よく男のなかに一人だけでいられるなと思うくらい控え目で、同性である那桜から見ても可愛い子だ。勇基のカノジョだという。
 翔流たちは男同士で勝手に盛りあがって、必然的にほとんどを郁美とばかり話していた。そのうち、控え目というよりも屈託がないとわかって、郁美がどうなのかはともかく、那桜にとっては話しやすい。昼休みが終わる頃にはグループの雰囲気にも慣れた。

 翔流とふたり、教室を出てから靴箱のところまで来ると、郁美と勇基がふたりそろってこっちを向いた。那桜たちを待っていたようで、郁美は目が合うと小さく手を振る。
「こういうの、憧れだったんだよね」
 四人並んで歩いていると、郁美がうれしそうに云った。
「え?」
「ダブルカップル。楽しいって感じしない?」
「真田、ちょっと違うんだよな」
 那桜が戸惑って答えそびれているうちに、翔流が口を挟んだ。
「ちょっと違うって?」
「まだおれの片想いだからさ」
「え、そうなの?!」
 勇基が吹きだし、その横で郁美が素っ頓狂な声で叫ぶ。
 驚いたのは那桜も同じだ。てっきり翔流は勘違いしていると思っていた。郁美が視線を翔流から那桜に移す。
「あ……わたしはクリアしなきゃいけないことがいっぱいあって自由じゃないから」
 それは理由であって理由ではない。障害があることと、好きという気持ちは関係のないことだ。ためらいがちに云い訳をした那桜の頭上で、翔流がこもった声で笑った。それがどういう意味なのか、確かめようと振り仰いだところで郁美が、知ってるよ、とうなずいて、那桜はまた彼女に目を戻した。
「有吏さんが今時めずらしいくらい深窓のお嬢さまだってことは有名だよ。お兄さんたちがよほどのシスコンなのか……あ、噂をすればお兄さん一号」
 郁美の視線を追っていくと、拓斗は正門の柱に寄りかかって待っている。

 土曜日のあのあとからずっとほとんどの時間を一緒にいて、拓斗のことが頭から離れなかった。整理がつけられないまま今日になって、今度は果歩のことで頭がいっぱいになった。それが、アレ は現実だったんだろうかという曖昧さを那桜の中に生んでいたけれど。
 今日は遅くなっているわけでもないのに、待ち伏せていることが曖昧さを消した。
 拓斗の監視は酷くなっている。
 その根底はなんだろう。那桜に向かった暴言は、めったに口を開かない拓斗だからこそ本心だと思わざるを得ない。だから心配とか後悔とか、拓斗にあるはずがない。それなら口封じ?
 馬鹿みたい。いちばんの相談相手である果歩さえもいなくて、だれにも云えるはずないのに。

「一度、近くで見てみたかったんだよね。有吏さん、紹介してくれる?」
 郁美の声はミーハーっぽくワクワクしている。
「だめだよ。挨拶しないと思う」
「あ、本当は会わせたくないとか、もしかして有吏さんもブラコンなの? じゃあ、お互いにそうってことは禁断の恋! 一つ屋根の下で妖しい関係だったり――」
「違うよ!」
 郁美は那桜の拒絶の理由を勝手に解釈し、挙句の果てに簡単に事実の一部を云い当てた。ただの想像でおふざけだとわかっているのに、さえぎった那桜の声は陳腐(ちんぷ)なほど真剣に響く。
 拓斗は、恋はなくても、道に外れた関係を一時的にでも築いてしまった。
「なるほど、翔流くんが片想いなはずね。会わせたくないって気持ちわかるかも。でもわたしは勇基がいるから大丈夫だよ」
 郁美はどこまで単純なのか、あるいは純粋なのか、那桜の否定を軽くかわし、おもしろがって首をすくめた。それが陳腐な真剣さを取り繕ってくれて、ひとまず那桜はほっとする。
「じゃ、また明日――」
「だから、わたしも行くってば。挨拶されなくても問題ないし」
「真田」
「こいつ、云いだしたらきかないからさ。有吏、悪いな」
 郁美をたしなめようとした翔流をさえぎり、勇基が申し訳なさそうに那桜に向かって片手を上げた。
「やった! 行こ、有吏さん」
 郁美は率先して那桜の手を引っ張っていく。
 紹介してと云ったわりに、郁美は自分から友だちだと名乗った。
 拓斗はやっぱりうなずいただけで、帰るぞ、と背を向けた。
 それは何もなかったようにいつもと変わらない。このまま何事もなかったように自分たちは日常に戻っていくんだろうか。
「ちゃんとうなずいてくれたじゃない。ありがと、有吏さん。また明日ね」
 郁美はあっけらかんとして手を振り、那桜を見送った。

