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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”
#18
*
約束した場所、アメリカのチェーンホテルは高級と謳(うた)われているが、古い建物ではないのに歴史を感じさせる佇まいだ。それがそびえるように建っているから、一般の人は入るのに気後れするかもしれない。
環和とて一般人で充分に気後れしている。美帆子はそれなりに地位のある女優であり、こんな場所はあたりまえみたいに慣れているだろう。環和はそんな母親の世界とは切り離されていた。響生が云うには響生の脅迫から守るために、美帆子の娘であることを伏せなければならなかったせいだ。
環和はそっとため息をついて、ホテルのエントランスをくぐった。
エレベーターがどこにあるのかロビーを見回していると、ちょうど視界に入ったとたん合図するように手を軽く上げる人がいた。背の高いスーツを着た男性で、サングラスをしているからだれだか判別がつかない。方向は合致しているけれど、環和に向かって手を上げて見せたのかは定かではない。ほかの人目当てではないのか、思わず辺りを見回した。
「環和ちゃん」
すぐに可笑しそうに環和の名が呼ばれた。知っている声だ。
ぱっと振り向くと、声の主はサングラスをしたさっきの男性らしく、環和が目を外した間にすぐそこまで来ていた。彼は顎を引くと、サングラスに手をかけて少し下にずらす。上目遣いにした勇と目が合った。
「勇さん、ここで何してるの?」
環和が目を丸くすると、勇はサングラスをもとに戻しておどけたように肩をすくめた。
「もちろん、環和ちゃんを迎えにきたんだよ。京香と待ち合わせだろう?」
「うん」
「ここで環和ちゃん待ちしてた。こういうとこ、正直、おれ苦手なんだよな。気取ってるだろう? 京香は好んで利用するけどさ」
意外な言葉に、環和は吹くように笑った。
「勇さんは慣れてそうに見えるけど、わたしも苦手なことは確かです」
勇は可笑しそうに笑ったかと思うと、憂えた面持ちでため息をつく。
「京香より環和ちゃんとさきに会うべきだったな、おれも。響生さんみたいに」
出し抜けに響生の名が出て、環和はびくっと肩を揺らす。勇はその小さな一瞬の変化に気づかなかったらしく、行こう、と続けて促した。
「いまの、どういう意味ですか」
歩きながら訊ねると、勇はちらりと環和を見やって苦笑いをする。
「あんまりいい話じゃないから」
気が進まないといった様子をあからさまにして勇は首を横に振った。
「今日の食事は勇さんも一緒?」
「おれは案内役」
環和は、勇と京香の関係がいまひとつ把握できていない。ただ、京香のほうが主導権を握っているということだけはわかる。
環和が乗せられたエレベーターは上階の数字ボタンしかなく、勇はカードキーをかざして部屋番号を押している。ほかに乗りこんだのは二組だけだったが人目があることは確かで、サングラスをしてる以上、勇は知られたくないのだろうし、環和は話すこともなくシースルーの箱の中から外の景色を眺めた。
昼間の都会の風景は、煌びやかな夜と違って無味乾燥といった感じがする。いまの環和の心境とかわらない。かなりの高さまで上昇する感覚はわりと好きだが、いまは楽しむ余裕がない。
振動もなく、瞬く間にほかの背の高いタワーと並んだように感じた。一度止まって二組ともが降り、すぐ上の階でまた止まった。
最上階の二つ下のフロアということは贅沢な部屋なのかもしれない。ほかのフロアを知らないから比較はできないが、エレベーターを降りると足が沈むくらいふかふかした絨毯が敷かれ、廊下はクラシカルなチェストだったり彫刻だったりがゴージャスな雰囲気を醸しだしていた。
「わざわざこういうところじゃなくても、普通に個室のレストランとかでいいと思うけど」
環和は思わずため息混じりで愚痴をこぼす。
すると、おもしろがって笑われるかとなんとなくかまえていたが、予想していた反応はなく、環和は隣を歩く勇を振り仰いだ。
「聞き耳を立てられても困るんじゃないかな」
勇にしてはめずらしく皮肉っぽい云い方だ。やはり気が進まないといった様子で、それは環和も同じだった。
京香から電話があった二日前、いったん断った食事を一緒にしたいと申し出たのは環和だ。
美帆子と話をして、京香があの写真をどうするつもりか、環和と別れさせるために響生を追いこむためのどんないい考えがあるのか、それを聞かなければと思った。どうせ一緒にはいられないのだから、京香の案に乗って別れる理由ができて、響生を守れるならそれでよかった。
連絡をすると京香は、だれにも聞かれたくないし、と云ってホテルの部屋で食事をするのはどうかと提案した。ここに来てみて、気取ったレストランで食事するよりも部屋でよかったと、環和は少しほっとしている。
廊下を通りながらドアの間隔が長いことを考えると、このフロアはスイートルーム専用なのかもしれない。
「ここだ」
奥まったところまで来て、勇がドアのまえで立ち止まった。カードキーでドアを開け、なぜか勇はくちびるに人差し指を立てて環和をなかに導いた。
どういうことだろう。奥に進んで入った部屋は広いリビング風だった。ソファセットがあれば、ダイニングテーブルみたいな椅子付きのセットもある。やはりスイートルームだろう。そこに京香はいない。けれど、呻くような女性の声がかすかに聞きとれた。
何?
内心で疑問に思いながら思わず勇を見上げると、勇は促すように右側の少だけし開いたドアを指差す。
行っていいのかためらっていると、勇が環和の背中を押した。ここのところ受動的にすごしていたせいか、無重力空間のように、いったん動きだすとそのまま足が進んでいく。
すぐ後ろから環和越しに勇の手が伸びてドアを押した。そこにあった光景が目に入るのと――
「あっ」
と、悲鳴とも取れる声が聞こえたのは同時だった。
「響生、待って……」
響生、とそう呼んだのは環和ではない。
「お互いに望んでるのに待ってなんの意味があるんだ」
いつの間に、京香が『安西さん』から『響生』と呼ぶような響生になったのだろう。
前開きのワンピースをはだけた女の隣に男が横たわり、首もとに顔を伏せ、キャミソールとブラジャーを押しあげてあらわになった胸を大きな手が覆って揉みしだいている。
そうしている男の声を聞き分けられないはずがなかった。
「響生!」
無意識下のかすれた悲鳴はそれでもベッドのふたりに届いたのか――。
男がおもむろに顔を上げ、呆然とした環和を捉えた。それは疑いようもなく、響生だった。