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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter1 innocent&inhumane
3.BE MAD #5
航たちはそれぞれに練習していたのだろう、三人で音を合わせ、調整は祐真の指示のもと演奏をすること三回で終わり、そのあとに歌詞を書いた紙を渡されて実那都も加わった。
やっぱりバラードでもロックでもない“Guilty World”は好きだと思う。だれ一人として人を傷つけないまま生きることなどできなくて、そうした自分の中に生まれた罪悪感こそが有罪への罰。赦(ゆる)すのも自分しかいないという、ネガティブにもポジティブにも受けとれる歌だ。
押しつけがましさがなくて、だからだろう、もっと訴え叫ぶように、という祐真の指導は、引き受けなければよかったと思うくらい微妙なところを細かく追求してくる。
『それじゃあ子供が泣き喚いてるのと同じだ』とか、『だれかに訴えてるんじゃない、自分に語りかけるように訴えろ』とか、容赦なく厳しい。
ただ歌えばよかったはずだ。そんな実那都の責めた眼差しは軽くスルーされて、航さえかばってくれない。
繰り返し歌ったのはもう何度めか、実那都が音を上げる寸前。
「祐真、休憩だ」
ギブアップしそうな実那都を見越していたかのように、航が立ちあがってスティックを置いた。
やっぱり無理だ、と実那都が云ってしまえば、また説得から始まるわけで、航は面倒な事態をうまく避けたとしか思えない。それだけ航が実那都を見てわかっているという証明なのだろうが、素直に喜ぶには気持ち的にも喉も疲れすぎている。
航は実那都の手を取って、行くぞ、とドアに向かった。
「コンビニ行ってくる」
「おれ、カフェオレ」
「おれは炭酸水がいい」
お約束事のように祐真に次いで良哉が云い、航は軽く手を上げて背中越しで了解を伝えた。
廊下に出てエレベーターに乗ったとたん実那都がため息をつくと、航がからかった面持ちで実那都を見やった。
「祐真のヤツ、音に関しちゃ妥協しないからな」
「妥協しなさすぎ。歌うだけでいいって感じだったのに」
実那都が文句たらたらで不満を吐けば、航は失笑を漏らした。実那都に向かって、わかってないな、とおどけた素振りで首を横に振る。
「ばーか。おれは褒めたんだぞ」
「……褒めてる? どこが? 意味わかんないよ」
「祐真は妥協しないって云っただろ。ただ歌がうまい奴はその辺にゴロゴロいるし、だから、おまえはそこら辺にいる奴とは違うって、祐真に見込まれたんだよ。容赦ないのは、おまえのためでもあるしさ」
「わたしのため、って?」
「ただの発表会にして、よく歌えたねぇつって、あとから冷やかされたくなんかねぇだろ。すごかったって云わせてやんだよ」
航がかばわなかったのはそのためだったのだ。
実那都は航を振り仰いで、目を凝らすようにして見つめた。けっして冗談ではない、尊厳さでもって航はわずかに顎を上げてみせる。
「いま、航たちがすごいって思ってる」
「ったりめぇだ」
と、謙遜もせずに航は声を出して笑った。
スタジオからいちばん近くにあるコンビニに行くと、ジュースとアイスクリームと、やっぱり航はドーナツを買って出てきた。
「チョコミントって味、微妙じゃねぇか?」
歩きながら袋の中身を見て、航は鼻にしわを寄せている。チョコミントのアイスクリームは実那都が選んだものだ。
「嫌い?」
「ガムとか歯磨き粉はいいけど、甘いものと合体したヤツは食わねぇ」
「ぷっ。わたしもあんまり食べないけど、今日は暑いし、口の中っていうか喉をすっきりさせたい感じ」
そう云うと、あ、と航は立ち止まるなり――
「ちょっと待ってろ。も一つ買うのあった」
と、袋を実那都に押しつけ、それからコンビニのほうにくるりと身をひるがえすと走っていった。
航は何を買い忘れたのか、実那都は歩道沿いに植樹されているリンデンの木陰に入った。外は眩しさを通り越して、これ以上に明るい場所がほかにあるかという挑戦状を突きつけたような熱気に満ちている。アイスクリームももう溶けかかっているかもしれない。
コンビニのほうを見やると航の姿はすでになく、そうして急に視界に邪魔が入った。通りすがりかと思ったその人は立ち止まり、実那都はそこに焦点を合わせる。
すると、会ったのは一度きりだったけれど、はっきりと憶えている顔が実那都をまっすぐに捕らえていた。実那都はあからさまに驚いた顔になる。
「航とうまくいってる?」
この暑いなかでもメグは涼し気に問いかけてきた。いや、冷ややかだから涼しげに見えるのかもしれない。とても穏やかな状況とは思えず、うなずくにはためらった。
返事を期待しているふうではなく、もしくは、どんな返事であろうと次の行動は決まっているかのようにメグは間を置かずして口を開いた。
「遊びは承知だったから、別れるのはかまわないんだけど、一方的なんて納得できないでしょ。やっぱりケジメって必要なのよね。手荒にはやりたくないから、あなたにちょっと付き合ってほしいの。いいでしょ?」
と云われておとなしくついていくほどの鈍感さはない。通りには人が多く、いざとなったらどうにかなる。そう判断しながら、実那都は首を横に振った。
「航がもうすぐ来るので……」
云いかけて実那都は口を噤んだ。
メグがちらりと目を逸らしたかと思うと、彼女の周りに柄の悪そうな男たちが三人現れた。リンデンの葉の隙間を突き抜けてくる太陽光を受けて、一人の男の手もとがきらりと光った。無意識に何かと目を向けると、それは金属の装飾が施された折り畳みのナイフにしか見えない。
パッとメグに目を戻すと、彼女は、どうする? と問うように首をかしげる。
「あなたには、航を連れてくるためのオトリになってもらうだけ。それとも、いきなり航を襲いにいったほうがいい?」
航から、けんかは売らないけれど、売られたけんかは買うといって武勇伝を聞かされたことはある。実際にけんかを見たことはなく、どの程度やれるのか見当もつかない。ただ、ナイフは穏やかどころではなく、はっきり危険だ。
いま大声を上げて助けを呼ぶべきか、けれど迷った時点で判断は遅れていた。
「連れていって」
メグが発したとたん一人の男が近づいてきて、実那都の手首をつかむ。
あっ。
男はいきなり走りだした。実那都はつまずきそうになり、とっさに足を踏みだして転ぶのは避けられたものの、男は全力を出しているんじゃないかと思うほど早く走り、手を強く引っ張られるまま走らざるを得なかった。
「実那都っ」
聞き違えようもなくそれは航の声で、実那都は振り向こうとしたけれど、男についていくのが精いっぱいでままならない。
「だいじょ……ぶっ!」
――という保証はどこにもないけれど、走りながらも思いのほか大きい声で航に伝えられたのは、きっとさっきまで歌っていたせいだ。そう思うと、独りじゃない気がして、実那都は笑いそうになるくらい心強くなった。