禁断CLOSER#10 第1部 解錠code-Dial Key-

3.触接 -2-


 クリスマスを控えた街はイルミネーションやオーナメントが目立ち、点灯していなくても賑やかな雰囲気だ。人通りが多いぶんだけすれ違う笑顔も多くて、那桜はめったに味わえない浮き浮きした気分になる。
 まえもって果歩から聞いていたところまで連れてきた拓斗は、あとは好きにしろ、と那桜に先を譲った。
 果歩お勧めの場所は普通の箱っぽい建物と違って、キューブを組み合わせたような出っ張りがあり、いかにもデザインされたというモダンな外観のショッピングスペースだ。中に入れば吹き抜けの場所があって、クリスマスツリーが見るまでもなく目に入った。首をのけ反らせないと視界が天辺まで到達しないくらい、背が高く巨大だ。
 その前のスペースでは水のショーが繰り広げられている。床に空いたいくつもの穴から水が噴きあがり、音楽に合わせて自在に曲線や直線を描く。水が床に落ちた音も計算されているようで、まるで拍手みたいだ。
 出かけること自体があまりない那桜にとって、普通の町並みも未知の世界みたいなものなのに、ここは特別異次元に来た感じだ。

「那桜」
 呼ぶだけじゃない、何か含んでいそうな声だと那桜が思ったとたん、左肩がちょっとした衝撃を受けるのと右腕がつかまれる、というのが同時に起こった。ゆっくり歩きながらショーに見惚れていた那桜は、すれ違いざまカップルにぶつかったようだ。
「あっ、すみません」
 ぶつかった女性に慌てて謝ると、彼女はうなずいて応えながら那桜の背後に視線を移した。その目が驚いたように見開く。
 拓斗が人の――特に女性の目を惹くのはいつものことだけれど、目の前の彼女の反応は通りすがりにしては大げさすぎた。なんだろう、と思っていると彼女が口を開く。
「拓斗?」

 その呼びかけに驚いたのは那桜のほうで、後ろを振り向いて見上げると、当の拓斗の顔にはなんの反応も浮かんでいない。拓斗の視線が(おもむろ)に彼女へ動き、那桜がそれを追うと、驚いた表情から取って代わった華やいだ表情に合った。
 女性は程よく上背があり、従姉妹の深智と同じで、うらやましいほど可愛さときれいさの両方を備えている。長いストレートという平凡な髪型が上品さを強調していて、“大人の女性” と印象づける。

「わたしのこと、覚えてるわよね?」
 彼女は拓斗の無表情に合ってもめげることなく、それどころか可笑しそうに訊ねた。
 那桜がまた拓斗を見上げると、どういう意味なのかかすかに首を動かした。
有沙(ありさ)、知り合い?」
『有沙』と呼ばれた女性の、おそらくは“カレ”が口を挟んだ。
「そう。高校のときの後輩」
 答えた有沙はいったん那桜を見て、それからまた拓斗に向いた。
「まさか、カノジョ?」
「妹だ」
「あ、そうなんだ。拓斗とあんまり似てないのね」

 那桜は有沙の答えにため息をつきそうになった。
『まさか』というのがどういう意味にしろ、『似てない』というのは、つまり“きれいじゃない”と云われているのと同じだ。
 兄ふたりは両親のいいとこ取りで顔立ちは申し分なくきれいなのに、那桜に限って“至って普通”なのだ。コンプレックスは常にあって不公平だと思っている。“似ていない”というのはいちばん嫌いな言葉かもしれない。

