禁断CLOSER#14 第1部 解錠code-Dial Key-

4.挑発 -3-


 和惟の警告を含んだ視線はしばらく離れずに、那桜を突き刺した。(ひる)むより、和惟に対しておそらく自分と同じ思いをさせられたことの小気味よさのほうが勝っている。
 警告されるようなことはやっていないし、第一、自分のほうがそっちのけにしたくせに。
 と、そこまで思って那桜はふと考える。那桜にとってはそっちのけにされたほうがいいはずだ。
 それなのに。わたしって愚か。思考回路は自己中心的で子供じみている。

「あ、そういうことね」
 果歩はどこまでを『そういうこと』と解釈したのか、訳知り顔で独りうなずいた。
 那桜はあえて曖昧に首を傾けながらかわし、翔流もまた肩をそびやかすだけで何も云わなかった。
 果歩はかすかに笑い声を漏らして、それから注意を引くように和惟を覗きこんだ。
「広末くんて学校じゃ大モテなんですけど、衛守さんもそうでした?」
 和惟はそう質問を向けられると、ようやく那桜から執拗(しつよう)な視線を逸らした。
「どうなんだろうな。おれは興味なかったから」
「興味ない? 女の子に?」
「男にも興味ないよ」
 和惟がふざけた口振りで先回りすると、果歩はケタケタと声に出して笑う。
 また愚かな気分が復活しそうになったとき、翔流が躰を寄せてきた。

「おれも、那桜、でいい?」
 耳打ちされると、息がかかってくすぐったい。気が逸れて、那桜は忍び笑いをしながらうなずいた。
「いいよ」
 那桜が不思議に思うくらい、翔流は、よかった、と喜色満面で躰を起こした。
「それくらいなんてことないよ?」
「じゃなくてさ、けっこう勇気がいったってこと。返事がどうかってのは別にして、避けられたらヤバいだろ」
「翔流くんが勇気いるの?」
「どういう意味だよ」
「慣れてそうだし」
「云うよな。(わり)ぃけど、おれ、こういうのに関してはピンと来る奴いなかったし、だからさ、受け身専門なんだよな」
「云うよね」
 同じ言葉を返すと翔流が可笑しそうに小さく吹きだした。
「やっぱ、有……那桜ってさ、思ってたのとちょっと違ってる」
「そう? がっかり?」
「おもしれぇ」
「それはあんまりうれしくない」
 眉間にしわを寄せると、翔流がケーキに載った苺を摘んで那桜の口もとに持ってきた。
「やるよ」
「って、これ、わたしのだよね」
 やり返しながら目の前の苺を食べようとして、ふと目をやった先で和惟の目と合った。とたん、立場は違っているけれど、これと似た場面が甦った。
「那桜」
 和惟の声には批難がこもっている。
 那桜は口を半開きにして、和惟を横目に見つめたまま間抜け極まりない格好で固まった。同じことをした自分のことは棚に上げて、と思っても、さっきより眼差しは脅迫じみている。
 翔流がどう思っているのか、苺はそのまま視界の隅っこに見える。息を呑むのも(はばか)られるくらいに部屋が静まり返った。

「あ、苺を食べるまえに那桜、プレゼント交換! 広末くん、ちゃんと持ってきてくれたよね?」
 まるで小学生並みの惨めな場面を救ってくれたのはやっぱり果歩だ。翔流が果歩を向いたと同時に苺も離れた。
「てか、いのいちばんにチェックしてただろ」
「当然じゃない。割りこもうっていうんだから。衛守さん、ごめんなさい。衛守さんには用意してなくて」
 果歩は申し訳なさそうに和惟に気を配った。おそらくは、和惟の気も逸らそうとしてくれている。
「謝ることはない。おれはまさに割りこんだだから。遠慮なくやって」
 和惟の声音は何事もなかったようだ。
「じゃ、那桜も」
「うん」
 呪縛が解けて那桜は肩の力を抜いた。
 まず那桜と果歩がプレゼントを交換し合った。クリスマスカラーの赤と緑の紙バッグにゴールドのリボンという、ふたりとも同じラッピングだ。
「あ、那桜もここ行ったんだ」
「そ。拓兄に連れてってもらったの。人が多くって頭痛くなっちゃったけど」
「ぷ。那桜は人慣れしてないからね」
「てか、早く開けろよ」
 開けるのにぐずぐずしていると翔流が催促した。
「だって、中身はスケジュール帳だってわかってるし、ラッピング可愛いし、取っておきたいじゃない。ね、果歩」
「そういうとこが男と女の違いだな。加えて那桜は不器用だし。開けてやろうか」
 和惟がからかい、那桜はムッとして顔を上げた。内心の半分以上は、怒るよりもそうされてほっとした。願わくば、五分前の気まずさは忘れてほしい。
「自分でやれる」
 和惟はおどけて出した手を引っこめて、顎をしゃくった。
「なんとなく……」
 果歩は何かピンと来た様子で、先に手帳を取りだしたとたん、やっぱり! と叫んで笑いだした。
「何……」
 云いかけている途中で那桜も笑いだした。自分が欲しいなと思って買った手帳は、果歩もそうだったようで、結局はふたりの手帳はおそろいになった。
「なんだよ、同じじゃんか。交換て意味があんのか?」
「それだけ気が合ってるってことなんじゃないか」
 翔流の呆れた口調に続いて、和惟はおもしろがって云った。

