禁断CLOSER#13 第1部 解錠code-Dial Key-

4.挑発 -2-


 クリスチャンとは縁のない有吏家のクリスマスイブはケーキもなく、賑やかなのはテレビの中だけで、いつもと変わりなく終わった。
 隼斗や兄たちはともかく、詩乃までもがこういったイベントに興味なさそうで、いま那桜の部屋に飾っているクリスマスツリーは、果歩とクリスマス会をやるようになってからはじめて買ったのだ。
 詩乃は興味ないというよりも、すべてについて受動的な気がする。那桜が束縛に逆らいきれないのは母親似といえるかもしれない。

「広末くん、もういいんじゃない?」
 お昼時で人が多いコンビニの中、果歩が翔流を止めた。それにかまわず、翔流は手に取った二つ目のポテトチップスをカゴの中に入れた。
 クリスマスケーキとフライドチキンほか諸々と予約をしていて、このあと買いにいくというのに、翔流が持っているカゴはお菓子とジュースで満タンになっている。
「わたしもそんなに食べないよ。お母さん、サンドイッチも作ってくれてるし」
「思春期男子の食欲は底がないんだ」
 翔流が軽くあしらうと、那桜と果歩は顔を見合わせて肩をすくめた。レジに行けば、さらに肉まんを注文して完全に那桜たちを呆れさせた。
 そのあとに行ったケーキ店とファストフード店は、イヴと比べればおそらく人も少なくて、スムーズに予約分を受け取れた。それですべて食料品はそろい、三人は荷物を手分けして持ち、那桜の家へと向かった。
「おまえんちまでどれくらいだ?」
「十五分くらいかな」
「今日は付き添いないんだな」
「ちゃんと拓兄に送ってもらったんだよ。すぐ家に戻るってわかってるし、果歩が先に来て待ってくれてたから」
「そ。わたしはいちおう、那桜んちには信用されてるんだよ。だから逆に無茶なことはやれないんだけど」
 果歩の云うとおり、気持ちとしては那桜よりも果歩のほうが束縛に忠実な気がしないでもない。那桜が無茶しようとすると、果歩は疑ってかかる。嘘を吐いてケーキを食べにいった日もそうだった。
「んじゃ、おれも信用されるように頑張らねぇとな」
 どういう意味なのかと那桜が隣を見上げると、翔流は鼻で笑う。反対隣にいる果歩が身を乗りだして翔流を覗きこんだ。
「まずはそこよねぇ」
「そこだよな」
 那桜をそっちのけで果歩と翔流は納得し合った。
「ふたりで何――」
 ふたりの会話に割りこもうかとしたそのとき、車がすっと翔流の横について止まり、那桜は質問を途切れさせた。那桜たちがそろって足を止めると、助手席の窓が下りる。
 顔を見るまでもなく、黒塗りの車だと気づいた時点でそれが和惟であることは見当がついていた。

「那桜、乗っていけばいい」
 和惟は顎をしゃくって促した。
「すぐそこだし、友だちも一緒だから――」
「もちろん、友だちも一緒にって云ってるんだけどな。那桜が思っているほど、おれは自分本位じゃない。果歩ちゃん、久しぶり」
 和惟は首を傾けると、那桜を通り越して果歩に向かった。このまえは挨拶もしなかったくせに、自分本位じゃないことを主張するかのように愛想がいい。
「衛守さん、こんにちは! 覚えててくれたんですね!」
「中学生でも、とびきりきれいな子は忘れるはずないよ。乗ってくだろう?」
「衛守さんがよければ」
 きれいと云われたのがうれしいのか、乗ってと誘われたのがうれしいのか、果歩は心底からの笑顔になってうなずいた。
「カレも乗って。おれは那桜の従兄で衛守和惟だ」
 和惟は車の中から助手席の窓に向かって手を差しだした。那桜の位置からは、和惟を向いた翔流の顔は見えないけれど、ふたりが握手したことはわかった。
「広末翔流です」
 挨拶を交わしたあと、翔流は那桜を向いた。どうする? と目で問いかけられて、那桜は曖昧に首をすくめた。
 重い物から翔流が持ってくれて、そう苦になっているわけでもないけれど、三人ともそれぞれに両手はふさがった状態だ。強固に断るのもおかしく、ふたりがいれば和惟がどうこうするわけもない。
「乗っていこ。荷物も多いから」
「わぁ、ラッキー」
 那桜がゴーサインを出すと、果歩はいつになくはしゃいだ。後部座席のドアを開けて、お邪魔します、と早速乗りこみ、翔流は道路側に回って和惟の後ろに納まった。
 大きい車でもVIP用の高級車とあって後ろは二人定員だ。那桜は小さくため息をついて、必然的に助手席に座った。

