NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第4章 二十三番めの呪縛

5.逃れられない預言  act. 1

 明確になったのは、凪乃羽が二十三番めという立場であること、それだけだ。不確かだとの理由から、やはりヴァンフリーはそれ以上のことを教えない気らしく、あれきり話が途切れたままになっている。
 厳密に云えば、ヴァンフリーとて『直感』で凪乃羽を探し当てたというから、それすらも確実性には欠ける。ヴァンフリーに――古尾万生に会ってから凪乃羽が見始めた夢は、ヴァンフリーの直感を利用しただれかの仕業かもしれない。
 そもそも、だれが凪乃羽にあの夢を見せたのだろう。なんのために?
 そんな疑問が浮かぶと、ヴァンフリーが確信したように、二十三番めが凪乃羽に割り当てられたと断定するのも易い。
 だれによって?
 ロード・タロによって。抹殺するために。
 ヴァンフリーとラヴィの会話のなか、“目覚める”という言葉に、凪乃羽もまた上人なのかもしれないと見当はつく。ただし、呪縛という役目の割り当てはともかく、なぜヴァンフリーは凪乃羽が目覚めると思ったのだろう。単に、“二十三番め”とロード・タロが残した呪いに因るのか。
「凪乃羽、そのしかめっ面はなんだ?」
 ふいに声が耳に届いて、凪乃羽はハッとして伏せていた瞼を上げた。
 テーブルを挟み、果実酒の入った銀杯を手に持ってヴァンフリーもまた顔をしかめている。そして――
「加えて、あまり食べない。昨日もそうだったが、具合が悪いんじゃないだろうな」
 と、凪乃羽の前に据えられた料理をひととおり見やった。
 凪乃羽も釣られて手もとに目を落とした。料理はあちこちつついたまま、ほとんど手つかずで冷めつつあった。
「おとといの夜、食べないまま朝まで眠ってたから、それで胃の調子が悪いの。今日も寝坊して、もうすぐお昼っていう時間に朝食とってるし」
「おれのせいだということか?」
 ヴァンフリーは惚けたしぐさで眉を上げた。
 つい一昨日、そして昨日、気絶するまで凪乃羽を快楽漬けにしたことを忘れるはずがなく、けれどそこを指摘すれば、今日も、となりかねない。
「食事をしない上人にはたぶんわからないんです」
 凪乃羽は無難に答えておいた。
 大学生になってから、不規則な食事のせいで胃の不調を覚えたことは何度か経験がある。いまは痞えたような、ともすれば薄らとした吐き気も感じている。
 “目覚め”たら凪乃羽も食欲がなくなるのだろうか、とそんなことを考えた。もしかしたら、これも目覚めの兆候かもしれない。
「散歩でもすれば腹も空くだろう」
 ヴァンフリーは何気なく誘っているが、その実、じっと凪乃羽を窺っているようにも見える。
 察しのいいヴァンフリーのことだ、おそらく、昨日、同じように誘ってくれたとき凪乃羽が外に出ようとしなかったから不審がっている。二日前まで何かと出かけたがっていたのに、気分じゃないという理由にもならないような理由で、庭に出ることもなく邸宅内に籠もっている。
 凪乃羽の中に限って、理由ははっきりしている。ハーミットの預言のせいだ。『三晩を経て』と告げられた三晩は過ぎた。つまり、今日が預言の日だ。しかも陽が天頂に来る時刻が迫っている。
 ヴァンフリーと一緒にいれば、なんの問題もないはず。そのためにはむしろ、さっきは無難に答えるより、ヴァンフリーからいますぐ気絶するほど襲われたほうがよかったのかもしれないとも思う。
「おなかがすく、すかないは別。おなかはちゃんとすくけど食欲がないだけ。胃の調子が戻ったら散歩したい」
「宝探しに連れていこうかと思ったんだが」
 ヴァンフリーは凪乃羽の云い訳に納得したのか、出し抜けに云いだした。しかも、餌をちらつかせるようだ。
「宝探し?」
「そうだ。子供の頃、皇帝が大事にしていた大剣を盗んで森に隠した」
 凪乃羽は目を丸くする。
「皇帝は気づいてないの?」
「まさか。玉座の傍に飾っていた剣だ。おれがなくしたと云ったら、地球の終わりとかわらないほど荒れ狂った」
 凪乃羽はあからさまに顔を曇らせた。
 上人ではない人間に死は必ず訪れる。それがいつ訪れるのか、時間は不平等だけれど。わかっていても、受け入れるには気持ちがついていかない。
