禁断CLOSER#15 第1部 解錠code-Dial Key-

4.挑発 -4-


 押しつけられるキスは脳内から酸素を奪い、抵抗しようという意思すら及ばなくさせる。
 和惟の云うとおり、かすかでも躰が快楽を受け入れれば、那桜は引き返せなくなる。“嫌”と口走っても自分でも虚しいくらい空々しい。
 夏のある日、キスから始まって、それでは足りなくなって、和惟に触れたくなった。ここでも和惟の云うとおり、和惟は強要なんかしていない。
 どうして触れたくなったんだろう。
 意識が溶けそうななか、那桜は必死で考えた。
 口の中が和惟の舌で舐め回されて焼けたみたいに熱くなり、感覚を麻痺させている。
 ただ、じゃれるように絡み合うだけだったキスがいつからこんなに激しくなったんだろう。
 口から零れ、喉を伝う温度は下に流れるにつれ冷たくなっていく。その冷たさが腹部まで下ると那桜は身震いをした。いつのまにか服を脱がされていたことに気づく。
 思考に気を取られていたのか……それとも、キスに我を忘れている?
 和惟が口を離れて溢れた液のあとを追っていく。那桜はこくんと喉を鳴らし、飲みきれなくてまた零した。
「那桜、行儀が悪いな。小学生だってやらないだろう」
 和惟は薄く笑う。ショートパンツとショーツが絡んで足もとの覚束(おぼつか)ない那桜をベッドに腰かけさせ、和惟は正面に(ひざまず)くと、那桜の脚を開いてその間に入りこんだ。閉じられないようにぴたりと下半身をベッドにつけたあと。腕が回って那桜の腰をしっかりと抱きこむ。和惟は再び流れた跡を這いだした。

 くちびるが胸のふくらみに差しかかると、那桜は期待を(あら)わにしている自分に気づく。和惟の口に入ったとたん、おなかの奥に刺激が伝わった。
 あっ。
 和惟の歯が胸先を(こす)るとじんと(うるお)った感じがする。空いた右手は那桜のその反応を待ちかねていたように脚の間に潜りこむ。
 指先が隠れた入り口を開き、粘液をすくって撫でるようにして(ひだ)に塗りたくる。それだけで躰はピクピクと応えた。那桜は姿勢を保っていられず、背中を丸めて和惟の肩をつかんだ。
 和惟が胸に伏せていた顔を上げ、那桜は本能的に(すが)るように和惟の首にしがみついた。
「那桜、どうなんだ」
 こんなときにもかかわらず、背中越しに聞こえる和惟の声は至って冷静で、いつも那桜の思考だけがめちゃくちゃになるのだ。
 おれの云うとおりだろう? そう問われていることはわかる。
 けれど、わからない。
 指先は追いあげるように絡みついていて、まともに頭が回らない。和惟の指摘は認めざるを得ないからこそ、ずっと那桜が抱えてきた疑問であり、答えは出せていない。
 誰もがそうなんだろうか。恋とか愛とか、そんな心がなくてもセックスはできて、気持ちよくなれるんだろうか。
 それとも、和惟が愛してるというのは本当で、わたしも和惟を愛している? だから触れたくなったの?
 けれど、そうだったらセックスすることに罪悪感なんて覚えなかったはず。わからない。
 答えないでいると、イケよ、と嘲るような声がして、和惟の指がいちばん弱い場所に集中した。
 あ、あ、あっ……うっ……あ、あ……。
 そこを触れられると堪えようとしても声を抑えられない。躰はブルブルと強く揺れだす。何かが溢れてきて漏れそうな感覚は怖いとさえ思う。

