禁断CLOSER#4 第1部 解錠code-Dial Key-
2.脱走 -1-
晴れた空の下、中庭の校舎脇にあるベンチを一つ占領してお弁当を開けた。つむじ風が吹いて、お弁当を置いた膝の上に落ち葉が載る。
「さむっ」
隣に座った果歩が首をすくめ、那桜も少しだけ身を縮めた。
十一月終わりの昼休み、さすがに寒くなって外で食べることは少なくなったものの、今日はすこぶる快晴で、その陽気に誘われるように那桜たちは中庭に出た。
「風がないと暖かいのに。教室に戻る?」
「これくらい大丈夫。那桜が戻りたいんなら戻るけど?」
「ううん、平気。教室じゃもったいない感じ」
「だよね。那桜なんて特に日に当たることってあんまりなさそうだし、たまには日光浴してもいいんじゃない」
「ぷ。おばあちゃんみたいなセリフだよ」
那桜が吹きだすと、果歩は惚けた顔で首をひねった。
「心配してるんだよ。食べよ」
果歩の云うとおり、那桜が日光不足であることは否定できない。学校ではこうやって昼休みに出るか、もしくは体育の時間に限られる。学校を一歩出たところでどこかへ出かけることはあまりないし、家では普通の家庭よりは広い庭があるけれど、敷地内をうろうろしてもつまらない。
拓斗の送迎で余計に身動きが取れなくなってからあっという間に三カ月が過ぎた。
オムライスから飛びだしたグリーンピースをお箸で追いかけながら、那桜はそっとため息をついた。
やっぱり自由が欲しい。グリーンピースみたいに逃げてみようか。
そう思いながら、お箸使いが苦手な那桜はやっとのことでグリーンピースを捕える。とたん、まるで那桜の反抗を見透かすように携帯電話が音を立てた。めずらしく鳴ったダークな音は拓斗専用だ。
驚いた弾みにグリーンピースはまた自由を手に入れた。
せっかく摘んだのに。
グリーンピース相手に悪戦苦闘している那桜を、こっそりと見ていた果歩がくすっと笑う。
那桜はかすかに口を尖らせて携帯電話を開いた。出ないでいようかと思ったけれど、出なかったら拓斗は即、ここまでやって来るだろう。
「もしもし」
『今日の迎えは和惟をやる』
拓斗はいきなり用件を告げた。しかも一方的でいまにも切れそうだ。
「拓兄! 拓兄は?」
那桜は拓斗の忠臣の一人である衛守和惟を思い浮かべながら慌てて引き止めた。
『父さんから緊急会議の呼びだしを受けてる』
「拓兄! じゃ、わたし、果歩と帰るよ。だから――」
『那桜』
拓斗は隼斗と同じように一言で那桜の意思を退けた。
“那桜”という呼びかけは、いまや簡単に拓斗の口から飛びだす。けれどそこまでだ。自分に何ができるのかわからないまま、解錠はそれから一向に進まない。
「わかった」
那桜がむっつりした声で返事をすると相づちもなく電話は切られた。
「どうしたの?」
「果歩、今日は一緒に帰れるよ」
「え、お兄さんは?」
那桜が不機嫌な顔から一転、笑みを浮かべて朗報を告げたにもかかわらず、果歩はさすがに落ち着いていて、喜ぶよりは疑心暗鬼だ。
「拓兄はお父さんから呼びだし受けて来れないんだって」
「ホント?」
「うん。それで果歩がいつも云ってるケーキ屋さん、えっと、“Sucre Candi”に行ってみたいんだけど?」
「オッケー」
那桜が努めて浮かれた声で提案すると、果歩も大乗り気な口調で了解した。
帰りの連絡会が終わり、那桜は果歩を急かしてほぼ一番乗りで校舎を出た。
和惟の迎えは中等部以来はじめてで、車の中で待っているのか出迎えに来るのかは見当もつかない。
基本的に青南の規則としては、迎えでも校内へ入ることは許されていない。上流階層の生徒が多く、それ以前に世間は物騒になっていくばかりで、誘拐などの危機管理を怠るわけにはいかず、学校も神経を使っている。
とはいえ、有吏ならそんな規則がどうであろうと無視しかねない。いずれにしろ、生徒が一気に出てきたら和惟は終わったと判断して顔を出すだろう。
那桜はちらりと正門を確認した。いまはだれも見えない。
ほっとしながら那桜は果歩のあとをついていく。那桜の思惑どおり、果歩は正門へとは向かわず、校舎に沿って西側へと歩いた。校舎が途切れたところで北へと折れると、正門とは真逆の方向にある裏門が見える。
