NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第2章 不可視の類似

#2

 コーヒーに砂糖とミルクを添えたトレイを持って、環和は響生のあとをついていく。
 壁際にある打ち合わせ用のテーブルに勇を含めた四人、あとは撮影場所に友樹を含めて三人が残っている。最初にテーブルに持っていき、環和はあえて存在感の薄いスタッフ役に徹して挨拶も一礼をする程度ですませた。
 響生はそのままテーブルに着き、環和は友樹たちのところに向かった。
「友樹くん、どうぞ」
 派遣のスタッフたちにさきに渡してから友樹にコーヒーを差しだすと、ありがとう、と気さくな返事がきた。
 友樹はどちらかというと童顔で、そのくせ身長も百八十センチ近くあって、ちょっとアンバランスだ。その滑稽さも手伝って、環和は安全な人という印象を持っている。

「今日はなんの撮影?」
 環和は声を潜めて友樹に訊ねてみた。
 打ち合わせ用テーブルでは頭を寄せ合っていて、おそらく写真をチェックしているところだ。
「紳士服の“クレバー”って知ってますか」
「友樹くん」
 環和は心外だとばかりに友樹に詰め寄って首をかしげた。すると友樹は、あ、とぴんと来たらしい面持ちになる。
「そっか、環和さん、アパレル業界でしたね」
「そういうこと。クレバーの新作の撮影? クレバーじゃあ、めずらしくデニムとかカジュアルすぎる感じだけど」

「そこですよ。二十歳前後でも手を出しやすいロープライスのブランドを新設したみたいで、その初代イメージモデルとして琴吹勇が起用されるそうです」
「口外無用ってそういうことね」
 独り言のようにつぶやくと、友樹は何やら意味ありげに笑う。
「何?」
「環和さんて先生に信用されてますよね。会って一カ月でしょ。同じ押しかけでも、僕が自由に出入りできるようになるまで、環和さんの十二倍かかった気がします」
「押しかけ、って……」
「先生が“おいで”って云いました?」
 心外だといわんばかりの環和に、友樹は鋭い質問を向けてくる。こんなふうに、環和を閉口させるのは響生譲りなのか。
「飼い主に似るっていうけど、ほんと、友樹くんて響生そっくり」
「光栄です」
 にやりとした笑い方まで似ている。
 つんと顎を上げて抗議を表してみたけれど、「環和さんて不思議ですよねぇ」と友樹はどこ吹く風でのんびりと首を傾けた。

「なんのこと?」
「普通、琴吹勇がすぐそこにいたらテンション上がったり、はしゃぎませんか? 環和さん、まったく反応してないから」
 それは、テレビやスクリーンの向こう側にいる人が、日常的にこっち側にいるという環境で育ったせいだ。独り暮らしをするまでは、芸能人が家に出入りをすることもあって、環和にとって彼らは職業が芸能関係というだけで特別な存在ではない。
「ファンじゃないし」
 あっさりと環和が退けると、友樹はおもしろがって吹いた。

「まあ、環和さんは先生に夢中みたいだから、眼中にないってのもわからなくはないですね」
 からかった言葉を聞きながら、環和はふと友樹に訊いてみたくなった。
「そう云う友樹くんも、芸能人に会ったからって舞いあがらないよね。慣れたから?」
「僕は先生のもとで働けるってことに舞いあがってました」
 環和は思わず顎を引きつつ上半身も引いた。そっくり気持ちの表れだ。
「友樹くんてもしかしてわたしの恋敵?」
 つくづくと友樹を見つめると、ひょうひょうとした表情で環和は揶揄された――かと思いきや。
「そうかもしれません。環和さんにはジェラシーを感じてるし」
 と、それはごく真面目に聞こえた。

「……え?」
 環和が目を丸くすると、友樹はさっきよりひどく吹きだした。
「恋愛の話じゃなくて、さっきの話ですよ。僕が一年かかってやったことを環和さんは一カ月で成し遂げてる。いや、それ以下かな。まあ、環和さんと僕じゃあ立場がまるで違うから、比較すること自体が無意味でしょうね」
 恋敵が増えたわけではなさそうだ。けれど、安心はできない。
「よかった。ただでさえ、青田女史とニンフ京香っていう強敵がいるんだから、友樹くんまで増えちゃったらパニックになりそう」
「ぷっ。驚いたのはそこですか。環和さんて分け隔てしないんですね」
「分け隔て?」
「男と男が恋愛してもオッケーみたいだから」

「普通には考えてないけど、そうだとしても自分に害がないかぎり気にしてないかも。それよりも友樹くん、例えば京香でもなびかなかった? ミニョンでの撮影のとき、友樹くんもいたでしょ?」
「きれいだとは思いますよ。口説かれたらわかりませんけど、それ以上にはべつに何も思わない。環和さんだって勇には興味なさそうです。先生に夢中だからよけいにね。それとも……環和さん、勇さんに口説かれたらどうします?」
 生まれてこのかた、口説かれた経験はない。ましてやちやほやもされたことはなくて、考えてもぴんと来ない。

「琴吹勇はかっこいいと思う――」
 ――けど、なびくことはない。そう答えようとした矢先。
「仕事中、及び接客中だ。雑談はあとにしろ」
 木で鼻をくくったような声にさえぎられ、環和はぱっと振り向いた。
 響生は友樹の手からコーヒーカップを取りあげると、無駄話がそんなに癇に障ったのか、環和が持ったトレイの上に嫌みったらしく置いた。一瞥した眼差しも冷ややかだ。おまけに――
「引っこんでろ、邪魔だ」
 という、いくらこっちの落ち度とはいえ理不尽にさえ感じる言葉で追い払われた。

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