NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第5章 ride double〜相乗り〜

6.

 見開いた目を緋咲から祐仁へと転じ、脳裡に映った緋咲の残像を祐仁に重ね合わせる。だれかに似ている、と颯天は緋咲に会ったときそう思った。そのときはあまりに近すぎて答えが見いだせなかったのか、親子の年齢差のぶんだけ祐仁の姿に年数を重ねたら、そっくりの姿が浮かびあがった。
「祐仁……」
「ああ、知ってる。……というより知ったばかりだ。見当はついていたが」
 つまり、いま事実が明らかになったというのに、祐仁はなんでもないことのように肩をそびやかす。
 一方で颯天はますます混乱していた。
「話はあとだ。人に聞かれては――こと、プライベートな痴情は部下に聞かせるものじゃない。でしょう、緋咲ヘッド」
「永礼組長、相変わらず人を揶揄することには長けてるな。だが、私をコケにするのは一度で充分だ。二度も黙従するつもりはない」
「血迷っていたくせにそう云える立場か。凛堂会はEタンクの未来を守ってやったんだ。今回のことは貸しだ」
「冗談だろう。私は凛堂会の目の上のたん瘤(こぶ)を追っ払うきっかけを提供した。フィフティフィフティだ」
「つまり、チャラだ」
 永礼はしてやったりとばかりに、にやりと口を歪めた。反対に、緋咲は苦渋のもと口を歪めた。
 永礼と緋咲の会話は颯天の混乱に拍車をかけた。だんだんと砕けていって、ともすれば少年同士のような応酬で、聞かされていた“天敵”という言葉は当てはまるかもしれないが、颯天が想像していた敵対という関係には見えなかった。
 颯天は祐仁と顔を見合わせる。あからさまに戸惑った顔を見て、祐仁もまた口を歪めた。
「まずはここを片づけますよ」
 祐仁は永礼と緋咲の会話に割って入り、するとふたりはうなずいたり、ちょっとそっぽを向くように首を振ったり、それぞれ気分を切り替えるような素振りをした。
 颯天はようやく辺りを見回す余裕ができた。話している間も物音がしていたが、それまでの颯天の視界と、振り返ったさきの景色はまるで正反対だった。
 凛堂会の車は変わらず整然としていたが、颯天が捕らわれていた関口組の側はドアが開きっぱなしの車が多い。心なしか、埃を被り、損傷しているようにも見える。
 そうして何よりも衝撃的だったのは、車の間で何人もの男が地に横たわっていることだった。ぴくりともしない。反対に、動いている男たちは身軽そうで、横たわった男の傍でかがんでいたり、車の中を覗きこんだり、それぞれに何かを担い、ただし、倒れた男たちを助ける様子はない。すでに死んでいるのか、見捨てるのか。
 祐仁に庇われ地面に横たわっていた間、いったいどんな事態が起きていたのだろう。
「祐仁……」
 颯天が呼びかけたとき――
 うっ。
 重い荷物を引きずって運ぶような音の合間に、呻く声が聞こえた。
 そちらに顔を向けると、春馬がふたりの男に脇を抱えられて近づいてきていた。片方の脚を引きずり、様子を見るかぎり、かろうじて生きているといったふうに見えた。
 二メートルも離れていない距離で男たちは止まり、春馬は顎をつかまれてうつむけていた顔を無理やり上げさせられた。
 そこには勝ち誇った顔もしたり顔もなかった。思うようにならなかった悔しさや、負け惜しみもない。あるのは、悲愴にも映る惨めな敗北だ。
「工藤春馬、悪知恵と教唆(きょうさ)する才能は持ち合わせても、人を見定める力に劣っていたな。何よりも一度め、君は自分が失墜したことの意味を学べていない。組織の人間として真っ当になるチャンスをふいにした。伸しあがるのはけっこう。だが、蹴落とし、組織に損害を与えるようなやり方は言語道断だ」
「僕はあなた方に嵌められたんですか!?」
