Chapter1 innocent&inhumane
1.イノセンス #1
中学生も最後の年という三年生になってから三週間めの終わり、新しいクラスメイトたちの顔ぶれにも慣れてきた。
とりわけ、このクラスには学年一目立つ三人のうちの二人がいて、そのせいか、クラスなりの雰囲気がすぐにできあがった気がする。来月の末にある体育祭の係を選ぶのにも、このふたりの、おまえやれよ、なんていう無責任な指名によって滞りなく決まった。
表に立って引っ張るリーダーではなく、陰で指令するという、どう見ても性質(たち)が悪い。いわゆる不良ではない。簡単に云えば、自由人だ。
ひとたび関われば振りまわされそうで、けれど、自分が関心を持たれるとも思っていない。
西崎実那都(にしざきみなと)は区切りのいいところまで読み終わると、開いていた本をいったん閉じた。
金曜日の放課後、部活の人はもちろん部活に励んでいるが、帰宅組はどこかでのんびりと寄り道をするべくさっさと帰り、ホームルームのあとの教室は空っぽになる。
けれど、今日は違った。
顔を上げると、いちばん前の席に人がいた。ベランダ側の窓際の席で、そこは女子の席だったはず。制服のジャケットを椅子に掛け、白いシャツを着た背中を向けて座っているのは、はっきり男子だ。
何をしているのだろう、左の肘を机につき、右手にはシャープペンシルを持っていてペン回しをしている。外を眺めながら考え事をしている雰囲気で、ペン回しを無意識にやっているとしたら器用だ。
斜め後方の廊下側にいる実那都からは、机の上も少しだけ視界に入る。ノートらしきものは見えるけれど、教科書がないところをみると宿題をやっているわけでもなさそうだ。
だれだろうと目を凝らしたのと同時に、実那都は耳を澄ましたかもしれない。グラウンドのほうから流れてくる、部活のかけ声や叫び声などの雑音が聞こえるなか、それとは違う声がかすかに混じっている。
メロディを口ずさむようだ――と思ったとたん、彼がだれかわかった。
「あ!」
実那都の驚きは声になってしまった。ハッとして口もとを手で覆いつつ、彼が振り返りかけているのがわかった。
どうしよう。独りきりだから、友だちと話しているふりもできない。
どうやっても逃れられないのに、実那都は亀のように首をすくめた。刹那。
「祐真(ゆうま)、これ!」
と、いきなり斜め後ろから太い声がして、実那都はびくっと肩を揺らした。
だれかと確認するまでもなく、声を聞けばわかるという藍岬航(あいさきわたる)だ。
この久築(きゅうちく)中学で、粗暴な言葉遣いや振る舞いをする男子としていちばんに思いつくのは航だろう。声が大きすぎるせいでそう感じるのかもしれない。
もともと後ろを振り向きかけていた神瀬(かんぜ)祐真は、声のしたほうから飛んできた小箱を瞬間的に受けとった。箱がカラカラと音を立てる。
「なんだよ、これ」
祐真は眉をひそめ、投げつけた航を見やった。
「バースデープレゼントだとさ」
「誕生日は昨日だし、いらねぇよ」
祐真は航に投げ返した。
実那都の横を通りながら航は軽々と片手で受けとった。
「冷てぇな」
「おまえが軟派なだけだろ」
「おまえがいらねぇんならおれがもらっとこうか?」
「いいんじゃね?」
素っ気ない祐真の答えに、航は呆れたように首を傾けた。
実那都は突発的な出来事から目を離せず、息をひそめて、おののきながらふたりの応酬を聞いていた。
いま、放課後の教室には実那都と航と、そして他人の席を自分の場所のように居座っている祐真しかいない。
学年一目立つ三人のうちの二人というのが、このふたりだ。当然ながら顔も名前も判別はつくけれど、新しいクラスになって間もないし、三年生になるまでふたりとは接点はなかったし、実那都はまともに話したこともない。
気づかれないようにと密かに念じていたにもかかわらず、航の顔が実那都のいるほうへとめぐってくる。読書に耽(ふけ)っていればよかったと後悔しながら、実那都は息を呑んだ。彼らに目を向けていたのだから視線を感じてもおかしくはない。実那都は無意識に躰を引いた。それで避けられるはずもなく、目と目が合う。
航は、パッと見、その口調の印象が強すぎて厳ついイメージだ。これまで“パッと見”くらいしかできていない実那都は、その印象の影響を多大に受けて観察する余裕もなかった。
いままともに目が合って、意外と――と思い始めた刹那、航の口もとに目が行ってしまうほど、その片方の口角が吊りあがった。
「祐真、西崎が文句云いたいらしい」
航は実那都の目を捕らえたまま云った。そのニタニタした顔は意地悪そうだ。
同じクラスになったのははじめてで、名を憶えられていたことに驚きながら、実那都は首を横に振った。
「わ、わたしはべつに…」
否定しかけると祐真が実那都を一瞥する。そのしぐさで言葉を封じられて最後まで云えなかった。
航と同じようににやりとすると、祐真は席を立ってゆっくりと近づいてくる。その姿が航を隠すほど視界にいっぱいになると、祐真は実那都の前の席から椅子を引きだし、跨って座った。