愛魂〜月の寵辱〜

第8章 抱擁−月のロザリオ−
#1

 このままどうにもならなかったら?
 そんな疑問は捨てて、目のまえにあるものをすべてと思ってきた。
 そうでなければ、苦痛だらけで耐えられない。生き延びられない。
 けれど、どうなるんだろう、そんな不安はやっぱり抱いてしまって、そして、“その時”を夢見る。
 吉村と話せなくなって、それ以上に、会えなくなって、もう一年半がすぎてしまった。
 最近、わからなくなっている。
 生き延びることに意味があるのか。
 マンションの八階のベランダに立ち、眺めた空は冬をまえにして、青がすっきりと透きとおっていく。
 最後の宴の直後、この部屋に一人で移り住んだ。3LDKと通常一人で暮らす家としては無駄に広い。京蔵に合わせて用意されたから内装や造りが贅沢で、毬亜が住むにはまるで似合わない。家具も調度品も高価で品よくそろえられているのに、すべてが色褪せて見える。
 ひょっとしたら、空が透きとおっていくように感じるのは、毬亜の存在が自分自身にでさえつかめなくなってきているからかもしれない。
 下を見れば、人も車も模型ではなく、ちゃんと動いている。そこは毬亜にとって遠い世界だ。
 ベランダには、高すぎて逃げられるわけもないのに囚人部屋のごとく鉄格子がある。玄関から入った廊下の途中にも鉄格子があって、毬亜はこの部屋から自由には出られない。
 唯一逃げて自由になれるとしたら死の世界だろう。そうできたららくだろうと思う。けれど、ほんの欠片の望みを掻き集めて、毬亜は生きることにしがみついている。
 父がどこかに生きているのなら。母がどこかで見守ってくれているのなら。何よりも、吉村との未来があるのなら。
 儚すぎる望みにため息が付き纏う。
 十月になったとたん、地上から高いぶんだけほんのり風が冷たく感じて、毬亜はベランダからリビングに戻った。そのとき、玄関に近い部屋のほうでドアの開く音がした。
「では頼んだぞ。絶対に知られてはならぬ。わかっておるな」
「もちろんです。こちらも命懸けですから」
 京蔵に次いで、だれだかわからない男の声が応じる。
 昼に京蔵がやってきたのち訪問者と合流し、二時から始まっていた密談は一度もドアが開かれることがなかった。二時間がたってようやく終わったらしい。
「マリ」
 急に名を呼ばれて毬亜は飛びあがりそうになった。
 京蔵がその部屋を使っているとき、毬亜は、出てきてもいけない、聞き耳を立てもならないと云われている。毬亜にとっては開かずの間であり、ここで行われる密談に吉村が加わるときにしかその存在を感じられない。
 毬亜は、「はい」とだけ返事をしてその場にとどまった。
「こっちに来い」
「はい」
 毬亜は返事から一拍置いてドアに向かった。
 広くスペースが取られた廊下に出ると、京蔵の近くに二人の男がいた。彼らの背後には、京蔵の護衛として丹破一家の男たちが二人控えている。一人は鉄格子の内側で一人が外側、そしてもう一人、外に立っているはずだ。
 客の男たちは一見、普通のサラリーマンだがそんなはずはない。四十代だろうと見当がつくと吉村を思いだしてしまう。
 吉村は今年、四十三歳になった。あたりまえだが、毬亜が十九歳になっても年齢差は少しも縮まらない。
 京蔵のもとに行くと、毬亜は男たちのまえに引っ張りだされた。彼らの目が無遠慮に毬亜の顔を見つめる。
 なんのために呼ばれたのか把握できないうちに、京蔵の手が背後から伸びてきて、膝丈ワンピースの襟もとをつかんだ。
「パパ?」
 いまや呼び慣れた呼び方で京蔵に問う。
「いつものとおりでいい。女がどういうものか見せてやれ」
 スナップボタンを留め、ウエストをサッシュベルトで緩く絞っているだけのワンピースだ。京蔵の手で簡単に胸ははだけられた。ベルトもほどかれ、裾までボタンが外れると、京蔵は毬亜から服を剥ぎとる。
 京蔵が訪ねてくるのは、昼夜を問わず、週に多くて三回だ。京蔵を迎えるとき、裸でいるのが暗黙の了解になっている。今日は来客があるから最低限、裸体を隠しているにすぎない。下着は一切身に着けていないから、毬亜は裸になって男たちの目に晒された。
 男たちは戸惑うこともなく、むしろ積極的に毬亜の躰を目でたどった。
「彼女、若いでしょう?」
 一人の男が怪訝そうに問う。
「関係ないだろう?」
「もちろん僕は若いほどいいんですが」
「年齢よりも躰だ。スタイルは云うことなしですね」
「具合がいいのはそこだけじゃない」
 二人の男たちに同時に応じた京蔵は、背後から毬亜の胸もとに手を置いた。すくうように持ちあげ、しぼるようにつかんだあと放した。ぷるんとふくらみが弾むと、ほう、と男たちが吐息を漏らす。
 京蔵は人差し指を立て、乳首の先端に指の腹をのせる。両側ともが押しつぶさない程度に揺さぶられた。
 んぅあっ。