 春馬は精いっぱいで喚きながら、その目を祐仁へと向けた。睨めつけた眼差しを鷹揚(おうよう)に受けとめ、祐仁は薄情な様で笑った。
「春馬、それは聞き捨てならないな。ここにいるだれにもおまえをそそのかした憶えはないが。緋咲ヘッドの仰るとおり、この五年半はおまえにとっては猶予だった。最後の最後に責任転嫁するつもりか」
「……最後?」
 春馬は目を見開いてつぶやいた。
「おまえの謀略は関口組を壊滅させるきっかけにはなったが、それだけだ。功績は、自分のためにではなくEタンクのために自らを犠牲にした颯天にある。おまえに後(あと)はない。Eタンクの存在を知り、なお且つ嫉妬による逆恨みや野心に駆られて、それを自制できない危険因子は必要ない。おまえに残されているのは二者択一だ。足枷をつけて隷従(れいじゅう)するか、死のもと自由になるか。その選択権がおまえから奪われることはない」
 寛容だろうといわんばかりで、祐仁はさながら死に神のように生と死の選択を迫った。答えを待たずして、連れていけ、と男たちに命じる。
 春馬を捕らえた男たちは凛堂会ではなくEタンクの人間なのか、祐仁に向かって軽くうなずくと命令に従って春馬を連れ去った。おとなしく引き下がるかと思いきや――
「僕は、Uの役に立ちたかった。それだけだったんだ! 何もできない颯天がそれを奪った。奪うなら相応の……代償をもらって当然だっ……っくしょうっ……」
 春馬の悪足掻きは車に乗せられるまで延々と続いた。
「醜いものだな」
 ぼそっとつぶやいたのは緋咲だった。ひどく人間らしく聞こえ、いや、人間には違いないが、さっきの永礼との会話といい、颯天が思い描いているEタンクのヘッドとしての威厳に欠けていた。
 永礼がちらりと流し目で見やると、緋咲が睨めつける。何か云いたそうにした永礼だったが、そのまえに凛堂会の組員が傍に来てさえぎった。
「片づきました」
「引きあげるぞ」
「はっ」
 脊柱のないロボットのように腰を軸にして一礼をした組員は、永礼が口にした言葉をそのまま声を張りあげて伝達した。
「フィクサーU、こちらも引きあげますか」
 どこにいたのか、突然現れたのは有働だった。
「ああ。指示は任せる」
「承知しました」
 有働は祐仁から颯天へと向き直ると手を差しだした。その手には服がある。凛堂会で脱がされた颯天の服だ。
「どうぞ。いくらなんでも緋咲ヘッドの前でその恰好は体裁が悪いだろう」
「ありがとうございます」
 感謝とは程遠いぴしゃりとした云い方で、颯天は奪うように服を取りあげた。
 自分の恰好のことはすっかり忘れていた。わざわざ指摘されたことで、よけいにばつが悪いし惨めにも感じさせられた。
 そんな颯天の心情を察しながら、有働は惚けたそぶりでわずかに大きく目を開き、笑う。
「誤解は私としても心外なので念のために云わせてくれ。あなたとは長い付き合いになりそうだから。五年半前、すべてはフィクサーUのために動いたことだ。Eタンクの未来を思えば、フィクサーUを失うわけにはいかなかった。それはこの五年半で証明できているはず。あなたに対して悪意はなかった。いまも。では」
 有働は一方的に云い放ち、うなずくように首を斜めに傾けると、颯天の返事を待つことなく身をひるがえした。
 釣られたように颯天は有働の背中を目で追い、彼が云ったことの意味を把握しきれないうちに――
「早く穿いたほうがいいんじゃないか。おまえが無防備にしてると煽られる奴がいるのは確かだ」
 と、祐仁は責めるような口調で促した。遠回しに、すべて颯天が悪いといっているような云い方だ。
「好きでこんな恰好してません」
 反抗的に聞こえたかもしれない。祐仁は目を細めて颯天を見やる。
「そういう云い方もするのか」
 と、忍び笑いを漏らしたのは永礼だ。