 車の前で待っている拓斗のところへ向かいながら、一歩進むたびにだんだんと二つの憂うつは重なっていく。
「どっちだ」
 ほんの傍まで行ったとき、拓斗が訊ねた。
「どっち?」
「前に乗るのか、それとも後ろなのか」
 無駄にドアを開ける手間を省いたらしい。
「後ろでいい」
 那桜が後部座席に納まり、自分も乗りこむと拓斗はすぐに車を出した。
「いつもの友だちはどうした」
 思いがけず拓斗が問いかけた。そういえば、今朝は那桜が校舎に向かうまで、拓斗が付き合っていた、もしくは見張っていたらしいことを思いだした。
「……果歩はほかの子と寄り道するって」
「那桜」
 その呼びかけに外を向いていた目を前に向けたとたん、ルームミラー越しに拓斗の目と合った。射るような眼差しは何を云いたいのかわからない。普段なら逸らせないはずが、いまは投げやりな気持ちが大きすぎて那桜はそっぽを向いた。
 それから家に着くまで車内は音から隔離されたように静かだった。


 家に帰ればなんでもないふりをすることに疲れ、夕ごはんもお風呂も早々とすませて那桜は部屋に引きこもった。
 泣きたいのに泣けないのは、きっと自分の浅はかさが招いた結末だと知っているから。車の中での『那桜』、まだ那桜の机の上にあるノートパソコン。そこに意味を求めたら、また那桜が馬鹿を見るだけだ。
 セックスしてやれば。価値はない。
 忘れられない言葉が耳もとに聞こえたようで身震いした。
 そのとき、ドアが無断で開く。
 拓斗がずかずかと入ってきて、那桜の机に向かうと隅っこに置いた問題集を一冊だけ手に取った。
「おまえが云いだしたはずだ」
 拓斗が目の前に来て、ベッドに腰かけた那桜に問題集を差しだした。
 こんなことをする理由はもうなくなった。
「もういい」
「那桜」
 怒ったらまたアレを繰り返すんだろうか。自虐的な好奇心という衝動に駆られた。
 差しだされた問題集を受け取った。そしてすぐさまドアに向かって飛ばすように放った。和惟がクリスマスプレゼントの箱を投げつけたときのように、酷い音を立て、跳ね返って床に落ちた。
 見上げた拓斗は問題集から那桜に視線を戻す。拓斗は無表情のままで右手を上げた。その瞬間に身をすくめた那桜だったが、手は那桜の額をかすめただけで、拓斗はドアに向かった。問題集を拾いあげ、机の上に戻して那桜を振り向く。
「眠たいなら明日からでもいい」
 そこにどんな感情があるのか、拓斗は那桜の返事を待つことなく椅子に座って机に向かった。
 パソコンの電源を入れ、立ちあがるまで本に目を通している。やがて背中の向こうでキーボードの音がし始めた。

「拓兄」
 つぶやくような声は聞こえなかったのか、無視なのか、反応はない。自分でもよくわからないまま呼んでみただけのことで、がっかりすることも腹が立つこともなく、那桜は布団の中に潜りこんだ。
「なんだ」
 とうとつに拓斗が応えた。ふたりの距離はいったいどれくらい離れているのかというほど時間がたっていて、逆に那桜が答えるのにも時間がかかった。
「明日、果歩と寄り道してもいい?」
 すぐに返事はなく、あきらめかけたとき拓斗がまた訊ねる。
「どこだ」
「……裏門のほうにあるケーキ屋さん。シュークルカンディっていうところ」
「一時間だ」
 思いがけなく許可が下りて、那桜は自分の耳を疑いつつ、起きあがった。
「いいの?」
「時間厳守だ」
 拓斗は背中を向けてパソコンを扱いながら、これで話しは打ち切りだという口調で云った。
「はい」