「和惟っ、やだ……ヘン……なのっ」
「だから、好きにイケって云ってるだろ」
 耳もとに和惟の息がかかってぞくりとする。指先はそこを離れ、ふくらんだ襞に絡み、そしてまた弱い場所に戻って弾いた。同時に那桜の躰が跳ねた。
 ああんっ、ぁああ――んんっ!
 場所を忘れた嬌声(きょうせい)は最後まで声にならなかった。和惟が口をふさぎ、那桜の叫び声は呑みこまれた。
 ぅんんっ。
 感覚が余韻に変わる間もなく、和惟は同じ場所を攻め続けて、那桜は飛び跳ねるように躰を(よじ)った。
 和惟の口の中で啼き声は悲鳴に変わり、それでも指先は止まずに那桜を追い詰める。
 うっくっ、んぅく、う……んんっ。
 涙が頬を伝い、嗚咽と一緒に口もとがだらしなく汚れる。
 嫌なのに。やっぱり虚しい。躰は無理やりその先に押しあげられていく。
 果たして、無理やり、なんだろうか。
 また那桜は疑問を持つ。
 嫌い。
 だれが?
 答えの出ない疑問を浮かべ、それが那桜の思考を飽和させた。和惟の躰を蹴散らすほど、その腕の中、激しい痙攣が那桜の全身を襲った。


 気づいたときはベッドに寝かされていた。膝から下だけベッドからはみ出して、ぶらりと宙に浮いている。
 それまでどんな表情をしていたのか、目を開けると同時に那桜を見下ろしていた和惟のくちびるは(なぶ)るような笑みを浮かべた。
「どうだ。証明できた?」
「うくっ……間違ってる」
 泣き声で云った言葉はますます和惟を残虐に変えた。那桜の躰を(また)いだ和惟は、真上から顔を下ろしてきて、くちびるに触れる寸前で止める。
「那桜、最後まで、だれが那桜の御方(みかた)でいられると思う? 那桜は見棄てられる運命にあるんだよ。那桜にはおれしか残らない。それは決まっていることなんだ。おれは、最後まで那桜を愛してやれるよ」
 それがどういう意味なのかはわからない。離れようとしたときから、和惟はこうやって那桜の中に暗影を投じ、孤独であることを植えつける。
 口を()じ開けられて、また苦痛か快楽か判別のつかない行為が始まる。
 和惟のくちびるは胸に下りて、手もまた那桜の抵抗心を奪おうと、胸と脚の間それぞれの先端に触れる。那桜の躰は過剰なほど反応して波打った。
「和惟、もういいっ」
 那桜が悲鳴をあげると和惟はあっさりと引いて離れた。
「どうする?」
 那桜はやるせなくうなずいた。曖昧に聞こえても、ふたりの間ではわかりきった質問だ。和惟がベッドを下りると同時に手を引き、那桜は脱力した躰を起こされる。

 嫌だ。そう思うのは正確にいえば、和惟への嫌悪感じゃない。那桜は和惟のセーターの中に手を忍ばせた。むしろ、触れるのも触れられるのも好きで、だからこそ、躰が(むさぼ)った快感と真逆に、終わったあとは心に不快感が残るのだ。
 潜りこんだ手を腹筋から胸筋まで這いあげると、那桜はベッドに腰かけたまま万歳するような格好になって、唯一和惟の本心に触れる場所で手のひらを止めた。いつもより、おそらくは那桜を押しあげているときよりも、和惟は(はや)っている。それを知られたくないのか、和惟は那桜の手をつかんで引き離し、ジーパンのベルトのところに当てた。
 和惟は手を離して、今度は那桜の頬を両手で支えて仰向かせる。
「那桜、やって」
 深いキスは那桜の手を止めてしまう。そう知っている和惟は、くちびるにただ舌を這わせる。それが顔中をたどっていくうちに、那桜はいまの行為がセックスではなくて愛されているような錯覚に陥る。そして触れたくなる。
 ベルトを外し、ジッパーを下げた。ちょっと触れた和惟は、那桜が努力する必要ないほど硬く(たかぶ)っている。ボクサーパンツをずらして直につかんだ。頬をつかむ和惟の手が強張り、鼻にしていたキスが止まる。
 和惟の慾に添って手を動かすと、まもなく鼻の上で苦しそうな息が漏れだした。こういうとき、唯一、那桜が優位になる時間だ。先に向かって絞るように強く擦ると、和惟が堪えきれないような呻き声を出した。
「もっとだ」
 限界が近いのか、和惟は躰を起こすと那桜の口もとに自分を押しつけてきた。口の中は和惟でいっぱいになる。和惟は那桜の頭を支えてゆっくりとした律動を始めた。このまえと違い、和惟の慾をつかんだままであることが喉の奥に到達するのをかろうじて防いでいる。

