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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter2 This is my life.
1.恋の身の丈 #9
円花は航の視線に気づくと、ぴたりと足を止めた。そのしぐさが航に確信させた。
一緒にいた女子が急に立ち止まった円花を振り返り話しかけているなか、航を見ていた彼女の目がふと都合が悪いかのように宙に浮く。
航はまっすぐ円花へと向かった。
「悪い、工藤と話がある」
円花ではなく彼女の友だちに話しかけると、目を丸くしたあとうなずいて、さき行ってるね、と立ち去った。
残された円花はそっぽを向いているわけにもいかず、渋々と航に目を向けた。
「このまえスタジオで実那都と何話してたか、教えてくんねぇか」
「スタジオで? さあ……」
「なんかさ、実那都から避けられてる気がするんだよな。スタジオんときはさき帰るって消えたし、今日も黙って帰った。さっき良哉にフラれたっつったら、おれが実那都にしつこすぎるっつうけど、どうよ?」
円花が惚けてしまうまえに航がさえぎって云うと、彼女は意味を把握できていないかのようにきょとんとした。
「……藍岬くんがしつこいっていうか、ふたりがベタベタしすぎだと思う」
まもなく正気を取り戻した円花は、最初はためらいがちだったが、ずけずけと指摘した。
「おれが好きすぎるからな、しょうがねぇだろ?」
「よく堂々と他人に云えるね、そういうこと」
「実那都にも云ってる」
航がにやりとすると、円花は呆れ返り、天を仰ぐようなしぐさをした。それからため息をつくと――
「志望校を久築に変えるくらい、藍岬くんが西崎さんを好きだってことはわかってる」
航が知りたかったこと――円花が実那都に何を云ったかということが間接的に語られた。
「そのとおりだ。念のために云っとくと、後悔なんてしてねぇからな」
「わかってる。わたしがよけいなこと云ったの」
「よけいなことじゃねぇ」
「え?」
「それくらいで様子がおかしくなるとか、実那都の中でずっと引っかかってたってことだ。納得させたつもりだったけどな。おれの努力が足りなかったらしい。工藤には感謝することになるだろうな。もう一回、実那都にちゃんと云う機会つくってもらったからさ」
「ほんと、好きなんだね」
円花は呆れるのを通り越して笑いだした。
「ったりめぇだ。ってことで実那都を追っかける。じゃ、スタジオでもよろしくな」
「藍岬くん、西崎さんに――実那都ちゃんに謝っておいて!」
背中から呼びかけられ、航は、ああ、と手を上げて応じた。
*
実那都が送ったメッセージは、“既読”はついたけれど返事はない。実那都からやめないかぎり、いつもならメッセージのやりとりは延々と続くのに、だ。
自分が航を避けようとしているのに、無視されればさみしいなんて中途半端でわがまますぎる。
自分でもどうしたいのかわからない。違う、実那都の望みを優先するのではなくて、どうするべきかと考えなくてはならないのだ。
ため息をこぼしながら、足が止まりそうになる。少なくとも、内心では立ち尽くしている気分だった。
まもなく横断歩道にさしかかって信号機が赤になると、必然的に立ち止まらなければならない。それはそれで、また歩き始めるのに果たして足が脳の命令を聞いてくれるのか、心もとない。
止まらなくていいようにゆっくりと歩いていると、赤信号を突っこんでいくのではないかと思うくらい、スピードを出した自転車が脇を通りすぎた。車は多くはないがそれなりに往来がある。
すると、人のことながらハラハラした実那都の正面に、スリップするようにまわりこんで自転車は止まった。実那都にはできない、鮮やかな技だ。驚きつつ無意識に足を止めると、片足を地に着いて実那都の行く手をふさいだ人の顔を見、さらにびっくり眼になった。
「……航」
「早く帰んのはいい。けど、ひと言云え。おれと帰るほうが絶対早いだろ。このとおり、おまえより五分遅く学校を出ても追いついた」
「それはわかってるの」
「んじゃ、何がわかんねぇんだよ」
実那都の言葉尻に重ねるように航が問う。その顔を見ると、これまでにない睨めつけるような眼差しに見返された。
「……これからさきのこと……」
「は? どういうことだよ」
「わたし……」
云いかけて詰まったのは、どう云っていいのかわからないわけではなく、云ってしまって取り返しがつかなくなることが怖いからだ。例えば、怒らせたり――いや、それならまだましだけれど、見限られることが怖くてたまらない。やっぱり避けることとは矛盾している。いや、ずるいのだ。
航は実那都を見据えている。一向に実那都から続きが語られず、待ちわびたようにため息をついた。ただ、不機嫌そうではない。呆れて、なお且つおもしろがったような気配を醸しだしている。
「いいから、ちゃんと話せよ」
航は断固として云い、「云っとくけど、おまえの期待に添うことを云えるとは限んねぇからな」と不遜に云い渡した。
航はまるで実那都の期待を知っているかのように云う。いまから伝えることを『期待』と云うのなら、添ってほしいなどとは思わない。その気持ちが実那都をためらわせる。
「実那都」
なだめるように名を呼ばれ、実那都は覚悟をするようにすっと息を呑んで口を開いた。
「わたし、航のお荷物になってる」
「どういうとこでそう思うんだよ」