 みるみるうちに乳首が硬くなって感度が上昇する。子宮が疼き、躰がびくびくして、その反応に気をよくした京蔵はさらにエスカレートしていく。左脚を抱えあげられ、脚の間に指が添う。
 ああっ。
 突起を弄られると、たまらず首をのけ反らせて毬亜は喘いだ。ものの一分もたっていないはずが、膣口辺りに指が触れると、すでにぬめっているのがわかった。
 目のまえにあるものがすべてだとあきらめてから、快楽は底なしですぐに開花する。
 京蔵は水音をわざと立てながら、毬亜の膣内を掻きまわす。指は確実に弱点を捕らえていた。
「パパ、漏れちゃう!」
「いつものように漏らせばいい」
 京蔵が応じると、男たちはたじろいだように一歩後ずさった。
 だんだんと水のなかを掻き乱すような音になっていく。
「あ、あ、あ、んっ、出ちゃう――っ、んくっ」
 腰をびくびくさせながら噴いた液が床を叩いた。
「なかなか楽しみです」
「成功報酬の一部だ」
「承りました。では後日」
 にやにやした声音の応酬がすむと、しんと静まるなか、男たちが出ていった。
「拭いてくれ」
 京蔵は護衛の一人にそう云うと、毬亜の手を引く。躰を痙攣させながら頼りなくリビングへついていった。
「経口避妊薬(ピル)はどこだ?」
 訊かれる理由がわからないまま、毬亜はキッチンのカウンターを指差した。
 京蔵はカウンターに行き、ピルケースを手に取る。
「これだけか?」
「はい。来週、またもらってきます」
「もう飲まなくていい」
「……え?」
 思いもしない言葉で毬亜は無意識に訊き返した。
「飲むなと云ってる。これは預かっていく」
「でも……」
「おまえも来年は二十歳になる。躰は耐えうるだろう」
 なんのことを云っているのだろう。快感は失われ、毬亜は立ち尽くす。
「儂も子供が欲しい」
 その意味を理解できなかった。否、それよりも受け入れたくなかった。

「丹破一家にも跡目(あとめ)は必要だ。もちろん、世襲は叶わんだろうが、いずれ丹破本家が返り咲けるよう血を残しておけばいい」
 京蔵は毬亜の反応を見逃さないためか、じっと見据えている。
 五十五歳になっても中年太りという言葉には縁遠く、締まった体型だからこそ、その印象も眼光もよけいに鋭く感じる。
「嫌か」
「違います」
「まだ吉村が忘れられんか」
 いまになってもなお、そんなことが訊かれるとは思っていなかった。
 吉村との接触はないのに、そんな疑問が飛びだすということは、京蔵のなかに吉村に対する特別な拘りがあるというのは間違いない。嵐司は、京蔵が吉村を脅威に感じていると云っていた。
「違います」
 嘘は吐き慣れたはずが、毬亜の声はふるえていた。京蔵の言葉に驚いただけではない。だれかの口から吉村の名を聞くだけで、会いたいという気持ちが込みあげてくる。京蔵がどうか気づいていないよう祈った。
「そうか?」
「はい。産むのは怖いし……奥さんが……」
「艶子は不妊症らしい。それが本当にしろ、儂の子を宿す気がないのは明白だ。おまえが儂の跡目を産むことになっても、なんら文句を云う筋合いはない」
 京蔵はスーツに手をかけた。ジャケットを脱ぎながら傍に来て、毬亜はひざまずいてスーツのズボンと下着をおろした。目のまえに飛びだした男根は薬を使っているのかと思うくらい、いつも精力的だ。大抵の人よりも太く、爆ぜるまでに時間がかかり、その間に力尽きてしまう毬亜にとっては凶器ともいえる。靴下まで取ってしまうと、京蔵に腋の下をすくわれながら立たされる。毬亜の背後にあるダイニングテーブルの上に背中を倒されると、お尻が浮いてしまうほど脚が持ちあげられた。
「尻は洗浄してきたか」
「はい」
「流産の危険があるのなら、その間はやめんとな。医者に訊ねておけ」
 その発言は京蔵が本気だと知らしめる。
「はい……あっ」
 呆然としつつも毬亜が無意識に答えているうちに、京蔵は脚の間に顔をうずめた。突起を含み、音を立てて吸引する。いきなり強い刺激に腰がぶるぶるとわなないた。閉じた花片を開くように舌は間を通って滑り、膣口に舌を入れたかと思うとお尻に移る。そこはもう完全に性感帯になっていた。孔口の周囲を舌が這いずり、お尻がひくひくする。そこが開いた隙を狙って舌が入ってきた。
 あああっ。
 さっき廊下で逝かされた名残もあるのだろう、とろりと秘孔から蜜がこぼれておなかを伝った。京蔵が膝の裏を押さえつけていなければ腰がひどく飛び跳ねていただろう。京蔵は秘部とお尻を行ったり来たりしながら、毬亜を快楽漬けにした。
「おまえを組み敷くことを考えるだけで儂は血がのぼる」
 男根を躰の中心になすりつけながら京蔵は続ける。
「儂をそうさせるのはおまえも含めて二人だ。おまえは放さんぞ」
 おまえは、とそう限定することにどんな意味があるのだろう。あとの一人が母だろうことは見当がついた。
 母のことは手放した、ということ? なぜ? 母はどこに逃げたの? そうじゃなければ、母はどこに捨てられたの?
