魂で愛する-MARIA-

epilogue 魂で愛する

# 95

 一寿が警告したとおり、連れられて帰ったとたん、すでに千重家に来ていた莉子たちも含め、だれが何を云っているのかわからないほど一斉に声をかけられた。
 途中で和久井家に寄ったのだが、そうして破れた服のまま帰らなくてよかったと心底から思った。
 一寿が大まかな説明をしても、しばらくはだれもが落ち着かなかった。早めに始めたらどうなんだ、という史伸の提案で誕生パーティをスタートしたなか、プレゼントを開けてそのたびにあたしが歓声をあげていると、やっとリラックスした雰囲気になっていった。
 食事の最中に花束が届いたという知らせが入ったときは、また緊張がぶり返しそうになった。ただ、その届いた花束を見るとだれもが目を瞠り、それからおもしろがった気配が蔓延した。
 それは様々な種類の赤い薔薇の花束で、あたしが抱えたら姿が見えなくなるほど大きい。バースデーカードに書かれていた力強いサインは吉村のものだった。

「今時、そういうことをしてくれる人もいるのね。情熱を感じるわ」
 莉子がからかう。その対象となっているのはあたしではなく一寿だ。一寿は馬耳東風で通している。
「アオイ……いい子、だか、ら……たくさん、愛、される……」
「そうだな。いつかよその男に取られることを思うと悔しいな」
 多香子に続いて云った伶介は顔をしかめている。
「あら。アオイの結婚はたいへんそうね」
「反対されても結婚するくらいに勇気のある男でなければ、アオイをやるにはもったいない。うじうじとプロポーズもできないような男もだめだぞ」
 今度は莉子に続いて、寿直が苦言を呈する。
 本人を差し置いて話が飛躍しすぎている。

「あたし、まだ――」
「まだ? アオイ、あなたは早く好きな人と結婚するべきね。どんなに幸せになったって罰なんて当たらない。むしろ、当然だから」
「莉子姐さん、ありがとう」
「千重家の娘としていつでも嫁いでいくといい」
 旺介までもが気の早いことを云う。
「おじいちゃん、だからまだそういうこと全然考えてない……」
「だな。急いで結婚することない」
 云いかけていたあたしをさえぎったのは史伸だ。
「なるほど、史伸」
「なんですか」
「おまえも花婿候補の一人というわけだ」
 あたしが目を丸くして隣にいる史伸を見上げると、否定するわけでもなく、そのわりには素っ気なく一瞥して手にしていたワインを口に運ぶ。
 直後に背中からはひどいため息が聞こえてきた。

 振り向くと、史伸とは反対側の隣席にいる一寿もまたあたしを一瞥する。
 不快そうで、それは吉村のことがあったばかりだからだろうか。あたしは自分が結婚できるなど思ったことはないし、一寿も有吏本家に尽くし、決められた結婚をしないでいいのなら一生独りでいるだろうと思っている。千重家にどれだけ尽くしても、あたしがもらった幸せは返せない。必要とされるまでここにいたいと思う。一寿がずっと抱いてくれることも疑っていないし、だからそれでよかった。

「あたし、結婚なんて考えてない。追いだしたいんならべつだけど、いまがずっと続けばいいって――」
「こっちの事情も察してほしいですね」
 と、あたしをさえぎり、一寿がめずらしく感情をあらわにしてぶっきらぼうに発した。
「事情なんて考えてたら、あなたの場合、いつまでたったって埒が明かないわ。この三年が証明してない?」
「片づかないことがあったからだ」
「それで?」
 莉子は挑むように促した。
 一寿は再びあからさまにため息をつく。
「すべてとは云いませんがどっちも一応の方はつきました。さっきからなんなんですか。どうして明日まで待てないのかわかりませんが」
「あら。ですって、みなさん」
 莉子はしたり顔でテーブルを見回した。有吏本家の詩乃を思い浮かべると一族の女性たちは皆がそうなのか、夫を立てながらも息子には絶大な力を及ぼす。