 那桜はまたベッドに寝転がった。昨日も一昨日もそうだったように、キーボードの音を聞きながらいつのまにか眠っていた。
 朝になってもパソコンはそのまま机の上にあって、それが謝罪に感じたのは那桜の愚かさゆえなのか。



 翌日の朝、果歩が正門にいることはなく、那桜は予鈴ぎりぎりまで待ってみたけれど、結局は独りで教室に向かった。
『いまは』というのが短くないことを決定づけた。
 昨日と同じような時間が過ぎ、果歩が独りになることはなくて声をかけそびれていたなか、やっと放課後になってチャンスができた。ホームルームのあと先生から用事を頼まれて、果歩が先生と一緒に教室を出ていく。ほとんどの子がさっさと帰るなか、那桜は廊下に出て待った。
 まもなく戻ってきた果歩は、明らかに那桜が自分を待っていると認めたと同時にその表情を強張らせた。

「果歩、今日は寄り道していいって拓兄からちゃんと許可をもらってるの! 聞いてほしいことがあって付き合ってくれるかな。和惟のこと――」
「いまは話したくないって云ってるでしょ」
 和惟の名を出したとたん、果歩の顔が歪んで、那桜は素早くさえぎられた。それが、こうなった理由を那桜に確信させた。
「だから聞いてほしいの。そしたら、あとは果歩の好きなようにしていいから」
「那桜、広末くんとうまくいってるくせに、わたしのことは邪魔するんだね。わたしは那桜の許可がいるの?」
「違う。邪魔とか許可ってことじゃなくて――」
「飯田、うまくいってるわけじゃねぇよ。おれが勝手に先走ってるだけだ」
 廊下の窓がいきなり開いて、翔流が口を出した。
 果歩が驚いたように目を見開き、それからうんざりした顔でため息のような笑い方をした。
「那桜、世間知らずのお嬢さまっていうの、どれだけ人を振り回してるのか、もういいかげん気づいたらどうかな? 広末くんが勘違いするのも当然だってこと、那桜は平気でやってるんだよ」
「飯田、だからそれは、おれが思いたかったというだけのことだ。那桜は悪くない。那桜がそういう奴だから、おれたちは気に入ってんだろ」
「おれたち? 広末くんはそうかもしれないけど、わたしはどうかな。有吏ってだけで特別視されて悠々自適にやってるけど、那桜、みんながみんな、那桜のことを好きだと思ってるわけじゃないこと知ってもいいんじゃない? とにかくわたしは、那桜のどっちつかずのわがままに振り回されるなんていまは我慢できないの」
 果歩はわざと那桜の肩に自分の肩をぶつけながら脇をすり抜けて教室に入っていった。

「飯田――」
「翔流くん、いいんだよ! わかってるから」
 那桜は素早く翔流を引き止め、果歩が鞄を持って教室を出ていくのを見守った。
「那桜、どうなってんだ?」
「わたしが果歩を傷つけるようなことをしたの。それだけ」
 果歩には和惟とのことを話してもいいと思った。どんなふうに話すべきか整理はついていないけれど、云い訳にはならなくても、それを知っても果歩が和惟のことをあきらめないのなら仕方ないと思った。
 誘いだすことすらできず、せっかく許可をもらった一時間も不要になってしまった。那桜は席に戻ってすとんと椅子に座る。
「帰ろうぜ」
 翔流が前に来て、那桜の机が揺れるくらい乱暴に自分の鞄を置いた。
「まだ迎えが来るまで時間があるから、電話してここで待ってる」
「許可もらってるって云ってたよな」
「うん。必要なくなったけど」
「んじゃ、おれとデートだ」
「翔流くん」
「大げさに考えんなよ。時間潰しでいいじゃん。どこ行く?」
 那桜はしばらくためらい、さっき果歩から云われたこともあって、翔流とははっきりさせておくべきことがあると気づいた。
「まえに行ったケーキ屋さん」
「おう」