 シートベルトを引っ張るとすぐに和惟の手が追ってきて、那桜から取りあげた。
「ケーキ、落ちないように持ってたほうがいい」
 いつものことながら和惟は気を回すと、那桜のシートベルトを固定した。が、それだけには終わらず、和惟の右手がさり気なく滑ってきて、那桜のニ―ソックスと素脚の境目に触れた。ショートパンツのせいで太腿は丸出しになっている。そのまま上ってきそうになった手を、さっと片手でつかんだ。
 どこまで本気なのか、ただからかっているだけなのか、和惟の表情からは皆目わからない。びっくり眼の那桜を見て、和惟は可笑しそうにした。
 それから手はそのままにして、和惟は後ろを向く。
「美味しそうな匂いがするな」
「はい! できたてだし……あ、衛守さんも一緒にどうなのかな、クリスマス会。ね、那桜」
「果歩、だめだよ、和惟は仕事があるんだから――」
「ちょうど終わったところだ。じゃなきゃ、チキン持ってるってわかってるのに乗せるわけない。匂いがこもって客からクレームが来る」
 和惟はもっともな説明で、那桜の遠回しな拒絶をさえぎり、その目は(はか)るように光ってみえた。
「けど、邪魔しちゃ悪い。那桜が怒るし」
「え、那桜が怒る? 別に邪魔じゃないですよ。広末くんだって飛び入り参加だし。というより、わたしのほうが(あぶ)れちゃいそうだもんね。だから衛守さんがいてくれたほうがいいかも」
「溢れるって?」
 不思議に思ったのは同じようで、那桜より先に和惟が訊ねた。那桜が振り向くと同時に、果歩は思わせぶりに翔流を流し目で見た。それを追った那桜と和惟の視線を受け、翔流は顔をしかめて果歩を見やった。
「なんだよ。溢らせるつもりなんかねぇよ」
「なるほど」
 那桜が怪訝に眉をひそめる横で、和惟は独り合点したようだ。
「そうなんですよ。だから那桜、いいよね?」
 果歩から許可を求められても、那桜は何が『だから』なのかよくわからない。
「広末くんに訊いて」
 投げやりにつぶやいて、那桜は前に向き直った。翔流に結論を振ること自体、同意したようなものだ。
「おれはかまいませんよ」
 案の定、翔流は断らなかった。
「じゃ、よろしく」
「今年は賑やかになりそう。ね、那桜」
 那桜の気は知らず、果歩は浮かれている。うん、と返事した那桜の声はその意味とは程遠い口調だ。
()ねるなよ」
 和惟はそう囁きながらすっと太腿の内側を脚の付け根に向けて撫でた。ケーキを持っているせいで避けることも叶わず、ぞくりとする感覚に身をすくめて、出そうになった悲鳴を堪えた。
 和惟の右手はすぐに離れてハンドルに移り、左手がドライヴにシフトチェンジすると、その目がちらりと那桜を見てほくそ笑むように揺れた。その眼差しに、和惟の思うままの状況に陥ったのだと気づかされた。


 車の中では話題に手間取ることもなく、すぐに家に着いて、和惟は着替えるためにいったん衛守家へ帰った。
 那桜を先頭に玄関アプローチを歩いている途中、両脇にある庭園を見て、すげぇな、と翔流が漏らす。
 たしかに、季節ごとに庭師がやってくるから手入れは行き届いていて、冬でもたくさんの花が咲いている。那桜にとっては“すごい”というより、ただ大げさで無駄に広いだけだ。
 家に入ると、まずはリビングに果歩と翔流を連れていった。詩乃がキッチンから出てくる。
「おばさん、こんにちは」
「果歩ちゃん、いらっしゃい。こちらが広末くんね」
「ども。お世話になります」
「いらっしゃい。お世話はそうすることないと思うわ。気兼ねなくどうぞ」
 詩乃は穏やかに微笑んで歓迎を示した。