 那桜の中に、疑問はもう一つある。
 ぎりぎりまでで制御される行為。和惟は躰の奥を侵したことはない。いつも手のひらの中か口の中で果てる。それはかえって那桜の心に不快感を残しているのかもしれない。
 和惟が頭上でこもった声を漏らした。太さが増して、和惟の意思と通じていないピクリとした動きが、だんだんと那桜を息苦しくさせる。口の隙間から喘ぐような息を零し、和惟の呻き声とリンクした。
「イクぞ」
 和惟が口の中で大きく突きあげる。
 ぅんっ。
 吐きだそうとして動かした舌が和惟を絡めとって動きを激しくさせた。和惟がくぐもった声を出して完全に抜けだした瞬間、条件反射で引き止めようとした那桜の口が恥ずかしいほどの吸引音を立てる。
 くっ。
 つかんだ和惟の慾はびくびくと手の中で暴れている。生温かい粘液が胸からおなかへと散った。
 すべて吐きだしたあと、和惟は自分から那桜の手を解いた。そのまま後ろに倒されると、さっきまで和惟を咥えていた口の中に舌が滑りこんできた。それはまだ終わりじゃないと告げている。
 うんんっ。
 抗議する声も口の中でかき消え、効力をなさない。片方ずつ、脚をベッドの上に持ちあげられると同時に、キスは脚の間へと下り、襞が口の中に含まれて下半身が震えた。

「あぅっ、和惟、もうやだ!」
「あいつが二倍返しなら、おれは三倍だろ」
 いったん顔を上げた和惟は、嫉妬と勘違いするような対抗心を見せた。膝の裏を押すようにつかまれてお尻が浮く。膝を閉じようとしても和惟の力には到底敵わず、逆にどうしようもないほど開かされた。
 息がかかったと思ったとたん、和惟が吸いつく。手加減なく和惟は那桜の弱点を攻め始めた。
 あくっ……んふっ……ぅああっんっ。
 柔らかく探るだけではなく、時に痛みすれすれでかじられる。腰が動くのは震えからきているのか、それとも自分から揺らしているのか。理性を保つために目を開けているのに、脳裡に映る天井はかすんでいく。
 独特の心地よさがそこから脳に達した。広げられるまでもなくだらしなく足は開ききる。
「和惟……も……だめっ」
 ふわりと意識が浮いたのと同時にお尻も跳ねあがった。首をのけ反らせ、短い悲鳴をあげて那桜はそこに到達した。が、収束する間もなく次が来る。
 はぁっ、あ、あ、あ……。
 三倍だったはずが、まったなしで和惟は舌を使って襞を咥えたまま(めく)るように這いずった。何かが漏れだしそうな感覚に再び襲われる。
「和惟っ、もう……あ、あ……やめ……てっ」
 那桜の拒否は通じることもなく、躰は和惟を受け止める。那桜の口から嗚咽が漏れた。泣いているのか、感じているためかわからない。
 あ、ぅんん――。
「そこまでだ」

 その声がした瞬間に那桜の時間は止まった気がした。
 だれ?
 混乱した頭が疑問を持つ。
 和惟が離れても、しどけなく開いた脚を閉じることにさえ思考が行き着かない。布の擦れる音とベルトを締める音が静まった部屋に響き、続いて和惟の可笑しそうにした声が届く。
「無粋だな」
 こんなときでも平然としている和惟が信じられない。和惟との時間が増えるにつれてどんどんとわからなくなっていく。
「尽くすという結果がこれか? おまえはレールを切断する気か?」
 答えた声もまた冷静極まりない。
「おれなりの愛し方がある」
 からかうような口ぶりに部屋はまた静かになった。身動きはおろか、怖くて息さえできない。
「出ていけ」
 冷たい声が命令を下し、一瞬、那桜は自分が云われたのかと勘違いする。ここを出てどこに行けるんだろう。そう思ったとき、和惟はふっと笑みを漏らすと那桜に向き直った。
 いつも惨めに終わらせるくせにいまは気まぐれなのか、和惟は那桜の開いたままの脚を閉じた。いや、惨めなのはいままで以上だ。
 刹那だけ、和惟の目が那桜の目に留まった。その情が何を意味しているのかはわからない。そして和惟は那桜の視界から消えて、出ていった気配がした。