 ヴァンフリーは目ざとく凪乃羽の気持ちの変化に気づいてため息をついた。
「例えが悪かった。謝る。できれば忘れてくれ。とにかく、地下牢に入れられるほど怒りまくった。おれを閉じこめるなどだれにもできないが、そのとき皇帝はそれを知らなかった」
 尊大でしかなかったヴァンフリーが謝罪するのも二度め、すべての秘密が明かされたわけではないけれど、おおよそのことを共有できてから少しだけ対等に近づいた感じだ。そう気づいて、凪乃羽の罪悪感は少し癒やされた。
 そうして牢に入れられたヴァンフリーを想像すると、興じた気持ちも湧いてくる。きっと、黙って父親が下した罰に従いつつ内心では生意気な様でおもしろがっていたかもしれない。
「……剣はどこにあるの?」
「フィリルが眠りについていた泉に小さな滝がある。滝をくぐり抜ければ、その向こうは洞窟になっていて、奥に進むごとに枝分かれしている。地球上の例でいえば、蟻の巣のように行き止まりの部屋がいくつもある。剣はそのどこかに置いた」
「……憶えてないの?」
 ひょいと肩をすくめたしぐさを見るかぎり、はっきりは憶えていないらしい。凪乃羽がくすっと笑うと、ヴァンフリーは意味深げに笑む。
「その真の持ち主が行けば自ずとわかるだろう」
「真の持ち主って、皇帝のことでしょ?」
 今し方の笑みと言葉に引っかかって凪乃羽は確認してみた。やはり、何か含んだ笑みが向けられる。
「ハングの剣だ。決闘の話をしただろう。シュプリムグッドを統一に導いた王剣だ。勝利の証しに皇帝が奪った」
 驚きに満ちた凪乃羽を見て、皮肉っぽく、ともすれば自嘲するようにヴァンフリーは口を歪めた。
「ひどい父親だろう? 挙げたらきりがない」
 どこか他人事のようにも聞こえる口ぶりだ。
「ヴァン?」
 本当に云いたいことは別にある、とそんな気配にも見えて凪乃羽は問いかけてみたが、ヴァンフリーは首を横に振るだけで応じなかった。
「罰で地下牢に閉じこめられたときハングの牢に行って、おれが剣を奪ったことは話した。宝探しはどうする? ハングも剣を探しているかもしれない」
「じゃあ、ちょっとお昼寝してから」
「さっき起きたくせに昼寝までするのか」
「眠たいから」
 ヴァンフリーは呆れたすえ顔をしかめた。
「このところよく寝るな。遠出や病のせいか? 気にかかって出かけるに出かけられない」
 ハングを探しまわっていたヴァンフリーが昨日今日と出かける様子はない。それは、凪乃羽がハングと会ったことを知って、やるべきことを考え直しているのかと思ったけれど、もっと単純に凪乃羽の様子を気遣ってのことだったのか。
「ヴァンが病だって決めつけただけで、くしゃみは病気のうちには入らない。ずっと閉じこめられてたし、遠出に躰が慣れてないのかも。でも、宝探しはやりたい」
「外で食べるのはどうだ?」
「ピクニック? いいかも」
「セギーに頼んでおく。ハングに先を越されないといいが」
 ヴァンフリーは付け加えて凪乃羽をからかうように見た。
 昼寝と云いだしたのは時間稼ぎのために口にしたことだ。定めは避けられない。その預言をヴァンフリーに話していないのは、そうする機会を逃したすえ、いまもヴァンフリーから話を持ちかけることはなく、心配か、もしくは不機嫌にする気がして蒸し返すのがためらわれたからだ。
 この日中を乗り越えればなんの問題もない。けれど、話さないことのほうが結局はヴァンフリーにとって面倒な事態を招く。そう思えてきた。凪乃羽の具合のほうを優先してくれるくらいだから。
 今日を逃そうと、ハングの様子を思い起こせば、あきらめるとは考えられない。
「ヴァン……」
 いざ口を開いた刹那。
「お食事のところ失礼いたします。ヴァンフリー皇子、アルカナ・エロファンがお見えになりました。お食事中と申したのですがお急ぎのご様子です」
 と、セギーが現れた。
 ヴァンフリーはセギーを見やってわずかに顔をしかめ、かすかに吐息を漏らすと銀杯をテーブルに置いて立ちあがった。
「わかった」
「広間にいらっしゃいます」
 セギーが云い残して部屋を出ていくか否かのうちに――
「すぐに戻る」
