■概要■
幼馴染みであり従兄妹同士の透子と静琉。静琉は大学を卒業して、就職で上京。
離れ離れになるとき、感情過少の静琉が下した命令のもと、交わした誓いのしるしは、透子の心も躰も縛りつける。
近いからこそ遠くて恋は苦しい。
publisher:メディアチューンズ
1.冷たい微笑
「透子ちゃんは女の子なんだから」
平木透子が小学生の頃まで、それが芦乃静琉の母親の口癖だった。そして。
「静琉、あなたはいちばんお兄ちゃんなんだから」
と、それだけの理由で静琉は、六つ下の従妹、透子の面倒を見る責任を負わされていた。
毎日のように聞かされた静琉は、たまったものじゃない、と不満だったのだろう。透子を見る目はうんざりしていたように思う。少なくとも好かれていた印象はなく、それでも懲りずに透子は芦乃一族の本家を訪れる。
本家は透子の家から五軒さきにある。木の壁に瓦屋根という和そのものの家で、広い敷地内に庭園付きで堂々と街中にそびえている。それほど大きな町ではないけれど、古くから製麺業を営む傍らで代々議員を輩出してきて、地元では町を率いる名家として知られている。大人だけではなく子供まで何かと一目置かれ、一族という言葉がよく似合う。
本家には女の子がいない。静琉と弟――透子と同い年の勇武という二人の男兄弟のみだ。両家はすぐ近くだから、透子は二つ下の弟と連れだってよく遊びにいったし、はたまた透子独りであろうがかまわずに訪ねた。懲りる以前に、本家は透子の母の実家だから、物心ついたときはすでにそうするのが日課になっていたのだ。
母は三兄弟妹の長女で、ごく普通のサラリーマン家庭である平木家に嫁いだ。母の父親――つまり、透子の祖父は隣町の良家との縁を望んでいたらしい。ただ、母の強い意志には太刀打ちできなかったらしい。
一方の平木家としては畏れ多くも町の有力者に無理を押した立場であり、透子はしょっちゅう父から失礼のないようにと言い聞かされた。
透子が生まれるまで、祖父は母の意志に折れながらも相当に不機嫌だったという。やっと渋面が取り払われたからこそ粗相はするなと、透子がとばっちりを受けている。
もとより、子供の粗相なんてたかが知れている。そもそも、透子は祖父の不機嫌の緩和剤になったというのだから、透子が何をしようが大抵のことは平木家にとっての害にはならないはずだ。だから母は透子を連れて足繁く本家に通ったに違いなく、それが透子の日課となった発端だ。透子にとって、本家は第二の家みたいな感覚になっている。
市や県の議員を経たのち代議士を担って十数年という祖父の厳つい顔を思い浮かべれば、父が小言を口にするのもわからないではない。祖父は地元にいることのほうがめずらしくてめったに対面しないが、いざ目のまえにすると透子はつい背筋をぴんと伸ばして畏まってしまう。
静琉や勇武もいずれ祖父のようになるのだろうか。ふたりの父親は市議会議員になって以降、少し祖父に似てきた。透子が思うに、名は体を表すというとおり、勇武は人を威圧する雰囲気があからさまに表れそうな気がするけれど、静琉の場合はけっして表に出さず、やんわりと辛辣なことを口にしそうだ。
「お邪魔します!」
断りを言うのとどちらが早いのか、透子は本家に上がりこんだ。透子ちゃん、いらっしゃい、という返答は背中越しに聞く。ちょっと暗くて急な階段も慣れたもので、透子は勉強道具を胸に抱え、二階にある静琉の部屋に向かった。
「静琉くん、大学卒業おめでとう!」
駆けこんだ勢いのまま言うと、静琉はその名のとおり透子を見て静かに笑う。
静琉は感情過少のうえ、どちらかといえばひんやりとした気配で接する。怖くもなければ嫌いでもなく、ひんやりした笑い方は静琉に似合っていて好きだ。物心がついたときから、どうでもいいといったような素っ気なさはあたりまえに目にしていたが、いまの冷たい微笑はそれとは違っている。
例えば、こんなふうに押しかけたとき、ずっと以前ならば透子が実は透明人間で存在しないかのように振る舞うだろうけれど、いまは、存在を容認しながら追い払うことをしない。
静琉の透子への接し方が変わったのはいつだったか、思い当たるきっかけは一つしかない。
小学六年生の夏休みのことだ。
いつものごとく本家に行って、それから遊びにきていた勇武の友だちと連れ立って学校に行った。
勇武の友だちというのは当然ながら男の子ばかりだ。勇武は、来るのかよ、と面倒くさそうに言いながらも透子を除け者にはしない。リーダー的存在の勇武がそうだからほかの男の子たちも文句を言わず、むしろ、対等に扱ってくれていた。
透子自身も男勝りとまではいかなくても、それまでは女の子としての意識よりも、対等なんだという自我のほうが強かったように思う。
当時、高校三年生だった静琉は、もう何年もまえから勇武たちと一緒に遊ぶことはなくなっていた。その日は受験勉強の息抜きに、たまたまあとからやってきた。
透子は稀に静琉から勉強を教わることがあって、べつに話さなくなったわけでも疎遠になったわけでもない。ただ透子にとって、静琉は独りで大人になり、だんだんと離れていく気がしていた。だから、静琉の姿を見ただけではしゃいだ。
運動場でサッカーをやっているときで、静琉が仲間に加わり、俄然張りきって透子はボールを追いかけた。
.....試読end.