禁断CLOSER#19 第1部 解錠code-Dial Key-

5.施錠 -3-


 次の日、昨日からの憂うつは持続していて、どうしていいのか、もしくは果歩が云ったように果歩自身に任せればいいのか判断がつかず、それ以前に和惟のことがまるでわからない。
 ただ、和惟の脅しが本心なら、果歩が見極めるまでもなく結果は明白だ。
「那桜、まだなの?」
 下から詩乃が声をかけた。那桜は着替えようかどうしようか迷って手にしていた服を眺め、やがて口を一文字に結ぶとベッドに放った。
 部屋を出て階段を下りながら、うまくいくように、と内心で祈る。
 廊下に出て玄関先の方向に折れると、靴を履いていた詩乃が顔を上げる。同時に拓斗がリビングから出てきて、ふたりの視線が那桜に向いた。

「まだ着替えてないの?」
 フリースのチュニックにレギンスという部屋着のままの那桜を見て、詩乃が呆れたように云った。
「今日は行かなくていい?」
「どうしたの? 深智ちゃん、待ってるのに」
 詩乃は怪訝そうに眉をひそめた。
 今日は有吏リミテッドカンパニーの食事会で、つまり近しい親族が家族そろって集まることになっている。毎年のことで、場所は親族の家を順に廻り、今年は那桜と同い年の従姉妹、深智(みち)がいる矢取(やとり)家だ。
「頭が痛いの。なんだか酷くなりそうな感じ」
「昨日からあんまり食べてないわよね。また風邪かしら」
「ううん。寒気とか熱とかないし。頭痛薬飲んで寝てるよ」
「そう、仕方ないわね。私も――」
「お母さんはちゃんと行っていいよ。子供じゃないんだし、留守番くらいできる」
 まるで那桜が幼い子供であるかのように外出を取りやめようとした詩乃をさえぎった。
 今日に限ったことではなく、詩乃は那桜を独りにしたがらない。アイアンウッドの高い塀に囲まれたこの家は、警備という点ではおそらく世界一なんじゃないかと思うくらい、監視カメラやら赤外線やらと万全な要塞なのに。

「そういうことじゃなくて」
 詩乃は中途半端なところで言葉を切った。かといってそのさきを云う気配もなく、何かを考えこんでいる。
 じゃあ、どういうことなんだろう。
 那桜が待っていると、ふと詩乃は顔を上げた。
「鳥井さんに来てもらおうかしら」
 詩乃はたまに呼ぶヘルパーの鳥井の名を挙げながら、手にしたバッグから携帯電話を出して早くも連絡を取り始めている。
「那桜」
 成り行きを眺めていた拓斗が那桜を呼ぶ。ただ名を呼んでいるのか、問いかけているのかわからないくらい曖昧な声音だ。
「うん?」
 返事をしても拓斗は何も云わず、那桜は近づいて首をかしげながら見上げた。しばらく待ってみても何も返ってこない。
「那桜、鳥井さん、三十分後に来れるそうよ」
 早々と電話を終わった詩乃がほっとしたように伝えた。
「急だし、なんだか悪いよ。大丈夫なのに」
「あなたの昼食以外、何も云いつけてないわ。あとは私たちが帰ってくるまでテレビ見ててもお昼寝でもかまわないんだから。鳥井さんにはそう云ってちょうだい」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
 那桜は内心でうんざりしながら詩乃を送りだした。
「拓兄もいってらっしゃい」
 傍に立つ拓斗はほんの少し首をひねり、結局は名を呼んだまま何も云わずに玄関に行った。リビングの入り口から見守っていると、玄関の戸を開けて出たところで拓斗が振り向く。
「那桜」
 なんとなく、来い、と聞こえて那桜は玄関に行った。
「鍵、すぐ閉めておけ」
 何の用事かと思えば、拓斗は詩乃の子供扱いが伝染したようで、那桜は口を不機嫌に尖らせた。ちょっと距離があって、そのうえ那桜のほうが高い位置にいるのに、やっぱり拓斗を見上げなければならないというのは立場的に不利にさせられている。斜めに見下ろしてくる無の眼差しは抗議もできない雰囲気だ。
「わかった」
 拓斗が出ていくと、那桜は精一杯の音を立てて引き戸の鍵を下ろした。肩を落とすほどにため息をつく。
 那桜を独りにして出ていくとは露ほども思わなかったけれど、やってみた甲斐はあった。隼斗と拓斗が残るとは考え難く、あとは詩乃をどう説得するかと思っていただけに比較的簡単で安堵した。鳥井なら、那桜の部屋に上がってくることはないし、眠っていると思わせていればいい。


