グループ交際

第1話 口説く男 -1-


 新人研修期間の残り一日となった最後の夜、営業部に宿舎の泊まりこみ当番が回ってきた。日替わりで新人たちは男十人、女五人というグループが構成されるが、その一つのグループを任されて午後から研修に付き合った。
 夜の食事では、最後の晩餐(ばんさん)ともあって和気あいあいと、時にはしゃぎ(・・・・)すぎるほどの笑い声が飛び交う。

「竹野内さん、営業の仕事、大変ですか」
 その質問でグループ全員の視線がおれに集中した。
「大変じゃないことはない」
「それって余裕の発言ですよね」
「ここで大変だって云いきって、月曜日、もし営業部に配属ってなったら挑戦するまえに引くだろ?」
 そう答えるとグループ内がどっと沸いた。
「正直に云えば、営業の世界はシビアだし、些細(ささい)なことで(こじ)れることもある。根底は人間関係にあるから。けど、相手に入りこめて還ってくる成果はちょっとした快感だ」
「竹野内さんが快感て云うとなんか違うこと想像しますよ」
「やだ。また下品な話になるの?」
「あ、でも竹野内さんに彼女がいるのか知りたいです。モテますよね」
「わたしも知りたい。できれば立候補もしたいですけど」
「それで営業やってて得したことってあります?」
 矢継ぎ早に遠慮のない一言が降りかかってくる。
「プライヴェイトに関してはノーコメント。営業に関して云うなら使える武器は全部使う。だれだってそうだろ」
 小さく悲鳴が上がったが、おれは肩をすくめて流した。こういうことにいちいち反応すると本当に立候補者が現れたり、ありもしないことが情報として流れたり、収拾がつかないことは経験済みだ。

 勝手におれについての憶測話が盛りあがっていくなかで、ただ一人、黙りがちな子に目が行った。
 研修時の率直な発言を見る限り、自分なりの判断はできていて、話しかければ普通に(しゃべ)り、積極性には欠けているものの、そうおとなしいわけでもなさそうだ。黙りがちだがむっつりとした表情でもなく、むしろ話を聞いて笑っている。ただ遠巻きな感じが否めない。
 それは食事後の解散で思い思いに集まった畳の広間でも同じだった。たまに自分から話に加わっているが、端に座った彼女はほとんど大型のテレビ画面に見入っている。
 高くも低くもない背の高さに和風寄りの癖のない顔立ち。特別()く何かは見えないなかで気になるのは、何気ないながらもじっと観察しているような瞳だ。

「松浦さん、退屈?」
 彼女の横に座りこむとぎょっとしたように見られた。ただのびっくりではなく、拒絶が見える『ぎょっ』に内心苦笑いした。おれがあまり受けることのない反応だ。
「え……いえ、そんなことありません」
「松浦さん、下の名前はなんだっけ」
「……ちひろ、です」
 当惑した返事だ。
「おれは、(あきら)
「知ってます」
 肩より少し上までのストレートヘアを揺らしながら彼女が可笑しそうに答えると、おれの自尊心が回復した。
「友達、できた?」
「はい。いま三人ともお風呂なんです。わたしは今日、最終組であとからになりますけど」
 それから仕事と世間話と行ったり来たりしながら話すと、驚くほど反応がよく、彼女から話しかけてくることも多い。彼女の率直さは素直さからきていると知った。
 二人でしばらく話していると、近くにいた男女も加わってきた。
 とたんに二人で話していた間、おれから離れることのなかった彼女の視線が()れた。同時に直接タッチできない膜が彼女を覆ったことに気づいた。



