NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第4章 ミスリード〜恋いする理由〜

#11

 少年から男へと無理やり覚醒させられ――いや、美帆子にのめりこんだ響生はまだまだ少年だった。二十九歳の響生ならまだしも、十四歳の響生は美帆子の誘惑を拒む術を持たなかった。
 秀朗が不在だった二日間は美帆子に弄ばれるまま散々セックスに耽(ふけ)り、響生は快楽に翻弄され、どうやれば女が喜ぶのか奉仕する術を学んだ。
 道義に反しているのはだれに問うまでもなく明白だ。大人になりきれていない響生も当然ながら不義を働いていることは承知していた。
 演技として教わっているとはとても云えない無我夢中のセックスに、自分は美帆子を好きなんだ、とせめてもの理由をつけて正当化していた。本当の感情かどうか、自分でもわからない。ただ、そうしなければ秀朗と顔を合わせるなど到底無理だと思った。
 響生はだれの前でも何事もなかったように振る舞い、結果的にいつの間にか生き抜いていくための演技が身についていた。


 響生はため息をつき、インターホンを鳴らす。
『いいわ。入ってきて』
 名乗る間もなく美帆子が応じ、返事をする間もなくプツッと通信の途絶えた音がした。
 響生は再び息をつき、自動で開いた門扉を通り抜けて玄関へのアプローチを進んだ。
 今日、美帆子から何を聞かされるのか。環和と離れていた間、昔のことを思いだしながら響生は考えあぐねていた。
 冷静に考えられていないのかもしれない。環和が心配だったこともある。連絡をするなという美帆子の命令を守り、そうする響生を尊重して環和が連絡をしてくることもない。裏を返せば、それだけ思い詰めているとも考えられる。あまつさえ、環和は普通の躰ではない。
 焦れったさと苛立ちが混載して、やはり冷静さを欠いている。十四歳の響生と、二十九歳の響生と、時系列がバラバラになって思考が纏まらないのは、そこに環和という共通点が紛れこんだからかもしれない。いまこそ、演技するときだ。響生は自分を鼓舞した。

 玄関先に行くと、響生がドアに手をかけるよりも早く中側から開けられた。
 直後、避けることなくふたりの目がかち合った。それは、一歩も引かないぞという互いの意思表示に違いない。環和のことを思えば、美帆子を断ちきる道は選択できない。譲歩する道を、あるいは歩み寄る着地点を見いだすしかなかった。
「こんばんは。お邪魔します」
 かつてのいびつな関係を排除して、響生は他人に徹して一礼をした。
「入ってちょうだい」
 美帆子は踵を返して、オールインワンのワイドパンツとシルクの長い羽織の裾をひるがえしながら、案内もせず奥に行った。
 無論、響生が知り尽くしている家だ。案内などいらない。靴を脱ぎ、廊下に上がって美帆子のあとを追った。

 リビングに行くと、美帆子はソファに座ってグラスに赤ワインを注いでいた。美帆子の前にはすでにワインの入ったグラスが置いてあって、いまのそれは響生に用意しているものだろう。美帆子の正面に腰をおろすと同時にワイングラスが響生の前に置かれた。
 美帆子は自分のグラスを持つと、脚を組み、ゆったりとソファの背に寄りかかった。もう五十二歳になると思うが、はじめてここに訪れたときの二十七歳だった美帆子とそう大差はないように見える。もとが大人びていたのかもしれないし、“作り物”のせいかもしれない。

 いまの響生と美帆子なら、見た目上は違和感もなくおさまるだろう。かといって、いまは云わずもがな、十四歳のときに果たして自分は美帆子に釣り合うことを望んでいただろうか。
 始まりは強引で屈辱すら感じたが、快楽を知ると女性として夢中になったことは否めない。好きだからと自分に云い訳をして、抱きたい、抱かれたいとも思っていた。
 けれど、美帆子は秀朗のものであり、手に入らないものという前提があったからか、奪いたいという嫉妬もなく受け入れていた。

 もしも環和に――例えば、琴吹勇の影がちらつけば、すぐさま追い払う。現に、長瀞で川辺の岩にいた環和のところに向かったのは、川に落ちる危険を回避するためというよりも勇のもとから連れだすためだった。まだ自分のものでもないのに、それはガキっぽい嫉妬にほかならない。ただし、結果的にそうしてよかった。そのあとのことは、助かっているのにもかかわらず考えたくはない。

 美帆子は真向かいからじっと試すように響生を見つめて口を開く様子はない。こちらから切りだせということか。煙草でも吸えれば焦燥もごまかせるだろうが、弱みを晒すことにもなりそうで、響生はかわりに内心でため息をついて紛らせた。
「早かったんですね。逆に会わせないように引き延ばされるかとも思っていました」
「引き延ばしたら簡単に堕ろせなくなるわ。父なし子で産ませて環和の人生を台無しにしないでちょうだい」
 美帆子は一気に、そしてぴしゃりと云いきった。

 環和は美帆子が過干渉気味だと云っていたが、響生はそのわりに独立して住むのを許しているという矛盾も感じていた。いま、理由はさて置いて、美帆子が環和を守ろうとしていることは確かだ。
 昔、“チャンス”が赤ちゃんを授かったことだと美帆子が打ち明けたことにも、響生は矛盾を感じていた。女優が妊娠すれば、仕事は自ずとなくなるからだ。響生を落とすための出任せだったのか、もしくは、その矛盾にも何かしらの確かなものがほのめかされていたのか。

 それは、いまはともかく、響生は聞き捨てならない美帆子の発言に顔を険しくした。
「堕ろす? おれはそんなことをさせるつもりはない」
「響生、わたしはあなたに投資したわ。それなのに、ずいぶんな仕打ちだと思わない? 十年前もいまも、わたしを脅しにかかるなんて。それとも、わたしを手に入れたいという裏返しかしら? 二十五年越しに?」
 美帆子はあの日と同じ妖艶な笑みを見せた。

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