NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第2章 不可視の類似

#5

 どういうこと? もういい、って帰れってこと?
 環和は呆然と立ち尽くして響生の背中を見送った。
 テーブルについて打ち合わせに戻った響生の横顔は、何もなかったようにもういつもの営業フェイスにしか見えない。
 環和が出しゃばりに見えたのか。仕事中に邪魔をされるのが嫌いなのは知っているけれど、環和から勇に話しかけたわけではない。
 勝手にぴりぴりして、訳のわからないことで排除されるのはたくさんだ。

 どうやったら響生に反省させられるだろう、と子供じみた反抗心が湧いたそのとき、友樹が傍にやってきた。
「環和さん、このあと先生とどこか食べに出るんですか」
「だいたい食べにいくかデリバリーかだけど、響生の気分次第だから」
 環和は肩をすくめた。「でも今日は……」と、ちらりと響生を見やるとスタッフと熱心に話していて、やはりまるで普段と変わりないから癪に障る。
「今日はいつもと先生が違う?」
 友樹はにやにやして環和が云いかけたあとを勝手に続けた。

「全然おもしろくないんだけど」
 友樹は「他人事なので」とひょうひょうとして無責任に云い――
「ついでに環和さんもいつもと違ったらどうです?」
「……どういうこと?」
「手料理を作ってやったらってことですよ」
 という、環和は思いがけない提案にしばし考えた。
 こんなふうに押しかけたときはおよそ泊まっていくけれど、はじめての日のように、響生が簡単な朝食を用意してくれることはあっても環和がそうしたことはない。

 美帆子の手料理を最後に食べたのはずいぶんと小さい頃――初等部の低学年だった頃だ。大抵は家政婦が作ってくれたけれど、美帆子は思いだしたように母親役を演じていた。
 家政婦の料理は美味しいものの、お手本みたいな味ばかりで外食しているのとかわりない。好きなものを作ってくれることが多くて、そうするとだんだんと飽きてくる。
 ただし、好きなものだからといっていわゆる家庭料理に飽きるかというと、友だちに訊ねれば首をかしげられて、つまり家庭料理とは飽きるという次元には存在しないのだと知った。
 独立してからは自分で作ったり外食したり、半々といったところだ。自分の作った料理が美味しいかといえば、まあ普通に食べられる程度だけれど飽きるといった感覚はない。
 そして、簡単でも響生が手を加えて出してくれるものは、五千円のディナーよりも美味しい。
 けれど、響生はどうだろう。好きだとか恋だとか、そんな感情を持たれるのが面倒そうな響生に手料理など出したら、それこそ出しゃばりすぎだと追い払われるかもしれない。

「でも、響生はそういうの歓迎してないと思う」
 環和が答えると、友樹は挑むような様子で首をひねった。
「もしかして料理はまったくダメとか? おれ、わりとできるんですけど、環和さんは見た目どおり、リンゴの皮も剥けない……」
「友樹くん、バカにしないで。お料理の本を見なくてもハンバーグは作れるし、コロッケも餃子も肉じゃがも作れる!」
 友樹は環和にどんなレッテルを貼っているのか、意地を張るように並べ立てたとたん、してやったりといった笑顔に合った。

「だったらやったらいいじゃないですか。歓迎されてないからって引っこむ環和さんじゃないでしょう」
 友樹は明らかに煽っている。
 さっきの『もういい』という言葉が脳裡をよぎり、やってもやらなくても一緒だという結論に至るのは環和だからなのか、けれど、響生も人から作ってもらった料理が美味しいということを知っていい。
「じゃあ、買い物してくる」
「いってらっしゃい」
 気が変わらないようにとでも思ったのか、友樹は手を振って追いだすように環和を送りだした。

    *

「では、のちほど安西さんには連絡させていただきます」
「お待ちしてます」
 クレバーと勇の所属事務所、A(アビリティ)エージェントにより写真の選定が行われ、のちに必要な加工処理を響生が請け負うことの確認で当面の打ち合わせは終わった。
 ではこれで、と響生が云いかけると――
「安西さん、例の件ですが」
 Aエージェントの企画部長である米元(よねもと)が呼びかけた。
「ええ。決まりましたか」
「概ね、事務所同士の話はつきました。日程の調整段階に入っているところです」
「予定どおり五月で?」
「はい」
「私のほうも調整しやすいようにスケジュール管理しておきますよ」
「ありがとうございます。彼女のほう、安西さんならって乗り気ですよ」
 響生はため息混じりに笑って、光栄ですね、と無難に応えておいた。

 Aエージェントとクレバーの担当者を見送ろうと立ちあがり、響生は自ずと撮影スペースに目をやった。
 ほぼ同時に、そこに環和がいないと気づいた。スタジオ内をひととおり見渡したがやはり見つからない。
 眉をひそめたのは一瞬、まず客を見送ってからだ、と響生は自分に云い聞かせる。すると、それこそが環和を気にしている証拠だと、これまで無視してきたことが鮮明になった。

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