「わたし、香堂(こうどう)有沙。よろしくね」
 余程の偶然がないかぎり、那桜と有沙が会うことなんてないだろうに、何が『よろしく』なんだろう。那桜は漠然と拒絶反応を覚えた。
「わたし、那桜。よろしくね」
 有沙のときどき裏返るような艶っぽい声には到底かなわないけれど、那桜は彼女を真似て云ってみた。奇妙な表情になった有沙とカレをそっちのけにして、拓斗を振り仰ぐ。
「拓斗」
 那桜は心持ち声を大きくして呼び捨てにしながら、拓斗の腕を取って引っ張った。那桜程度の力なら抵抗は易々(やすやす)とできるだろうに、拓斗は止めるでもなく那桜に添う。この場面を面倒だと思っていたか、もしくはただ単純に離れる機会を狙っていたのか。
「那桜」
 何か云いたそうな声音だ。
「何?」
 軽く腕を組んだまま覗きこんでみたけれど、那桜を見下ろす拓斗の顔を見たところでいつものごとくよくわからない。それ以上に喋りそうにもない。無礼だったのを咎めているのだろうか。だとしても、一目見ただけで下と判断した相手には挨拶もしないような拓斗のほうがよっぽど無礼だ。

 那桜はそっとではなく露骨に後ろを振り返った。思ったとおり、有沙はまだ那桜たちを、というよりは拓斗を追っている。どこか滑稽(こっけい)な可笑しさが込みあげてくる。那桜が笑いながら拓斗を見上げると、顔をしかめたように見えた。
 那桜はそれで思いだした。雰囲気が揺るぐだけでなく、負の表情であってもそれが“表情”であり、拓斗の“無”はわずかでも崩れている。はじめてそうしたのは、ケーキを食べに連れていってくれたあの日だ。
 あまりにお粗末な自分の振る舞いは思いだしたくなくて、那桜はその記憶からそっぽを向いていたけれど、あの時すでに拓斗は咎めたり、睨むようにしたり、声にも顔にもなんらかの情をよぎらせていた。
 那桜が知らないうちに、予想以上に解錠は進んでいるのかもしれない。うれしくなって独り声を出して笑うと、拓斗はかすかに首を動かした。拓斗からすれば那桜の反応は意味不明だろう。
 那桜がもう一度振り返ると、カレがいるにもかかわらず、まだ有沙の視線はこっちにある。
『似てない』を逆手にとって、歩きながら拓斗の腕に抱きつく。果たして、有沙は那桜を『妹だ』と信じただろうか。そう思って、那桜はくすくすと笑いだした。

「那桜 ――」
「さっきの人、香堂有沙さんてだれ?」
 拓斗が云おうとしていることは明らかで、その放せという命令が下るまえに那桜は矛先を別に向けた。
「聞いたはずだ」
「もっと知りたい」
「知ってどうする」
「だって。拓兄って友だちといるところを見たことないし、女の人って想像つかないから……あ、そっか。有沙さんとはわたしに云えないような関係だったんだ!」
 那桜は思いつくまま口にした。返事はない。拓斗だから不自然なことではないけれど、いまは無感情とは別のところに意味があるような気がした。
 那桜は拓斗の腕を離すと正面に回りこんで立ち止まった。必然的に行く手をふさがれた拓斗も足を止めた。通路の真ん中で障害物になったふたりを人が迷惑そうに()けていく。
「知らなかった。拓兄も女の人と付き合うんだ」
 驚くのとは違う、なんだろう、裏切られたみたいなモヤモヤ感が湧いてくる。それを隠すのに那桜はおもしろがったふりをして笑った。
「高等部の入学式でおれは新入生代表で、三年だった彼女は生徒会執行部にいた」
 とことん黙っていればいいのに、殊更(ことさら)な淡々とした拓斗の説明は云い訳じみて聞こえた。第一、それだけのことで拓斗が有沙を六年間も気に留めておくわけがない。
 頑張っている笑顔が引きつりそうになって、見られないように那桜はまた拓斗の腕にしがみついた。
「那桜、放れ――」
「みんなこうしてるよ。さっきの有沙さんもね」
「立場が違う」
 わざと有沙の名を持ちだしたけれど特段の反応はなく、拓斗はあっさりと那桜の理由を退けた。
 何かあったのは那桜の勘からして絶対だ。が、とりあえずいまは、もしくは、もう、有沙は蚊帳(かや)の外らしい。

