NEXTBACKDOOR|ふぞろいの恋と毒-クロス-

第4章 クロスチック-cloth-
6.クロスの綻び

 ふっ――というそれは笑い声なのか、背中のほうから聞こえた。
「相談に乗ってたら、お互いに情が移ったってやつ。よくあるだろ」
 何かを触発するような気がして、身動き一つできずに硬直した朱実を置いて、桔平はしゃあしゃあとでっちあげた。
「相談?」
「ああ。おまえとうまくいってないってさ。朱実ちゃん、抱いてくれないって泣いてる。おれも朱実ちゃんも、気持ちが再燃しても何もおかしくはない」
 躰を離すこともなく、桔平は紫己をやり込めるべく挑発した。
 桔平が紫己の反応を待つ間、逃げるチャンスなのかもしれないのに朱実は微動だにできなかった。紫己がこの有様をどう受けとって、どう始末をつけるのか、まったくわからない。怖さか不安かわからない、そんな感情に縛られた。

「朱実」
 紫己は桔平ではなく朱実に呼びかけた。
 躰が露骨にびくっとふるえ、その反応が繋がった場所で桔平に刺激を与えた。桔平がかすかに呻いて、条件反射的に腰を揺らした。朱実はラグをつかんで下くちびるを咬む。もうなんにもならないかもしれない。それでも、紫己をこれ以上に誤解させたくなくて、それが拒絶のせいであっても呻き声すら漏らしたくなかった。
「どうなんだ」
 何を推し量っていたのか。視線が怖くなるような一拍の間を置いて、紫己は問いかけた。朱実への質問に違いなく。
「……違う、変わってない。わたしはムラサキが……!」
 好きだから――とその言葉は続けられなかった。紫己と目を合わせられないこんな恰好で、そして、そう口にした瞬間から紫己は変わったのだから。

「朱実と気持ちはすれ違ってるみたいだな、桔平」
「はっ。朱実ちゃんの気持ちが気になるか? 飽きて別れたいんなら浮気はちょうどいいきっかけになる。おれに感謝してもいいんじゃないか」
「感謝? 本当にそうしてほしいんなら」
 桔平の勝手な云い分に応えた紫己はいったん口を噤んだ。ひと呼吸置いて――
「続きをやるんだったらさっさとやれよ。すんだら出ていけ」
 信じられない言葉が発せられた。その実、もううまくいかないこともわかっている。堪えきれずに朱実はむせぶ。
 そして、もっと信じられないことに桔平は腰を押しつけてきた。
「いやっ」
 ほぼ無意識に放った抵抗もなんの効力も及ばない。吐き気が込みあげてくる。その嫌悪感は桔平だけでなく自分にも感じているかもしれなかった。
 桔平が前後に腰を揺らして三度め、唐突に朱実は解放された。

「ムラサキ、聞こえただろう? 朱実ちゃんのなかはまるで蜂蜜の壷だ。無理やりじゃこうはならない」
 恥じ入ることもなく身なりを整えながら、桔平は勝手なことを主張する。
 一方で、朱実はもたつきながら躰を起こしていく。急いだつもりが躰がふるえていて思うようにいかない。立つことも不安で、座った姿勢のまま後ずさりして桔平から離れると、脚を抱えて縮こまった。
「どういう経緯でこうなってるかはあとでわかる。考えなくても見当はつくけどな。はっきり云っておくが、おまえがやったことはレイプだ。朱実は嫌だと訴えていた」
「はっ。ムラサキ、おまえも女は知ってるだろう。セックス中の『いや』は、合意であれば戯れ言にすぎない。逆に、イイとか、もっとって意味だと解釈してきたけどな」
 桔平は悪びれることもなく揶揄した。
「合意じゃない。おまえは朱実をレイプしたんだ。証拠はある」
「証拠?」
「桔平、おまえはおれが開発者だってことをわかってないな。おまけに、IT業界で生きてるくせに、そこにいなくても可能なことがあるってことが頭にない。それってどうなんだ?」
 紫己はくちびるを歪め、部屋の片隅をちらりと見やった。
「CB10、いまの会話を再生だ。どの部分でもいい」
『了解』
 ベッドルームで待機しているはずが、CB10の声は意外に近くで聞こえた。声のしたほうを向くと、隅っこだったが確かにリビングにCB10はいた。

――おまえがやったことはレイプだ。朱実は嫌だと……。

「ムラサキ、おまえ、まさか録ってたのか」
 驚きに目を見開き、桔平は口を挟んで会話の再生をさえぎった。
 紫己がCB10に向かい、ストップと声をかけ、桔平に向き直った。
「悪いが、桔平、録ったのは声だけじゃない、映像もある。おれを嵌めたり、愚弄するようなことはこれきりだ。もし、二度めがあるなら、今日のことをばらまく。友人付き合いしてるからっておれが容赦すると思ったら間違いだ。表面的な付き合いだってことは、こういうことをやるおまえがいちばんわかってるだろ」
 淡々とした声だからこそ、脅迫は威力を持つ。桔平は云い返すことなく、ぴりぴりとした対立を孕(はら)んだ沈黙がはびこった。標本化された生き物のように朱実は身動きがかなわない。
 やがて、鼻先で笑った桔平が緊張を解き、ゆっくりと立ちあがった。

