NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第1章 でも、好きかもしれない

#6

 本気で警察に通報するつもりだったのかどうかはわからない。
 さっき一瞥(いちべつ)しただけだった安西の目が、今度はしっかりと環和を捉える。
 もしかしたら、たった二時間前のことなのに取るに足りないと、環和の存在は安西の記憶から削除されているのかもしれない。ともすれば、そんな自己否定に陥りそうなことを思う。
「云ったの? そんなこと」
 安西よりも早く青田が口を開いた。

 青田は環和がイメージする典型的なビジネスウーマンだ。長いストレートの髪をひっつめて、パンツスーツでスタイルの良さと活動的なイメージを与える。おまけに、目鼻がくっきりとして、くちびるにはダークローズのリップをのせ、近づきにくい美人を演出している。いかにも“できる女”だ。京香でさえ、青田に対抗できるのは若さだけかもしれない。京香は特に気にしていないようだったが、美帆子なら間違いなく、ジェラシー剥きだしで青田の欠点を並べ立てる。

「云ったんだろうな」
 青田に向けられた安西の返事は他人事みたいな云い方で、よく知りもしないくせに環和を苛立たせる骨(こつ)をつかんでいる。
 安西は環和に目を戻すと――
「常識がないのか?」
 素っ気なく吐いた。
 呆れた声のほうがまだましだ。撮影のときには感じなかった、ひんやりとした気配がある。父の秀朗は、仕事では鬼になって、仕事から離れれば気がよくなるという人だ。安西はその真逆なのだろうか。

「夜遅くて人を訪ねる時間じゃないことはわかってる。スタジオがどこか確かめに来ただけ。すぐ帰るつもりだったけど家だったから、なんとなく待ってた感じ」
「帰れ」
「その人、奥さん?」
 安西の命令をまったく無視して、唐突な質問をした。
 反応をしたのは青田だ。吹きだしたかと思うと、環和を小ばかにした様子で見やった。
「男と女が一緒にいれば、結婚と結びつけるなんていう固定観念、今時の若い子にもあるのね」
「いちおう確かめておきたかっただけです。面倒になることって面倒だから。青田さんて結婚願望ないんですか」
「面倒くさいわね」
 青田は環和が云った言葉で応酬した。
 確かめたかったことがもう一つ確認できて、環和はつんと顎を上げる。
「じゃあ、わたしのこと全然、気になりませんよね。“その気になって”も」
 環和はわざと誤解されるように強調した。

 青田は、環和から隣にいる安西へと目を転じた。
 安西は口を挟むことはせず、それどころか我関せずと煙草を咥えて火をつけている。ずるいのか無関心なのか、どっちだろう。
「響生(ひびき)、わたしは帰るわ」
 青田は、安西の煙草を持ったほうの手首をつかんで顔から離すと、少し伸びあがった。直後、ちょっとしたキスシーンが目の前で繰り広げられる。条件反射なのか、安西は顔を傾けて青田からのキスに応えている。長いシーンではなかったけれど、べったりとしたキスで挨拶がわりには見えなかった。

 青田は浮かせたハイヒールの踵を地に着けると、余裕の笑みを見せる。
「お嬢さんに教えてやったら? たまには気分が変わっておもしろいんじゃない? 証言はしてあげるわよ。このお嬢さんが押しかけてきたんだって」
 安西は鼻先で笑い、紫煙がくちびるの隙間からこぼれる。
「送る」
「すぐそこだから大丈夫よ。じゃあね。編集、落ち着いたらまた連絡するわ」
「ああ」
 安西と青田の関係はわりとあっさりしているのか、そんな会話がなされたあと、青田は慣れた様子で、車が入った門扉ではなく人専用の扉に向かった。

 安西はあとを追い、青田が出ていったあとそのままそこに立ち止まって環和を振り返った。
「おまえも帰れ」
 安西は横柄に顎をしゃくる。
「終電、行っちゃったっぽい」
「タクシーつかまえればすむ」
「話したこともない人とふたりきりの空間なんて無理」
「おれのことも知らないだろう。大して変わらない」
「響生のことは知らなくても、似てる人を知ってるから」
 無遠慮に名を呼び捨てにして、めちゃくちゃな理屈を押しつけると、安西は黙りこんでじっと環和を見つめる。睨むように目を細めているのは煙草の煙を避けるためか。
 やがて、安西は扉に施錠をして戻ってきた。
「おまえのせいで休息が潰れた。責任を取ってもらう」

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