 シュークルカンディに行くと、ちょうど二人用の席が一つだけ空いていた。
「これやるよ」
 翔流が注文したミルフィーユには苺が乗っていて、翔流はフォークを突き刺して那桜に苺を差しだした。
「あ、ありがと」
 那桜は考えなく苺を頬張った。翔流が苦笑いする。
「こういうとこ」
 翔流が云い、フォークを咥えたまま那桜は動きを止めて正面にある目を見つめた。
「飯田が云ったこと。まったく裏もなしでやってるのはわかるけど、普通にいないんだよな」
 そこではた(・・)と気づく。口の中に入れた以上、苺を出すには気が引け、那桜はフォークから抜き取って前かがみになった躰を起こした。
「ごめん。拓兄にも和惟にも注意されてる。自分が子供っぽいのはわかってるの」
「だから、おれはそういうとこも気に入ってるって」
 翔流は照れることなく、笑みを浮かべている。どんなふうに切りだそうかと迷っていたけれど、本題の糸口は翔流が作ってくれた。

「翔流くん、勘違いさせたとしたらごめんなさい。わたし、知らないうちにそうさせてるんだよね? でも――」
「わかってる。金曜日の帰り、おまえの反応見てて気づいた」
 翔流もまた馬鹿じゃない。
「ごめん」
「謝ることかよ。見誤ったのはおれだし、なんかそういうのも那桜っぽいって思ってる。わざと勘違いさせたわけじゃないだろ」
「……うん」
 翔流に対してはけっしてわざとではない。けれど、和惟に当てつける気持ちはあった。正直に云ったら愛想尽かされるだろうか。そう思うと、果歩とうまくいっていないいま、守ってもらえる場所がなくなりそうで怖くなった。
「なんかさ……兄貴たちから逃げたときあっただろ。あんとき、おまえが転びそうになってキャッチしたけど、息切れするからって平気でおれに寄りかかってるし、正直かなり戸惑った。それとは別にさ……なんか漠然とだけどさ、守りてぇって思った。……なんてな」
 最後はちょっと間を置いて、照れ隠しに翔流は付け加えた。
「ありがと。でも――」
「でも、じゃなくて、いまのまんまでいいだろ。こういうのはどうこうしようったって思いどおりになるもんじゃないし、なるようになるんじゃねぇか」
 翔流は首を傾け、その(とぼ)けたしぐさに那桜はくすっと笑った。
「冷めてる」
「おまえの兄貴とか衛守さんとかには敵わねぇよ」
「敵わなくていいよ」
 即座に那桜が応じると、翔流は、あれは異常だな、とおもしろがった。

 脱走した日、おれは云われたことない、とそう云ってケーキを食べることに付き合ってくれたときから、いまの翔流みたいに興じること半分で拓斗に近づいた。否、拓斗だけでなく、ずっとまえの和惟へもそうだ。
 人を振り回していると果歩が云うとおり、きっとそうなんだろう。和惟のことみたいに逃げ回らずに、すべては那桜が受け止めなくてはいけないことだ。

「そろそろ迎えの時間だろ」
 翔流の友だちの話題を中心に他愛ない会話が続いているさなか、店内の時計を見た翔流が那桜に視線を戻した。
「あ、うん」
「どこまで迎えにくるんだ?」
 店を出ると学校のほうへと向かいながら翔流が訊ねた。
「たぶん、このへんまで来るのかもしれない。ここだってことは云ってたし」
「たぶんてアバウトすぎないか?」
「大丈夫。だってあのときだって公園まで来たんだよ。なんでわかったのかな」
「んー、GPSってのが考えられるな」
「ケータイの?」
「そ。よくあるじゃん。お子さま向けのケータイで“いまどこ”って機能。真田の云うとおり、深窓のお嬢さまだし、そういうのが付いててもおかしくない」
 思わず制服のポケットから携帯電話を取りだして、那桜はよくよく眺めた。
「やっぱ、那桜の反応おもしれぇ。見たっておまえにはわからないだろ。相当のシスコンらしい兄貴に訊いてみるといい」
 翔流は郁美の冗談を持ちだした。
「シスコンじゃないよ」
「じゃ、ブラコン?」
「違――」
 那桜は言葉を途切れさせた。いきなりで翔流の顔が横から下りてきて間近に迫り、びっくり眼で翔流を見つめた。
「やっぱ、だめだよな」
 何がだめなのか、そう云いつつも顔がさらに近づき、那桜は反射的に目を閉じる。
 くちびるに息がかかった刹那。

「そこまでだ」

 いつかとまったく同じ声が同じ言葉を吐いて那桜を凍りつかせた。

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