NEXTBACKDOOR|オフリミット〜恋の僭主〜

Chapter1 innocent&inhumane

1.イノセンス   #5

 祐真と広場に戻ってきてから、実那都は喋る機会もなかった。成り行きに唖然としながら祐真を見送り、そして人に紛れてその姿が見えなくなったとき実那都はやっと我に返った。
 無自覚に航を見上げると、実那都と同じように祐真の背中を追っていた目が険しいままおりてきた。思わず半歩ほど後ずさる。
「怖がってんじゃねぇ」
「……そういうわけじゃなくて……」
「じゃあなんだ」
「え……っと、藍岬くんに――」
「は?」
 航はしかめた顔で実那都をさえぎり、あとは無言で威嚇する。何を咎められているのだろう。思考をめぐらせると、ほんの一時間前にも同じようにさえぎられたことを思いだす。
「……えっと……航くん」
 呼び方が気に喰わないのだと気づいて、ファーストネームで呼んでみたものの、それでも気に入らないらしく、航は狩りの標的に狙いを定めた悪魔もどきで首をひねった。

「実那都」
「……はい――」
「――じゃねぇだろ」
「わ、航……でいい?」
「いいだろう」
 と、威張りくさった様子はいかがなものだろう。さながら、椅子に座ってそのまま後ろに倒れるんじゃないかというほど、ふんぞり返った政治家のようだ。大抵そういう人はブルドッグがさらに年取ったみたいな顔をしている。ただし、航は誕生日がいつなのか、まだ十五歳にもなっていないだろうし、ブルドッグと称するには程遠い。
 いや――
「んで、怖がってるわけじゃないなら、なんで逃げようとすんだよ」
 そう云いながら、航はにゅうっと顔を近づけてきた。
 一対一では目を逸らしようにもどこを向いていいかわからない。そうして、間近でまともに見た航は、ブルドッグに程遠い以上に、意外にも端整な顔立ちをしていることに気づいた。

 今日まで航をこんなに間近に見たことはないし、がさつな言動に惑わされてしまって、その印象が邪魔していたのだ。
 二重の目は大きいけれど、目尻のほうが鋭くて甘すぎない。鼻筋はすっとまっすぐに通っていて高い。目を伏せて口もとを見ると、くちびるは薄めだけれどやわらかそうだ。
 瞼を上げると、至近距離で航の瞳と目が合った。ひとつひとつチェックしていたことがあからさまだったかもしれないと気づいてばつが悪い。ごまかすように実那都は慌てて口を開いた。

「だから……その、逃げようとしたんじゃなくて、慣れてないだけ」
「なんに?」
「あい……航く……航、に」
 云い換えて正しく云えたのは三回め、射貫(いぬ)くように実那都を見ていた航は、ふっと鼻先で笑った。小馬鹿にしているのではなく、可笑しそうだ。
「そりゃそうだよな」
 航は辺りを見回して、行くぞ、と実那都の腕を取った。
 祐真もそうだったけれど、航も女子だろうとためらわずに触れてくる。腕はしっかりとつかまれていて、その手が実那都よりもずっと大きいのだとわかる。戸惑いから冷めきらないうちに航はもといたベンチのところに実那都を連れてきて、座るよう顎をしゃくって促した。
 続いて航も座ると、鞄を足もとに置いて祐真から受けとった袋の中を覗いた。

「お、コーヒー付きだ。祐真の奴、気ぃ利くじゃん。こっちのがおまえんだろ、ほら」
 自分のドーナツとコーヒーを取り、航は袋ごと実那都に渡した。
「うん、ありがとう」
 人通りのある場所で食べることに戸惑うが、航はおかまいなしにドーナツを食べ始める。実那都はためらいつつ、クリーム入りのドーナツを頬張った。
「美味しい」
「……なんか、はじめて食べたみたいな云い方だな」
 ドーナツを食べて実那都の口が綻ぶと、航は変わった生き物を見るような目つきで彼女を見やった。
「あんまり食べることないから」
「まあ、久築辺りはないけど……こっち来ないのか」
「あんまり」
 実那都は首をすくめて、ストローに口をつけた。

「それ何?」
「アイスティ」
「コーヒーより紅茶派か?」
「うん。コーヒーはコーヒー牛乳くらいしか飲まないかも」
「ふーん……」
 相づちを打った航の視線は実那都から逸れることなく、右の頬でそれを感じて実那都は顔を向けた。
「……その、……何か……クリームついてる?」
 実那都はおずおずと訊ねてみた。
 すると、右側の口角に親指が触れる。自分の指ではない。航の指だ。航はその親指を実那都のびっくり眼に近づけ、薄く笑った。
「ついてない」
 そのとおり、親指に白いクリームは見当たらず――慣れてる、と実那都は内心でそんなことを思う。実那都と違って航が“慣れている”ことにどう感じたか、自分でもよくわからない。けれど、何かしら顔に表れたようで。
「なんだよ」
 航は怪訝そうで、考えこむように眉間にしわを寄せる。
「なんでも――」
 ――ない、と続けようとした実那都の言葉は間近で鳴った着信音にさえぎられた。

 航が制服のジャケットのポケットに手を入れてスマホを取りだした。画面を見てタップするとスマホを耳に当てた。
「なんだよ……ああ、さっきメグさんと会って、祐真が切った。……カンカンだったって? おれが知るかよ。おれはおりるけど、おまえはどうなんだよ。おまえ独りで三人引き受けて遊んでやるってのもありだぜ。……ははっ。んじゃグループ解除でいいんじゃね? 良哉(りょうや)、おれ、デート中なんだよ。……それは祐真から聞けよ。とにかくいまは邪魔すんな。じゃあな」
 航はおそらくは相手の返事も待たずに電話を切った。

 良哉というのはきっと、目立つ三人のうちの残りの一人、日高(ひだか)良哉だ。グループというのには当然ながら良哉も含まれているのだ。聞きかじったことから導けば、男女三対三のグループだったようだけれど。
「遊んでやる、ってどういう意味?」
 なんでもないと云うしかなかった、自分でもよくわからなかった気持ちは、知りたいという興味に変わっていて、気づけば実那都はそう訊ねていた。

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