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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”
#4
*
有言実行というのは美帆子のためにある言葉かもしれない。
実家に戻るよう云われた日から二日後、仕事から帰った夜、コンシェルジュは何も云わなかったし鍵は開いたのに、環和の住み処はもぬけの殻(から)だった。
美帆子の無言の圧力にほかならない。
環和に当てにできる友人もいなければ、頼りになるほど懇意な付き合いもないと知っていての強引なやり方だ。
反抗心を刺激されてとどまりたかったが、メイク道具も服もない状態では仕事にも行けない。
環和の帰宅を見計らってやってきたのか、あきらめて部屋を出たとたん、美帆子と鉢合わせをした。
帰るわよ、というたったひと言で美帆子は環和を従わせた。
実家に帰って以来、どうやったら家を出られるか。環和は暇になればその方法ばかりを考えている。現実は、蓄えもなく、ましてや妊婦であり、まもなく子供を抱える身で仕事が見つかるわけもなく、つまり収入を得られるわけもなく、環和は到底叶わないことを無駄に考えているのだ。
「環和ちゃん」
仕事が終わり、従業員用の出口から外に出たとたん、知っている声で環和は名を呼ばれた。
反射的に声のしたほうを向くと、街灯の影になった場所から京香が現れた。ついでにと云ったら気を悪くするだろうが、勇も一緒にいる。そして、恵やマネージャーがいるところを見ると、またカップルで撮影だったのだろうと見当をつけた。
「こんばんは。仕事ですか」
互いに歩み寄りながら環和は訊ねた。
七月も夏休みに入ろうかといういま、夜になっても暑い。環和は外に出ただけで汗ばむ感覚がしているのに、顔がきれいだとその周りの空気の温度まで違って見えるのか、京香は至って涼しげに首をかしげた。
「別のフロアで――勇がイメージモデルやってるクレバーでの撮影だったの。さっき終わって、環和ちゃんを待ってた」
「……わたしを?」
「ミニョンをやめちゃうって聞いたの。本当?」
どこから情報を得たのだろうと思っていると、「ミニョンの店長さんからうちのマネージャーに連絡があったの」と環和の疑問は顔に表れていたのか、京香は鋭く読みとったらしく、そう付け加えた。
「あー、そうなんです。今月いっぱいでやめます」
「どうして? わたし、けっこう環和ちゃんのアドバイスを当てにしてたんだけど」
環和は身構えていたものの、京香はやめる理由までは聞いていないようだ。ほっとして曖昧に首をかしげた。
「実家に帰ることになって通うのにちょっと不便だし、違う仕事もしてみたいかなと思って」
このときばかりは強引に真野家に戻されたことも役に立った。せめて、響生と結婚すると云い触らさなくてよかった。財前には話しているが、どうにか云い訳を見いだして口止めをしておくべきだろう。
「違う仕事って?」
「まだ決めてないけど……」
「仕事を探すのに焦らないって、さすが大女優の娘だな。環和ちゃん、苦労してないって感じしてたけど、まさか真野美帆子さんの娘だとは思ってなかった」
勇が口を挟んだかと思うと心外なことを口にする。
「金銭的には苦労してなくても、人にはわからない苦労ってあると思いますけど」
環和が思わず抗議をすると、勇は「そのとおりだ」と降参といったふうに軽くホールドアップをした。あっさりと非を認めた勇は興じた様子で環和を見つめる。
「仕事辞めたら時間できるだろうし、おれ誘っていいかな」
「無理だと思います」
勇は笑い始めた。
「普通、即行で断る? 自信なくすなぁ」
「断られたって黙って引き下がる程度の気持ちじゃあ無理ね」
「会うたびに口説いてるつもりだ。京香が心配しなくても」
「でも勇、成功しても、ふたりセットで売り出し中は環和ちゃんとの公デートはNGだから」
環和の気持ちをそっちのけにした会話が続くなか――
「そうじゃなくてもまだ早すぎる」
と、釘を刺したのは勇のマネージャーだ。
勇は、はいはい、と適当な返事でいなしている。
「ね、環和ちゃん、いまから食事に行かない? お酒付きで?」
「行きたいんですけど、ちょっと母と約束があって……ごめんなさい」
京香は、ふーん、とどこかうわの空といった相づちを打ち、ふと環和に焦点を当てた。「今度ね、環和ちゃんのお母さんとドラマで共演するの。それで、わたしのこと、友だちだってお母さんに云っててくれない? ……というまえに、環和ちゃんと真野美帆子さんの話したことあるよね? 環和ちゃんたらお母さんて云わないんだもの。そのときのことは内緒でね」
京香は茶目っけたっぷりに人差し指を立ててくちびるに当てた。
「おれも一緒なので。よろしく云っててくれるかな」
「わかりました」
ミニョンをやめる云々は口実で、美帆子によろしくと伝言を頼むことのほうが環和を呼びとめた理由のトップ事項だったのだろう。環和が承諾すると、じゃあまた、と云い、京香たちは恵と別れの挨拶をすませて未練もないようにマネージャーを引き連れて立ち去った。
「真野美帆子がお母さんだなんてびっくりしたわ」
それまでずっと傍観者に徹していた恵は、まじまじと環和を見つめた。
「云うほどのことじゃないので。じろじろ見ても似てませんよ」
「あなたのお母さんが手を入れた顔だってことくらいわかってるわよ。そうじゃなくて。しばらく会わないうちに痩せてない?」
恵は環和の顔から下へと視線を滑らせて、ミドルヒールのサンダルにたどり着くとすぐに戻ってきた。
確かに痩せた。つわりのせいではなく、食欲がなく無理やり食べるという日々が続いているからだ。食欲不振もあるし、アルコールは飲めないから、美帆子を理由にして京香の誘いは断ったのだが。これではだめだとわかっているのに、努力して治るものでもない。
ただし、痩せたといってもせいぜい二キロで、そのうえ服を着ているのにそうも変わって見えるだろうか。
「多少は。でも、夏に食欲が落ちるのはいつものことです」
「なんだ。響生のことが原因かと思ったのに」
響生の名を聞いたとたん、環和はびくっとしながら目を見開いた。