Sugarcoat-シュガーコート- #65
第8話 Get in the way -2-
いざ現状を聞いてしまうと疑心暗鬼になってしまい、視線が気になりだして、ひそひそ話を目にすれば自分のことを噂しているんじゃないかとか、叶多は自意識過剰気味になった。
陽が叶多に教えなかったのは、こうなることを見越してに違いなく、やっぱり気遣ってくれていたらしい。試験前に知ったら、勉強なんて手につかなかったかもしれない。
「お待たせ。二組もけっこう残ってるんだね」
放課後、叶多のクラスに来たユナはぐるりと教室を見回して訊ねた。
待つ間に作業していた手を止めて叶多は顔を上げた。
「ノルマあるし、時間も限られてるからね。ユナたちの爪楊枝の着色は終わった?」
「終わったのは終わったんだけど、爪楊枝がくっついちゃってバラバラにするのが大変なの」
二週間後にある文化祭で、叶多のクラスはピクセル壁画、ユナのクラスは爪楊枝点描画を展示することになっている。
ピクセル壁画というのは、まずパソコンに画像を取りこんでドットから色名に変換した情報をA4の紙に出力する。それから紙に印刷された色の名前の上に小さく切った折り紙を貼っていき、それらを繋ぎ合わせて大きな壁画にする。一組がするのはその爪楊枝版という感じだ。去年のを見る限りでは爪楊枝の場合、見る角度によって色の出方が違い、雰囲気が変わっておもしろい。
どちらも手間取るのは情報処理で、そこはそういうのが得意な先生と生徒に任せた。あとは単純作業になるけれど思ったより時間がかかる。
「あれ、渡来は?」
「呼びだされたみたい」
最近、やたらと陽がいなくなるのはユナが云ったとおり、告白タイムだったようだ。
「気兼ねなく、おまえをダシに使ってやる」
叶多が噂を知ったとあってさっきはそう云い含み、陽はうんざりした様子で教室を出ていった。
ユナも陽も、認めなければ誰も噂を本気にしないと云ったけれど、告白タイムが多いということはそれに逆行している。
ただ単に、わずかなチャンスに縋りたい気持ちが働いているだけなのか。
戒斗を追っかけたあたしもそうだったし。
そこで実ったり実らなかったり。その差ってなんだろう。
やがて教室に戻った陽は自分の机から鞄を取りあげて叶多たちに近づいてきた。別の友だちと話していた永もやって来る。
陽は不機嫌な顔でこれ見よがしに、どすんと叶多の机の上に鞄を載せた。下敷きにさせまいと、叶多は急いでピクセル壁画の紙を引いた。
「お、お疲れ」
無事に逃れた紙を机にしまいながら、叶多は慄いて声をかけた。
陽は叶多に顔を近づけて睨めつけた。
「ったく。キリがない。おれは暇潰しか」
「あたしのせい?」
「あたりまえだ」
理不尽極まりないけれど、これ以上に機嫌が悪くなっても困る。叶多は反撃を堪えた。
「ほとんどの奴が進路決まったし、タイミングいいのか悪ぃのかってとこだな」
例年、エスカレーター進学が多い青南は進路がはっきり決まったこの時期から告白の最盛期に入る。要するに、みんな浮かれているのだ。文化祭準備も一、二年のときに比べてずいぶんと盛りあがっている。
「悪いに決まってんだろ」
「渡来、猫かぶりやめたら呼びだされるのも減るんじゃない?」
「それができんならとっくにやってる」
「ふーん。お坊ちゃまのディレンマだよね。それで、なんて云って断ってるの?」
「そのまんまだ」
「えー、何よ」
陽は答える気がなさそうに顎をしゃくった。その横で永がニタニタ笑っている。
「この際、おれは八掟が好きなんだぁあーって屋上からでも叫べば寄ってこなくなるんじゃねぇか」
「と、時田くん――っ」
「おまえ、喧嘩売ってんのか」
赤くなってさえぎった叶多をさらに陽がさえぎり、本気で永を睨んでいる。
「ああ、もういいから! 早く帰ろ。六時過ぎてるよ。暗くなってるし」
ユナが間に入ってふたりを促した。
気が治まらないままも、外を見た陽は渋々として先立ち、教室を出ていった。叶多も急いで席を立ち、ユナたちと一緒に陽のあとを追った。
噂とあからさまになった陽の不機嫌がいつまで続くのかを考え、叶多は気分が重くなった。
校舎の玄関を出ると、外は照明がなければ転がった石につまずきそうなほど暗くなっていた。昼間の暖かさから打って変わって風も冷たい。
「う、寒っ。もうそろそろコートいるかな」
「文化祭の準備で帰り遅くなるしね――」
ユナに答えている最中、叶多は背後からいきなり突くように押されて言葉が途切れた。前にのめりながらも思わず振り向いたせいで、叶多は余計にバランスを崩して転んだ。
「イタっ」
「叶多?!」
悲鳴と同時にユナが叫んで、ちょっと前を歩いていた陽と永は立ち止まった。
「何やってんだよ。小学生じゃあるまいし」
「違う。いま追い抜いた子。その子がぶつかって行ったんだよ。普通、謝るでしょ。信じられない!」
ユナの訂正を受けて陽と永は校門に目をやると、その姿はちょうど駅と反対方向に折れるところで、すぐに見えなくなった。校門の照明でちらりと見えたのは制服のスカートだ。