 鳥井は十一時半になってやって来た。
「那桜さん、頭痛はいかがですか?」
 玄関の戸を開けて中に招くなり、鳥井は心配した声で具合を訊ねた。小柄なのは那桜と同じでも、四十四才になる鳥井のほうがちょっと小太りだ。そのいつも愛嬌のある丸い顔が、いまは案じているせいか、くしゃりと歪んでいる。
「薬飲んだし、寝てればよくなると思うの。ありがとう」
 鳥井を先に行かせて那桜はあとを追った。
「じゃあ、お昼ごはんを作りますから、それから休んでくださいね」
 鳥井はまさに“勝手知ったる他人の家”でキッチンに入っていき、早速昼食の準備に取りかかった。

 この鳥井とは別にもう一人、町田という人がいて、ふたりは親族で長年に(わた)り共同で雇っているヘルパーだ。経歴がより長いベテランの町田は、今日は矢取家で活躍中だろう。
 詩乃は普段からヘルパーをあまり使いたがらない。ふたりを嫌っている様子はなく、むしろ親しげに見えるけれど、呼びつけるのは詩乃自身の具合が悪かったり、来客があったり、それに沖縄で隠居生活を送っている祖父母たちが来るときくらいだ。
 鳥井と会うのはそうそうないこと、そして一線置いた言葉遣いはともかくとして、那桜にとっては“お手伝いさん”というよりも“親戚のおばさん”という感覚だ。

 那桜はリビングに入ると、頭痛という建て前上、ソファに横たわった。キッチンに背もたれを向けているソファに寝転がれば鳥井から那桜は見えない。
 那桜は携帯電話のメール画面を開いた。
『話がしたいの』
 その一言を送信した。返事を待っていると時間は長く感じられる。もう食事会は始まっているだろうし、一段落するまでは無視されるのか気づかないのか。
 鳥井が手際よく作ってくれたのは那桜の大好きなオムライスだけれど、メールが返ってこないことに苛々してせっかくの美味しさが半減している。
「那桜さん、やっぱり酷いんですね」
 キッチンから様子を(うかが)っていた鳥井が声をかけた。
「あ、そんなに大げさには痛くないの。口を動かすとちょっとだけ響くというか」
「食べるのは良くなられてからでもいいんですよ。もう半分は召しあがりですし、早くお休みになってください」
「ううん、大丈夫。できたてのほうが美味しいから。鳥井さんのは卵がふわふわで大好きなの。だから冷めちゃったらもったいないよ」
 もしもあとから様子見に二階まで来られたら(たま)らない。那桜はそう思って、鳥井の必要以上の心配を払拭(ふっしょく)しようと、むっつりした表情を消して笑った。
 鳥井はうれしそうにうなずいて、ゆっくり食べるように勧めた。

 全部食べきって、それから二階へと階段を上る途中で待っていた着信音が鳴る。拓斗に続いて不気味な音は、この曲はやめておけばよかったと思うくらい(なまぐさ)くて気分が沈む。部屋に入って通話ボタンを押したのはいいけれど、すぐには返事もできないで、電話の向こうから口火を切られた。
『なんだ、話って』
「傍に拓兄はいないよね?」
『いちゃ、まずいのか』
 口を歪めていそうな声だ。
「会って話がしたいの」
 電話の向こうから笑い声が届く。
『おれと接したくないから拓斗に囲われてるんだろ? それを突破するって? やっぱり那桜だな』
「和惟、大事なことなの!」
『那桜、おれが那桜の要求に応えなかったことがあるか』
 和惟は淡々と云ったあと明確な返事もせず、一方的に電話を切った。那桜は曖昧な云い回しに(すが)るしかなく、携帯電話を握りしめてくちびるをかんだ。