 女四人集まれば、美人(ビューティ)さん、才女(ウィット)さん、可愛い(プリティ)さん、(ノーマル)さん、男四人集まれば、色男(キラー)さん、優男(スレンダー)さん、道化師(クラウン)さん、魅惑(ヴォイス)さん、といてもおかしくない。
 おかしくないけれど、よくこれだけ個性派が集まったなと感心している。この中に入れば並も個性に見えるという、ある意味、お得な空間ではある。
 それがどうくっつくかというと微妙な気配。
 理想からいえばどういう優先順位がつくんだろうか。
 わたしはクールに見られるらしく、ストイックさんとは呼ばれているものの、何を見てもノーマルでしかないわたしからすれば、順位争奪戦に加わったところで無意味だ。まったくもって労力の無駄遣い。
 そもそも、わたしがここにいる理由なんて数合わせにすぎないんだと思う。
 グループ交際が始まったのは半年前。云いだしっぺがだれかは知らない。わたしは最後に声をかけられたわけだから。

 同期入社で三週間の研修期間を経て、前出の順番からいくと、総務課、人事課、経理課、庶務課というちょっと地味な部署への配属になった。社内一を争う派手な部署、営業部に比べればはっきり云って閉鎖的だ。
 イメージするなら、わたしたちは縁側で日向ぼっこしながらお茶している感じ。テラスでケーキセットを食べている雰囲気の部署とは大違いだ。
 つまり、出入りは“長いものに巻かれろ”的なおやじたちばっかりで職場に華がない。女のわたしが云うとへんだろうか。
 ただこんなふうに説明すると不満に聞こえそうだけれど、そうではなくて、元来わたしは地味な性格だけにここが合っているようで、気に入ってもいる。

 研修中に仲良くなった彼女たち三人とは、約束どおり毎週金曜日の食事会が続いた。その楽しく付き合っていたなかで突然の合コンのお誘いだった。
 女子短大を卒業して、同期入社半年を越えた十月のこと。
 相手は営業部の入社歴数年という男性たち。うちの会社の営業部は(つわもの)ぞろいと聞く。半年も経つと社内の噂も少しは耳に入るわけで、合コンの相手を聞いたらみんな知った名前だった。
 いずれにしろ、総務部と営業部とでは仕事上の接点がなく、同期ならともかく入社半年ではほとんど面識がない。強いて挙げるなら、新人研修のとき、向こうは覚えていないんじゃないかと思う程度にちょっと話したくらいだ。

 まあ、合コンというのは粗方(あらかた)初対面が普通だ。
 普通ということに(こだわ)れば、合コンでだれかとだれかが意気投合してくっつくことはあっても、ずるずるとそろって会うということは普通ない。
 どこがどうなってこうなっているのかよくわからないまま、初会から半年たったいま金曜日の飲み会は恒例になって、休みの日も八人そろうときはどこかに出かけたりする。
 社会人になってもグループ交際とはちょっと幼い気がしたけれど、楽しいと云われれば楽しいかも。
 わたしには性格上、問題あり、なところもあるけれど、この場所はけっこう居心地がいい。

 庶務課の仕事についてはほぼ一年経って、自分で判断したり動いたりと、一人前の一歩手前まで到達して余裕もぼちぼちと出てきた。
 愛想笑いしていればおやじ、もとい、上司は喜ぶし、それなりに仕事を覚えたせいか、先輩達に顔をしかめさせることもなく、わたしにとっては平和な生活が続いていた。
 そう、いた、のだ。三月の半ばを過ぎてそれが怪しくなってきている。その原因は――。

「ちひろ、弁当」
 十二時五分。並列並びしているデスクの間を縫ってやって来たのはまさに平和をさえぎる原因。
 わたしのところまで来ると、当然のように要求した。
「どうしてわたしが竹野内さんのお弁当を持ってこないといけないんですか」
「酷いな」
「理不尽です」
 わたしはきっぱりと切り返した。



