禁断CLOSER#20 第1部 解錠code-Dial Key-

5.施錠 -4-


 正月恒例の食事会は矢取家の客間に集まって昼食から始まった。
 一時間もすると、それぞれに散らばっていき、拓斗は惟均と矢取家の二兄弟、世翔(せいしょう)立朋(りゅうほう)の四人でそのまま客間に残って集まった。
 交わす会話といえば大学の課題に沿った議論から延長して仕事の話という、(はた)から見ればまったくおもしろみに欠けた題材だが、それでも笑い声があがるほど有吏の業は奥深いと云える。
 深く史実にかかわってきた有吏一族は有史以前からの古来、表には一切立つことなく暗に万世一系で存続してきた。有吏リミテッドカンパニーは表向きコンサルタント業の会社として政財界に名を馳せているが、裏においても各所の要人から依頼を受け、似たような業を請け負っている。
 難題にぶつかることは絶えずある。あきらめることは許されず、一族の長を継ぐ次期首領――総領(そうりょう)として拓斗はだれよりも迅速(じんそく)緻密(ちみつ)な判断を要求される。それは(うれ)うことでもプレッシャーでもなく、拓斗にとっていまや当然のことであり、ただ自分の立場を(まっと)うするのみだ。そこに意味を求めても、それこそ無意味にほかならない。

「惟均、和惟はどこだ?」
 和惟と惟均の父、衛守主宰(しゅさい)が客間に戻ってきた。衛守家は有吏本家の護衛を(まかな)ってきた分家だ。それぞれに役割を果たす分家の長には主宰という称号がつく。その衛守主宰が職業柄なのか、さりげなさを装いつつも鋭く眼光を放ちながら室内を見回して訊ねた。
「父さんたちと一緒だと思って――」
「あ、おじさま! 和惟くんはちょっと出かけてくるって。すぐ戻るって云ってましたよ」
 惟均をさえぎるように報告したのは矢取家の長女、深智だ。
 拓斗はテーブルに置いた携帯電話を取った。
「そうか。深智ちゃん、ありがとう」
「父さん、急ぎなら――」
「いや、明日の予定が変更になっただけだ。あとでいい」
 拓斗が発信している間に、衛守主宰は片手を軽く上げてまた客間を出ていった。
 拓斗は携帯電話を耳に当て、通じるのを待った。

「拓斗、おまえ、女いるのか?」
 世翔がおもしろがったような表情で出し抜けに問いかけた。
 拓斗が答えずに首をひねると、その無言の疑問に世翔ははっきりとニヤつき、拓斗の耳を指差した。
「いや、おまえが携帯ストラップしてるなんていままでなかったからさ。おまけに“N”って普通に考えればイニシャルだろ。女がやりそうなことだし、ついに我らが凍れる総領にも()れた女ができたのかと思ってさ」
 拓斗より一つ上の世翔には女が絶えることはないと弟の立朋は云う。元来、有吏一族に“結婚を視野に入れた恋愛”の自由はないものの、“遊ぶ”ことについては黙認されている。世翔がそうしていても奇異なことではなく、いまの口ぶりからすると、立朋のからかいもあながち大げさではないらしい。
「違う。那桜のクリスマスプレゼントだ」
 那桜はどんなことにしろ馬鹿げたことをしでかす妹だが、その所業もまた“女”だからこそなのか。
「へぇ。ずっと知らないふりしてたわりに、おまえも妹の面倒みれんだな。うまくいってるらしい」
 これがうまくいくことなのか。
 疑問を持ちながらも世翔の関心に付き合う気はなく、拓斗は電話に注意を戻した。呼びだし音が何回繰り返されたのか、一向に鳴りやまない。携帯電話を閉じると拓斗は立ちあがった。
「拓斗さん」
 惟均は何かを感づいたらしく、急いで声をかける。
「惟均、酒飲んでないな? 家まで送ってくれ」
「はい、もちろんです」
 惟均は素早く席を立った。
 衛守家はいつの呼びだしにも応じられるように常に正気でいることを要求される。そんな環境で育った惟均は二十才を超えても酒を飲むことはない。
 拓斗はうなずいて惟均とともに客間を出た。