「毬亜」
 どういう応酬だったのか、傍観者でいたあたしはふいに呼ばれてハッとして一寿に目を向けた。
「何?」
 一寿は一つ息をついたあと、いったん口を結び、そして切りだした。
「誕生日のプレゼント、思いついた」
「ほんと? うれしい。なかったら、ねだろうって思ってた」
「気に入らなかったらそれを聞いてやる」
「うん」
「結婚するぞ」
「……え?」
「おまえのまえから消えることもなく待つ必要もない。おれは生涯、そうしたいと思ってる」
 どうだ? そんなふうに一寿は首を傾ける。
「結婚……できるとか思ってなかった」
「価値がないとかいう言葉は嫌いだ」
 一寿があたしの気持ちを先回りして制した。云うつもりはなかったけれど、思ったことを否定はできない。だからこそ、うれしいと云うには言葉が物足りなくて、そのかわりに浮かべた笑顔はめいっぱい広がった。
 一寿は目をわずかに細くしてしかめたような顔になる。けれど、不愉快だというのとは違う。
「プレゼントは欲しい、欲しくない、どっちだ?」
「欲しい! ありがとう、一寿」
 固唾を呑んで――と、そんなふうに見守っていただれもがほっと息をつき、そして。口々におめでとうと二回めになったお祝い言葉を浴びせた。


「なんだか……夢見てるみたいな気分」
 千重家のあたしの部屋で一寿とふたりきりになると、開口一番そう云ってあたしは首をすくめた。
 一寿は窓枠に腰を引っかけていて、その正面でベッドに座ったあたしを見下ろし、首をひねって無言で問う。
「誕生日のプレゼント、ありがとう。いままでで最高の誕生日」
「今日のことがあって、できたプレゼントだ」
「うん。あたしは、一寿と丸一日すごせる時間が欲しいって思ってた。一寿には気を抜く日がなくて、だから本当に休んでほしいと思って。それなのに予想外のことがあって、いろんなことがありすぎて……七年間を一度に経験した感じがする」
 一寿は顔を逸らすようにしながらわずかにうつむいて、しばらくそうしたままでいた。今日のことを、あるいはこれまでのことを思い返しているのかもしれない。

「この三年のことはともかく、丹破一家にいたときのことをおれに対して後ろめたく思うことはない。無駄に冷たく当たってた――まさに当たってたんだけどな――そういう時期があっても、この三年はそう悪くなかっただろ?」
 ようやく口を開いた一寿は、半ばからかうような雰囲気で問いかけた。
「悪くなかったって控えめすぎるよ。丹破一家のことを云うと怒るかもしれないけど、あのときがあたりまえっていう感覚はまだあって……だから、いまは……あたしには幸せすぎるって思ってる。ちょっと怖い」
「怒るなら、おまえに対してじゃない」
「……吉村さんに怒ってた?」
 一寿は短く息をつくと、肯定とも否定ともとれない曖昧さで首を振った。

「今日云ったことは本音だ。おまえと一月さんの邪魔をしたことも本当だ」
「……すごくショックだった」
「だろうな。それでおまえが一月さんを選ぶことになってもしかたないと思った」
「そうしたら……一寿は身を引いたの?」
「わからないな。ただ、いまは一月さんに気持ちだけは負けてないっていう自信はある。選択の結果よりも、おまえの信用をなくすことのほうが怖かったかもしれない」
「云わなければよかったのに」
「おまえなら同情してくれるとも思った。おれのいちばんの忠臣だ」

 云わなければ、だれも知らないことなのだからそれですむのに、あえて一寿が打ち明けたのは、あたしに嘘を吐いたままでいたくなかったから。そう考えたら、一寿はあたしにこれ以上になく忠実なのだ。置いてけぼりにして、あたしの気持ちも含めて吉村さんとちゃんと整理する時間を与えた。