 拓斗が和惟から那桜を隔離している以上、和惟と会って話せるチャンスはそうない。そうやって那桜は拓斗に盾になってもらっているけれど、果歩にとって和惟を止められる人はだれもいない。那桜の忠告を果歩が聞いてくれないのなら、那桜が和惟を止めるしかないと思った。
 でも、なぜ止めなければならないんだろう。
 果歩はきれいで那桜よりもずっと賢くて、もしかすれば和惟の気持ちが果歩に傾くということもありえる。そこでふたりが成立するのなら何も問題ないことだ。
 それなのに気にかけざるを得ないのは、和惟が折に触れて云う『一心同体』という言葉。那桜と和惟との間に切っても切れないという何かを匂わせる。拓斗の『当分』もそれを裏づけている。
 まんじりともせず、ベッドに腰かけたままでいると、無益な思考を電話が立ちきった。

『家の前だ。どうする? 鳥井さん、いるんだろ』
「わたしが出ていくから!」
 和惟が応じてくれたことに安堵したのか不安を抱いたのかよくわからない。那桜は携帯電話をベッドに放って部屋を出た。
 こっそりと階段を下り、玄関のほうへと曲がる。こういうとき、拓斗みたいに足音を立てない方法を身に着けていれば役に立つのだろうけれど。そう思いながら那桜は足音を忍ばせ、テレビの音がするリビングの前を通り過ぎた。
 玄関の鍵はいつも必要以上に音が立つから、さっき鳥井さんが来たときに開けっ放しにしたままだ。ミュールを持って裸足で下りると、玄関をそっと開けて外に出た。また戸を閉めてからミュールを履き、那桜は小走りで門へと向かった。
 門に近づいたとたん、那桜が来たのを見越したように、和風のデザインを施したロートアイアンの門扉が開く。大型車一台が横づけで優に入る門先のスペースに、和惟個人の濃紺の車が止まっていた。助手席の窓が下りる。
「乗れよ。その格好じゃ、風邪をひく」
 和惟に云われて、自分が部屋着という、着の身着のままで寒さに無頓着な格好をして出てきたことに気づいた。
「……気づかれてない?」
「鳥井さんはどうした?」
 和惟は答えず、反対に質問してきた。
「たぶん、休んでると思う」
「いまの時間帯、向こうはみんなそれぞれでやってる。いつもと同じだ。そこにいないとしても、不思議じゃない。それより、ここでこのまま話しているほうが不自然じゃないのか。監視カメラもあるし、鳥井さんが出てこないとも限らない」
 監視カメラは衛守家が管理していることであり、和惟の力でどうにでもなるだろうけれど、鳥井は別だ。那桜は思わず振り返り、玄関先を確かめた。鳥井に見られることはかまわなくても、巡り巡って拓斗が知ってしまうのは怖い。助手席のドアを開けて乗りこむと、和惟はすぐに車を発進させた。

「どこ行くの?」
「このまま逃避行っていうのも悪くない」
 和惟はわだかまりなどないかのようにふざけて答えた。それから、すぐにおれの家だ、と答えているうちに和惟の家に着いた。
 和惟の人格を把握できることが果たしてあるんだろうかと那桜は思う。
 住居と会社が並んであるという広々とした敷地に入り、和惟は住居用の車庫の中に車を入れた。背後のシャッターが自動で閉まり、車庫は両側の小さなすりガラスから入ってくる光だけになって薄暗くなった。
 和惟はエンジンを切ってドアの取っ手に手をかけた。
「待って。車の中でいい。長く家を空けるつもりないから」
 和惟は鼻で笑い、取っ手から手を離すと躰を那桜のほうに斜め向けてドアに寄りかかった。
「それで、こそこそ会いたいほどの用事ってなんだ」
「わかってるよね」
「どうだろうな。那桜のことはわかってるつもりだけど」
「昨日、果歩から聞いたの」
「へぇ。友だちって云うわりに情報知るのが遅くないか」
「それは!」
 中途半端に言葉を切って、それから那桜が睨みつけても和惟にはまったく効力がない。むしろ、おもしろがっている。
「“それは”、なんだ?」
「わたしがダメって云ってるから」
「おれが果歩ちゃんに傾けば、那桜は万々歳だろ」
「ダメなのっ。果歩だけはダメ! 和惟は本気にならないから!」

 那桜はそう叫んでから、止めなければならない理由がわかった。思わず飛びだした言葉はずっと那桜の疑念だった。
 本気かどうかわからない、ではなくて、本気にならない。
 愛している、というのがうそぶいた言葉であることを那桜は最初から知っていた。どうしてそう気づいたのか、根本はわからない。