 と、凪乃羽に向けて云ったヴァンフリーは、身をひるがえしそうな気配のまま静止して、あらためて凪乃羽を見つめた。心もとない凪乃羽の心境を察したのかもしれない――
「一緒に来るか?」
 つい先刻の発言を撤回して凪乃羽を誘う。
「……いいの?」
 エロファンの訪問が急ぎとなれば、悪ふざけではないかぎり、深刻なことだ。そこに同席させてくれるのか、凪乃羽が半信半疑で確かめてみると、ヴァンフリーは首を傾けながらうなずくようなしぐさを見せた。なぜ駄目なんだと問うようで、奇妙だといわんばかりの様子だ。
「よくないなら最初から誘わない。わかっているだろう?」
「わかってる」
 エロファンの急用が何かわからないうちに同席を許すのは、ふたりの間に隠し事は必要ないというヴァンフリーの意思表示に思えた。
 凪乃羽の顔が綻ぶと、ヴァンフリーは少しおどけた面持ちになり、小ぶりの食卓をまわってくる。その間に立ちあがりかけた凪乃羽の手を取って広間に向かった。
「遅い」
 そこに入ったとたんのエロファンの第一声は、普段にはなく苛立って聞こえた。聖者のような穏やかさがまるで欠けている。
 そうして、来るのはヴァンフリーだけだと思っていたのだろう、凪乃羽が隣にいるのを認めるとエロファンから驚いた気配が伝わってくる。
 実体ではなく影だからこそ、およその感情は漏れてくる。だから、常に実体であるヴァンフリーの感情はあまり読みとれない。
「エロファン、せっかちだな。らしくない」
 ヴァンフリーの揶揄した声にもエロファンは凪乃羽に目を留めたまま、一向に興じた様子を見せない。悪戯ではなく、本当に急用という証拠だ。
 ヴァンフリーと凪乃羽が一緒にいることを不自然に感じるほど、エロファンとは見知らぬ間柄ではない。もう慣れ親しんだ仲だといってもいいと思うのに、エロファンはいま何を驚いているのだろう。後ろ髪を引かれるように凪乃羽からやっと視線を引き剥がすと、エロファンはヴァンフリーとあらためて対面した。
「悠長なことは云っていられない事態だ。凪乃羽に聞かせてもいいのか?」
 エロファンは警告を込めてヴァンフリーを見据えた。
「隠すべきことはない」
 それは、部屋を出てくるときのことといい、ためらうことは愚か、まるで一考する間もいらないとばかりの返事だ。信頼されて信頼すること、それが凪乃羽の不安を一掃していく。
 エロファンはお手上げだと云わんばかりに、文字どおり手を軽く上げて呆れた素振りをした。
「それなら遠慮なく云うが、物騒な話だ。まもなく皇帝ご一行がこのウラヌス邸に乗りこんでくる。まさか招待状を送ったりはしていないだろう?」
 物騒だと云いながら、さっきまでのただ深刻だった気配が和らぎ、最後に揶揄するのはエロファンらしい。
「この邸にはだれも招くことはない。おまえもラヴィも押しかけてきて、しかたなくここまで通したにすぎない」
 ヴァンフリーは揶揄に興じることもなく、これまでになく顔をしかめている。
「ヴァンフリー、永遠の友人を“しかたなく”通す? ひどい云いぐさだ。こういう火急の事態にすぐに影を送れる。役に立っているだろう」
「永遠だからこそ、砦(とりで)は絶対だ。侵略は阻む。それが皇帝だろうと。その『役に立っていること』を示してくれ」
「まず、阻むまえにここから逃がしたほうがいい」
 エロファンは凪乃羽を一瞥してヴァンフリーに忠告した。
 次いで、ヴァンフリーの目がおもむろに凪乃羽に向く。その視線をエロファンに戻すまでに答えを得たようで、何も見逃すまいといった気配が窺えた。
「皇帝の目的は凪乃羽か?」
 ヴァンフリーの問いかけに凪乃羽は息を呑んで、エロファンを見つめた。その赤と青の混載した長い髪がうなずいた拍子に揺れる。
「そのとおりだ。マジェスとジャッジの話を立ち聞きした。一昨日、アルカヌム城の住人たちで密議があったらしい。女たちと私は蚊帳の外だったが」
「立ち聞きではなく盗み聞きだろう」
 エロファンの言葉に突っこんだのは、頭を整理する時間を稼ぐためなのかもしれない。ヴァンフリーは険しい顔で少しもおもしろがっていない。エロファンの反論を待つこともなくすぐさま、それで? と続きを促した。

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