epilogue ラリーレイド〜走破〜
2.
祐仁は颯天の躰の下から手を抜くと両脇に肘をつき、自分の躰で颯天を拘束した。
「なんで……」
颯天は云いながら頭上の照明を見上げてまた祐仁に目を戻した。
「あれでおれを本気で拘束したつもりか? 起こさないようにって慎重にした結果だろうが、ちょっと手を動かせば容易にほどける」
「……なんで……」
颯天は目を見開きながら、同じ言葉で問いかけたが質問の意味は違う。
祐仁は、「ああ」とその違いは先刻承知とばかりに肯定した。
「最初から逃れようと思えば逃れられた。なんで逃げなかったのか、それはおれの贖罪(しょくざい)だ」
「……贖罪?」
思ってもみなかった言葉が祐仁の口からこぼれ、颯天にはただ意外だった。
「おれはおまえを男娼にするつもりはなかった。少なくとも、おまえを本当の意味で抱いた日から。油断して嵌められたあの日、おまえを守るために方法がなかったとはいえ、取り戻すまでに六年近くかかったことを悪かったと思ってる。二度の失態は許されない。おれは確実におまえをおれのものとして手に入れたかった」
祐仁は歯痒さを覗かせながら、その声にも顔にも苦渋を滲ませている。
「そのために今回の……工藤さんの裏切りをきっかけにできたってことですか」
「そうだ。春馬はおれの情報網を甘く見ていた。関口組と必要以上の接触がわかってから内偵した結果、凛堂会の組員に薬物の取引を持ちかけていることが判明した。その頃だ。永礼組長から調査依頼と情報提供が求められたのは」
「やっぱり永礼組長は知っていたんだ」
永礼が抜かることはなく、それ以上にすべてを冷静に見越して動いていたのではないかと思った。おそらくは清道と緋咲のことを慮りながら。
颯天と永礼の関係を気にしていた祐仁は、颯天の『やっぱり』という言葉を穿って捉えたかもしれない。その面持ちは皮肉っぽくもあり焦燥も宿っている。颯天に向けたものではなく、颯天を永礼に差しだした自分に対するものに違いなく、憂えた祐仁の気持ちをほぐすにも適当な言葉を見いだせず、颯天は手を上げて祐仁の前髪を掻きあげた。その手を祐仁がつかみ、手のひらに口づける。くすぐったさに手を閉じながら引いた。すると、祐仁はかすかに興じた様に変わった。
「永礼組長はおれが提供するまでもなく勘づいていた。いずれ、その情報を提供する引き換えとして条件を出すつもりだった。条件はおまえの引き渡しだ。ただし、あっさりとおまえを返してもらうだけでは春馬が勘繰る。それを、おれが仕掛けるまでもなく、永礼組長からその機会をつくった」
「永礼組長がわざと越境したんじゃないかって祐仁は疑ってた」
祐仁はうなずいたが永礼の策略を渡りに船と捉えているわけではなく、どこか納得がいかない、あるいは癪に障るといった様子だ。
「お詫びとして男娼を一体差しだすと云われたときに試されているように感じてた。おれが間違っておまえと違う奴を選んだとしても、永礼組長はおまえを引き渡したはずだ。けど――」
「間違ってない」
颯天が即座に引き継ぐと、祐仁は当然だとばかりに口角を上げる。
「おまえに対して証明しなければならなかった。間違うわけにはいかない。けど、おまえの感じ方も、おまえの形も、おまえの気配も、おれは憶えていた。遊戯以前にひと目見て直感した」
「おれも、足音でわかったかもしれない」
「忠実だな」
「あたりまえだ」
即答した颯天をじっと見下ろし、祐仁はふと衝かれたように顔を近づけかけた。が、自ら逃れるようにぱっと顔を背ける。そうして衝動をリセットするかのようにゆっくりと目を戻した。
「おまえは永礼組長から何を頼まれていた」
「祐仁を……正確には、アンダーサービスエリアのフィクサーの監視を頼まれた」
颯天は云いながら、その本質は祐仁を守るための監視だったかもしれないと思った。颯天が祐仁に忠実であることを見越して。一方で、疑問が浮かぶ。
「祐仁、永礼組長と清道理事長の関係は知ってたんですか」
「ああ。だからこそ、おまえの弟は助けられた。おれはあの頃、単に清道理事長は顔が広いと思っていただけだったが、まえに云ったとおり、管理者(エリート)になってEタンクの会長だと知った。昨日、車の中で聞かされたのは、永礼組長がかつてEタンクの所員だったことだ」
「Eタンクの? やめられたんですか」
「いや、アンダーサービスでフィクサーとして務め、清道理事長がヘッドから身を引くと同時に、やめたというよりは独立したらしい。Eタンクのような絶対的組織は、それがかえって弊害を生むときがある。絶対だからこそ逆らえず、よって末端の連中は結託して口を噤み、結果、情報が上がってこないときもある。正統派としての清道大学、闇の道を行く凛堂会が外から支えることによって、その弊害が取り除かれる。Eタンクに残ったのは緋咲ヘッドだ。Eタンクには三位一体と伝説のように噂されているチームがある。ここ十数年で世界のシステムは劇的に変化した。それに先駆けて彼らがEタンクを近未来化した」