「朱実ちゃんのなかは狭いからなんでもかんでも快感になってるだろうな。逆に、抱いてる男も快楽に引きずられる。おまえが同棲までしてる理由はこれか。朱実ちゃんは出しゃばらないし、要求するタイプでもない。都合のいい愛人にしておくには、朱実ちゃんは打ってつけだな。だろ? 別れるならおれが……」
「おまえじゃ無理だな。三十分あっても、感じやすい朱実はイってない」
 紫己は明らかに会話を聞いている。そんな言葉を用いて、悪あがきを吐いた桔平をさえぎった。
 敵対した気配で沈黙したあと、桔平のため息が蔓延(まんえん)する。
「余興がすぎたみたいだ。自粛するさ」
 事態をジョークですませようという試みか、桔平は軽い口調で云い放ち、紫己の脇を通って出ていった。

 玄関のドアが閉まるまでも閉まってからも、リビングにはただ気まずさが残っていた。
 いや、消え入りたいような気まずさを感じているのは朱実だけだ。紫己にはそうなる理由はない。紫己は桔平に対してそうだったように、朱実に対しても主導権を握っている。
 リビングの入り口から紫己が歩きだすと、朱実はそうすれば自分の躰を隠せるかのように首をすくめた。
 朱実の目のまえに立った紫己は、ゆっくりとかがんで目線の高さを近づけた。

「桔平が云ったとおり、朱実はおれの役に立ってくれる」
 朱実は伏せていた目を上げた。どういう意味だろう。紫己から表情は欠け――いや、皮肉っぽい表情だけのせ、瞳にはただ朱実が映っている。
「やたらとおれに絡みたがる桔平を追い払ってくれただろ。面倒が一つ減った。朱実は、結婚はしたくないって云うし、躰が高性能なのは確かだ。何より口答えはせず従順になれる。朱実はCB10並みに優れている」
 無言の疑問に返ってきた答えは非情だった。どの言葉を取っても褒め言葉なんかではない。朱実をただ便利な道具として価値を置いた。
「躰をきれいにしろ。ほかの男の匂いをつけて家のなかをうろつかれるなんて真っ平だ」
 紫己は冷ややかに云い放ち、朱実の存在を切り捨てるようにすっと立ちあがった。背を向けて、同じ空間にいるのが我慢できないのか、CB10を従えてベッドルームに行った。

 何がなんだかわからない。わかっているのは、これまでの半年の時間が壊れてしまったこと。これからふたりがどうなるのかは紫己次第で、その紫己の考えはまったく読みとれなかった。
 朱実はのろのろと立ちあがり、バスルームへと向かう。
 桔平の舌が這っていたという痕跡なのだろう、急に胸の辺りを中心にべたつき、皮膚が突っ張ったような気色の悪さを覚えた。無意識下で起きていたことが鮮明に感じられてきて、その感触が躰に染みこむまえに、と朱実はシャワーを出しっぱなしにして、肌が赤くなるほど躰を擦った。
 香りの強いソープで全身を撫でつけ、髪を洗う。そうする間も手はふるえていた。バスルームに立ちこめたローズの香りに慣れて嗅覚が鈍っていくと、ようやく落ち着いてくる。ため息が漏れて肩の力が抜け、朱実はバスルームを出た。
 桔平に犯されたというショックは、紫己の破壊的な言葉に上塗りされて、何が朱実を痛めつけたのか感覚は麻痺して鈍感になっている。ドライヤーで髪を乾かす間、鏡に映った自分の顔はロボットのように表情がなかった。

 バスローブを羽織って廊下に出ると、朱実は途方にくれる。着替えはベッドルームにあるが、先刻の、朱実に背を向けた紫己の姿を思いだすと行けなかった。
 リビングに戻って部屋を見渡せば、ダイニングテーブルに目が行き、朱実はそこに向かった。食事の途中で時間が止まったように、食べかけの料理が主をなくしてぽつんと二人分並んでいる。
 思いきってテーブルの上からそれらをはね除けたら、すっきりするだろうか。朱実ははじめてそんな破壊衝動を覚えた。
 実際にはできない。そのかわりに残飯をことごとく捨て、器は食器乾燥機を使うことなく拭きあげて、食事をした跡形もないよう、すべて食器棚にしまった。
 けれど、朱実自身の混乱が一掃されることはなかった。ソファもとの歪んだラグをきちんと伸ばしたあと、そこで立ち尽くす。
 自分の危機管理のなさが情けなくて呆れる。静華たちは朱実の休みを把握していて、紫己に内緒にしてくれという以上、紫己から聞きだしたはずはない。可能性としてはレガーロのだれかに聞くか、もしくはいまも定期的に通ってくる桔平が訊ねたか、だ。桔平ならサプライズという口実のもと、簡単に情報を手に入れるだろう。思考がぼやけていた間の会話が本物であれば、間違いなく彼らは計画していた。

