魂で愛する-MARIA-

第6話 摧頽(さいたい)(みだ)りに淫ら−

# 33

 カズの肩にもたれた頬が浮いてしまうほど、あたしはびくっとおののいた。顔を上げれば、カズの背中越しに吉村が見えるに違いなく、あたしはそうできなかった。反対に、隠れるように躰をカズに押しつける。カズの腕が腰を締めつけたかと思うと、次の瞬間には真逆に引き離された。
 あたしの躰をベッドに横たえてカズは躰を引く。快楽から一気に冷めた躰は内部まで縮こまっているのか、男根がずるりと抜けだしていくきつさは、犯した男たちがもたらすものと同じ感覚だった。

 呻くようなあたしの喘ぎ声をカズの薄笑いが引き継ぐ。
 カズはあぐらを掻いた脚を片方だけ解いて、わずかに躰の向きを変えながら吉村を見やった。

「目のまえに女がいて、そいつが気に入ってるんなら抱きたい。女の意思なんて関係ない。そう教わったつもりです」
「下っ端が目上の囲い女(かこいめ)に手を出していいと教えたつもりはないが」
「一月さんがそうおっしゃるんでしたら、おれの聞き間違いだったようです」
「聞き間違い?」

 怪訝にした吉村の質問は、肩をそびやかしたしぐさでかわされた。
 腹の探り合いをするような沈黙がはびこる。灯った火があればふっと消えてしまう。そんな酸素不足を引き起こしている。あたしはカズに寝かされたときのまま、じっとして動けなかった。

「いつからだ」
「一回でも百回でも問題は変わらない。少なくともアオイに関しては。ですよね?」

 カズは吉村に何一つまともに答えない。何を企んでいるのか――違う、吉村さんについていけとあたしに云ったカズが“一月さん”と慕っているのは確かであり、それならば真意は何か。いまあたしが気づいたのは、カズは最初から吉村がここにやってくることをわかっていたのではないか、ということだった。

「おれは、おまえの親父さんには恩義がある」
 そう云って吉村が動く気配がした。
「カズ、だからといって何をしても許されるとは思うな」

 ベッドが揺れる。それを体感した直後、カズはベッドから蹴り飛ばされていた。
 呻き声とあたしが息を呑む音はどちらが大きかったのか。
 ベッドに飛び乗っていた吉村は、すぐさまおりて、床に転がったカズに歩み寄る。

「息子は所詮、息子。ちやほやされて育ったアマちゃんか」
 云い捨てながら吉村は、肩を手でかばいながら起きあがろうとしたカズの腹部に蹴りを入れた。カズは背後の壁にぶち当たり、反動でまえに倒れながら躰を折る。
「下っ端がおれの意に背くのを容赦するとでも? 甘く見られたもんだ」

 吉村はカズの腹部を踏みつけた。ぺちゃんこにする気ではないかと思うほどぐいぐいと足はのめりこんで見える。
 驚怖に身を縮めていたあたしは、気づけばベッドからおりていた。

「吉村さん!」
 吉村の腕を引っ張ると足はカズから離れたが、振り向きもせず、再び足の裏でカズを蹴り飛ばす。
「可愛がってやってる礼もなしに徒(あだ)にするとはな。落とし前はどうつけてくれるんだ」
 いつも冷然とした吉村が激昂していることは間違いなかった。

 吉村さんを止められないのなら――
 あたしはとっさにカズの上に覆い被さった。

「アオイ、どけ」
「あたしが悪いの! あたしはバカで、どうしようもないって思って、だからカズはなぐさめてくれただけ」
「どけと云ってる」
 あたしは首を激しく横に振った。
「踏みつけられて当然なのはあたし。あたしの躰は全然惜しくないから」

 あたしの躰は借り物だ。なんの値打ちもない。そんな躰でも抱きしめてくれたカズは、あたしの知らない多くの人にとってきっとかけがえのない人なのだ。
 苦痛を覚悟したのに、それはいつまでたっても起こらない。
 無意識に息を詰めていたあたしは、殺されてもいいと思ったこととは裏腹に生きることを欲して、苦しさに喘いだ。

「出ていけ」
 吉村の声は静けさを取り戻していた。踵を返したらしく、背後の足音が遠のいていく。
 あたしは固まったように動けなかった。逆に、とても動けるとは思えないほど手ひどくやられたカズのほうが立ち直りは早かった。
 息をついたカズはあたしの腕をつかんで一緒に上体を起こした。

「カズ……」
「大丈夫だ」
 受け合った言葉のとおり、暴行されることさえ織りこみずみだったのか、カズは堪(こた)えているふうではない。けれど、あれだけのことをされて痛みがないはずがない。
「でも……あたしのせい……」
 カズは顎をしゃくるように首を振って、それ以上を制した。
 立ちあがったカズは一度大きく息をつき、寝室を出ていった。

 あたしはその背中を見ながら、カズを見るのはこれが最後になるのだろうと思った。吉村もカズもいない。そんな自分がどうやってここで生きていけるのか、想像もつかなかった。

 やがて浴室の戸が閉まる音を聞きつけると、あたしはようやく立ちあがってリビングに行った。
 すると、吉村は帰ることなく、こっちに背を向ける側のソファに座って煙草を吸っていた。顔が見えないことは救いなのかどうか。
 カズはリビングに戻ってくると、あたしを見据えた。

「アオイのせいじゃない。おれは、一月さんが腹を立てて当然のことをした」
「ちが――」
「アオイ、いつか……一月さんじゃないだれかが必要になったらおれを呼べ」
 カズはあたしの否定をさえぎって、ちょっとまえ云いかけていた続きを口にすると、見向きもしない吉村に向かって深々と一礼をした。
「一月さん、お世話になりました」

 カズが出ていった部屋は、まるでだれも存在しないかのように静まり返った。ただ、煙草の薫りだけが息づく。
 吉村は腹に据えかねていて、帰ってしまっていてもおかしくなかった。いまここにいる意味を考えても、後ろ姿から読みとるのは当然あたしには無理で、埒が明かない。
 値打ちのない躰を抱きしめてくれたのは吉村もそうだ。いまここにいることではなく、いまここに来たことに意味があるのかもしれなかった。
 けれど、そんなふうに意味を求めることは愚かなのだろう、きっと。

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