 女に執着することがなかった、と吉村が云う京蔵は、稀(まれ)に客をここに連れこんで毬亜を犯させる。宴に来ていたような一般的な上客ではなく、今日の男たちのように裏で付き合いのある、なんらかの取引相手だ。
 籠妾(ろうしょう)にしているくせに、母親のこともそうしていたが、ほかの男に犯させて何が京蔵に悦楽をもたらすのだろうと疑問だった。裏取引の相手だからなんらかのメリットは当然あるだろう。けれど、それだけじゃない。なんとなくだが、見て楽しむというような単なる性癖とは違って、その結果として自分は特別だと確かめるための手段のようだった。
 快楽に逆らえず、むしろ自ら貪っているみたいに感じて、そんなことを認めたくないから、毬亜は犯されている最中も『パパ』と呼ぶ。母親が『京蔵さま』と連呼していたように。京蔵から快楽を得ることは、吉村も許してくれそうな気がしていた。けれど、ほかの男にそうなる必要はないのだ。
 京蔵は飽きた素振りも手放す素振りもなく、だから、本当に“その時”がくるのか、ますますわからなくなっている。
「入るぞ」
 京蔵が男根で秘孔を押し広げる。ぬぷっと音が立つような、じっくりとした様で先端が膣内に嵌まり、そして奥へと突き進んできた。
 京蔵は繋がるとき、動物みたいな恰好を好む。だから、そうしているのが吉村だと思えるのに、いまはめずらしく向き合っていて、夢見ることさえ許されない。最奥を小刻みにつつかれ、のたうつような快楽を押しつけられた。
「あ……も、逝っちゃ……!」
 云いきれないうちに毬亜は息を詰め、まもなく再び悲鳴をあげながら躰を波打たせた。
「おまえはすぐ逝く。なぜだかわかるか。おまえの躰が儂の形を憶え、添っているからだ。入れただけで自然と儂の男根はおまえの快楽点を突く。おまえを抱いているとよくわかる。艶子がほかの男と不貞を働いていることはな」
 快楽の余韻を追い払うほど、毬亜は背中がひやりとした。
「艶子さん、が……?」
「おまえは知らんのか」
 顔を険しくして京蔵は毬亜を見下ろす。毬亜が首をひねったのはもちろん惚けただけだが、いつも黙々と快楽で責める京蔵は、めずらしくお喋りをするほど疑っている。もしくは気にしている。こうやって向き合っているのは、セックスの最中でも毬亜を観察できるよう、という目的があったのだ。
「女の躰は男を憶える。いまおまえの膣内は儂のをしっくり咥えている。だが、艶子の躰でこういう感覚を味わったことはない。別の男を咥えているからだ。もし、それを舎弟たちが知っているのなら、これ以上の屈辱はない。艶子にもその男にも、落とし前はつけさせる」
 京蔵はどすの利いた声で放ち、毬亜はぶるっとふるえた。本気だ、と思った。
 一方で、脱力感に似た哀しさにひしがれる。吉村は、毬亜との危険は冒せなくても艶子とは危険を冒してかまわないのだ。
「なあに、すぐに決着はつく」
 京蔵は薄気味悪くくちびるを歪めた。
 決着がつく? すぐに?
 もしかしたら、京蔵はもう艶子の浮気相手が吉村であることを突きとめているのだ。そして、落とし前のために動いている。客との会話が相まってそんなことを予感させる。
「子作りだと思うとまた新鮮だな。帰るまで時間はたっぷりある」
 毬亜の感情をよそに、京蔵は腰を大きく動かし始めた。京蔵が云ったように、毬亜の躰は京蔵に合わせて作り替えられている。ただ深く浅く摩擦しているだけなのに、止められない感覚を生みだす。
「儂とおまえの子はちゃんと儂の籍に入れて守られる」
 毬亜が発する淫らな悲鳴の合間に、京蔵が驚怖を吐く。
「おまえもすぐに吉村のことは忘れる」
 その断言は、いなくなることを前提にしているように聞こえる。
「パパ……んっ……あっ、毬亜は……う、んっ……パパに、感じ……てるのっ」
 そう云ってから、母と同じことを口にしていると気づいた。
 同じだった。何から何まで、母と。
 母の言葉――京蔵さま、は――吉村をかばうためだったのだ。

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