NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第5章 ride double〜相乗り〜

4.

 関口組の車は十台を連ねて豊洲橋を通りすぎ、埋め立て地のなか三〇四号線に合流する。颯天にとっては予定外のことが行われていても、行き先に嘘はなかったようだ。永礼に告げた晴海の廃線の傍にある工事現場なのだろう、すっかり暗くなったというのに、まもなく左側に建設中の高いビルらしきものが見えた。工事現場の投光器や周囲からの照明で薄らと浮かびあがっている。
 深夜にって車も少なく、信号無視をしているんじゃないかと思うほどスムーズにここまでやってきた。
 凛堂会の事務所を出たのは夕刻、それから盛り場で時間を潰していまに至る。
 貸し切られた飲み屋はおそらく関口組の息がかかった店だろう。なぜなら、ママと呼ばれた女性や従業員の前で、関口は凛堂会と闘争だとか潰すとか、明日には関口組の天下だとかうそぶいていた。
 あまつさえ、ほぼ裸体という颯天は従業員たちにとって恰好の玩具となり、きれいな子ねぇ、と感心したような様でべたべたと躰を触られた。ボクサーパンツの上からだったが、中心をつかまれたとき颯天は萎縮してしまった。男娼となってから、性具として触れられればすぐさま感じてしまうほど開発されたはずが、そうするのが女性というだけで嫌悪に似た拒絶反応が現れた。自分でも思ってもみなかった。
 関口が、すっかり男向けか、と盛大に笑いながら颯天をからかい、結局は完全に裸に剥かれ、関口から命じられた手下にいたぶられた。ただし、それが男であってもそこに女性がいるせいか、颯天のオスは萎えたまま機能しなかった。
 これまでで最も屈辱の時間だった。大勢の目の前で痴態を晒したのは、関口に落札させるというシナリオのもと、やらせオークションのとき以来、二度めだ。けれど、オークションはあくまで男娼としての務めであり、今日のように見世物になって笑い物にされたことはない。
 いま、かろうじて服はボクサーパンツと、小太りのママから借りたTシャツを着て、いくらかましになった。ましになっただけで、屈辱感は消えない。
 ただ、いまは自分のことにもあまりかまっていられない。これから何が起きるか、颯天にはまったく不透明だった。永礼に何が起きるのか。延いては祐仁に何が降りかかるのか。
 やがて建設現場のほうへと三〇四号線を左に折れた直後、車は左側の工事現場の敷地内に入っていった。
 そこはあたりまえだが無人だった。簡単に侵入できたのは関口組が力を持っている証拠とも窺える。
 奥に行って車は順に止まっていった。
「降りろ」
 颯天を挟んで両隣に座っている二人のうち左側の男が云い、同時にドアが開いて腕が捕まれた。
 わずかに運河の水流の音が聞こえるなか、来い、と引っ張っていかれたさきには関口と春馬がいた。
「役者がそろうまで余興だ」
 関口は自分より背の高い颯天の顎に指先を当て、わずかに上向けて、しゃがめ、と命じた。
 ベルトを外し始めたのを認識するまでもなく、関口の要求はわかっている。飲み屋で颯天が屈辱を味わわされている間、その無様さを関口はにやにやと好色な目で見つめていた。
「たっぷり濡らせよ。そうしないとおまえがきついからなぁ」
 颯天は嫌悪を感じながら、半勃ちした男根に口づけた。そうして口に含んだとたん、蛇が頭をもたげるように芯が通り、颯天の口腔をいっぱいに満たした。
「関口組長、余裕ですね」
 と、関口を称える一方で颯天への蔑みを含み、云い放ったのは春馬しかいない。
 実際に、極度の緊張状態やプレッシャーがあれば男は機能しない。もっとも颯天のように、セックス中毒ともいうべき性感に慣らされ、そして弱ければべつの話だが。