 ――今度、弁当作ってきて。

 先週の金曜日、いきなり庶務課に乗りこんでくるなり、グループ交際一員のキラーさんこと、営業部営業課の竹野内瑛は宣言した。
『頼む』でも、ましてや『云う』でもなく、命令に近い宣言。
 月曜日十二時五分にやって来て、わたしが作ってきていないことを知ると、竹野内さんは、おかしいな、とちょっと眉間にしわを寄せてつぶやいた。
 別に、可笑しくもないけど、と思いつつ、退散を待ったものの、一向に竹野内さんが出ていく様子はない。それどころか目の前にしゃがんで腕をデスクに預け、椅子に座ったわたしを見上げた。
 日頃見上げることが多いだけに見上げられることに戸惑いがなくもない。
 弁当持参の先輩がご飯を(つつ)く手を止め、金曜日のいきなり訪問の時と同じように興味津々でわたしたちを見ているのがわかった。
 わたしたちのグループ交際は社内にも知れているが活動自体は社外に限り、こうやって社内で堂々と仲良くやっているわけではない。社内で一緒にいる機会と云えば社員食堂組が、つまりわたしを除いて、昼休みに集まることくらいだろう。
 仲良く、というのもいまの状況については語弊(ごへい)がある。

「あの、お弁当食べるんですけど」
「いいよ。食べて。待ってるから」
「……待ってるってどういうことですか?」
「終わったら、おれの社食に付き合ってもらう。お弁当作ってくれなかったかわりだ」
「……その云いぶん、なんだかヘンじゃないですか?」
「先輩に逆らう気か?」
 大卒後、勤続丸四年になる竹野内さんは立場を強調した。綺麗さにちょっとくどさを加えたようなモテ顔をしかめている。
「今更、先輩風吹かせても知りません。酔っぱらった竹野内さんがいかに本領発揮して女の人を口説いてるかって知りました。わたし、絶対に忘れませんから」
「怒ってる?」
「あたりまえです」
 即座に答えると竹野内さんは再び、おかしいな、とつぶやいた。
「別に可笑しくないですけど」
「いや、その『可笑しい』じゃなくて……」
 最後まで云わずに、竹野内さんはため息を()いて立ちあがった。

 火曜日も似たような会話で終わった。
 二日続いたとあって庶務課の先輩達の好奇心を大いに誘ったわけで、とどのつまり、水曜日のいまに至る。
 先輩方四人を控えての竹野内さん迎え撃ちとなった。
 ほとんど同じ会話が繰り返され、竹野内さんが引き下がって帰ったとたん。

「松浦さん、あなた正気?」
「ハイ?」
「竹野内さんなら云われなくたって作ってさしあげたいって人が多いのに」

 庶務課お局的先輩の発言にわたしははた(・・)と思い当たった。
『お弁当作ってきて』も口説く手の内の一つなんだ。『おかしいな』の意味がわかった。
 わたしの反応は普通と違っているらしい。

「竹野内さんをフルなんて贅沢だわぁ」
「は? いえ、フルとかそういう話ではないと思うんですけど――」
「松浦さん、あなた、竹野内さんに選ばれたのよ。もう、これだからモテない子はモテないままなのよね」
「それって酷くないですか」
「あら、モテるって反論できるの?」
「い、いえ……」
 先輩達のお説教に()され、ぐうの音もでない。


 木曜日、それでもわたしはお弁当なんて作ってこなかった。

「んじゃ、外に食べにいこう」
 今日の竹野内さんはフェイントをかけた。
「だから、わたしはお弁当持ってきてるんです」
「酷いな」
「営業課って暇なんですね。毎日――」

 ん、んっ!
 信じられないほどのわざとらしい咳払いがわたしの言葉をさえぎった。
 斜め前の席から、先輩が脅すような眼差しでわたしを見ている。

「いいから行こう。おれは社食でパン買ってくる。天気いいし、デスクより前の公園で食べるほうが美味しいと思うけどな」
 竹野内さんはそういう周囲の状況に気づいているのかどうなのか、ダメ押しをした。
 選ばれたのではなくて、素っ気なくしてしまって闘争心を(あお)ったのか、ただ単にオトす対象になっているだけだと思うけれど、わたしはチクチクと刺さる視線に耐えきれなくなった。
 だってこの不景気に職を失いたくない。
「わかりました」

 今日、ため息を吐いたのはわたしだった。

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