 さらに空気はピンと張り詰める。止まった時間はどれくらい続いているのか、開けっ放しになっているドアから冷たい風が入ってきて那桜の躰を冷やす。
 いつからそこにいたんだろう。どこから見られていたんだろう。
 足音は立たなくても、ドアが開いたことくらい気づいてもいいはずなのに。
 こんな沈黙よりも怒鳴られたほうがずっとましだ。
 結局は何も云わないまま、拓斗は部屋を出たようで、ドアが閉まった。そのときやっと呪縛が解けたように那桜の躰が自由になる。考えるよりも先に躰が動いて、転がった箱を拾うと、那桜は格好もそのままに部屋を出た。
「拓兄!」
 拓斗は那桜を無視して部屋に消える。
「拓兄!」
 それぞれの部屋に鍵は付いていない。それでも開けてくれるのを待った。
「拓兄!」
 開けて。その要求は口にできないまま、拓斗を呼び続けた。
 ドアが開く気配はなく、それも当然だ。いままでも呆れさせることばかりしてきた。たったいまの出来事は那桜の軽薄さを決定的なものにした。
「那桜、どうかしたの?」
 形振(なりふ)りをかまわない那桜の声に気づいたのだろう、突然、下から詩乃の声がした。
「那桜?」
 答えられないでいるうちに、階段のすぐ下まで詩乃の声が近づいていた。階段を上ってくる足音がする。
 那桜の声帯も躰も思考も、凍りついたようにすくんだそのとき、ふいに目の前のドアが開いて拓斗の手が那桜の腕をつかみ、部屋に引き入れた。
「母さん、家庭教師の件で()めただけだ。もう話はついた」
「大丈夫なの?」
「ああ」
「そう? わかったわ」
 詩乃が階段を引き返していく。開けっ放しにしたドアの向こうで足音がだんだんと遠ざかった。

 拓斗の目が那桜を向く。下着姿を見たときの雰囲気とは違い、ただ見下されたように感じた。拓斗の目が、ニーソックスを身に着けただけの那桜の無様な裸身を這う。冷たささえないその眼差しは(ののし)られるよりも酷く、針の(むしろ)に立たされた気がした。
「拓兄……プレゼント……これ、拓兄にクリスマスのプレゼントなの。落としちゃって……箱はへこんでるけど、中は大丈夫だと思う」
 乾いた口をやっと開いてなんとか云ったのに、那桜は胸もとでプレゼントを握りしめているだけで、拓斗に渡すまでにいかない。
「置いていけ」
 拓斗は大きな机を無情に顎で示した。那桜は震えそうな脚をどうにか動かして机に近寄ると小箱を置いた。いざ手もとから離すと頼みの綱を奪われたように心細くなった。
 振り向くと、入り口に立っている拓斗の目が那桜の胸の上に止まった。裸身もこびり付いた劣情の跡も隠しようがなく、拓斗はどう思い、どう答えを出したのか、
「出ていけと云ってる」
と、素気なく云い捨てた。

 倒れそうな感覚のなか、部屋を出ると背後でドアが閉まる。さっき開けてくれたのは、ほんの少しでもなんらかの情はあるという証拠なのだろうか。

 ふたりの間にある戒斗の部屋を越え、部屋に戻ったとたん、汚れた躰もそのままに那桜は隅っこにあるチェストの下にうずくまる。膝をしっかりと抱えこんだ。
 チェストの冷たさも冷えきった躰には温かく感じる。にもかかわらず、那桜の躰は震えが止まらないでいた。

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