「セックスは薬(やく)と同じだ。やればすっきりする」
 関口は薄笑いを浮かべたような声で云い、颯天の頭を手でつかむと腰をまわすように揺さぶった。
 シリコンボールが颯天の口内をぐりぐりと擦る。けれど、これまであった性感が一向に高まらない。むしろ、嫌悪感が増していく。何度も嘔吐(えず)き、そのたびに関口は刺激を受けて喜悦した声を漏らす。夜風に乗って、それらが組員たちにどう聞こえているのか。
 関口は身勝手に動いたすえ、涎がこぼれる颯天の口から抜けだした。吸い着くという仕込まれた技巧が本能的に働き、ぬちゅっという濡れた音と一緒にコルク栓を抜いたような音が響く。外灯がその男根をきらりと光らせたのは颯天の唾液に塗れているからに違いなかった。
「おら、立って車に手をつけ」
 関口に命じられるままロボットのように立ちあがり、颯天は関口の背後にあった車に手をついた。腰がぐいっと後ろに引かれ、Tシャツを捲りあげてボクサーパンツが引きおろされる。そうして背後からまわされた手に中心がくるまれると、ぞくりと全身が粟立つ。それは快感とは違った。
「なんだ、よほど女が嫌いと見えるな」
 関口は不満げにつぶやく。
 やはり、自分がまったく反応していないと思うのは気のせいではなかった。快感を煽るべく関口は颯天の弱点をついてくるが、繊細な場所ゆえにびくっとふるえる生理的な反応はあるものの、いまは不快な摩擦しか生まない。颯天は下唇を咬んでそれに耐え、関口は背後で舌打ちをした。
「まあいい。こっちから刺激すれば嫌でも感じるだろう」
 関口は自分の指先を咥えてたっぷりと唾液を塗し、後孔に塗りたくる。やはり、敏感な場所で人に触られれば反応もするが、違和感ばかりでまったく性感は目覚めなかった。
 関口は颯天の唾液で塗れた男根を押しつけた。引き裂くようにめり込み、颯天は苦痛に喘いだ。
「ほうら、いつものように感じてみろ」
 関口はゆっくりとではあったものの奥まで一気に貫いてきた。感じることはなくても挿入に慣れた腸道は太い男根を呑みこんでしまう。裏側から弱点をつつくつもりだ。そのとおり、関口は奥のほうで小刻みに抽送して刺激する。ぶるっと身ぶるいをしてしまう快楽じみた感覚はあっても、いつものように脳まで快楽に侵されることなく、颯天から理性が消えることはなかった。
 颯天は躰を揺さぶられ、冷めた感覚で関口の行為を受けとめる。関口が突き入れるのに伴って独り唸るような声を放つなか――
「関口組長、凛堂会の雑魚(ざこ)連中が来ましたよ」
 春馬は、颯天を惨めにするような、澄ました声で告げた。
「よしっ、逝くぞ、颯天。続きはまたあとだ。なあに、ちゃんと気持ちよくしてやるさ」
 颯天が鈍感になっているのは関口にも丸わかりで、なぐさめにもならない――むしろ、絶望にしかならない言葉が向けられる。颯天の返事を聞く気はさらさらなく、関口は大きく深く無遠慮に律動した。小刻みな動きは痛みを軽減していたらしく、颯天はいま、腸壁がすり切れそうな怖さを覚えた。たまらず颯天が呻いたのと同時に関口が腰を目いっぱい押しつけて咆哮を放った。
 太い杭はずるりと抜けだしていき、ひりつくような疼きが走る。体内に放たれた粘液によって内部から爛れていく。そんな幻想に襲われ、颯天は吐き気を催した。よけいな動きをすれば本当に吐きそうで、そのうえ異物感を残して麻痺したような後孔が痛む気がして、そのままの姿勢から身動きが取れなかった。
「あとは永礼とおまえんとこのお偉い奴が来れば出そろうが……間に合うんだろうな」
「来るまで取引を引き延ばせばいいだけでしょう。永礼組長が、少なくとも組員の規律の乱れを放置するとは思えませんので。そうやって統制しているからこそ、うちの組織と対抗できる。もしも来なければ、襲撃するまで、でしょう」