「それが、緋咲ヘッドと清道理事長と永礼組長ですか」
「そうだ」
「けど、緋咲ヘッドは昨日、自分を除け者だって感じてるように見えた……」
「三人が別の観点に立ち一体であることを当時は納得してたんだろう。時間がたつにつれて、緋咲ヘッドは孤立していったかもしれない。常に判断を迫られ、指揮を取らなければならず、それをいちいち相談するわけにもいかない。トップとはそういうものだ。相談せずとも傍にいるだけで心強い。そういうこともある」
「けど、緋咲ヘッドって結婚してるんじゃないんですか。祐仁の父親なんだろう……」
と云いかけて、颯天は矛盾に気づいた。「違う。祐仁は施設育ちだって聞いた」
「そうだ。緋咲ヘッドは独身で、おれはデザイナーベイビーだ。体外授精で金で雇った女から生まれたらしい。有働はおれと同じで、永礼組長の息子として生まれた。子供を産むことに関してはどうやっても男にはできないからな」
いきなり出てきたデザイナーベイビーという言葉に颯天は目を丸くする。
「もしかして、Eタンクにはそういう人間が多いんですか」
「自分の遺伝子を残したいっていうのは動物の本能だろう。それを望む者に対しては叶える。ただし、厳密にはだれが自分の子か、それは知らされない。Eタンクの掟として、任務第一という忠誠が揺るがないよう家族不要の一文があるのはわかっているはずだ。知れれば元も子もない」
「けど、緋咲ヘッドは、ずっと祐仁を息子だとわかってたんだろう? だから、清道理事長は有働さんじゃなくて祐仁を自分の身近に置いて力を持たせた。そうやって緋咲ヘッドに、大事な存在だって伝えてた」
「まわりくどいけどな」
「けど、緋咲ヘッドは祐仁を陥れようとしてたって……」
「本気でそうしようとしていたんなら、おれはどうやってもフィクサーになれてない。それだけの権限をヘッドは持っている」
「おれは祐仁がだれかに――緋咲ヘッドに嵌められて、蹴落とされるかもしれないって思ってた」
こうなっても心配を消し去れない颯天と違って、祐仁は失笑する。
「痴話げんかの巻き添えにすぎない。別れさせられた日、有働が立ち会っていただろう。有働によればおれの救済措置を講じるための緋咲ヘッドの計らいだった。あのとき、おまえは負けなければならなかったんだ」
「……よかった」
颯天は心底から安堵して力が抜け、ベッドに沈んだ感覚に陥る。さっき颯天がしたように、今度は祐仁が颯天の前髪を掻きあげてなだめた。
「おれのことは心配いらない。自分のことは自分で――」
「――どうにかできる。それはわかってる。けど、心配しないことなんて永久にない」
祐仁をさえぎって、颯天は自分の存在を主張した。力尽きたように祐仁は吐息を漏らす。
「……おれもそうだ。凛堂会に引き渡したときも案じていたが、永礼組長が無下におまえを扱うとは思っていなかった。けど、今回は違う。おまえの状況が把握できなくなって、昨日ほど自制が必要だったことはない」
その言葉で昨夜のことが鮮明に甦る。
「昨日は……どういうことだったんです? どうなったんだ?」
「あいつらが盗聴を怖れておまえの服を脱がせたところで後の祭りだ。取引場所はすでにわかっていただろう。奴等がどこで時間を潰していたかもわかっている。戦略として待ち伏せするのは基本中の基本だ」
「おれが工事現場に入ったときはすでにいたってことですか」
「ああ、凛堂会とEタンクからそれぞれスナイパーを派遣して有働に指揮を取らせていた」
「スナイパーって……あの人たちはほんとに死んだんですか」
「Eタンクの存在価値は、国としての損害を最小限にとどめる役目を担ってきたことにある。いざとなったとき君臨するために存在するのであって、Eタンクは正義の味方でも善でもない。そうわかって国を一歩引いた目で見ると、そこらへんのフィクションよりおもしろいかもな」
祐仁は人を喰ったような云い方をして、興じているようにも聞こえる。抜けるにも抜けられないと云ったこともあったが、いまや祐仁はすっかりEタンクの人間なのだ。
「政治家たちは、Eタンクに踊らされる操り人形ですか」
「踊らせていない。勝手に踊っている。ここぞというときに牛耳る。時には抹殺することもある。社会的にという意味でも、この世からという意味でも。権力を濫用するわけじゃないが、今回、凛堂会の裏切り者も含めて関口組は壊滅させなければならなかった。春馬がよけいなことを喋った可能性がある」
「非情、ですね。それは清道理事長が云っていた『驕り』じゃないんですか。人命を左右する権利は、同じ人間にはないはずだ」
祐仁はしばし黙りこみ、そしてふっと笑った。尊大なしぐさだが、諦観したような自嘲も見え隠れする。
「そうかもしれない。けど、Eタンクはそういう組織だ。嫌になったか」
「祐仁はおれを見くびってる」