 玄関へと向かううち、聞き慣れた着信音が拓斗を呼ぶ。
「どこに――」
 通話ボタンを押して云いかけたとたん拓斗は言葉を切り、足を止めた。
 電話の向こうからはただの一語もまともな単語は発せられず、ポルノ(まが)いの嬌声(きょうせい)のみが耳に入る。
 あの日の残像は脳裡から消えてはいない。躰の芯が痛む。
「拓斗さん?」
「ああ」
 拓斗は余念を振り払うように首をひねり、通話は切断しないまま惟均のあとに続いて矢取家を出た。



 静かな振動が躰に伝わってくる。背中は暖かさにしっかりと包まれているのに、どこか心細さを感じながら意識を浮上させた。薄らと開けた視界に入ったのは殺風景な箱の中だった。暖かい風が柔らかく素肌に当たる。
 そこで那桜ははっとして目を見開いた。自分の置かれた状況が一気に甦り、躰を起こそうとした。が、背後から縛っている腕がその動きを封じた。
「和惟、放して!」
「触られるのが好きなくせに?」
 和惟はほくそ笑むような声で云い、あっさりと腕を離すと那桜を放りだすように自分の上から下ろして運転席に戻った。和惟はドアに背中をもたれるという最初の姿勢に戻り、那桜の裸体を舐め回すように視線を動かした。
 車内はむっとするほど暖房がきいていて寒くはない。およそ場違いな裸のままでいることを考えると、服をもとどおりにしてやろうという気持ちが和惟にないのは明らかだ。頼むだけ無駄だと思って、那桜は躰をもぞもぞさせながら手首のところで丸まった服をシートに落とした。
「思考パターンはガキじみているくせに、男を挑発するのは一端(いっぱし)だな」
 和惟がとうとつに前のめりになって、自由になった那桜の手首をそれぞれにつかむ。身をかがめた和惟はいきなり右側の胸先を(くわ)えた。
「和惟、もういやっ」
 強く吸いついたあと、這いずるように舐めて和惟は顔を上げた。
「いや、だって? どう見たって那桜は喜んでる。躰が証明してるだろう」
「してないっ」
「確かめてみればいい」

 和惟はつかんでいる那桜の手を動かした。含んだほうの胸先を左の手のひらで覆わせ、右手はべた座りした脚の間に潜りこませる。和惟は手首を離して那桜の手をすっぽりと包み、その右手は那桜の左手ごしに胸をつかむ。小さくも大きくもないふくらみを()ねるように揺らした。
「手のひらに当たる感触、わかるだろ?」
「和惟!」
「こっちはどうだ?」
 今度は和惟の左手が那桜の右手に重ねられ、指先を絡めるようにして脚の間をうごめく。
 和惟が突きつけたとおり、那桜の手は嫌でも証拠に触れる。左の手のひらは小さな塊を感じて、右の指は自分の体内から零した液でべとべになった。
 和惟の手が那桜の手を操り、柔らかく濡れた(ひだ)を沿うように下から這ってきて、いちばん感覚の鋭い場所まで上がると躰が震えた。
 あ、あ、や……っ。
 指先は絡んでいるせいで自分と和惟の区別がつかず、意思がうまく神経を伝っていかない。治まっていたはずの感覚はいとも簡単に復活する。
「那桜、離れていた間、この感じやすい躰をどうしてた? 自分でなぐさめてた? おれがやったこと想像しながら?」
 和惟は屈辱を吐いた。
 せめて強くいようと堪えていた気持ちが()え、嗚咽(おえつ)を漏らしながら那桜は激しく首を横に振る。
「那桜は嘘吐きだな。大丈夫だ。那桜が何をしたって嫌いにはならないよ。愛してるから」
 そうなだめたかと思えば、和惟はいきなり手を離して那桜を解放した。

「早く着ろよ。送っていく」
 那桜は重さの残る躰を動かして、のろのろと服を着始めた。
 情事などなかったような素っ気ない口ぶりは、いつものとおり余計に那桜を惨めにさせた。

