NEXTBACKDOOR|皇子は愛を秘匿できない〜抱き溺れる愚者〜

第3章 恋に秘された輪奈

1.アルカナ−快楽を追求する上人−  act. 1

 様々な色を取り合わせた水晶の豪壮な城――アルカヌム城はそのときによって色合いを変える。いくつか連結した塔のなかで遥か高くそびえる塔の先端は、ひと際澄みきった水晶が陽を浴びて方々に光を散らしていた。
 シュプリムグッドの最高峰に建つ城の敷地内におり立ったヴァンフリーは、そこにいるであろう存在を思いながら眼光鋭く塔を眺める。
 そうして、視線を水平に戻すと、踝(くるぶし)まであるチュニックの裾をはためかせて歩きだした。
 背の高い柱が並び立つ拱廊(きょうろう)を進んでいく。以前、城には存在することのなかった騎士たちが廊下の脇を固め、片膝を地について項垂(うなだ)れている。ひれ伏すのではいざというときの初動が遅れる。それを防ぐため、騎士特有の敬意の表し方だ。
「直れ」
 皮肉の潜んだ微笑は騎士に向けたものではない。礼を解き、立ちあがった騎士たちは、そもそも見てはならないとばかりにまっすぐ正面に視線を置いているのにすぎない。よってヴァンフリーの姿は視界を横切るだけで、この表情に目に留めることをしない。
 タロの怒りに触れたその日以来、多くのことが様変わりした。本来は、死が訪れることのない上人が守りを必要とすることはなく、つまり騎士は必要ないのだ。
 ヴァンフリーは居城のなかへと続く扉の前に来て立ち止まる。巨大な怪物が存在するわけでもないのにヴァンフリーの背丈の二倍はあろうかという扉が開くのを待った。わずかに軋む音がすると扉が動き始め、開ききる間もなくヴァンフリーは城内に進んだ。再び背後で軋む音が立ち、扉は思い直したように閉じ始める。
 外と違い、居城の内部に変化はなく、歴代の召使いがいて甲斐甲斐しく深々と礼をすると、ヴァンフリーの二歩後ろをついてくる。吹き抜けの広間は足音がやたらと反響する。進んださきで待機していた男は、ヴァンフリーの到着を見計らって錬鉄で模様を施した扉を開けた。
 ヴァンフリーが昇降台に乗り、扉が閉まったところでまもなく上昇し始めた。吹き抜けの空間が終わると、水晶の壁越しにシュプリムグッドが一望できる。
『高いところが好き? 東京のマンションも最上階だったよね』
 わずかに怖々としながら崖っぷちに立った、凪乃羽の邪気のない問いを思いだした。
 ヴァンフリーが住み処とするウラヌス邸は――本邸はこのアルカヌム城だがヴァンフリーはほとんどを別邸ですごし、そしていま凪乃羽はそこに匿(かくま)っているのだが――アルカヌム城とは別の高嶺(たかね)にある。明らかにアルカヌム城のほうが高い場所にあるものの、勝るとも劣らない明媚(めいび)な眺望(ちょうぼう)を誇る。
 無意識に張り合っていたのかもしれない。凪乃羽に云われてそう思った。ヴァンフリーのくちびるに自嘲(じちょう)した笑みが浮かぶ。
 やがて塔の半ばで昇降台は止まり、召使いの手によって扉が開けられ、そうしてそのさきには皇帝直属の臣下、アセルが待っていた。
「畏(おそ)れ入ります。皇帝陛下がお待ちでございます」
 アセルは深々と頭を垂れ、ヴァンフリーがその前を通りすぎるまでその姿勢を保った。
 接見の間に達すると、あとを追ってきていたアセルがすっとヴァンフリーの前に出て扉を開いた。
 内部には左右に太い水晶柱が立ち、その間に朱色の絨毯が奥へと導くように敷かれている。絨毯の両脇には椅子が並び、ヴァンフリーはその間をまっすぐに進みながら、正面の玉座で片肘をつき謁見者(えっけんしゃ)の挙動を見守る眼差しを跳ね返した。
 玉座の前まで来ると、そこから二段下となる床に跪く。胸に右手を当ててヴァンフリーは項垂れた。
「直れ」
 跪き胸に手を当てたまま、顔のみを上げてローエンを見上げた。
「遅くなりました」
「おまえが不羈奔放(ふきほんぽう)であることは承知だ。だがヴァンフリー、このたびに限っては感心しない以上に不快極まりない。父として嘆かわしいぞ」
 父としての実務が伴うか否かは別として、ローエンは何かとヴァンフリーに向かって父という立場を持ちだす。紛れもなく父であるから当然なのだろうが、ヴァンフリーからすればその関係はとっくに滅びている。それをおくびにも出さず、惚けたふりで首をひねった。
「それは、遅れたことに対してですか。それとも、命(めい)を受け、そのご期待に添えなかったことですか」
「云わずともわかっているだろう」
「地球の生命は滅びました。それですんだのでは?」
「おまえは本当に考えが浅いな」
「そのようですね。私のほかに命を受けていた御方(おんかた)がいたとは存じませんでした」