「翔流くんには、これ」
「わたしからも」
「んじゃ、おれからだ」
 翔流に渡したプレゼントは、結局ここでも那桜と果歩は気が合って、携帯ストラップだった。
 翔流からは、可愛いくまのキーホルダーをもらった。ふわふわのぬいぐるみで触り心地がいい。よく見たらドイツ製と書いてあって、その名も知っている。最近になってクラスの子が鞄に提げてくるようになったウサギの、くまバージョンだ。女の子の間で可愛いと評判で、だれもと同様、那桜も欲しいくらいに思っていた。
 小さく歓声をあげながら、那桜は翔流を向いて首を傾けた。
「うれしい。これ、高いよね?」
「わたしのより倍くらいしそう」
「そういうの、どうでもいいだろ。男って倍返しが基本だっていうし。ですよね、衛守さん」
 翔流に同意を求められた和惟は、おもむろに那桜を向いた。その目が妖しげに笑う。
「だな。女はそういうとこを気にするより、男の気持ちを()んで、素直に喜んで受け取るべきだ」
「そうですよね。衛守さんといると、いい女になれそう」
「なんだ、それ」
 翔流は、果歩の発言をおもしろがっている和惟と対照的に、しかめた声で吐いた。那桜といえば、やっぱり果歩の発言を勘繰った。
「え、女の心得、学べそうだなって思って」
「那桜はまったく学んでないけどな。むしろ、おれはへし折られてばかりだ」
 和惟は明らかに云い含んでいる。果歩が那桜を見て、それから和惟に移った。
「もしかして衛守さんて、那桜に片想い?」
 果歩は冗談ぽくしているけれど、その実はどうなんだろう。
 和惟は首をひねり、いかにも、と那桜を意味ありげに見て含み笑った。
「んー、どうなんだ、那桜?」
「そんなことあるわけない」
「だってさ」
 那桜の即答を引き継いで、和惟は果歩に向かって肩をすくめて見せた。
「広末くん、よかったね」
「なんで、おれに振るんだよ」
「いくら大モテの広末くんでも、相手が衛守さんじゃ、勝ち目ないでしょ」
「ひでぇ」
「とにかく、広末くん、ありがと。これ、バッグにつけるね。それじゃ、もったいないくらい可愛いけど」
「とにかくって、素直じゃねぇ」
「あ、じゃ、そこだけ削除して」
 果歩と翔流が話している間、和惟の視線を感じたものの、那桜は気づかないふりをしてふたりの会話に笑った。


 夕方、すっかり日が暮れた頃にクリスマス会はお開きになり、和惟が駅まで果歩たちを送っていった。
 帰りに和惟とふたりになるのが嫌で、片づけを口実に、那桜のほうから果歩たちを送ってきてと頼んだ。それでも無理強いしてくるかと思っていたのに、予想に反して、和惟は那桜自身の同行を求めることなく、あっさりと承知した。
「那桜、ごはんはどう?」
 片づけが終わって手を拭いていると、料理中の詩乃が訊ねた。
「まだいい。ずっと食べっ放しだったし、おなか空いてから食べるよ」
「広末くんて、いいわね。最近の戒斗にちょっと似てて。戒斗よりはガサツそうだけど」
 詩乃がいつもより浮かれていた理由がわかった。戒斗がいなくなってやっぱり張り合いがないんだろう。

 戒斗は電話すれば出てくれるけれど、まったく帰ってくる気配がない。まだ家を出てから半年もたっていなくて、逆にそれで帰ってくるなら、何をしているんだ、と云われかねない。
 帰ってきたのは一度だけ。趣味だったギターを取りにやって来た。家を懐かしむどころか、未練の欠片さえ感じ取れない。戒斗は有吏家から独立したことで自分という位置にしっかりと足が地についたのか、より一層タフになって見えた。

「うん。翔流くんがいれば賑やかかも」
「好きなの?」
 詩乃は率直に訊いてきた。が、その訊き方は母親としてというよりは、なぜか不憫(ふびん)そうな口調だ。
「そんなんじゃない。好きとか、よくわかんないよ」
「……そうね」
 どこかへんな相づちに感じた。結婚して子供までいるのに、まるで、“好き” というのを知らないような云い方だ。若くして結婚をして、隼斗に対して好きという気持ちは見えないし、そういう感情を経験しないままなんだろうか。
 那桜にしろ、『よく』どころかまったくわからない。果歩を好きだと思うのと翔流を好きだと思うのは、あまり変わらない気がする。そういう好きはわかるけれど、詩乃が云った意味での好きは見当もつかない。
「拓兄は今日、遅いの?」
「さあ、どうかしら。那桜、家庭教師のこと。大学は休みに入っても仕事があるんだから、あまり拓斗に負担をかけないでちょうだい」
「わかってる!」
 詩乃が思いだしたように釘を刺した。詩乃の小言はもっともなことが多く、那桜には反論できない。これ以上、云われないように那桜はそそくさと部屋に戻った。