「お母さん、和惟が来るって」
「和惟くんが?」
 詩乃の顔はやっぱりかげった。
 なんだろう? いつもそうだ。和惟の名が出るたびに、あるいは、顔を合わせるたびに、最初の一瞬に見せる不可解な表情。笑うにしろ叱るにしろ、一定のポーカーフェイスを崩さない詩乃が、唯一、表情を無防備にする瞬間だ。
「うん。いま送ってもらって、それでクリスマス会に誘ったの。サンドイッチは和惟に持たせてくれる?」
「わかったわ。食べる物、足りるかしら」
「大丈夫です。お菓子とか、こんだけあるし」
 翔流がたんまりとふくらんだ買い物袋を掲げて見せると、詩乃は可笑しそうにした。
「あら、やっぱりそういう食欲あるのが男の子よね。うちの息子たちはそういうとこ全然見せてくれなかったんだけど。ゆっくりしてってね」
 詩乃はめずらしく軽やかな様子だ。普通じゃないことがあたりまえのようになっているけれど、本音では詩乃も兄たちと普通に接したいと思っているのかもしれない。

 部屋に案内すると、翔流はものめずらしそうに部屋を見渡した。
「広末くん、あんまりじろじろ見ないでよね」
「なんか、有吏のイメージどおり“お嬢さま”って感じの部屋だなって思ってさ」
「フリフリはないよ。それに天蓋(てんがい)つきのベッドもないんだけど」
「そんなの、想像してねぇよ。たださ、机とかタンスとか、白で統一してる奴はめったにいない。タンスにああいう脚付きって普通ないだろ」
 翔流は、猫脚の形をした脚を指差した。エナメル塗装をしたチェストを支えている真鍮(しんちゅう)の脚は裾が広がるような曲線で、アンティークさと可愛さが兼ね備わっている。二階の改装を機会に家具も買いつけたわけだが、そのときに那桜が一目惚れしたのだ。
「これはお気に入り。猫の脚が可愛いし、白の艶々(つやつや)もきれいだし。机とベッドは、このチェストに合わせたんだよ」
「それはともかく、広末くんの発言も意味深だよね」
 果歩は炭酸入りのグレープジュースをコップに注ぎ渡しながら、翔流に興じた笑みを向けた。
「何が」
「“めったにいない”ってね。それだけ女の子の部屋を知ってるってことじゃない? 広末くんて男兄弟の真ん中だって聞いてるけど」
「別に深い意味はねぇよ。言葉の綾ってやつ」
「来るもの拒まずっていう噂とは違うの?」
 今度は果歩が云っていることを察して、那桜は茶々を入れた。
「その噂は違うけど、いまの噂は事実にしたいって思ってる」
「わぁ。わたしの目の前でやめてよね。やっぱり邪魔者じゃない」
 翔流の真剣な口調に対して、果歩はまるっきりおもしろがった声音だ。那桜は眉間にしわを寄せて『いまの噂』を考えていると、ドアがノックされて、結論に至るまえに思考を中断された。

 返事するまでもなくドアが開くと、和惟が入ってくる。赤茶色のセーターにジーンズというラフな出で立ちで、スーツを見慣れているぶん新鮮で、おまけに何か買い物袋を提げ、サンドイッチを盛った大皿を手にしているから気取った印象がまったく抜けている。
「あ、衛守さん、どうぞ」
 那桜より先に、浮き浮きした顔の果歩が空いた席を示した。和惟は“留める”笑みを見せながらサンドイッチをテーブルに置いて、翔流の正面に座った。ふたりとクロスして那桜と果歩が向かい合わせだ。
「那桜、母さんからゼリーだってさ」
 渡された買い物袋を覗くと、和惟の母親、咲子が作ったフルーツたっぷりのゼリーが入っている。那桜の好物で、咲子はたまに那桜のためにと作って持ってきてくれる。
 那桜は、ありがと、と云いつつ和惟を疑うように見た。
 たまたま“今日”作ったのだろうか。それとも、やっぱり、で……。
 那桜が勘繰っていると、和惟は見逃すことなくそれを察したようで口を歪めた。その表情を見て思わず怯んでしまった。
 そんな那桜を差し置いて、果歩が買ってきたチキンを広げ始める。