「朱実」
 背後からいきなり声がして、悲鳴をあげそうになった。振り向くと同時にベルトがほどかれ、バスローブを奪われた。
「キスされた?」
 感情のこもらない声で紫己が問う。朱実は首を横に振った。
「わから――」
 最後まで云えないうちに、紫己は朱実のくちびるをふさいだ。ぶつかるようなキスで、喋りかけだった朱実のくちびるは歯に当たって痛む。口内に忍びこんだ舌も攻撃的だったが、苦しいだけのキスはすぐに切りあげられた。
 朱実の顔を淡々と一瞥したあと、紫己は少し上体を折って顔を斜めに向けた。朱実の胸もとに顔を寄せ、淡いピンク色の粒が紫己の口のなかに消えた。紫己は手加減がなく、咬みつくように強く吸着した。
「んっ、ムラ……っ、う、あっ」
 自ずと屹立(きつりつ)した粒に紫己の舌が這いずるように絡んだ。揺らいだ躰を紫己の左腕が腰を抱いて支える。自ら倒れないよう脚を開いて踏んばった朱実の隙を逃さず、右手が躰の中心を覆った。
 あっ。
 驚いた声は、突起を弾かれた直後、嬌声に変わった。

 胸に感じるのは痛みだと思う。咬みきることこそしないが痛めつけるようで、紫己は口と舌が持つ最大の力で胸先を襲う。逆に、最も敏感な脚の間の突起はやわらかく摩撫する。指先がすっと奥へ滑ったかと思うと、入り口からなかへと忍びこんだ。痛みはなく、指はするりと呑みこまれるように進んだ。
 んんっ。
 朱実が呻くと、紫己は顔を上げて上体を起こした。
「朱実はちょっと触っただけで濡れる」
 見下げた口調だった。「けど」と、中途半端に一語だけ続けた紫己は朱実を見下ろしたまま、躰の中心を無遠慮にまさぐる。朱実の躰を知り尽くした紫己に――ましてや、朱実から好きという気持ちが消えていない以上、抵抗は無意味だ。
 紫己は容赦なく弱点を抉る。
 んあっ、ぁあっ、ふ、あっ……。
 喘いだ声に蜜を掻く音が入り混じり、だんだんとひどくなっていく。

「だめっ」
 朱実は無駄な言葉を吐き、紫己は――
「いや、って云えよ」
 と、すぐさま強制して、見逃せないという、あるいは許してたまるかという紫己のこだわりを吐露した。
 紫己は触れ方を変え、快楽点に集中させて指先を揺すってくる。
「あ、ああっ……い、やっ」
 紫己に従ったとたん突起が親指で摩撫されて、朱実は堪えきれなかった。果てにたどり着いた直後、腰がぷるぷると揺れ、蜜を噴きだした。紫己は大きく指を前後させて快楽の収束を阻み、床には快楽の痕が散らばっていく。
「十分もたってない」
 紫己の冷静な言葉に朱実は喘ぎながら嗚咽する。

 紫己は体内から指を抜き、朱実を抱きあげるとソファに座らせた。目のまえで、桔平がそうだったように、紫己はベルトを緩めただけで服を脱ぐことはなくオスを晒した。床にひざまずき、躰の中心を合わせると腰を押しつけて、ためらいなく奥まで穿った。
 最奥に達したとたん、朱実はぶるっと躰をふるわせる。
「だ、め……っ」
「違うだろ」
 紫己は腰を引き、抜けだす寸前で逆行し、深々と貫いてくる。
「いやっ」
「本気で拒絶してみたらどうだ。おれが犯したときみたいに。手は自由だろ」
 云いながら、紫己は腰を前後させる。
「ぅくっ……い、やっ……あっあっあっ」
 蜜を掻き混ぜる音は明らかに桔平のときよりもひどい。それでも足りない。そんな罰を下すかのように、もしくは償いを強要するかのように紫己は律動を激しくして、朱実を抉り苛(さいな)んだ。

 桔平にも、そして紫己にも、まともな存在としてはたぶん扱われていない。かろうじて縫い合わせていた布(クロス)がまた散り散りになる。人殺し――そう呼ばれたときの感覚と同じだ。会えなくなった。それなのにいま、体内の襞が離れたくないとばかりに紫己に纏わりついているのがわかる。朱実が拒むことは不可能だった。
「んっ……ムラ、サキ……っ、好き……だから……ふっあ――っ」
 嬌声の合間のつぶやきは紫己に届いたのか、朱実の躰は飛び跳ねるように痙攣した。
「三十分もたってない」
 言葉は頭に入っても意味が理解できない。それほど朱実は快楽に侵されていた。

 紫己が爆ぜたのはずいぶんあとだった気がする。意識がくっきりと目覚めたのは夜明けまえで、朱実はソファに独りふとんをかけられて眠っていた。

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