「大丈夫か」
「……びっくりしたけど……大丈夫」
陽に腕を取られて叶多は起きあがり、地面についた手と膝の汚れをはらった。
「ったく、誰だよ」
陽は顔をしかめていそうな声で云い、また校門を振り返った。同時に、後ろから追いついてきた足音が叶多たちの横で止まった。
「転んだのは叶多なの? 大丈夫だった?」
「うん。佐奈もいま帰り?」
佐奈はさっきのことを見ていたのか心配そうな声だ。隣には佐奈が仲良くしている子がいる。
「そ、友だち待ってて。それより叶多、さっきの子は知ってる子?」
「え――」
「なんで? 知ってるなら謝ってくだろ」
叶多をさえぎって陽が口を挟んだ。
「意味が逆。なんだかわざと体当たりしたように見えたんだ」
佐奈がそう云うと、暗がりで誰も気づかないなか、叶多の表情が止まった。
「わざとだって?」
永が険しい声で佐奈に応じた。
「うん。暗いからはっきりは云えないけど」
「そうだよね……暗くて見えなくても、あたしたち喋ってたわけだし、それに謝ってくわけでもなかったし、ちょっとおかしいかも……」
ユナは佐奈に同調して考えこんだ。
「あー……あたしは大丈夫だから! もしかしたら渡来くんを好きな子だったりして」
叶多は努めて明るく振る舞った。
「あ、それありえる。噂頼りの便乗告白、どれだけされたか知らないけどそのたびに、叶多が好きだー、なんて云ってたら逆恨みする子も一人くらいいるかもね」
「榊、いいかげんにしろよ」
「ごめーん」
ユナはふざけた口調で謝り、佐奈たちは吹きだしている。
叶多が思いつくまま云ったことにユナが乗ってくれてほっとした。
「叶多、噂、聞いたんだね? わたしもダメもとで告白ラッシュに乗っちゃおうかな」
「へ……佐奈?」
佐奈の頓狂な発言に叶多は思わず訊き返した。
「冗談だよ。告白した子から聞いたんだけど、渡来くんは叶多一筋らしいから」
「田島!」
「ぷっ。渡来くん、今更照れなくても。結局あの噂って、ふたりが付き合ってるのを裏付ける機会になってるよね。じゃ、お先!」
くすくすと笑いながら佐奈が友だちを連れて帰っていくと、なんとなく気まずいような沈黙が残った。その雰囲気を打ち消したのは陽の苛立ちまぎれの舌打ちだ。
「……渡来くん、なんて云って断ってるの?」
「付き合ってるとか云ってねぇよ」
叶多が恐る恐る訊ねると、陽はぶっきらぼうにえん罪を主張した。
「それはともかく、佐奈がああ云うってことは、噂はそのうち消えそうだね」
「……うん」
ユナの云うとおり、その点は心配ないのかもしれない。けれど。
わざと――。
その言葉を気にしながら歩きだすと、携帯電話の着信音が鳴って叶多の思考を中断した。開いた画面は叶多の大好きな人の一人を示している。
「お兄ちゃん!」
『ああ。いまどこだ?』
笑みの滲んだ声が訊ねた。
「学校を出るところ」
『遅くないか?』
「いまは特別。もうすぐ文化祭だから」
『ああ、高等部はそういう時期だったな。まっすぐ帰ってくるんだろ?』
「うん。何?」
『いんや。おまえんとこに来たんだ。戒斗もまだ帰ってないみたいだし、駅で待ってる』
「うん!」
維哲からの電話はうれしい知らせで、叶多の気がかりを少しだけ軽くした。
「お兄さんから?」
「そう! 家に来るんだって」
「おまえんちの兄貴って貴刀グループにいるんだったよな?」
「うん。次の社長候補の補佐についてから余計に会えなくなった。戒斗のとこに引っ越してからお兄ちゃんが来るのははじめてなんだよ」
「そりゃ、次期社長補佐なら忙しいさ。おれんとこみたいに車一本だっておやじの秘書は忙しそうにしてる。それが貴刀みたいに総合商社になれば、すべて把握するのは並大抵のことじゃない。候補という立場なだけに余計に大変なんじゃないか。試されてるってことだろうし」
「渡来くんもいつかは試されるんだ」
「嫌でもな。世襲で継げるほど、いまは甘くない」
陽はめずらしく生真面目な口調で、そこに陽なりのつらさを感じた。
無難なレールから外れた道を選ぶことの勇気と、決まったレールから回り道に逸れることさえ許されない不自由さはどっちが大変なのか。
叶多と戒斗はまさに無難なレールを外れた道を選んだのであって、弁えておかなければならない立場と選んだ道のために派生する障害は避けられない。
たったいまの些細な事態はそのうちの一つなのかもしれない。
戒斗に相談したほうがいいのかどうか迷ってしまう。まだ確定したわけではないから。憂うつがぶり返して叶多は小さく息を吐いた。
「なんかねぇ、渡来もそうだけど、叶多の周りにいる人って高級感あるよね」
「反動で八掟みてぇな平凡さ、もとい、間抜けさがウケてんだろ。モテ期、大事にしろよな」
「時田くん……酷いこと云う」
叶多は恨めしそうに云った。
「それはそれとしてさ」
陽は云いながら、一歩先回りして叶多の前に来ると躰をかがめた。
「何?」
後ろ向きに歩きながら陽は首をひねる。
「おまえ、分身の術、使えないのか」
「……へ?」
間抜けに問い返した叶多の横で、ユナと永は派手に笑いだした。