「おれが那桜のことをわかってるように、那桜もおれのことをわかってるみたいだ。おれが常に本気なのは那桜のことだけだよ」
「嘘!」
「嘘じゃない。これまでのことを考えてみたらわかるはずだ。おれが那桜のことを、もしくは那桜の要求を拒否したことがあるのか? 逆は数えきれないほどあっても」
 和惟は皮肉っぽく付け加えた。
「だって……違うの!」
「何が違う。じゃあいま、那桜の要求を聞いてやるよ。おれにどうしてほしいんだ?」
 那桜はしばらくためらった。
「果歩に手を出さないで」
「わかった、って答えればいいのか」
「期待させないように果歩にちゃんと云って。もう電話しないでって云って。それからメモを返して。ケータイの登録も削除して」
 和惟は肩をすくめ、センターコンソールから携帯電話を取りだした。片手でスライドさせると手早く操作して、携帯電話を那桜に向け、果歩に発信中であることを確認させてから耳に当てた。

「ああ、果歩ちゃん。このまえはありがとう。……いや、そう役に立ったわけでもなくて、必要もなくなった。つまり、もう果歩ちゃんに用はない。……那桜? どうだろうな。……悪いけどその気ない。電話はこれで終わりにしてほしい。じゃ」
 和惟は携帯電話を耳から離し、それで切るかと思いきや、那桜の耳に当てた。
『衛守さ……っ』
 すぐに那桜から携帯電話を遠ざけ、そのあと果歩がなんと続けたのか、和惟は通話を切ってしまって聞き取れなかった。
 那桜が止めたにもかかわらず、果歩が行動に出たということはそれだけ果歩が真剣だったということだ。これまで果歩に付き合った男の人がいないということが証明している。
 那桜は出しゃばったにすぎなくて、果歩の気持ちを考えると良心が(とが)める。
 和惟は、相手が果歩であることを那桜に確認させるために声を聞かせたのだろうけれど、その残忍さは身に沁みた。
 ひょっとすれば、いや、ひょっとしなくても和惟は拓斗よりもずっと冷たい人間なのだ。
 だから、これでいい。
 那桜は自分にそう云い聞かせた。
「削除すればいい」
 和惟は、果歩の登録画面を表示した携帯電話を那桜に差しだした。サブメニューを開いて、那桜はためらいなく登録を削除した。
「メモは捨てた。登録している以上いらないだろ。そんなものを取っておくほど女々(めめ)しくないし、それ以前の問題として果歩ちゃんに拘りはゼロだ」
 和惟は至当なことを主張しつつ(こく)に云いきり、那桜が向けた疑いの眼差しを一笑に付した。
「ありがとう」
「証明の礼がそれだけじゃ納得できない」
「証明?」

 お礼を云うには理不尽だと思いながらも、この場を締め(くく)るには最適の言葉だと口にしたのに、和惟はやっぱりそれでは終わらせてくれなかった。
 和惟の手が伸びてきて、那桜の右手首をつかんだ。止める間もなく和惟は那桜の手を自分の慾に触れさせる。ジーンズ越しでも(たかぶ)った和惟を確認できた。引っこめようとしても和惟の手がうっ血しそうなくらいにつかんでいてどうにもならない。
「和惟っ」
「おれはいつだって本気だ。本気じゃないのは那桜のほうだろ? いざ大事にしてやるとそこから抜けだす」
「こういうのは本気じゃない。わたしが云ってることは違うことなの!」
「違わない」
 和惟は云いきり、手を離すと今度は顔を包んで那桜を引き寄せた。
 う……っん。
 和惟の舌が那桜の口の中に潜りこんだ。押しつけるように舌が這う。胸に手を当てて押しやろうとしても、躰が斜め向いているせいでうまくできない。逆に和惟はフラットシートを横にずれてきて、那桜にぴたりと迫ったすえ、手を突っ張れなくした。
 酸欠になった頭はうまく思考が働かず、その隙をついてくちびるを離した和惟は、狭い車の中で自分の脚の上に那桜を抱えあげた。背後に控えた和惟の手が服にかかる。
「和惟……」
 名を呼ぶ間にチュニックとインナーをまとめて引きあげられ、頭から抜いた服は、背中に回って手もとで丸まる。部屋着のままでブラジャーをしていなかった胸は露わになって、手は自分の背中と和惟のおなかに挟まれた。レギンスも下着ごと取り除かれる。
 暖房で温まっていた空気が徐々にひんやりとしていくなか、那桜はこれから起こることを予測して身震いする。

