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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter1 innocent&inhumane
2.ふぃーる #4
「航はドラムの練習しなくていいの?」
イチャイチャという言葉にどう返していいのか迷ったすえ、実那都は唐突にそんなことを問う。航がどんな反応をするのか想像もつかなくて、実那都は身構えた。
すると、航ははぐらかしたことに不機嫌にもならず、にやりとした。皮肉るのでもからかうのでもなく、なんだろう、妙に余裕を感じるような笑みだ。
「学校にはドラムがねぇだろ」
なるほどと思うまでもないことを航は答える。愚問だからといってばかにする様子はない。やはり、悠然として見えた。
「あ……そうだよね。でも、文化発表会ではドラムやるんでしょ。家から持ってくるの?」
「いんや。今年から発表会は市民ホールに変わったからな。あそこはドラムも置いてあるらしい」
ふーん、と生返事をしている間に、ギターがメロディを奏で始めた。
「航は祐真くんみたいに作曲はしないの? ギターとか弾いたりして」
「祐真は歌作りにこだわっていて、ギターはその手段にすぎねぇんだ。おれは作曲はやらねぇ。テクを磨くほうがさきだ」
「ホントにドラムが好きそう」
航は今度こそ愚問だとばかりにひょいと肩をそびやかした。
「おまえは好きっていうの、ないのかよ」
「ないよ」
実那都が答えると、あっさりしすぎたのか、航は眉間にしわを寄せて顔を近づけてきた。顔を引いてしまうのが実那都の条件反射になっている一方で、航がそれを最低限にとどめるために実那都の後頭部を手のひらで受けとめるのも条件反射的だ。
「ない?」
確かめるような訊き方には脅しも込められている。
「……何かある?」
自分のことを航に問うなど、まったく無意味だ。けれど、ないものはない。
航はやたらと長くため息をついた。呆れているのではなく、がっかりしたという雰囲気だ。航の手が力尽きた様で頭の後ろからすとんと落ちるように離れた。
「せっかく告白させてイチャイチャする機会をつくってやろうって思ったのによ、なんでそうやって冷めてられるんだ」
「告白……って……」
「好きなのがないか訊かれて、普通におれが好きって云えないのかよ」
強引な云い分だ。それに、航から云われたこともないのに。
――と、内心でつぶやいた直後、実那都はハッとした。
無自覚にそんなことを思うのは、ただの不満? それとも不安?
実那都は自分に問いかけてみたけれど、答えは出ない。
「……簡単には云えることじゃないと思うけど……」
つぶやくように云い返してみると、航は左の肘を机の上について、その手のひらに顎をのせ、首を傾けて実那都をじっと見る。
「実那都、おまえってさ、いつも一歩引いて見てるよな」
航は何が云いたいのか、実那都は急いで考えめぐった。
一歩引いて見ているというような自覚はないけれど、積極性に欠けていて様子を見ながら行動している嫌いはある。
五月の末にあった体育祭では、実那都たちのブロックが総合優勝をした。そのなかで特に三年生たちは有終の美を飾ったことへの達成感もあって、快哉(かいさい)とも奇声とも云えるような声をあげてはしゃいでいた。実那都がその輪の中にいたかというと、いちばん外側にいて、はしゃぐ航たちを見て楽しそうと思っていた。
航が実那都のところにやってきたときに、よかったね、と云ったら、他人事みてぇだな、と呆れたように笑っていた。騒げるときは騒げ、と実那都を輪の中に連れて行ったあと、団長がブロックのみんなに呼びかけ、号令のもと勝ち鬨(どき)のセリフを全員で叫んだ。その後のだれにともなく繰り返したハイタッチの間は実那都自身も楽しんでいた。
航が云った“他人事みたいだ”と、それを悪いように取ればどう見えるだろう。そう考えると、航が本当は何が云いたかったか、答えが一つ浮上してきた。
「べつにバカにして見てるわけじゃないから」
それは慌てふためいて聞こえたかもしれない。
航はさらに首をかしげ、それからハッと笑った。
「ったりめぇだ。そう見えてたら、おれがおまえと付き合うと思うか」
航と付き合うことになった日、泣きたい気持ちにさせられたけれど、いままたそんな気持ちになる。
体育祭のとき、自分がはしゃいでいるだけでは終わらずに航は実那都のところにやってきた。迷子になって迎えにきてもらったような気分になれた。そのときにもいまと似た感覚があった。
なんだろう、しばらくおさまっていた胸の詰まるような気持ちが甦った。安堵と不安がせめぎ合う。
「一歩引いて見てるっていうんじゃなくて……いろんなことに勇気が出せないだけで……祐真くんが云った……航も云ったけど『冷めてる』ってわけでもない。自立心旺盛でもなくて、頼るのが苦手なだけで……だから航がわたしを引っ張ってくれるとほっとするけど、ちょっと戸惑ってる」
航はにやりとくちびるを歪めた。
「だろう? けど、戸惑ってるってのはちょっとよけいだ」
「慣れてる途中だから」
「ははっ。勇気ないっつっても、おまえ、おとなしくはないよな」
航は心底から可笑しそうにして実那都を見やる。
「たぶん」
「それ、口癖みたいだな」
「たぶん……あ」
云った言葉が取り消せるわけでもないのに、実那都は口もとを手でふさいだ。
すると、航は手のひらにのせていた顔を上げて、実那都の手首をつかむとふさいだ口から離した。
「話したいことがあったらちゃんと云え。くだらねぇことでもいい。いまみたいに口をふさぐ必要はねぇ」
それからぐっと顔を近づけて、いいな、と航は強面になって脅した。
「……うん」
返事と同時にうなずくと、きついほどつかまれていた手首が解放される。
「勉強するんだろ。何からやんだよ」
「えっと……数学は得意?」
「全クラスで十番になるくらいにはな」
「じゃあ、数学」
オッケー、と航が応じ、それからの時間は、祐真のギターと良哉のピアノは別の曲を弾いているのに輪唱するようで、加えてバックグラウンドで雨が程よい効果音になっていた。雨が嫌いというわけではないけれど、それ以上に好きになりそうで、帰るときには、もうそんな時間? とがっかりしてしまうほど居心地がよかった。