果歩が美味しいというケーキ店へ行くには裏門から出たほうが早い。そう知っていたからこそ、那桜は行きたい場所を指定した。
「中学からずっと一緒にいるのに、こんなふうに那桜と帰るのがはじめてってやっぱり不思議」
果歩がちょっと戸惑っているのがわかる。
那桜も楽しむよりは、後ろめたさみたいなものがあって素直に喜べない。そう思う必要なんてないくらい、だれもが自由にやっているというのに。こんな気分では檻に慣れた動物以下だ。
「ウチはおかしいから」
「そうだよねぇ」
果歩はしみじみと相づちを打って同調した。
「やっぱりヘンだよね」
「というより、わたしは那桜がよく従ってるなって思う。普通ね、そこまで拘束されたら嫌でしょ。でも那桜はそれがあたりまえになってる」
「だって小さい頃からそうだったし。でもだんだん……戒兄のときははっきりとは思わなかったんだけど、拓兄といるようになって理不尽な気がしてきた」
「きみは気づくのが遅すぎる」
果歩は大野の口調を真似てふざけ、那桜は肩をすぼめて笑った。
「めずらしいな、有吏が普通に下校って。てか、はじめて見た気がする」
すぐ背後から不意打ちで声をかけられ、那桜はびくっと躰を揺らしながら立ち止まった。
「広末くん! もうびっくりさせないでよ」
那桜とほぼ同時に後ろを振り向いた果歩は、軽く睨みながら文句を云った。
そこにいたのは同じクラスの広末翔流だ。果歩に向かって首をひねったあと、拓斗と同じくらいの長身を折って那桜の目の前まで顔を近づけた。
ちょっと控えめな二重の目と薄めのくちびるはバランスがよく、だれが見ても“カッコいい”という顔立ちだ。
那桜も果歩もそれほど仲がいいというわけではないけれど、クラスのうちでは“よく話す”部類に入る。というより、翔流はその容姿のわりに気取ったところがなくて気さくなのだ。つまり、来るもの拒まずでだれとでも仲がいい。
翔流のきれいな顔がドアップになって、那桜は思わず躰を引いた。
「な、何?」
「いんや。どこに行くんだ?」
態度も気さくであれば、言葉遣いも――いや、言葉遣いはわりと粗雑だ。
「シュークルカンディ。ケーキ食べていこうと思って」
那桜はちょっと先にあるケーキ店の方向を指差した。
「ふーん。じゃ、おれも参加」
那桜と果歩はぎょっとして顔を見合わせた。
「なんだよ」
翔流は那桜たちの反応が気に入らなかったようで顔をしかめた。その不満に先に答えたのは果歩だ。
「せっかくふたりでデートしてるのに、そこで割りこむかなって思って」
「飯田、おまえ、美人なくせにカレシつくらねぇと思ってたら、そういうことかよ」
「そういうことってヘンな誤解しないでよね。わたしは至ってノーマル。広末くんがさっき云ったとおり、那桜が一人で帰ることってないからわたしたち二人で楽しんでるだけ。ね、那桜」
翔流のおかしな誤解に笑いながら、那桜は果歩に同調してうなずいた。
「なら、その楽しみをおれにもわけろ。行くぞ」
翔流は強引に主張すると、那桜と果歩の間を通り抜けた。那桜と果歩は再び顔を合わせ、しょうがないね、といったふうに互いに首をかしげると翔流のあとを追った。
ケーキ店は青南から歩いて十五分くらいのところにある。ケーキの販売をやっている傍らで、カフェみたいに飲食できるスペースが設けられ、果歩によると青南の生徒が多いらしい。小振りのテーブルが十個と、けっして広くはないけれど、今日は学校を早く出てきたせいだろうか、余裕で陣取りできた。
「広末くんて甘いもの好きなんだ」
那桜の目の前で、翔流は美味しそうにチョコのバームクーヘンを頬張っている。
「甘いもの好きっていうか、なんでも食べる」
「そっか。男の人って甘いの苦手なんだって思ってたけど」
「それは偏見だろ。第一、有吏がそうそう男を知ってるとは思えないけどな」
翔流は眉をひそめて指摘すると、那桜の隣で果歩が笑う。
「ばっかねぇ。広末くん、那桜にはお兄さんが二人もいるんだよ。しかも二人とも文句なしでカッコいいし。それ以上に参考にする男なんていらないでしょ。それで那桜、お兄さんたち甘いもの好きな感じじゃないけど、どう?」