 成績のことでは隼斗から叱られることはなかった。いや、隼斗からは(とが)めるような視線を受けることはあっても、露骨に叱られたことはない。
 拓斗の家庭教師についても却下はなく、ただ、有言実行だ、とだけ云われた。自分から宣言した手前、かなりのプレッシャーだ。
 拓斗は抗議をしないかわりに、日程を云うでもない。ということは、那桜が空いているときを見計らうしかない。隼斗の許可が下りたとなれば、最初が肝心というし、すぐ始めないとずるずると延びてしまって、とどのつまり、実行に至らなかった、ということになりかねない。
 幸いにして、今日はクリスマス。
 買ったプレゼントを口実に押しかけちゃおう。
 そう思いながら机の引き出しを開けて、ゴールドのリボンでラッピングした赤い小箱を手に取った。と、そのとき矢庭に部屋のドアが開いた。
 びっくりして見守っているうちに、部屋のドアは内側から閉じられる。

「和惟……?」
 あのまま帰ってくれると思っていたのに。
 那桜の思考を見抜いて和惟が(わら)う。
「果歩ちゃんも那桜に似て無謀だな。おれを相手にすることがどういうことかわかってない、と思うだろう?」
「……何?」
「それはなんだ」
 和惟ははっきりさせないまま、わずかに目を落として那桜の胸もとを見た。那桜も釣られて見下ろすと、無意識に拓斗へのプレゼントをしっかりと握りしめていたようで、少し箱がへこんでいる。
「拓兄にクリスマスプレゼントをあげるの。……勉強教えてもらうことになったから」
 プレゼントに理由なんてないのに、那桜は口実を付けなければならないような雰囲気を感じ取って、その場凌ぎの理由を付け加えた。和惟が目を細めて近寄ってくる。那桜の足は飛びのくよりも立ちすくんだ。
「拓斗からうまく手懐(てなず)けられてるようだな。いや……那桜が惑わしてるのか。遊ぶには相手を選ぶべきだってまだ学んでないらしい。果歩ちゃんはおれから学ぶつもりみたいだけどな」
 和惟は(ほの)めかし、その目が、どうする? と那桜に(いど)んでいる。
「なんのこと?」
 和惟は鼻で笑い、それからジーパンのポケットから紙を取りだすと、それを見ながら数字を読みあげた。果歩の携帯番号だ。メモ紙はいかにも女の子っぽいもので、果歩が和惟に渡したことは疑いようがない。
「……どうする気?」
「どうしてほしい?」
「果歩はダメ」
「おれにかまわれなくなるし、那桜は助かるだろう?」
「果歩はダメなの!」

 那桜は手を伸ばして和惟からメモ紙を取ろうとした。が、和惟は手を逸らして那桜の手を簡単にすかした。それどころか那桜が胸もとで握りしめた小箱を取りあげて、部屋の隅に放り投げた。小箱は(つぶ)れたような音を立ててチェストに当たり、跳ね返って床に転がった。
「那桜はやっぱりわがままだな。いざ離れようとすれば引き止める」
「違う」
 ただ子供じみた感情のせいだ。例えば、見向きもしないオモチャなのに、いざ誰かが遊ぼうとすると、わたしのだからダメ! とよくある幼い子供の感情パターン。
「おれが果歩ちゃんと仲良くしてればやきもち焼いて拗ねるし、広末翔流とイチャついておれに当てつける。何が違うんだ?」
 和惟は不気味に口を歪めて逸楽(いつらく)(あら)わにした。すべて和惟の計算ずくで、果歩と楽しそうにしていたのは、那桜に対する仕掛けに違いなかった。すくんだ足がやっとのことで動いて、那桜は後ずさった。同時に和惟の手からメモ紙が滑り落ち、両手が那桜の首もとを支えるように挟んだ。
「和惟、ごめんなさい! わたし、すごく子供っぽくて。だから直そうと思ってる!」
 那桜はいま、和惟のことを本気で怖いと思った。けれど、謝罪しても反省しても、自分で自分の声が安っぽく聞こえる。それは、那桜自身が自分に招いた値打ちだ。
「那桜。子供だって? セックスが好きなくせに? 底なしで気持ちよくなれる那桜が? おれを(くわ)えるくせに? 今更なんて云い訳してるんだ? おれは強要した覚えもなければ、子供だとも思ってない。那桜、云っただろう。おれたちは一心同体だ。拗ねる必要もなければ当てつける必要もないんだよ。愛してるんだから」
「和た ―― っ」
 制するどころか説得する隙さえも与えられず、和惟のくちびるが荒々しく那桜の息を止めた。

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