「もう十二時だよ。開けて食べちゃおうよ。せっかく温かいの買ってきたんだから。おなかすいちゃった」
「うん。和惟もジュースでいい?」
「ああ。ただし、ケーキは遠慮する」
 箱からケーキを出していると、和惟が指差した。
「衛守さん、やっぱり甘いの食べないんですね。広末くんと違って」
「飯田、何が云いたいんだ」
「果歩ちゃん、やっぱりって?」
 果歩があの日の会話を蒸し返して、那桜は人知れず顔をしかめる。和惟も脱走を思いだすに違いなく、せめて触発されないようにと願った。
「男の人って一般的に甘いのが苦手な感じがするって、このまえシュークルカンディに行ったときに話してたんです。でも広末くんは好きらしくて。わたしは甘いの苦手って男の人のほうが好きかも、ってことです」
 翔流が不服そうに舌打ちする。
 那桜はそんな翔流をからかえないほど驚いて果歩を見た。
 いまの果歩の云い方は、和惟に知ってほしいという挑発に聞こえた。
 まえに云ったことは勘違いじゃなくて本気?
 那桜の無言の問いに、果歩は首を少しかしげながらフフッと笑って応じた。柔らかい“ふふっ”ではなく挑戦的で、肯定したのも同じことだ。
「そういうとこで男を判断するって、まだ子供だって認めてるようなもんだよ」
「え、そうなんですか」
「些細なことに理想を求めてる」

 和惟は気づいているのか、からかった口ぶりからは判断がつかない。一方で、果歩は本当にうれしそうにしている。話せるだけで幸せという雰囲気だ。
 果歩から和惟に視線を移すと、同時にその目が那桜を向いてまともに見つめ合った。蛇みたいな眼差しが那桜を探る。
 見透かされるような気がして那桜はすぐに目を逸らした。そうしてしまってから思った。見透かされたくないものってなんだろう。
「那桜、ゼリーから先に切ろうか」
 和惟は下からすくうようにして、那桜が手にしたケーキナイフを取りあげる。和惟の指先がわざと手のひらをくすぐってまた那桜をぞくりとさせた。その感覚を消すのに手を握りしめながら和惟を見ると、明らかにおもしろがっている。
 幸い、果歩と翔流はそれぞれにチキンセットとお菓子を開けていて気づいていない。

「うわぁ、きれい」
「すげぇ。うまそうだな」
 和惟が切り分けたゼリーをタッパーからお皿に取ると、その色が三層になっているのを見て、果歩と翔流はそろって感嘆の声をあげた。
 クリスマスケーキをはじめ、テーブルに食べ物がめいいっぱい広がる。乾杯からクリスマス会を始めた。
 和惟は高校生相手というのに居心地悪そうでもなく、やっぱり話術に()けている。シュークルカンディでも古びた公園でも、那桜をかばって怪訝そうにしていた翔流なのに、いまはうまく引きこまれて、和気あいあいとしている。
 けれどそれは最初のほうだけで、時間がたつにつれ、四人だった会話はだんだんと二つに分かれていった。
 果歩が云ったとおり、いつもより賑やかでも、那桜はだんだんと憂うつになってきた。正確には、賑やかに楽しんでいるのは果歩と和惟だと思えた。
 拗ねた気分になって、那桜の中になんらかの衝動が生まれた。けれど、ここで馬鹿な真似はできない。自分の衝動が酷い結果を招くことは――少なくとも和惟に関しては身に沁みている。
 那桜は衝動を堪えようとくちびるをかんだ。

「有吏、あいつのことが好きなのか?」
 翔流が身を寄せて囁いた。突然の質問もさることながら、那桜はその内容にびっくり眼になった。
「え?」
 翔流は無言で和惟をちらりと目をやった。
「違うよ」
「おれはそうだ」
「……何?」
 意味不明の断定に訊ね返すと、翔流の人差し指が那桜を差した。那桜の頭の中が素早く回転し始める。いまの会話の流れと海馬(かいば)にある記憶が接続して、やがて答えが出た。
「わたしは……」
「どさくさ、だよな。けど、本気。有吏が苺を食べたくて脱走したくらいに」
 翔流は苺事件を持ちだしてニタリとおどけ、那桜は笑いだした。
 ふたりだけの会話に夢中だった和惟と果歩の視線が那桜に向く。
「那桜、どうしたの?」
「んー、ちょっと内緒の話。ね、翔流くん」
 はじめて名前で呼んでみた。
「まあな」
 そう含んで、翔流もまた笑いだす。
 和惟が目を細め、何か云いたそうにしている。
 ちょっとだけ那桜の気分がすっとした。

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