キス×××kiss~センセ、奪って~

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■概要■
ケガをしたミチルは大学の保健室を訪れる。
そこには保健師、透がいた。
透に素っ気なくされながらもミチルは通い詰めて、セックスを教えてほしいと迫る。
そうするのはケガをした原因とも繋がっていて―

publisher:メディアチューンズ

 Ⅰ.舐めたいkiss 

 四月という時季は新入生がいるせいか、大学の敷地内はそわそわした気配が漂う。特に一時限が始まろうとするいま、この保健室が入った四号館は教室がないというのにざわめきまで感じられる。
 世田透がこの母校に勤めだして五年め。ためらうことも戸惑うこともなくなった。
 もっとも、付属の大学病院で三年間の研修を経たわけだが、そのときに比べれば、ここに勤務し始めた当初でも精神的に余裕があった。
 館内を進んで保健室に入ると、透はただのお飾りという縁の太い眼鏡をデスクに置いた。
 なぜ必要のない眼鏡をするかといえば、顔を目立たせないためだ。素顔でいると、どうにも保健室を訪ねてくる女子大生が多くなる。そう気づいた二年めから始めた。一八六センチという背の高さで目立つのはどうしようもないが、ささやかな防衛だ。
 自分が女の目を惹くという現象は学生時代からあったことだが、遠巻きのことが多かった。それは距離のせいかもしれない。保健師と女子大生では明らかに立場が違い、彼女たちからすれば嫌われたときにはここに来なければいいという、つまり失うものはないのだ。ましてや、保健師として下手に退けられないだけに遠慮がない。
 結婚から得られるパートナーの存在があればそんな問題は即座に解決するだろうが、あいにくとそうするまでに至っていない。まもなく三十になるものの、性欲処理はともかく、結婚という契約になると願望もなければ、成り行き任せにする気にもなれなかった。
 そういうわけで眼鏡はすっかり定着したが、この時間帯に保健室を利用する学生はそういるものではなく、掃除のときは外すというのも習慣だ。
 透は空気を入れ替えようと、診察側とベッド側の両方の窓を開放した。その矢先、入り口の戸がノックされた。
「どうぞ」
 反射的に応答すると、ためらいがちに戸が開いた。
 姿を現したのは、中背と捉えるにはちょっと小さすぎるかという女子大生だった。
 入るまえにちょこんと顔を覗かせるあたり、子供みたいだな、と思ったのが最初の感想だ。
 くるくるさせた茶色い髪は胸下までと長い。そういえば目もくるくるしているなと思いつつ、透は素早く全身に目を走らせた。
 ヒスイ色のチュニックにショート丈のジャケットを羽織ったジーンズ姿は、今時という言葉に違わない恰好だ。細いというわけでもないのに、最初の子供みたいなしぐさを見た影響か、華奢なイメージを受ける。
 気をほぐしてやらないと、という気持ちが透の口もとを少し緩める。
「遠慮はいりませんよ。どうぞ入ってください」
 戸惑っているというにはどこかしっくりこない表情の彼女を招く。すると、笑みが浮かんでその雰囲気がぱっと晴れた。美人という概念は似合わないが、可愛いと表すにも何か物足りない。
「おはようございます」
「おはようございます。どうしましたか」
 心持ち彼女の視線が浮く。
 なんだ?
「えっと……おでこをケガしたので」
「座ってください。診ましょう」
 デスクの傍の丸椅子を指差した。
「名前は? 学部と学年も」
「経済三年の七瀬ミチルです。転んでぶつけました。ドジですね」
 丸椅子に腰かけながら名乗ったミチルは、澄んだ声でおどけたように付け加えた。
 ミチルの手で前髪が掻きあげられて額があらわになる。コンクリートとか、ザラザラした面で擦ったようなすり傷だ。血が滲んでいる。
 転ぶのはともかく、この年で地面に額をぶつけるとは小学生並みだ。いや、幼くても普通は、人間の本能で手をつくほうがさきのはずだ。そういう本能も最近では鈍りつつあるのか。
 なんとなく、ケガしたとき祖母がよく口にした『舐めときゃ治るよ』という言葉を思いだした。
 口内は雑菌だらけだとわかったいまになると、まるで間違った処方だ。
 けど。
 いや……それはまずい。
 って……おれは何を考えてんだ?
 至らぬ誘惑に駆られた透は自問自答して、直後にはなぜか疾しくなり、ごまかすように笑みを浮かべた。
「可愛い顔を傷つけてはいけませんね。場合によっては、いわゆるケロイドができますから気をつけましょう」
 何がどういう効力を放ったのか、彼女の丸っこい瞳はますます大きくなった。びっくり眼には透が映っている。
 ロックオン――そんな言葉が浮かんだ。

 Ⅱ.触れたいkiss 

 ちょっとだけ口角が上がり、ミチルの斜め頭上で保健師のくちびるは絶妙な弧を描いている。
 可愛い、という、ミチルにはめったにない賛辞を一瞬、聞き逃してしまうほど見惚れた。
 ミディアムレイヤーの髪は緩く流れるようで、傍に見える顎のしなやかなラインは完璧だ。二重でも無駄に大きくない目とすっとした鼻、それにちょうどいい厚みのくちびる。触れたくなるほどバランスが抜群だ。
 何より、そのくちびるはどんなキスをしてくれるだろう。
「ベッドに行きましょうか」
「え?」
 ミチルは目を瞠る。
「見たところ傷口に汚れは付着していないようですが洗いましょう。水ですから害はありません。念のため、こぼれて目に入らないように横になるほうがマシです」
 とたんにミチルの顔に血が上る。現状が飛んでいて、保健師の言葉をへんに受けとってしまった。まさかの勘違いを知られたとは思わないものの、いま口を開けばとんでもないことを口走ってしまいそうな気がする。返事はうなずくだけにして保健師のあとに従った。
 ベッドに移って横になると、それはそれでどきどきする。
 だいたいにおいてスキンシップがなぜか苦手であり、キスしたいなんて思ったこともないのに。
 どういうことだろう。
 ここに来る破目になった、そもそもの理由がもたらすどきどきとは全然違う。
 ベッドのすぐ傍に置いた棚の上に必要なものを並べると、白衣のボタンがミチルのほうを向いた。
 しなやかな指先が額から前髪を払いのける。思わず目をつむった。
「そのまま目を閉じていてください」
「はい」
「少しこっちを向いて」
 頬に軽く手のひらが添えられる。ひんやりとしてふるえた。冷たさにそうなったのではなくて、もっと、と思ってしまう。
 肌が火照って、それに気づかれたらどうしようと焦った。傷が沁みるせいにしよう、と思いついたのはいいが、全身傷だらけというわけでもなく、言い訳にするには無理がある。
「目を開けて大丈夫です。洗浄は終わりました」
 いっそのこと目をつむっていたほうが心の平温は保てる。が、見ていたいという誘惑には負ける。

 
 
.....試読end.

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