「ずるい。拓兄は女の人と付き合えるのに、わたしはそうさせてくれないって絶対ずるい。わたしだって……」
 那桜は云っているうちにモヤモヤの要因に気づいた。
 ずっと家に縛られて、戒斗は自らでそこから解放されたけれど、拓斗はあるがままを受け入れていて自分と同じだと思っていた。それなのに那桜より遥かに自由で、拓斗は那桜の知らない別の世界を持っているのだ。
 何より、拓斗と女性、という世界が想像できない。
 いまわかったのは、和惟が従兄という以前に“男”であるように、拓斗もまた兄であるまえに“男”にほかならない、ということ。
 拓斗は“彼女”とセックスするときどんな顔してるんだろう。しがみついている腕は太くはないけれどがっしりと硬い。この腕で“彼女”を抱きしめることがあるんだろうか。

「広末翔流か」
「え?」
 とうとつに翔流の名が出て、那桜は歩きながら目を見開いて拓斗を見つめた。
「付き合いたいというのは広末翔流のことか」
 主張したいのはそういうことじゃないと云おうとして那桜は考え直した。
「そうだって云ったら付き合わせてくれる?」
「だれの許可も下りない」
 絶対の“NO”が下る。
 クリスマス会に翔流が参加することは拓斗にも知れている。口出しはしないけれど、いまの質問で何かを考慮していることはわかる。
 月曜日に、参加すると云い張った翔流を脅してはみたものの、二十五日は昼間にやるから隼斗も拓斗も訳のわからない仕事で不在に違いない。いるとしても那桜の部屋でやるし、目につくこともなく安泰に終わるだろう。
 ここは誤解を与えておいてもなんら問題はないはず。というより、拓斗の自由を許せない気持ちが占めている。
「じゃあ教えない」
 那桜はツンとして視線を正面に戻した。拓斗がどう捉えたのか、視線を逸らす寸前、その目を細めたのを見て取った。
 那桜は拓斗がどう考えていようとかまわないことにして、両脇にある店をあちこち眺めながら進んだ。やがて目的の店を見つけた。
「拓兄、ここ」
 探していた雑貨屋は、クリスマスまえとあってプレゼントを求めて人がごった返している。
「おれはここで――」
「はぐれちゃうかも。あ、でもこのまえみたいに拓兄ならすぐ見つけられるんだよね」
 案の定、入りたがらない拓斗に那桜は脱走を(ほの)めかした。さっきのいまだ。絶対に通じるはず。
「早くしてくれ」
 やっぱり乗ってくれた。拓斗の操縦方法がわかってきて、那桜の気分もちょっとすっきりする。
「無理」
 那桜はそう答えて笑い、拓斗は首をひねった。

 店内に入ると、まずは果歩への恒例のプレゼントであるスケジュール帳を探した。
 店内は窮屈(きゅうくつ)で、那桜が選んでいる間、斜め後ろにいる拓斗の躰が背中の半分を守っている。その反対側の隣では、たぶん女子高生だろうけれど、友だちとはしゃいでいてちょっとうるさい。
 半分はその子たちをうらやましいと思いながら、陳列(ちんれつ)棚を物色(ぶっしょく)しているとラメ入りのキラキラした手帳を見つけた。手を伸ばしかけたところで、すぐ横にいた子が突然の奇声とともにオーバーなリアクションで那桜の躰に体当たりしてきた。
 支えになるはずの拓斗の躰は半端な位置にあり、かえって那桜のバランスを崩す。あっと小さく悲鳴をあげた瞬間、よろけた躰を拓斗がすくう。那桜は本能的に拓斗の背中に手を回した。拓斗もまた本能なのか、那桜を支える腕がちょっときつくなる。
 あ、抱きしめられた。
 想像が思いがけなく自分に実現して、那桜は小さく笑みを零した。那桜の頬はちょうど拓斗の胸の真ん中にあって、セーター越しで鼓動とその胸の厚さがわかる。拓斗が身動きして、胸が隆起したのと同時に腕をつかまれて引き剥がされた。
「ありがと」
「早くしろ」
 笑っている那桜に対して拓斗はやっぱり素っ気ない。
「うん」
 (はた)迷惑な行為もたまにはいい感じだ。体当たりした子を見ると拓斗に見惚れているようで、那桜の視線に気づいて慌てて拓斗から視線を剥がした。
「ご、ごめんね」
「いいの」
 そう答えてから、那桜が『ありがと』を小さくつぶやいて付け加えると、その子から変人を見るような目で見られた。