颯天は可笑しそうに笑った。
祐仁は怪訝そうにしながら、問うように眉を跳ねあげた。いや、問うようにではなく、聞きたい返事を待っているような気配だ。
「見くびってる? おれがおまえを?」
「はい。おれは祐仁と何かを天秤に掛けることはない。それをずっと証明してきた。おれは男娼だ。好きでそうなったわけじゃない。祐仁のためなら躰を張れる。そう思っておれは客に応えてきた。快楽に弱いですよ。けど、気持ちは別だ。そんなふうに見えませんでしたか」
颯天は目に意志を込め、きっとして祐仁を見上げる。
祐仁は喰い入るように颯天を見下ろした。何かを噛みしめ、そしてあらためて心底に刻みつけている。そんな気配が伝わってくる。
「おまえは……まっすぐだな。何も……はじめて見たときから何も濁ってない」
「はじめてって推薦のときのことですか」
「そうだ。おれが欲しいと思っていたものをおまえはすべて持っているように見えた」
颯天はかつて祐仁が云ったことを考え巡る。
「欲しいものが手に入る自由に憧れてたって……そんなふうにおれが見えたんですか?」
「実際、そうだろう。弟の面倒を引き受けられるのは、それだけおまえが親から面倒を見てもらえて愛される環境にいたからだ。おまえは隙だらけだった。昨日もそうだ。自分が犠牲になるのを厭わず、おれの盾になろうとした。おれはちゃんとおまえをわかってるだろう? 見くびってなんかいない」
「けど、結局はおれのほうが祐仁に守られてた」
「おまえは自分をわかってない。いまでも隙だらけだ。永礼組長に大事に扱わざるを得ない気持ちにさせるくらいな。けど、おまえはおれのものだ。だから、おまえをおれに守らせろ」
「だったら、おれの希望も叶えてください」
「どんな希望だ」
「再会してから祐仁はおれを突き放していた。いまならそれがどういうことかわかる。おれにとって不本意だったことを強いたのは祐仁で、おれを取り戻したからといってチャラにするには自分が許せなかった。でしょう? 祐仁は自分を悪者にしてほしかったのかもしれない。けど、おれを相手に無理だ。だから、独りでなんでも背負おうとしないでおれに分けてほしい。それが希望です。清道理事長と緋咲ヘッドみたいなすれ違いはごめんだ」
祐仁の目が心もとなく揺れたと思った瞬間に、そっぽを向くように顔を背けた。その奥の心情を――弱さを覗かれたくなかったのか。そんなふうに感じていると、祐仁は目を戻した。そこにあるのは、祐仁とはじめてひとつになった日に見た眼差しと同じだった。切望と渇望と止められない欲望がせめぎ合う。
「望むところだ」
祐仁はひっ迫したように受け合い、笑いかけた颯天の口をふさいだ。開いていたくちびるの間にやすやすと舌が滑りこみ、するりと奥へと延びていく。キスの立場が逆転し、嘔吐いた颯天の舌が祐仁の舌に絡みつき、反動で呑みこむようにうごめくと、祐仁の舌が痙攣して颯天を刺激する。その繰り返しに颯天が身ぶるいを起こすと、祐仁は顔を上げた。
「今度はおれのばんだ。覚悟しろ。抱き方を憶えるんだな」
「それって……またおれのほうが抱いていいってことですか」
「その気があるなら」
「おれにその気があるっていうよりも、フィクサーが男娼に堕とされたがってるんだ。そうでしょう?」
「生意気な口を利く」
と云いながらも祐仁は否定しなかった。
「遠慮なんかしない」
颯天が宣言すると、祐仁はくぐもった笑い声を立てた。
「颯天、おまえはもうだれの男娼でもない。おれが唯一抱き合う権利を持っている男妾だ」
祐仁もまた宣言をする。もしくは宣誓だろうか。
「ヴァージンも童貞もおれの意思で祐仁に差しだした。愛してる。その証しに。祐仁以外のだれもこのおれの領域はもう侵犯できない」
颯天はそんな誓いを立てられずにはいられなかった。
「颯天……」
祐仁はそれっきり、ただ颯天を見つめる。切迫したあまり声を詰まらせたような様子で、言葉を継ぐまでに時間を要した。かわりにくちびるを合わせると、そのまま時間が止まったように微動だにしない。同化していくような感覚に襲われた頃、離れるのを惜しむかのように祐仁はくちびるに吸着しながら顔を上げた。
「おれも愛してる。おまえと同じ証しを立てられなかったことを悔やむくらいな。だから、いま以上におまえを愛させろ」
ほんのくちびるの傍で祐仁は囁いた。
至福のあまり颯天は無意識に笑みを浮かべていた。
「喉が渇く」
祐仁は無自覚に呻いた。
− The Conclusion. − Many thanks for reading.
あとがき
2018.5.7.【淫堕するフィクサー】完結
BLに初挑戦した作品。
性描写の勝手が違うだけで、純愛ジュールにありがちな特殊な世界を織り込み、
どうにか書ききりました。
楽しんでいただけたのなら幸です。
奏井れゆな 深謝
Material by 世界樹-yggdrasill-