NEXTBACKDOOR|オフリミット〜恋の僭主〜

Chapter1 innocent&inhumane

1.イノセンス   #2

 近くですれ違ったことはあっても、こんなに近い距離で祐真と面と向かったことはなく、実那都は反射的にびっくり眼の顔を引く。
「おい、祐真……」
「いいこと、教えようか」
 航が呼びかけているのをさえぎり、祐真は首を傾けて実那都に話しかける。
「……え……」
 祐真はいつも冷めた目でいて、その端整な顔立ちまでも冷たくして近寄りがたい。笑っていてもばか騒ぎしていても、友だちと話していても、どこか一歩退いて眺めている。実那都はそんな印象を持っていたけれど、いま見返す目はめずらしくちょっとだけ温かい。
 祐真はふと実那都から視線を外すと、挑発するように背後の航を流し目で見やり、また実那都に戻した。

「実はさ、航は西崎のことが――」
「祐真っ」
 航は声を張りあげ、祐真をさえぎった。つかつかとこっちに近寄ってくる。
「ははっ。やっぱ、的中か」
 傍に立った航を見上げ、ざまぁみろ、と云わんばかりに祐真は口を歪めて笑う。
「祐真、てめぇ――」
「隠してるつもりだったのか。おれに隠し事なんておまえには無理だな」
 祐真はふっと小ばかにした笑みを浮かべ、「航、本命いるんなら、おまえも遊びはやめたらどうだ?」と、すごんだ航をものともせず、それどころか煽っている。
 航は苦虫を噛み潰したような顔つきになった。

「ちっ。ムカつく奴」
「意味ないだろ、ケンカもオンナも?」
「意味ないって……意味づける必要ないだろ?」
「おれはもうオンナに奉仕活動する気ない」
「んじゃ、ラストだ」
「いいけど……」
 と云いながら祐真は実那都へと正面向いた。
「実那都ちゃん、実那都ちゃんも一緒に行こうな」
 いきなりファーストネームで呼ばれた。さながら、捨て猫をなだめるような、にっこりとした笑顔が向けられる。
 意味不明の会話にぽかんとしていると、立ちあがった祐真からいきなり腕を取られ、実那都の腰が浮いた。事の成り行きがさっぱりわからない。

「え、あ、一緒にって、あたし、友だちを待って――」
「祐真、おまえ何云ってんだ? こいつ連れてってどうすんだよ」
「意味づける必要ないんだろ。それを証明してくれるんなら付き合ってやっていい」
 実那都の拒絶は完全に無視だ。航に対する祐真の表情は挑むようで、訳のわからない睨み合いが始まった。正確にいえば、航が一方的に睨(ね)めつけている。
 そこへ、廊下から足音が近づいてきたかと思うと。
「実那っ……都?」
 実那都の名は、途中で痞え、間抜けな様で云い遂げられる。腕を取られたまま廊下を見やると、岡田真弓(おかだまゆみ)の呆気にとられた顔に合った。

 真弓は吹奏楽部に所属していて、実那都がその部活が終わるまで待って一緒に帰るのは日常のことだ。真弓にしろ、航と祐真との接点はなく、ひょっとしたら実那都以上に驚いているかもしれない。
「あ、真弓、待って。帰る――」
「って、実那都ちゃん、帰すわけにはいかないんだよね。真弓ちゃん、悪いけど今日はさきに帰ってくんね? 実那都ちゃんは“航”が責任もって家まで送るから」
 勝手に云いつつ、極めつけに重要なポイントは他人任せという、祐真は評判どおり、かなりの無責任ぶりだ。
「いつまでもベタついてんじゃねぇ」
 航の手が伸びて、実那都をつかんだ祐真の右腕を弾いた。
 祐真は笑いだす。それから、航の手から小箱を奪い、真弓のところへ歩いていくと、持っていた箱を差しだした。
「これ、お詫びに。じゃ」
 反射的に受けとり、祐真と同じく、「じゃあ」と片手を上げて答えている真弓は、おそらく状況処理が追いついていない。

「や、あ、藍岬くん、あたしも帰るから」
 慌てて取りあげた鞄は持ちあげたとたん、さっと奪われた。
「付き合え」
「え……嫌がってたんじゃあ――」
「“オレ”が、付き合えって云ってんだよ」
 箔(はく)をつけたセリフは、航もまた評判どおりで人に有無を云わせない。
「は……い」
 視界の隅っこのほうで、「だそうだよ」と祐真が真弓を追い払った。
 実那都はよく知らないふたりと取り残されて途方にくれる。教室が奇妙に沈黙した。が、それは一瞬で、祐真は近づいてくるなり、実那都を見下ろして薄気味悪い笑みを浮かべた。
「おめでとう」
「……何がおめでたいのか、その……よくわかんないんだけど」
「カップル成立」
「え?」
 祐真の宣言にきょとんとしていると、目の前ににゅうっと航の顔が近づいた。

「おまえ、おれと付き合うって云っただろうが」
「冗談……っ」
 ――じゃなさそうだ。とても云っていないとは主張できない眼つきだ。
「あ、藍岬くん、あたし、そのどっちかっていうとネガティブだし、付き合ってもおもしろくないと思うんだよ……ね?」
「だれも笑わせろって云ってんじゃねぇ」
「そうじゃなくて退屈させるってこと」
「いいんじゃね?」
「怒らせるかも」
「いいんじゃね?」
 けっしていいはずがない。まず、実那都からすれば航は怒らせたくないタイプだ。
「藍岬くん――」
「航、だ」
「そ……だね」
 笑ってみたけれど、顔が引きつって愛想笑いにもなっていないだろう。
「実那都」
「何?」
 実那都の名を呼びすてた低い声におののいた直後、強面が一気に剥がれる。
 はじめてかもしれない。違う、実那都限定で向かってきたのははじめてだと断言できる。
「よろしくな」
「うん」
 航の笑った顔に釣られた。

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