   *

 家の前で車を止めると、和惟は車を回って無言で助手席のドアを開け、その傍に立って那桜を見送る。玄関の戸をこっそりと開けて後ろを振り向いたときは、和惟が運転席に乗りかけているところで、すぐ門は閉まってしまった。
 那桜は涙の痕を(ぬぐ)った。和惟の前でそうすれば、尚更で那桜の子供っぽさが目立ってしまう。和惟が思っているとおり、考えの足りなかった那桜のほうが重罪なんだろう。
 震える息を一つついて玄関に入り、後ろ手に戸を閉めた。ほぼ同時に、何もしていないのに大きな音を立て、背後で鍵が下りた。
 心臓が止まりそうなくらいに驚いて後ろを振り向こうとしたそのとき、その途中で視界にありえない、いや、そこに在ってはならない姿を捉えた。

「拓……兄」
 そこにいるのが、例えば和惟の生き霊であったとしても、ここまで驚かなかったと思う。鼓動が一瞬消え、それから心筋が破裂するんじゃないかと思うくらいに血液が全身へと押しだされていく。
「おれがしてることは不要なことか」
 不機嫌でもなく怒っているわけでもなく、ただ拓斗の言葉は冷たく玄関先で木霊する。
 答える時間も与えられず、立ちすくんだ那桜を残し、拓斗は廊下に上がって奥へと進んでいった。
 拓斗は、那桜がいままで和惟といたことを知っている、もしくは見当をつけている。
 怖くなった。
「拓兄!」
 急いでミュールを脱ぎ捨て、拓斗のあとを追った。呼んでも振り向いてくれないけれど、それは那桜もわかりきっている。拓斗は歩くのが早く、階段の下まで来たところで追いつくと、その右腕をつかんだ。
「拓兄、待って――」
「触るな」
 振り払われることはなくても、冷静な声には従わざるを得ないほど声の裏に何かが潜んでいる。那桜にはそれが嫌悪に思えた。手を離すと、拓斗は那桜を切り捨てたようにさっさと階段を上がっていく。
「拓兄、ごめんなさい! 拓兄がしてくれてることは要らないことじゃないの。和惟が果歩に手を出そうってしてて――」
(だま)してまで会う必要があるのか」
 拓斗は那桜をさえぎって、至当な云い分を放った。

 那桜は階段の下で立ち尽くす。拓斗が云わんとするところを考えた。
 頼めばきいてくれるの。
 那桜は戒斗にそう云った。それは戒斗を安心させるためじゃなくて、本当にそうだったから。
 果歩を守るのは自分しかいないわけじゃなくて、拓斗に果歩ごと那桜を守ってもらえばよかったのだ。
「拓兄、ごめんなさい!」
 叫んだときはすでに階段の上を左に折れて、拓斗の姿は見えなくなっていた。
 わたしはバカだ。取り返しがつかなくなってしか気づかないほどバカだ。
 このままじゃ……。
 那桜は急いで階段を駆けあがる。勢いのままに拓斗の部屋のドアを開けて中に入った。振り向いた拓斗に体当たり寸前で止まり、またその腕をつかんだ。
 そうしたからといって何を云っていいのかもどうしていいのかもわからない。冷えた眼差しはいまや非情とさえ見えて、何も考えられないくらい放心した。

「触るなと云ってる」
「……やだ。本当に後悔してるから」
「隠れて会って、いままで何をしてた」
 拓斗は那桜が答えられない質問をした。なぜか答えなくても知っているみたいに聞こえる。目を見開いて拓斗を見つめ、それに応じて拓斗も非情な眼差しを返す。
「脱げ」
 短い命令の意味が一瞬、理解できなかった。
「拓兄……?」
 おずおずと訊き返しても拓斗はじっと見下ろすだけで何をするでもない。
 拓斗しかいない。
 那桜がこの半年ずっと抱いてきた強迫観念。
 それに、躰ならまえにも見られている。
 那桜は拓斗の腕を離し、すぐ傍でチュニックを脱いだ。胸を曝しても拓斗はなんら反応せず、“全部”ということを察した。裸になってそのさき何があるのか考えることさえ至らないで、拓斗が云った一言のままに全裸になった。
「拓兄」
 那桜は心細くつぶやいた。と同時に、拓斗の手が太腿の間に滑りこみ、すっと這いあがった。
「あっ……拓兄!」
 那桜はこれ以上にないくらい目を見開き、(すが)るように拓斗の腕をつかんで見上げる。
 触れられるという行為よりも、拓斗の指に自分の慾の痕が絡みついているとわかって居たたまれなくなった。ここまで歩いてくるときにも感じていたけれど、そこは気持ち悪いくらいに(ぬめ)っている。
「おれは余計なことをしていたらしい」

