NEXTBACKDOOR|オフリミット〜恋の僭主〜

Chapter2 This is my life.

2.runaway love   #1

「有吏戒斗(ゆうりかいと)だ」
 いかにも上から目線で、男が自分から名乗ったにもかかわらず、どこのだれだ? と航は内心で吐きながら眉を寄せた。
 祐真から、会わせたい奴がいる、と聞かされたのは今日、航が良哉と一緒に祐真を訪ねて東京に着いてすぐのことだった。祐真の家に荷物を置いてやってきたのは、楽器も音響もひとそろいしたレンタルスタジオだ。そこに男――戒斗は待っていた。
 戒斗は航よりも二つ年上というが――ましてや大学生でありながら妙に落ち着きはらっている。
 根っからのリーダータイプか。ひょっとしたら学生で起業した強者か。
 航たちとかわらず背が高く、その容貌もラフな服装から窺える躰つきも、できすぎなくらい美形であり自信に溢れているのは確かだ。
「日高良哉です」
 良哉が丁寧に応じるなか――
「藍岬航だ」
 と、戒斗を真似て航が尊大に名乗ると、気分を害した様子もなく、逆におもしろがってくちびるを歪めている。
「いい感じだ」
 その言葉は、第一印象を指してそう云ったのか、だれに向けたのかもはっきりしない。
「無駄に威張りくさった感じだな。何者だ?」
 不躾にも航は戒斗に第一印象をそのままぶつけ、それから祐真に訊ねた。
 戒斗は呆れたように首を横に振り、祐真はハハッと相変わらず軽薄そうに笑う。
「航、おもしろいだろ。いまからもっとおもしろくなるさ。なあ、戒斗」
「期待してる」
 祐真と戒斗が通じ合ったふうに言葉を交わす一方で、航と良哉は怪訝そうに顔を見合わせる。良哉がさきに口を開いた。
「祐真、なんの話をしてんだよ、こんなとこに連れてきてさ」
「ここを見ればわかるだろ。久しぶりにセッションしないかって誘ってる」
「三人で? ……四人で?」
 航は戒斗を一瞥してから人数を増やしてみた。祐真は薄らと笑う。
「四人でなきゃ、なんのために戒斗を呼んだと思ってる?」
「……へぇ……」
 航はあらためて戒斗を見やった。訊きたいことがあるなら訊いてくれといったように戒斗の首がかしいだ。
「あんた、何やるんだよ」
「“戒斗”でいい。おれはベースをやる。といってもやり始めて正味一カ月だ」
「……は?」
「一カ月って……」
 航の間の抜けた声と良哉の呆けたつぶやきが重なった。
「ははっ、戒斗、もったいぶらないで正確に云ってやれよ。でないと、テク見せるまえに航たちにめっちゃくちゃ云われるぞ」
 祐真の言葉を受け、戒斗はおどけてひょいと肩をすくめる。
「ベースのまえはギターやってた。といっても独学だし、歴は四年くらいでそう長くない。めちゃくちゃ云うのは、セッションやってからにしてくれると助かる」
「オーケー。“お手並み拝見”はお互い様だ」
「曲は何やるんだ?」
「おれが作ってきた」
 良哉の問いに答えながら、祐真はスタジオの隅に行って、持ってきたバッグを椅子に置くとファスナーを開けた。
「作ったってわざわざか。おまえ、デビュー控えてよくそんな時間があるな」
 祐真は東京の高校に進むと、夏休みに入ってから路上ライヴを重ねていた。それが大手の芸能事務所の目に留まり、まもなくデビューすることが決まっている。それでも浮かれることなく――いや、祐真はそれらを当然だと思っているかもしれないが、なんの変化も見せない。航は祐真らしいと思う。
「ていうかさ、航、曲作りがおれの仕事になるんだけどな。テレビに出る仕事はNGにしてるし、音録りもスタジオにこもりきりだ。息抜きしたくなる」
「息抜きで作曲って、云ってくれるな」
 航のしかめた顔を見て、祐真は揶揄するような笑みを浮かべた。
「メロディラインだけだ。イントロにアウトロ、アレンジと肉付けはおまえらに任せる」
 祐真がそれぞれに配る楽譜(スコア)を受けとりながら、航は呆気にとられる。
「いまから?」
「できんだろ?」
 祐真ははっきり挑発した。
「祐真、おまえ、相変わらずいい性格してるな」
「って云いながら良哉、おまえも航も、音もケンカも楽しんでたはずだ。楽しみを提供するのがおれの役目だ。だろ?」
「確かに楽しみにはなる」と云いながら航は戒斗に目を転じた。
「作曲系、できるのか?」
 訊ねると、戒斗は、祐真、と呼びかけ――
「アレンジャーだってお墨付きもらったって云っていいんだよな」
「ああ。間違いない。だからおれはベースに転向しろって云ったんだ」
「だそうだ」
 と、戒斗は航に向かった。
 ギタリストをベーシストに転向させたということだろうが。
 わざわざそうする理由はなんだ?