「いつも気にかけてくれてるし、航がわたしの都合に合わせてるから。こんなふうに、帰り、送ってくれたり……高校のこともそう。わたしのレベルに合わせることなかったのに……航の時間を無駄だったり犠牲にしてたり、そんな感じがしてる」
「だから、おれはやりたいようにやってるんだって云っただろ」
「違う、そこだよ」
「何が『そこ』なんだよ」
「やりたいようにやるっていう航に、わたしが甘えきってる。甘えちゃいけないことにまで甘えてる」
「実那都、甘えちゃいけないって、それ逆だろ」
「逆、って……」
「おまえがどう思おうと、やりたいことをやってんだよ。いまが甘やかしてる最大値だと思ってるんだったら大間違いだ。とことん甘やかしていいんだったら、実那都はとっくにおれにうんざりしてる。そうなりたくねぇから遠慮してんのによ。おまえが思ってることはまったくおれが思ってることとズレてる」
航の断言は宣言じみている。
「でも……」
その言葉に甘えるのはやっぱり甘えでしかない。そう云おうとしたのに、航のほうがさきに口を開いた。
「実那都、おまえは甘えてねぇよ。おれになんでも話してるわけじゃないし……例えば、家族とのこととか。だろ? 頼りになんねぇかもしれないけど、おれは……」
「そんなことない! 航は頼りになるよ。だから、当てにしてしまってる。家のことは……云って航に嫌われるのが怖いからまだ云えないだけ……」
急いでさえぎったあと、最後は尻すぼみになった。
航は何も見逃さないと云わんばかりに、実那都の目をじっと捉えている。
そうして何を見極めたのか、してやったりといったふうににやりとした。
「わかった」
「……わかったって?」
「“まだ云えない”ってことは、いつか話してくれるってことだろ。実那都に関しては、俺は気が長い。たぶんな」
「航はやっぱりわたしに甘いよ」
「だな。止めらんねぇからしょうがねぇ」
けっして離れたいわけではない。離れるべきだと思ったのに、航だけではなくて、実那都もまた自分に甘い。
もう少し。
そんなことを内心でつぶやいた。
「……怒ってる?」
そう訊ねると、そうだなぁ、と航はつぶやいて――
「こっち来いよ。乗せてく」
と、まるで違うことを云った。
実那都は首をかしげ、それから、うん、と航のもとに歩み寄った。
「怒ってないっつったら嘘になる。実那都が相手だと長続きしねぇけどな」
間近に立ち止まると、航がさっきの返事をしておどけたように肩をすくめた。
「航はわたしが望むことなんでもしそうって真弓が云ってたけど……でも航、憶えてて。わたしがいちばんやりたくないのは、航の足を引っ張ること。やっぱりお荷物にはなりたくないから」
「おれがかまいすぎるからそう思うんだろ。気をつける」
航は可笑しそうにしながら、なるべくな、と約束にならないことを付け足した。
「航はなんでもかんでも自分のせいにしてる」
実那都は吐息を漏らし、顔をしかめる。
航は実那都の頭の天辺に手をのせてから身をかがめると、覗きこむように首を傾けた。
「けど、今日は無駄な動きやらされた」
「ごめん」
「罰だって云いたいところだけど、それは実那都にとっての云い訳で、おれはやりたいからやる」
訳のわからないことを云ってニヤリとした刹那、その航の顔が急速に近づいてきた。そんなしぐさはいつものことで、実那都はまったくかまえていなかった。頭の天辺にあった手が後ろへと滑るように落ちた直後、これまでになくふたりの距離が接近し、思わず目をつむるとくちびるにやわらかいものが触れた。それは一瞬のように短くて、すぐに離れていく。無意識に目を開けたとたん、閉じる間もなく素早くくちびるが触れ合ってまた離れていった。
「航……」
「まさか怖くはねぇだろ」
航は、内心であたふたしている実那都と違って余裕でからかった。
口を開きかけると、車がクラクションを鳴らして、すぐあとには自転車がふたりの横を通りすぎる。乗っていた子は久築高校の制服だった。
「怖くはない。でも、こんなところでキ……見られちゃう!」
「見られたからってどうだっつうんだよ」
悪びれもせず応じて、「かなり手加減してるからな。本気はまださきにとっとく」と航は半ば脅かすようなことを口にした。
実那都にとってキスははじめてで、云い返せるほど平気ではいられないし、まだどきどきしている。
「乗れよ」
「航……なんだか手がふるえて落ちそう」
「付き合って二年もたつのにそういう反応、おれ、やっぱ……実那都がガチで好きだ」
「声がおっきい!」
航は声に出して笑い、それから促すように顎をしゃくった。
「んじゃ、落ち着くまで歩いて帰るぞ」
「うん」
歩きだすと、ふたりの時間もまた動き始めた気がした。通い慣れた道なのに、宝物が散りばめられているようにわくわくさせられる。
「工藤が、『実那都ちゃんに謝っておいて』、だってさ」
ぱっと航を見やると、そのくちびるが歪む。どういうことか、実那都が素早く思考を巡らせるなか。
「おれに隠し事しても無駄だっつうことだ。そんだけ実那都を見てるから」
航は得意気にふんと鼻を鳴らし、「工藤を責めたり怒らせたりしてないから安心しろ」と続けて実那都を少しほっとさせた。安堵していい理由は円花から呼ばれたことのない『実那都ちゃん』という言葉にも表れている。
「航、ミートボールのこと、ちゃんとお母さんに謝っててくれる? 嫌っていうほど出されたら、そのときは食べたふりしてお持ち帰りするから航も協力して」
航は大げさなほど笑いだした。