果歩の問いに、那桜はちょっと思い巡った。
戒斗には帰り道、無理やりカフェ店に寄らせて食べさせたことがある。家ではあえて食べることはない。拓斗についてはケーキのみならず、おやつを食べているところなんて見たことがない。そもそも一緒にいる時間がなくて、知らないだけかもしれないけれど食べる雰囲気ではない。
「うん、どっちかっていうと避けてるかも」
「だよね」
「だからさ、カッコいいからって甘いもんが嫌いなわけじゃない。このおれが証明だろ」
「自分で云う?」
果歩は笑いだした。
「失礼な奴」
そう云いながら翔流の目が那桜に向く。
「わたしに同意求めても無理。“カッコいい”のには免疫あるから」
「おとなしいくせに云ってることが酷くないか」
ワッフルカップのケーキにどんと載っている苺をフォークで刺して、那桜はそれを翔流に突きつけた。
「それは広末くんのわたしに対する偏見だよ」
那桜が切り返すと、翔流は不満丸出しで舌打ちした。
「那桜の勝ちだ――」
「あ!」
果歩が云いかけ、那桜は一声叫んだ。翔流が、突きつけていた那桜の苺をパクリと食べてしまった。
「酷いっ」
翔流は悪びれることなく鼻を鳴らし、
「いまに見てろ」
と、わけのわからないことを吐いた。
むっつりした那桜に今度は翔流がフォークを向けた。その先にはバームクーヘンの欠片が突き刺さっている。
「何?」
「やるよ。おかえし」
「普通、食べかけをやる? もういい。わたしが食べたいのは苺なの!」
「んじゃ、今度な」
翔流はニヤリとして当てにならないことを口にした。
那桜はがっかりと息を吐き、苺がなくなって殺風景になったケーキを突いた。
食べようと口を開けたちょうどその時、携帯電話の呼びだし音が邪魔をする。その音は未登録者であることを示している。那桜は携帯電話を開いて、呼びだしているのがやっぱり見知らぬ番号だと確認すると、しばらくためらった。
なんとなく相手がだれだかわかった。
「はい」
『那桜?』
予想は当たった。間違いなく衛守和惟の声だ。
「はい」
『いまどこに?』
「あー……教室。ちょっと先生から用事を頼まれて――」
『あとどれくらい?』
和惟は那桜をさえぎった。いつも思うことだけれど、有吏の男はせっかちすぎる。それとも、那桜を軽んじているだけなんだろうか。
「三〇分」
『了解』
その言葉を残して通話はぷつんと途切れた。和惟もまた色のない声を出す。拓斗よりはましだけれど、いつも会話は端的だ。
那桜は携帯電話を閉じると、ふと果歩と翔流の探るような眼差しに気づいた。
「な、何?」
「教室、って?」
果歩が怪訝に眉をひそめて問いかけた。那桜はばつが悪く、ごまかすようにため息をついた。
「……ごめん。嘘ついてた。拓兄のかわりに迎えにきてる人がいるの」
「那桜――」
「おまえって変わってるよな。まったく行動制限されるってなんだよ」
咎めようとした果歩をさえぎり、顔を険しくした翔流が口を挟んだ。
「わたしもいま、それを考えてるの」
「それより大丈夫なの?」
果歩は心配そうに訊ねた。
「うん、また戻るよ。だから早く食べよ?」
那桜は首をすくめておどける。本当は和惟の声を聞いた瞬間、拓斗に報告されるかもしれないと思って後悔した。場合によってはますます窮屈なことになりそうだ。
「そうだね。とりあえず、三〇分は確保できたわけだし」
果歩のなぐさめに那桜は気を取り直した。
「うん。ね、それちょっともらっていい?」
「あ、じゃ、わたしも那桜のをもらっちゃお」
那桜と果歩は互いのケーキを食べ合って批評を始める。その前で翔流は何やら考えこむように那桜を見つめた。
「何、食べないの?」
「おれさ、有吏……」
翔流は云っている途中で、ふと何かに気を取られたように不自然に言葉を切った。その目は店の入り口のほうを向いている。
那桜は翔流の視線を追って後ろを振り向いた。
ケーキを食べて青南へ戻るには三〇分あれば充分だ。そう思っていたのに、この店には不釣り合いな格好をした男が目に入ったとたん、那桜はがっかりと肩を落とした。
全身黒服で身を包み、場違いに佇んでいるのは衛守和惟だった。