 航は再び自問自答をした。その答えが出ないうちに――
「じゃあ、さっそくやるか」
 祐真が意気揚々と音頭を取り、「航、自信満々のテクを戒斗に見せてやれよ。良哉もな」と煽った。
「おれはついでか」
「ついでは良哉じゃない、おれだ」
 祐真は何を企んでいるのか、見せてやれという言葉と相対してあるのは、見てみろという言葉だ。つまり、戒斗も相当のテクニックを持っていると解釈するべきなのだろう。
 四人はスコアを持ってそれぞれに持ち場につき、良哉がキーボードでメロディをひととおり弾いて聞かせる。すると、さっそく戒斗がリズムとキーを変えてきた。戒斗のベースが繰りだすリズムに、戒斗が要求したキーで祐真がギターを重ねた。戒斗は何度も繰り返しながら祐真に注文をつけていく。その傍らで航は軽くリズムを取ることからはじめ、まもなくグルービーに音を奏でて曲に乗った。曲が終わってまた繰り返すまでの間奏はドラムとベース音で繋ぎ、まもなくそのリズムに合わせて良哉がイントロとアウトロの作曲を加えた。
「ラスト!」
 リピート演奏して何度めか、はじめに宣言したとおり、自ら曲の完成まで口を出すことはなく、あくまで戒斗の指示に従った祐真がそこではじめて意思表示をするように声を上げた。四人はそれぞれに顔を見合わせてアイコンタクトを取りつつうなずく。
 原曲を基盤にしてきれいなメロディラインを守りつつも、抑揚をつけた激しさと広がりが曲を息づかせた。
 弾き終わったあとの一瞬の沈黙、そして四人ともが笑いだした。
「どうだった?」
 だれにともなく訊ねる祐真は満足そうなしたり顔だ。
 祐真に限らず、答えるまでもなくほかの三人の顔にも充足感が表れている。
「おもしろいな。期待以上によすぎた」
「だろ? おれの目に狂いはないって」
 戒斗と祐真はどれくらい付き合いがあるのか――いや、親友になるのに付き合いの長さは関係なく、ふたりは意気投合といった雰囲気で言葉を交わす。
「おまえら、どこで知り合ったんだよ」
「路上ライヴやってるとき戒斗にナンパされた」
「は? そっち趣味かよ」
「あいにく、そっちの気はないけど、言い得て妙だ。祐真の歌を聴いて声をかけずにはいられなかったってとこだ」
 そういえば半年前くらいに、おもしろい奴に会ったと祐真が云っていたことを航は思いだす。たまに路上ライヴを一緒にやるとも云っていた。それが、いま目の前にいる戒斗なのだ。
「祐真がデビューしたら、戒斗みたいな奴が日本中にうじゃうじゃ湧くんだろうな」
「良哉、未来のファンを虫みたいに云うなよ。それに、おだててもなんもやんねぇぞ。……ってか、いま、おまえらに最大級のプレゼントしたよな、おれ」
 祐真は三人を見渡して、どうだと威張りくさった様で顎をしゃくった。
「なんのことだよ」
「だから、いま楽しかっただろって話だ」
 それを最大級というのなら大げさすぎる。まだ何かあるような気配で祐真はにやりとした。
「……で?」
「航、一年後、東京に出てくるんだろ? 良哉も」
 祐真にかわって戒斗が訊ねた。
「ああ、そのつもりだけど」
「バンド活動する気ないか。おれと、最初は三人で」
 戒斗の申し出は意外で、航は目を見開いた。
