失いたくない

序章 Birthday

 

 二年と少しまえの十一月五日。
 亜夜(あや)は十六歳の誕生日を迎えた。
 葉っぱを散らして木がすかすかになりつつある季節。なんとなくさみしくさせられて、風は冷たくなっていく。ただ、この日だけは寒いということもさみしいということも忘れる。
 それなのに――。

 

 聖央(せいおう)がクラブを終えて帰宅した頃を見計らい、玄関を出て歩道に立ったとたん、亜夜はちょうどどこか出かけようとしている聖央の後ろ姿を捉えた。
 嫌な予感がする。
「セーオー、どこ行くの?」
 亜夜が急いで呼びかけると聖央は足を止め、ゆっくり振り返って息をついた。離れているのにここまで音が届いてきそうな吐息は、きっと出かけることを亜夜に悟られたくなかった証拠だ。
「ブレイズの試合を見にいく。チケットをもらったんだ」
「じゃ、あたしも行く!」
「バカ。今日は取材兼ねてってことなんだ。遊びで行くんじゃない。それに、チケットは完売してて余分にはない」
 亜夜の鼓動が一瞬だけ止まった。
「岬さん――と?」
 岬圭子(みさきけいこ)府東(ふとう)テレビ局が一押ししているスポーツキャスターで、最近になってやたらと聖央の取材に熱を入れている女性だ。
 聖央はいくつかのJリーグチームからオファを受けたなか、十月にブレイズ川口と契約を交わし、来春からサッカーのプロ選手となることが決まっている。
 将来有望ということで、府東テレビ局から長期取材の申し入れがあった。それを受諾した聖央と担当になった岬は、必然的に一緒にいることが多くなっていた。ふたりとも当初は仕事に徹しているようだったのに、最近は何かが違って見える。
 聖央がうなずいたのを見ると、亜夜は聖央のまえに立ちはだかった。子供のように手を水平に広げ、通せんぼ≠フポーズをとる。
「だめ。今日はあたしの誕生日なの! いままでずっとお祝いしてくれたじゃない」
「亜夜、わがまま云うな」
「だって……いままでは何があっても優先してくれてたじゃない」
「いつまでもそうできるとは限らないだろ。おれはこれから社会人になるし、今日みたいな付き合いが増えていくんだ。あとで行くから」
 聖央は亜夜に云い聞かせた。
 亜夜は突き放されたように感じた。
「セーオーは、あたしとサッカーとどっちが大事なの!?」
 聖央は近寄りがたいほどかたくなな表情になった。
「そういう質問は嫌いだ」
 そこでやめたほうがいいとわかっているのに、亜夜は止めることができない。
「あたし、あの岬って人、嫌い。だって、いつもあたしからセーオーを取りあげちゃう」
 聖央は完全に怒ったとわかるほど顔を険しくした。
「そんなことを云う亜夜は好きじゃない」
 その表情と裏腹に聖央は静かに云うと、亜夜を避けるように躰をひるがえした。
「セーオー……」
 云いすぎたと後悔した。
 けれど、ごめんなさい≠ヘ声にならなかった。亜夜のなかで、岬はそれほど嫌な存在だ。
 そして、聖央は、その名を呼んだのに、亜夜の声に後悔を聞きとったはずなのに、振り向いてはくれなかった。

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