「ああ。関口組を誘導したフィクサーを始末し、それを永礼のせいにして永礼も始末する。フィクサーさえ確実に現れればいい」
「現れますよ。颯天は僕まで信用するバカだけど、バカほど可愛いって云うじゃないですか。五年もたってまだ取り戻したっていうことが、何よりフィクサーがこいつに執着している証拠になる」
「まあな。そうじゃなきゃ困る。せっかく大金を叩(はた)いて中国から薬を取り寄せたんだ」
 春馬と関口の会話を聞きながら、颯天は愕然とした。春馬の役目はフィクサーである祐仁がやったことにすり替えられ、永礼が祐仁を殺したことにする。
 祐仁……。
 ひょっとしたらという考えがなかったわけではない。その不安はくすぶっていたのに、颯天は見ないようにしてきたかもしれない。彼らの陰謀は最悪のシナリオが立てられていた。
「こっちとしては殺る順番はどっちでもいいし。仇討ちに次ぐ仇討ち。理由はいくらだって用意できる。とにかく片方を片づけたら残ったほうも早急にやるだけです」
 春馬がなんの後ろめたさもためらいもなく云いきるとたまらなかった。
「工藤さん!」
 疼痛などどこかに消え、颯天は振り向きざま批難を込めて声を荒げた。
 惨めな恰好も、声を張りあげて腹部に力が入り関口の不浄の精がこぼれ出た不快さも気にならないほど、颯天は春馬を睨めつける。
 春馬は流し目で颯天を見やり、颯天が大して着てもいない服を無意識に整えている間にゆっくりと顔を向けてきた。作り笑いとはっきりわかるそのくちびるは、薄気味悪い呪いの人形が笑うように弧を完璧に描いている。
「おまえ、自由になりたいんだろ。ふたりともいなくなればおまえを束縛する者はいなくなる」
「それと、人を抹殺することは違う!」
 あまつさえ、Eタンクの存在を知った人間が本当の意味で自由になれるわけがないのだ。それを知りながら、颯天を誑(たぶら)かすべく春馬は自由という言葉を口にするのか、鼻先で笑って見せた。
「颯天、だからおまえは甘いんだよ」
「おれは甘くても! 祐仁は甘くないっ。永礼組長もだ!」
「黙れ!」
 颯天に負けない、野太い声で恫喝したのは関口だった。不思議と颯天は怯むことなく、関口をきっと睨みつけた。
「黙らされるのは関口組長ですよ。いますぐ手を引くべきです」
「まさか颯天、おれが永礼に劣ると云ってるんじゃないだろうな」
「勝ってると思ってるんですか」
「うるせぇっ」
 関口が怒鳴るが早いか、気づいたときは頬に衝撃が走り、颯天は跳ね飛ばされていた。コンクリートの地面でなかったことは幸いしたのか。反射神経は鈍っていなかったらしく、颯天はどうにか手をついて衝撃を和らげた。けれど、叩(はた)かれた頬には痛みがこもる。口の中に慣れない味が広がった。歯が折れた感覚はなく、粘膜を歯で傷つけたのかもしれなかった。
「おい、春馬、こいつを黙らせろっ」
 関口の怒号にも、春馬は余裕を見せて薄らと笑った。
「気にするほどのことじゃないでしょう。負け犬ならぬ、セックスしか知らない無能な男娼の遠吠えですよ。それよりも……」
「なんだ、騒がしいじゃねぇか」
 と、春馬の言葉は、関口でもない男の声にさえぎられた。
 云い方からして、男は部外者とわかる。つまり、凛堂会の取引相手だ。歩いて入ってきたのか、足音や車の音に気がつくほどの余裕が颯天になかったのか、不意打ちの登場だった。
 颯天は血が混じった唾(つば)を吐いて起きあがる。そのさなか――
「段田さん、時間どおりだ」
「あたりまえだ。おれの命運がかかっている。薬を捌(さば)いた金で若頭に成りあがるのさ。だれよりもさきにおれが抜きんでてやる」
 関口組の組員の呼びかけに応えている声を聞きながら、颯天は弟を恐喝していた段田といまここで段田と呼ばれた男を一致させた。
 凛堂会の裏切り者は段田なのか?