「趣味で?」
 思わずそう訊ねたのは、それにとどまらない気配を戒斗から感じとったせいだ。訊ねたというよりは確かめた。
「趣味で人と時間を合わせるほど暇じゃない」
 何様だといった発言で答えが返ってきた。
「本気なのか」
 と、今度は良哉が祐真に確認を取っている。
「戒斗はやりたいことに飢えてた。だろ?」
「ああ、そのとおりだ」
「航も良哉もそうだ。戒斗はチャレンジャーだし、おまえらも含めて、おれが見込んだんだからさ、絶対にやれる」
「肝心のボーカルとギターはどうすんだよ」
「探すだけだ。いま常に気にかけているし、時間があれば探しに出ることもある」
 戒斗の先刻の言葉をそのまま前提に考えれば、暇はないのに暇を見つけてそうするのは、真剣だという度合いの高さを示している。
「探すって……」
「良哉、演奏だけなら、当面はキーボードで間に合うだろ?」
「念のため、独断で決める気はないし、見つかったとしてもそいつに話すのは航と良哉がこっち来て、見てからでいいと思ってる」
 祐真に続いて戒斗の言葉を聞くと、“度合いの高さ”くらいの話ではなく、ごく真剣に将来を見据えていることが察せられる。航と良哉は顔を見合わせた。
 航はこれまで、趣味で終わろうがドラムを極めるつもりでやってきた。漠然とそれを仕事にすることを想像したこともある。ただ、こうまで具体的に将来を見ることはなかった。いま、おれはドラマーだと肩肘を張らず名乗っている自分が脳裡に出現した。
「良哉?」
 航が見やると、良哉もまたなんらかの結論に達したらしく興じた面持ちでうなずいた。
「わかった。やってやる」
 恩を着せたわけではない。航は迷いなく宣言した。
「バンド名は“FATE”だ」
 戒斗は前々から決めていたのだろう、そこは譲れないといったふうに告げた。
「ファンタジーな名前だな」
「ファンタジーじゃないっておれたちで証明すればいい」
「なるほど。けど祐真、こういうまわりくどいことしないで、なんでバンドの話、最初から云わねぇんだよ」
「戒斗は完璧主義だからさ、黙っておいた。予備知識はよけいだ。即興のほうが実力もフィーリングもお互いにわかりやすい」
「おれたちを試したってわけだ」
「戒斗じゃない。おれの案だ」
 祐真は降参するようにホールドアップしてみせる。
「航、少なくともおれらは完璧だって祐真も戒斗も認めてるってわけだ」
「そのとおりだ」
「ったりめぇだ」
 航が即行で自信たっぷりな相づちを打つと、声こそ立てなかったが三人の顔に笑みが浮かび、にやりとした航がそれに加わると、スタジオは決意と期待の入り混じった清々しいような気配がはびこった。
「祐真」
「なんだよ」
「ついでにプレゼント、もうひとつ欲しいんだけどさ」
「はっ、ずうずうしいな。で?」
「実那都がおまえのサインくれってさ」
 ははっ。
 祐真をはじめ笑い声が上がるなか、航の中にバンドという具体的な在り処が見つかった一方で、実那都がいまのように傍にはいないかもしれないという一年後が現実味を増した。

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