 何を結論づけたのか、拓斗は無造作に那桜の躰を九〇度ひねり、肩を押した。すぐ後ろにあったベッドに膝の裏が当たって折れ、那桜は腰かけた格好になった。再度肩を押され、人形のように上半身がベッドに倒れる。
 拓斗が那桜の脚を腕で抱えながらベッドに上がり、腰の両脇に膝をつく。
 何が起きているのか、起きようとしているのかまったく頭が働かない。拓斗は那桜の両手を頭上で重ね、左手で手首をつかみ、ベッドに押しつけるように括った。右手が擦るように胸を撫でる。
「簡単だな」
 何が簡単なんだろう。拓斗の手は脚の間に下りて試すように撫でられる。和惟以外に触れられるのははじめてのことで、そしてそれが拓斗であることに尚更で頭が混乱した。ぐるりと、まるで舐めるように指が触れる。そう感じるのは那桜が溢れさせた粘液のせいに違いなく、失神から目覚めたあと、中途半端に終わっていたぶん反応もたやすく表れた。
「あ、だめっ拓兄っ」
 那桜の制止に拓斗の手は離れ、そのかわりに今度は小さな金属音がする。それは和惟がベルトをつかむときに立てる音と同じだ。驚愕しているうちに、明らかに指と違うものがそこに触れる。そして侵入した。濡れそぼった入り口は、指より遥かに大きいものでもぬるりと受け入れた。
「拓兄、やめてっ!」
 起きていることが信じられず、那桜は大声で叫んだ。
「和惟とやってるくせに今更なんだ?」
「違うっ。こんなこと間違ってる! 拓兄、わたしは妹だから――っ!」
「妹だからなんだ。価値はない」
 那桜をさえぎった拓斗の言葉に愕然とした。
 妹に価値がないのなら、わたしには何も縋るものがないのに。
「拓兄、いやっ」
 体内にまた少し進んできた拓斗を引き止めた。
「おまえの『いや』は当てにならない。いいかげん面倒はたくさんだ。セックスしてやればおとなしくなるだろ。もう何も不足はないはずだ」
 そう云い放った刹那、那桜の躰の奥深くまで拓斗が達した。
 いやぁあ――。
 突かれた反動で声が押しあがり、甲高く叫んだのもつかの間、プツンと悲鳴は途切れ、痛みを強いられたあまりに息が詰まった。脳内がチカチカとして目の前が霞む。
 拓斗は深く突いたまま動きを止めているのに、引き裂かれたような痛みは持続していて、背中を反らしたまま躰が強張った。

「那桜」
 ショックと疼痛(とうつう)に呼吸さえ忘れている那桜は返事ができなかった。
 那桜の手を縛っていた手が離れて額にかかった髪をはらう。無情な声と反してそのしぐさは、この悲惨な状況下でも柔らかく感じた。
 そして拓斗は那桜の躰から引きずるように抜けだし、その感覚にさらに気道がふさがった気がした。
 那桜の顎を拓斗の指が押しあげ、くちびるが触れ合った。拓斗の呼吸が口の中に繰り返される。そのリズムが那桜の躰に呼吸の仕方を思いださせた。
 うっ。
 息をついて躰が緩んだと同時に泣き声が漏れ始め、拓斗がくちびるを離した。躰の向きを変えられ、(うず)く痛みに呻いているうちに頭が枕に載る。布団に包まったあと、拓斗の手が那桜の額に触れた。
 那桜の泣き声が唯一の音で、それも治まってしまうと部屋は、不定(ふじょう)の静けさに満ちた。

 その間、ベッドの端に腰かけ、ずっと那桜の額に手を置いたままの拓斗を見上げた。
 斜め向いた横顔はなんの色も浮かべず、窓の外に目を向けている。
 何を思っているんだろう。そう思ったのが始まりだった。
 那桜――そう呼ばせることから始めた解錠。進んでいたかと思っていたのに。
 セックスしてやればおとなしくなるだろ。
 拓斗の『那桜』は解錠できたのではなく、すべては単に那桜を手懐(てなず)けるための手段だったのだ。

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