 緋咲は、詰まらないこと云う、そんな呆れた様で鼻先で笑い、祐仁は自分が揶揄されているように感じてため息を漏らす。永礼がわざとそうなるように仕向けたのかはわからないが、颯天の羞恥心は紛れた。
「私たちも引きあげだ」
 緋咲は云うなり背を向けると、颯天がカーゴパンツを穿いている間に、永礼が乗ってきた車の助手席にたどり着いてドアに手をかけている。
 そういえば、緋咲はどこに、そしていつからいたのだろう。祐仁と同じように、はじめから永礼と同乗してきたのか。緋咲のあとを追った永礼は後部座席ではなく運転席に乗りこんでいる。
「祐仁、どういうことなんだ?」
「何が」
 祐仁に従って永礼の車に向かうさなか問いかけてみると、つっけんどんに問い返される。とっさには応えられず、すると祐仁は再びため息をついて自ら放った刺(とげ)を一掃した。
「イラついてるのはおまえにじゃない。自分に、だ」
「祐仁……」
「気にするな。それで何が気になる?」
「……限定的には云えない。いろんなことが、です」
「なら、話はあとだ」
「はい」
「颯天」
「はい」
「よくやった」
 たったひと言と、颯天の頭に手をのせて髪をくしゃくしゃにするという子供にするみたいなしぐさに、思わず笑ってしまうくらい報われた気になった。
 祐仁は車の後部座席のドアを開け、乗れ、と颯天を振り返る。立場が逆だと思ったが、ここで押し問答をすれば祐仁を煩わせるだけだ。
「すみません」
 車に乗りこみながら、颯天はすでに後部座席の真ん中にだれか乗っていると気づいた。
 身なりのいいスーツを着込んだ人物の顔を見て、颯天は目を見開いた。
「清道理事長……」
「危険な目に遭わせたな。無事で何よりだった。無事をどう捉えるかにも拠(よ)るが」
 清道は慮ったように云い、颯天を窺うように首をひねった。
「いえ。……」
 続ける言葉が見つからず颯天が戸惑っているうちに祐仁が反対側から後部座席に乗ると、すぐさま車は発進した。
 ほかの車もぼちぼちと動き始め、そのなかに紛れて永礼の車は工場現場を離れた。
「真人、祐仁を息子と自ら口にしたことを、少しは進歩したと思っていいのか」
 車内の沈黙を破ったのは清道だった。緋咲をファーストネームで呼んだことで、暗にプライベートな場だと示しているのだろうか。
「盗み聞きですか。趣味が悪い」
「私がいることは承知していただろう。それを盗み聞きとは云わない」
 緋咲の言葉は、さっきの祐仁に対する颯天のように拗ねて聞こえたうえ、清道のからかい混じりの答え方はまるで引き裂かれる以前の祐仁そのものだ。
「緋咲ヘッド、相変わらずだ、と同じことを云わせてもらう。久しぶりだというのに会って早々、痴話げんかとは」
 永礼は運転しながら緋咲を嫌みったらしくからかう。
「痴話げんか、だと?」
「ああ。“醜い”のは緋咲ヘッドも同じだ。おれと清道理事長のことをずっと疑っているだろう。あいにくとおれは、攻め手だ。緋咲ヘッドのように受け身の趣味はない。そうだろう、颯天」
 なんのことだろうと会話の大本を考えているさなか、いきなり永礼が颯天に振った。
「はい」
 イエスということではなく反射的に返事をしただけだが、永礼の言葉を思い起こせばその返事で間違いなかった。視線を感じて横を向くと、清道の向こうから祐仁が脅すように颯天を見ている。
「私も受け身の趣味はない」
 清道が続くと、奇妙な沈黙に制され、居心地の悪いことこの上ない。それは颯天だけだろうか。居心地の悪さを解消するには考え事に走るしかない。謎だらけで考える材料には事欠かない。ただし、答えを自力で出せるのはわずかだ。
 三人の会話を聞くかぎり、よそよそしくもなく、むしろごく親密だ。それどころか絡み合っている。颯天と祐仁のように。それは確信した。
「子供の前で云うことではない。終わったことを蒸し返すなど不毛すぎる」