「わたしが云っているのはそのことではない。もとはといえば、おまえの働きが悪いゆえにジャッジに命ぜざるを得なかった」
「私のせいとはどういうことでしょう」
 ヴァンフリーは眉をひそめ、考えるふりをしながら訊ねた。
 ローエンは呆れた様でひとしきり首を横に振る。
「二十三番めの存在は、ロードの呪縛を受けているのだぞ。ましてや、上人の間に生まれた子だ。永久を手に入れているに違いない。地球の生命を滅ぼしてしまえば、自ずとその存在だけ生き残る。それをおまえが捕獲するはずだった」
「捕獲してもシュプリムグッドには連行できなかったかもしれませんよ。現に、地球との間を行き来できたのは私だけですから。それよりも、地球に存在するままそっとしておいたほうがよろしかったのでは? ロードの意向で向こう側に存在する以上、“永久”とは無縁ではなかったかと」
「嫌、行き来できないという断言はできない。その寿命が永久ではないという確実性もない」
 それらこそ推測にすぎないが、ローエンは妙に断定した。二十三番めの存在がヴァンフリーと同じように異世界を行き来できると考えるのなら、身に覚えがあるという証しにほかならず。
 ヴァンフリーの脳裡に、潤ませた瞳で縋るように見上げてくる凪乃羽の顔がよぎった。痞えたようなこの淀(よど)みは何か。いまは突き詰めるときではなく、かすかに首をひねって脳裡から凪乃羽の影を振り払った。
「二十三番めの存在が見つかったとき、どうなさるつもりだったんです?」
「捕らえておく、永久にな。だれにも渡さぬ」
「永遠の囚人ハングは脱獄したと伺いましたが」
「早耳だな。経緯はわからぬが、この地下牢獄をよく知っている者が手助けをしたということは確かだ」
「では二十三番めの存在を捕らえたとしても、監禁が永久に可能だという保証はない、そういうことになりませんか」
「同じ失態を私が繰り返すほど愚かだと?」
「いいえ。秩序の精霊ワールがいなくなったことで確実に不安定になっていると云いたかっただけです。呪縛はその存在をこちら側に連行したことで成立するのかもしれない。あるいは、新たな禍が呪縛として加わるかもしれない。ロードから試されている、そうは思われませんでしたか」
 ヴァンフリーが云い募ると、ローエンは険しい顔で眉をひそめた。
「おまえは何を知っている?」
「何も存じません。ただ、つい先程、父上は『上人の間に生まれた子』とおっしゃられた。ロードが寵愛したフィリルへの禁忌を犯し、その間に誕生した子の父親はだれです?」
「私は上人たちの全責任を負っている。父親がだれか、追究しても現況を解決することにはならない」
「追及しても無駄だと。なるほど」
「ヴァンフリー、いま追求するべきは二十三番めの存在だ。本当に向こう側には存在しないのか。確認しろ、おまえの目で」
「地球は枯れ果てたんですよ。再生するまでに時間がかかります。気長にお待ちいただくしかありませんね」
「なぜ私がジャッジに命じたか。終末には再生が付きものだろう。ジャッジはすでに再生に取りかかった」
「承知しました。では」
 無駄なことを。そう思いながらも従順に頭を下げ、ヴァンフリーは立ちあがった。
 背中に視線を感じながら接見室を出ると、室外に待機していたアセルが礼をするのを横目に、正面の昇降台の前で待ち構えている姿を捉えた。
「母上、ご機嫌いかがですか」
「ずいぶんと顔を見せないで。ヴァンフリー、あなたは相変わらず元気そうだけど」
 皇妃エムは呆れて、嫌味を込め、そして安堵のため息をこぼした。
「果てしない時間のなかで飽きるほど顔は合わせていると思いますが」
「母親はいつまでたっても母親よ」
「父親とは大違いですね」
「ヴァンフリー」
 エムはどこまで知っているのか、少なくとも遥か過去のことを知りながらもヴァンフリーを咎めることでローエンを庇った。
「ああ、すみません。つい子供のようなことを云ってしまいました」
 エムは否定するように首を横に振って顔を陰らせた。
「幼い頃の記憶が残っているなんて厄介なことね。あなたは父親とうまくやっているわ。そうれはそうと、シュプリムグッドはどうなるのかしら」
「突き詰めるなら、皇帝はどうなるんでしょうね。心配ですか」
「もちろんよ。あなたにとっても父親よ、心配ではないの?」
「皇帝の座に興味はない――とだけ云っておきます。では」
 ヴァンフリーは会釈をすると昇降台に乗った。振り向いたところでエムの向こう側にローエンが現れた。
 ずいぶんと疑(うたぐ)り深く、用心深くなったものだ。
 ヴァンフリーは内心で揶揄しながら、昇降台が下がってその姿が見えなくなるまで項垂れていた。

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