「拓兄、男の子のほしいものって何?」
 スケジュール帳を選んだあと、狭苦しい雑貨店の中を移動しながら訊ねてみた。
 無言だ。那桜は商品を見るのにかがめていた躰を起こして拓斗を振り仰いだ。首をかしげて促しても答える気はなさそうで、どだい、普通じゃない拓斗に訊くほうに無理がある。
 ため息をついたと同時に、くっついた躰ごしで携帯電話の振動が伝わってきた。拓斗のだ。
 拓斗はコートのポケットから取りだした携帯電話を見て相手を確認すると、那桜を見やった。云いたいことはわかる。
「もう独りでいい。すぐ選んで出てくるから」
 那桜が答えるなり、拓斗は器用に人の間をすり抜けて出ていった。その背中を見送りながらプレゼントを思いつく。
 那桜はしばらく迷ってから、翔流に似合いそうなのを選びだして混雑したレジに向かった。レジの順番を待っているのに時間が取られれば、いざそこから出るのにも往生した。
 いまは翔流が指摘した逆のパターンで、出ようとしても押しこまれて出られない。拓斗の忍者もどきの脱出方法を訊いておけばよかった。習ったとしても那桜に使えるとは思わないけれど。
「ごめんなさい。通して――」
「那桜」
 その声に顔を上げると、レジ前に並ぶ人だかりのなか、ふたりを隔てた列の向こうまで拓斗が来ていた。隙を縫っておりてきた拓斗の手をつかむと同時に道が開いて、那桜は手を引っ張られてやっと抜けだした。

「疲れた」
 強引に人を押しのけているのか、あるいは自然と道が開くのか、拓斗のあとをついて店を出ると、那桜は辟易(へきえき)してつぶやいた。
「連れていけって云ったのはだれだ。もういいんだろ。帰るぞ」
 拓斗は那桜の手を離すと来た方向に向かってさっさと歩きだす。
 もうちょっとくらい。
 そう思いながら那桜は小走りで追いかけると、また拓斗の腕に手を添えた。今度はちらりと見下ろしただけで拓斗は放せとも云わず、振りほどく素振りもない。
(のど)渇いて死にそう」
「家くらいまで持つ」
「デートって買い物で終わりじゃないんだよ」
「“買い物”のはずだ。おれは立場じゃない。兄妹でやってどうする」
「わたしだってデートしてみたい。だれの許可も下りないんなら、拓兄が相手するべきだと思わない? 男、なんだし。悪いけど、わたしも果歩と一緒で至ってノーマル。女の子同士じゃデートにならないの」
 余所(よそ)での会話を引き合いに出したところで拓斗に通じるはずもないけれど、那桜が呆れさせるのはいつものことで、拓斗はお馴染みになった、首をひねる、というしぐさをした。
「拓兄は午後からって云ったよね。まだ午後は終わってない――」
「どこに行きたいんだ」
 那桜が云い終わらないうちに拓斗はさえぎった。那桜は顔をうつむけてこっそり笑う。
「どこでもいい」

 那桜の返事は、本意がデートにあって、喉が渇いたというのはただの口実だったと露呈したかもしれない。拓斗は何も云わない。那桜にしても、拓斗が意に沿ってくれたいま、どう取られてもよかった。

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