 やがて緋咲は口を開き、落ち着き払って諭した。
「終わったこととはいつの話だろうな。意固地になって連絡一つ、おれに直截(ちょくさい)には寄越さない。五年半前のことにしろ、息子とわかっていながらあの若造の云い分に乗ってUを陥(おとしい)れようとした」
「私も、緋咲ジュニアだからこそ、いずれはEタンクを率いる力を身につけさせようと大事に育てたつもりだが、おまえには伝わらなかった」
 話を切りあげようとする緋咲に対して、永礼と清道は喰い下がった。親密だからこそ拗(こじ)れる。緋咲真人、永礼直樹、そして清道竜雅はその典型に見えた。
「参謀(アドバイザー)として傍に願っても、竜雅、あなたが拒否し、そればかりかEタンクを私に押しつけて距離を置いた」
「掟を知っているだろう。トップの私がそれを破るわけにはいかなかった。掟を変えるにも、それがトップにとって好都合になるかぎり通すわけにはいかない」
「それなら、なぜ七年前、あまりにも早くトップから退いてしまわれたんです? それまでどおりヘッドと理事長を兼務して、もっと……いまでも君臨できていたはずです。私は間違いなくあなたを支えられた」
「真人。内側に長く居続けると感覚が麻痺してくる。つまり、正しい判断ができなくなる。だから、私はアドバイザーでいるよりも、外から監視するオブザーバーであるべきだと判断した。おまえはもしかしたら裏切りのように感じたかもしれない。だが、いまなら私が云っていることもわかるだろう」
 清道の説き諭した言葉に緋咲は黙りこみ、かわりに永礼が口を開く。
「工藤という若造のことにしろ、人間性を精査しないうちにEタンクの連中は招き入れた。工藤の本質を見抜けなかったのは――見抜こうとしなかったのは、Eタンクの存在を知ったとき、つまり、所員となったときに光栄に、そして誇りに思わない人間はいないだろうという驕(おご)りもあっただろう。清道理事長はその軌道修正を担われた。清道理事長が後継者として最も信頼と安心を寄せたのが緋咲ヘッドであり、軌道修正は緋咲ヘッドのためでもあった。おれはそうするためのパートナーにすぎない」
 緋咲は黙り続けていたが、まもなく空気を空っぽにするような長いため息をついた。
「まるでガキだ」
 ため息に続いたそのつぶやきも少年のように荒っぽい。
「緋咲ヘッド、いまなら自分に関わることではなく、掟も変更がたやすい。そうですよね」
 祐仁が出し抜けに割りこみ――
「我が身を捨てても惜しくないほど信頼のおけるパートナーは、なくてもいいが、あっても邪魔になる存在じゃない。むしろ、互いを護るべく強くあろうとする。それに、緋咲ヘッドと清道理事長のように、闘う武器は二倍になる」
 と、説得じみて続けた。
 颯天は固唾を呑んで緋咲の反応を待った。颯天だけではなく、祐仁はもとより隣にいる清道も耳を傾けている。
「変更するためには条件がある」
「なんですか」
「祐仁、おまえが私の息子だと、公然と認めることは永久にない。ヘッドという立場を濫用したと思われてはならない」
「公言してもしなくても、緋咲ヘッドとの関係はこれまでどおりです。尊敬しています。その気持ち以上に変わるべきことがありますか」
「いや、ない」
 公然と親子と云えない。そこにディレンマは少しも見えず、むしろ、そんなことは問題ではないという、満足そうな声に聞こえた。
「では?」
「わかった。善処しよう」
 短く笑い声を立てたのは祐仁で、懐かしくも少年のようだった。
「颯天」
 祐仁の呼びかけに、はい、と口を開きかけたもののそのまえに――
「一緒に暮らすぞ」
 と、最も心強い三人の証人を立て、祐仁は宣言した。

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