「和惟、こんなとこでやだっ」
「ここじゃないならいいって?」
 和惟が耳もとで(わら)う。どこだって一緒だ。そう吐き捨てて今度は那桜の脚を持ちあげた。抵抗しようと躰を揺らしても和惟の力には敵わず、和惟の脚の上に(またが)ってべた座りの格好にさせられた。
 隠しようのなくなった胸、そして脚の間へと和惟の手が伸びて那桜を覆う。
「那桜、キスだけですごいな」
 悦に入った声に那桜は身を縮めた。脚の間を沿う和惟の指は、那桜が恥ずかしくなるくらいに極々スムーズに滑る。指先は強くもなく弱くもなくそこを撫でた。左の指は胸先を襲う。
 うくっ。
 感じたくない。そう思っても、和惟は感じさせようという意思を持って触れてくる。耐えることはかなわず、躰のなかでもっとも敏感な場所をそうされれば震えという反応はどうしようもない。
 せめてイカないこと。
 那桜は自分に云い聞かせる。
 それなのに躰はさきを求める。
「那桜、声出して。ここはだれにも聞こえない」
 和惟の声がぼんやりと聞こえ、那桜は首を横に振った。嗤ったのか、耳もとで和惟の息が漏れる。
 くちびるをかみしめて声を堪えていると、そのかわりとばかりに和惟の指がわざと音を立て始めた。胸から手が離れて腰を固定すると、感覚はそこに集中する。

「和惟、もうやめて!」
 そう口にしたことは間違いだったかもしれない。すでに限界であることを認めたのも同じことだ。
「まだイってないだろう」
 和惟は含み笑い、那桜の震える度合いを見て弱いところをつき始める。
 ふっ……は、ふっ……んふっ。
 もうだめ! そう思ったとたん、和惟の手が止まった。心はほっとして、躰はがっかりするという矛盾のなかで快楽が収束し始める。が、また和惟の指がうごめいた。
「あ、あ、あっ……和惟……やっ……んくっ」
 やめてくれたのかと思ったのに、和惟に限ってそんなわけはなく、ただ不意打ちな仕業(しわざ)にせっかく耐えていた声が堪らず漏れた。快楽を止めることはもう不可能だと悟る。イク、と思った瞬間に和惟は手を止めた。
「イキたいんなら声出して。那桜の啼く声が聞きたい」
「やだっ」
 拒絶すると、罰を与えるように脚の間で妖しく手が動いた。弾けそうになると、それを見計らったように止まる。それを繰り返されているうちに呼吸さえままならなくなり、那桜は重たくなった躰を和惟に預けた。
 寒さを少しも感じないほど、躰はじっとりと汗ばんでいる。
「那桜、零れてるよ。シートを汚すなんてまるで子供だな」
 和惟の声が可笑しそうに響く。
「和……惟……もう……だめ……っ」
「わかった。イカせてやるから」
 那桜は息も途切れ途切れにつぶやき、それに答えた和惟の息が耳もとにかかってぞくりと躰を震わせた。
 和惟の指がやんわりと、けれど強く擦れる。弾力を増したそこは痛みを感じることもなく、それどころか、もっと、と欲を出す。
「違うっ……和惟っ……も……いや、いや、いやな……のっ」
 意味のない拒絶の言葉が那桜の口をついて出る。
 これがわたしの本心のはずなのに――。
 そう心の中で叫んでも、その一方で躰の果ては見えた。
 いったん離れていた左手が再び胸先を摘む。
 ぅあっ、ぃや、いや、いやぁぁああ――――っ。
 躰が飛び跳ねると同時に、那桜は色のない視界の中に堕ちた。

   *

 痙攣する躰を右手で支え、和惟は(かたわ)らに置いた携帯電話を取った。画面に通話中という表示を確認したあと、通信を絶ち、那桜を両腕で包んだ。
「那桜、愛してる」
 聞こえないとわかっていながらもつぶやき、失神してぐったりとなびく那桜を背後からきついほどに抱きしめた。

BACKNEXTDOOR