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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter2 This is my life.
1.恋の身の丈 #7
*
「運動会が終わっちゃうと気が抜けるよね。だらだらしてる」
月曜日は運動会のあった土曜日の振替休日になり、火曜日の今日、真弓の云うとおり学校全体が張り合いのない雰囲気になっている。
それとは無縁の、普段からバイタリティに溢れている航は鼻先で笑った。
「真弓ちゃん、暇そうだな」
「暇じゃなくってだるいだけ。藍岬くんのほうが異常なんだから」
「おれは単純だからな」
「自分で云うか」
良哉がこっそり突っこむ。
こっそりといっても、つぶやけば聞こえる距離だ、実那都に聞こえて航に聞こえないはずがない。揶揄された航は素知らぬふりで、実那都の弁当に箸を伸ばした。
「この卵焼き、実那都が作ったやつ?」
「うん」
「くれよ」
「いいよ……」
と云いかけたところで、何気なく顔を上げると円花の目と合った。何気なくではなく、実那都の本能が自己防衛力を発揮してその視線を察知したのかもしれない。
「これ、おまえが好きなヤツ。物々交換だ」
航は卵焼きを取ったあと、入れ替わりに母親手作りの夏野菜が入ったミートボールを摘まんで実那都の弁当箱に移しかける。
確かに実那都の好物だ。縁里はその季節の野菜を使ったミートボールをよく作る。航たち兄弟が小さい頃、野菜をあまり食べてくれなかったといい、そのときの努力の名残らしい。ミンチが好きではなかった実那都は逆に、あまり食指の動かなかったミートボールが好きになった。
それなのに。
「いらない!」
とっさに拒否したのは、ミートボールに飽きてまた好きじゃなくなったからではない。
かまわないで! そんな気持ちだけがクローズアップした。
そのうえ、気持ちは手にも行き届いて、実那都は左手で航の右手の甲を弾いていた。それがミートボールだったのは運が悪すぎる。航の箸から飛びだしたミートボールは、航と真弓の間からその向こうにあった机を踏み台にして、床にぽとりと落ちて転がって止まった。運が悪いのは、そこが円花の足もとだったこともそうだ。ひとつだけ運が良かったのは、だれの制服も汚さなかったこと。
自分のしたことに実那都は凍りついたような、ひやりとした感触を覚えた。できるなら、本当に凍りついてしまいたい。もしくは、せめて時間を凍りつかせ、その間に転がったミートボールを回収して、何事もなかったように時間を再生したい。
呆然とするなか、ミートボールから目を転じる場がない。そのミートボールはティッシュの中に消え、自分もそうなりたいと思考は現実逃避に走った。航の視線を痛いほど感じる。いや、真弓と良哉の視線もそうだ。
「藍岬くん、もったいないけど捨てていい?」
気まずい沈黙を破ったのは円花で、凍りついたようだったのは実那都だけではなかったと気づかされる。
「ああ、わりぃ」
一瞬にして氷が溶けたように反応した航は、円花を振り向いて返事をしたあと浅く短く吐息を漏らした。
「実那都……」
「ごめんなさい。今度、お母さんに会ったらちゃんと謝る」
航が何を云うつもりだったのか、実那都は慌ててさえぎってしまい、航は口を閉ざしてしまった。またもやはびこりそうな気まずさをどうやって払拭できるだろうと思っていると、それは航自身によって解消される。航は可笑しそうに笑った。
「母さんに云ったら、罰だって云って死ぬほど食わせられるぞ」
「もしかして、そうやっておまえも食わせられてきたのか」
「ぷっ。藍岬くんちのお母さんだったらやりそう。やさしくて厳しいって感じだもんね」
良哉に続いて真弓がちゃかし、周囲の好奇の目も離れていった。残ったのは円花の視線だ。
何か云わなくちゃ。
そんな実那都の焦りを横目に、これはもらったからな、と航は、実那都が望んだように何事もなかったように卵焼きを頬張った。
「甘くてうめぇ」
「藍岬くんて外見と違ってドーナツが好きとか、堂々と甘いもの好きを主張するってめずらしいよね」
「男のくせに、って云うんなら差別だぞ」
「そう云われてもいちいち気にするほどちっちゃくはないよね、藍岬くんは」
航と良哉は呆れたような様で笑う。
「将来、真弓ちゃんのカレシになる奴が気の毒になってきたな」
「どういう意味よ」
「ケツに敷かれる」
「間違いねぇ」
良哉の見解に航は同意し、真弓は、失礼だよ! と云い返し――
「実那都、藍岬くんなら実那都も“ケツ”に敷けるんじゃない?」
と、わずかに身を乗り出して真弓は嗾ける。
「え?」
ふいに矛先が自分に向いて、実那都は聞き返した。
「だって、藍岬くん、実那都の云うことなんでも叶えそうとこあるじゃない?」
「それは否定しねぇ」
実那都のかわりに即行で航が受け合った。
『なんでも』という言葉は大げさでも、大抵のことなら航は実那都の望みを叶えようとするだろう。望まなくても先回りして、あるいは察してそうしている。
それをただうれしいと思っていた自分が嫌でたまらなくなった。