|
NEXT|
BACK|
DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第4章 ミスリード〜恋いする理由〜
#7
*
思いも寄らなかった人から電話があったのは、美帆子が大阪に行った昨日の夜だった。まるで美帆子の不在を見計らったように、と思うのは考えすぎか。
明日、仕事が終わってからでいい、オフィスに来てほしいんだが。
仕事が終わるのは夜の九時になるし、午前中だったらと返信して今日、環和は日東テレビまでやってきた。
小雨の降るなか外に出てもさほど苦にならず、それはおそらく、電話してきたのが父の秀朗だったからだ。スマホの電話番号は初等部のときに持たされて以来、変わっていない。離婚後、まったくかかってきたこともないのに、連絡が来たのは偶然に再会したせいだろうか。
環和はドキドキしながら建物のなかに入ると受付に行った。営業時間になったばかりの時間帯だがそれなりに人の通りがあって、受付の順番を待った。
環和の番になって、女性から営業スマイルで応対されるなか多少、怪訝そうな気配を感じつつフルネームで名乗ると、思い当たったような顔をされた。
秀朗が再婚している以上、娘と云っていいのかどうか迷っていたけれど、娘か親戚か曖昧に悟ってもらうくらいでちょうどいい。取り次ぎのお礼を云うと、環和はエレベーターに向かった。
コーポレート部門は二十五階建てのビルのなかで上層にあり、専務になったという秀朗は二十四階にいるらしい。エレベーターに乗り、ボタンの点滅が大きい数字になるにつれ、環和の緊張が増していく。
ドキドキしているのは、はじめて来る場所ばかりのせいではない。いや、百パーセントに近く秀朗に会うせいだ。うれしいこと半分、残りの半分は緊張でそわそわしている。父親に会うのに緊張するなど普通はない。けれど、普通ではないからしかたがないのだ。
二十四階に到達したときエレベーターの中は環和一人になっていて、降りるなり――
「環和、こっちだ」
秀朗から名を呼ばれた。
声のしたほうを見ると、歩み寄っていた秀朗は立ち止まった。
「パパ、おはよう」
「おはよう」
秀朗はわずかに顔を傾け、環和についてくるよう促した。
オフィスというよりはホテルのような雰囲気だと思いながら秀朗についていく。何人かすれ違うなか一人の男性に、あとで呼ぶ、と秀朗が声をかけた。フロアは静かで交わした言葉がやけに目立つ。『専務室』というプレートのついたドアから中に入った。
思いのほか部屋は広かった。書棚や二つのデスク、それに応接セットがあっても余裕で歩きまわれる。
秀朗は、窓に背を向ける恰好で置かれたデスクに向かい、環和はソファには座らず、なんとなく秀朗のあとを追った。
秀朗は椅子に座り、環和はデスクの前に立った。秀朗はサイドの引き出しを開けたかと思うと、取り出した数枚の紙を持ったまま腕をデスクにのせて、真向かいに立った環和を見上げた。
「最近、何か困ったことはないか」
質問は出しぬけに聞こえて、環和の首がかしぐ。
「困ったこと、って……?」
問い返しながら、環和は響生と美帆子の顔を思い浮かべた。
「だれかに脅されているとか、おかしなことをされたとか」
美帆子にはある種、脅されているけれど、秀朗が訊ねているのはそういったことではなさそうだ。
「……何もないけど」
環和の答えを聞いて、秀朗は深く息をついた。何かを心配していたとしたら安心したしぐさだろうが、眉間にしわを寄せて憂えた様子を見るかぎり、ただのため息でもない。
「パパ……」
「こういうものが私のところに来た」
秀朗は持っていた紙を環和の前に一枚一枚、並べた。見た目で察したとおりそれらは写真だったが、焦点がぼけているようでちらっと見ただけでは何が写っているのかわからない。環和は前かがみになって目を凝らした。
刹那、環和は信じられないといった驚きで目を見開いた。
写真に写っているのは環和だ。しかも、ただ笑って写っているのでもなければ、隠し撮りされたものでもない。
「だれかに撮らせたのか」
写真は、雨に濡れてラハザに戻ったとき響生が撮ったものだ。お尻も胸も隠れていて写りも悪いけれど、明らかに裸だとわかるし、知っている人が見れば環和だとわかる写真だった。それを秀朗が持っている意味がわからない。
環和は顔を上げ、見開いた目をそのまま秀朗に向けた。驚きに加えて不安が心底に淀み、落ち着かない。
「……撮ってもらったけど……どうしてこれをパパが持ってるの?」
環和が訊ねた瞬間、秀朗はため息をついた。
「娘の行動に気をつけたほうがいいんじゃないかと云って渡された」
「……だれに?」
響生がだれかに見せるはずがない。それならだれかが盗み見たことになる。
いつ?
そんな答えがわかるはずのない疑問を持ちながら、環和は返答を待つ。
秀朗は迷ったのかすぐには答えず、そうして結論を出したのか首を横に振った。
「だれだっていいことだ。問題は、おまえが晒し者になるかもしれないということだ。真野美帆子の娘と肩書きが付けば見ない者も見ることになる」
秀朗はますます険しい顔つきになって現実を突きつけ、環和の不安を煽った。
「この写真を撮ったのは、結婚しようと思ってる人なの。ヘンなことはしてない」
「……結婚?」
「うん。パパにも報告しようと思ってた。安西響生ってプロのカメラマンなんだけど、知ってる?」
秀朗の目に驚きが表われ、環和を喰い入るように見つめた。そうして目を逸らすと宙を見て何かを思いだすような面持ちになり、また環和に目を戻した。
「もちろん知っている。私は俳優になるつもりだと思っていたが……彼が撮ったのか?」
何気なくつぶやくように秀朗が云った『俳優』という言葉に環和は驚いた。響生はカメラマンではなく俳優を目指していたこともあったのだろうか。けれど、そんなことはひと言も聞いたことがない。
「プライベートの写真なの。でも響生はわたしを晒し者になんかしない」
「写真は安西くんが持ってきたものではない。おまえは美帆子を介して安西くんと会ったのか?」
「ううん、偶然」
環和は答えながら、秀朗が響生と美帆子が少なくとも知り合いだと知っていることに驚いていた。
「パパ、響生はいい人だって思う?」
「よくは知らないが評判はいい。仕事はきっちりやるし、能力のある男だと聞いている」
その返事を聞いて環和はほっとして、自然と笑みが浮かぶ。
「うん。それで、ママが結婚に反対してるの。パパが賛成してくれたら……」
「環和」
秀朗はかすかに首を振りつつさえぎった。
「反対?」
とっさに訊くと、「そういうことじゃない」と返ってきた。
「環和、私が賛成でも反対でもなんの力にもなれない」
偶然の再会で“また今度”という言葉がなかったのに、今日の呼びだしにはどこか違和感を覚えていた。その感覚は思い過ごしではなく――
「……でも……」
「おまえは私の子供じゃないんだ」
会おう、ではなく、単に呼びだされただけだと思い知らされた。