 颯天は思ってもみなかった。驚きつつ混乱して呆然となりながら耳をすました。
「段田さん、出世なさった際にはうちの組のこと、頼みますよ」
「もちろんだ。それでブツは?」
 段田の問いを受けて、関口は自分を窺った組員に向かって顎をしゃくった。
 関口の組員二人がそれぞれアルミのアタッシュケースを片腕に抱え、段田に向けて開いた。
 段田の後ろには手下だろう、四人が控えている。関口組が総勢で二十数人いることを思うと、段田はよほど内通しているか関口を信用しているかのどちらかだ。
「段田さん、約束どおりこれは貸しだ。うちは成果報酬というリスクを負ってる」
「重々承知だ」
 段田は関口に向き直ると、「関口組長、お世話になります。必ずや、ご恩とともに預かったぶんの金はお返ししますんで」と深々と頭を下げた。
「ああ、慎重に管理したほうがいい。くれぐれもおかしなことにならんことを祈る」
「はい」
 段田は関口の組員からアタッシュケースを受けとり、手下を振り返ると、行くぞ、と声をかけた。
 春馬と関口が顔を見合わせる。役者はまだそろっていない。少なくとも片方が現れるまでおそらくは場を引き延ばすためだろう、春馬が口を開いた。
「段田さん、永礼組長のほうは大丈夫なんでしょうね。ごまかせるんですか」
「おれが動けば目立つが、手下にやらせる。心配すんな……」
 段田が応えるさなか、邪魔が入って言葉は尻すぼみになった。
 一斉にその音――クラクションを鳴らしながら現れた侵入車に目を向けた。外灯で黒光りする車は凛堂会のもので、延いては永礼が乗っているに違いなかった。
 春馬と関口は再び顔を見合わせ、万事うまくいったといった具合に笑みを交わしている。一方で、段田を見れば、暗がりのなかでも蒼ざめているような気配を漂わせている。
 土埃(つちぼこり)を立てながら、車は突撃するような勢いで近づき、段田の背後を断つように滑りこんで止まった。そのあとに五台の車が続く。
 その音に紛れて、身近でカチャッと何かが嵌まったような音が連続して聞こえた。辺りを見回すと、後ろ手に銃を持った組員の姿が目に飛びこんでくる。今し方の音は、弾丸を収納する弾倉(マガジン)の装着音だったのだ。つまり、引き金ひとつ動かせばだれかを殺傷することになる。
 それを問答無用でやる気か――
「降りるなっ!」
 ドアが開いた瞬間に颯天は叫んでいた。
「うるせぇぞ」
 関口は即座に吐き捨て、「おい、こいつは人質だ、捕まえとけ」と組員に命じた。
 颯天はとっさに逃げるが、呆気なく別の組員に捕まり、車のボンネットに上体を倒されて押さえつけられた。
 痛みと苛立ちと怒りと、そして自分の不甲斐なさに颯天は唸った。
 ここで関わってきたのがなぜ段田なのか。
 弟のためではあったが、颯天が人任せにした付けが、巡り巡ってここまで繋がってきた気がした。
「手荒な真似をしてくれる。関口組長、いったいどういうことだ」
 永礼の声は暗闇をみかたにつけたようにくっきりと轟いた。
 颯天は押さえつけられたまま、首をまわしてその声のほうを向く。永礼はちょうど関口から自分の手下へと目を転じて、睨めつけるように目を細めた。
「お、親分っ」
 慌てているのは段田だけでなく、その手下の四人もそうだ。逃げだすとまではいかずとも、いまにもそうしたいといった姿勢が窺える。
「どういうことだ、段田」
「ち、違いますっ……」
 段田の返事などどうでもいいように、永礼は傍にいる手下に向かい、顎をしゃくって見せた。
「確認しろ」
「はっ」
「違うっ」
「中身を見せろと云ってるだけだろうが」
 凛堂会の男は恫喝しながら段田に近づき、その手からアタッシュケースを奪い、乱暴に開けると中身をこぼした。透明の袋の中に入っているのが粉だということだけは颯天にもわかった。そして、関口がすぐに殺戮(さつりく)に及ぶつもりではないこともわかった。
 かといって安心はできない。相互が背後に車を控えて相対し、もしも銃撃戦になるとしたら、先手を打ったほうが断然、有利になる。ただし、人数を見るかぎり、関口組のほうが若干優勢だ。
 何ができる?
 無力だとわかっていながら颯天は絶望的にそんな疑問を自分に向けた。
「なんだ、これは?」
「そ、それはっ……」
 同じ凛堂会の男に詰め寄られた段田は言葉に詰まった。
 やはりどうでもいいように永礼は段田を無視して関口に向かった。
「うちが薬をやらないことは承知されていると思っていたが」
「永礼組長、誤解してもらっては困る。うちは依頼されただけでな」
「依頼?」
「そうだ。永礼組長、どうやら凛堂会は嵌められたらしいな」
「はっきり云ってもらおうか。その嵌めた奴を」
 颯天は組長同士の応酬を聞きながら、関口はあわよくば自分の手を汚さず、祐仁を陰謀者として永礼に始末させようとしているのではないかと思った。永礼が確かめもせずに、むやみに祐仁に向かって引き金を引くとは思えないが、わずかでもそのリスクは軽減しておくべきだ。それしかできない自分に苛立ちながら颯天は口を開いた。
「永礼組長、騙され――ぐわっ」
 騙されないでくださいという言葉は発しきれず、そのかわりに腹の底から呻き声が口腔に雪崩(なだ)れこみ、颯天は吐きだした。
 脇腹を膝蹴りされ、直撃された内蔵が潰れたような感覚がした。苦しさに喘ぎ――
「フィクサー、と聞けばわかるだろう。それが依頼者だ」
 颯天は関口が答えるのを防げなかった。

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