「うん。一寿があたしを信用してくれてるから、裏切りたくない。一寿が吉村さんに云ってたのはこういうことでしょ。もしも裏切りに見えるとしても、それは見えるだけで、本当は相手のことを考えてやってるってこと。あたしと一寿はそうだよね?」
「アツシからコンタクトがあったことをおれに話さなかったのもそうだな」
 それは嫌味に聞こえなくもない。
「……怒ってる?」
 おずおずと訊ねると、一寿はため息をついた。

「怒ってない。結果的に思いきれた。一月さんのことでぐずぐずしてる自分にずっと嫌気がさしてた。騙しておまえを手に入れてることがいかに自分にとって頼りないことか、だんだんきつくなってきてた」
「あたしは……ショックだったけど、いまは聞けてよかったって思ってる。一寿があんなふうに思ってくれてたって知らなかったから。自分でもいつ気持ちが変わったのかわからなくて、吉村さんに会いたいかって訊かれてもわからなかったけど……。会いたいじゃなくて会えないと思うようになってから、あたしの気持ちは吉村さんから離れたのかもしれない。一寿はあたしのことを考えてくれてた。カズだった頃も。そうわかってたからよけいに」
「名前を奪っても?」
「だから、よけいに毬亜って呼ばれると特別だって思わせられるよ」
「おまえはいつだって一月さんをまっすぐ見ていた。なんの打算もなくそういう感情があることをあの頃、はじめて知った。うらやましかった。千重家があっておまえを助けたわけじゃない。千重アオイという名前を与えれば、一月さんがいなくてもおまえは死なない。おまえは裏切らない。そんな確信だけは不思議とあった。約定婚の話は悪かったと思ってる。おまえはだからおれに幸せにしてもらう権利がある。そうする」
 一寿は断固として宣言する。
 あたしは立ちあがって一寿の正面に立った。じっと見つめてくる眼差しは、探るようでいて希求するようだ。

「吉村さんが、一寿に隙があったらさらいに来るって云ってた」
「おまえがおまえの意志でここにいる以上、隙なんてつくるわけない」
 一寿は即座に云いきった。曖昧ではなく、こんなふうに断言してくれることは心強くてうれしくて、そうして、一寿はあたしから不安を追い払ってくれる。
「一寿」
「ああ」
「やっぱりちょっと怖いかも」
「そのうち慣れる」
「うん。でも、慣れるのももったいない」
 一寿は可笑しそうに笑みを浮かべた。気取ってもかまえてもいない。そんな笑顔はあたしだけしか知らない。

「……今日もこのまま帰る?」
「っておまえが誘うんなら、遠慮なく抱く」
 突然、火がついたように一寿は躰を起こしてあたしの躰をすくった。
「一寿?」
 ベッドに倒されて見上げた、一寿の目は、とことんやるぞ、と云っているみたいに見えた。
「おまえがほかの男に抱かれてもおれが平気だと思ってるんなら大間違いだ。忘れさせてやる」
「うん。一寿、一寿とは離れてても繋がってるって気になるの。気持ちがいつも傍にあって、同じもの見てる感じがする。だから、一寿といられなくなることなんてないと思うの。それくらい一寿が好きだから」
 それを永遠というのならそうなのかもしれない。
「毬亜」
 一寿の声は天を仰いで祈るような様だった。
 切羽詰まったような気配でくちびるがふさがれ、そして離れた。

「生涯を越えておれは毬亜を愛する。果てはわからなくてもそんな気がしている」
「うん、うれしくて死にそう」
「ふたりでそんな気分になるのもいい」
「うん」
 笑みを浮かべたくちびるが近づき、触れる寸前で一寿は止める。そのくちびるがかすかに開く。まるで魂が魂を呼びだしている。そんなふうに感じた。
 果てはわからなくても、ただそこに一寿がいることだけはわかっている。
 目を伏せたとたん、合わせたくちびるを通して魂と魂が触れた気がした。

− The Conclusion. − Many thanks for reading.

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