NEXTBACKDOOR|淫堕するフィクサー

第5章 ride double〜相乗り〜

3.

 凛堂会の本部前に来て、颯天は一つ深呼吸をした。本部の建物はガレージハウスタイプで、一階部分はほぼ駐車スペースとなっている。そこに入りこむと先回りをしていた関口組の組員が四人、建物の陰から出てきた。
 颯天は中央部分に設けられた階段をわざと靴音を響かせながらのぼり、そのあとから靴音をひそめた男たちがついてくる。一度折り返して二階のフロアに出ると、四人の男たちは壁の陰に隠れて待機した。
 颯天は、外から見ればベランダのように見える部分を進む。凛堂会の玄関には二人の組員が警備していた。ここは監視塔としても適しているだろう。暗闇という視覚的障害さえなければ。
 俄に緊張しながら、颯天は男たちの傍で足を止めた。
 いかにも番人といったふうの屈強な男たちがじろりと颯天を見やる。ここにやって来たのはEタンクから引き渡されたとき以来だ。凛堂会の組員の顔など限られた者しか知らない。
「高井戸颯天です。永礼組長と約束しています」
 颯天が名乗ると男の一人がわずかにうなずいた。
「入れ」
 と、顎をしゃくって颯天を促し、もう一人の男が観音開きのドアを開け、客人だ、となかに向かって声をかけた。刹那、いきなり背後で足音が複数聞こえ――
「なんだ、てめぇら……っ」
 正面から怒鳴り声が響くなか、振り向きかけた颯天の横を通りすぎ、関口組の男たちが警備の二人を襲う。不意を突かれた二人の男は身をかまえるが、二人を相手にするには間に合わず、頭を壁に叩きつけられたすえ、ずるずるとそのままコンクリートの床にくずおれた。
 ぴくりともしないのを見ながら、それが脳震盪であるように颯天は願う。
「おい、どうした」
 なかから声が飛んでくるのと同時に、颯天はぐいと両側から肩をつかまれた。
「じっとしてろよ」
 その声と同時に脇腹がちくりとする。思わずそこを見下ろすと先の尖った刃物が押し当てられていた。計画上のこととはいえ、颯天の躰がこわばるのは防ぎきれない。もっとも、芝居を打つためにはこのほうがいいのだろう。
 そうして関口組の男がドアを支えるなか、肩から押しやられるようにしながら、颯天はなかに進んだ。
 事務所には二人の男がいて、一人の男は声をかけたほうだろう、こっちに向かいかけていて、颯天たちが目につくとぴたりと足を止めた。もう一人、ソファにのけ反って煙草を吸っていた男は一瞬だけ動きを止め、それから煙草を灰皿の上で捻(ひね)りつぶした。
「なんだ、おまえら……その面(つら)は関口組か!?」
「黙りやがれっ。こいつを殺(や)っていいのか。永礼組長のお気に入りだぞ」
 あっ。
 脇腹に当てられた刃物がシャツの上から皮膚に喰いこんで、颯天の口から無意識に短い悲鳴が漏れる。
「ほら呼べよ。愛しの直樹さんだろ」
 凛堂会の男たちがためらっている間に、颯天は揶揄されて口を開いた。
「直樹さんっ、気をつけてくださいっ」
 精いっぱいで叫んだか否かのうちに、騒々しさを察していたに違いなく奥のドアが開いた。
 そこから永礼が現れる。素早く現状を把握する間も、最後に颯天を見定めても表情は変わらず、そしてため息をついただけで威圧感を与える。颯天の肩をつかんだ手がたじろぐのを感じた。
「手荒い訪問だな。で、颯天、どうした」
 永礼の声は室内に反響し、それはふたり以外だれも存在しないかのような効果を持つ。その瞬間、颯天に時間の流れを無効にさせた。会わなくなって三カ月もたっていない。あえなく時間が退行するのは無理もなかった。まるで条件反射か、もしくは呪文が発動されたか、颯天は以前のように従順さそのものの声音で、はい、と口を開いた。
「永礼組長、秘密結社、わかりますよね。そのフィクサーUが凛堂会を嵌めるつもりです」
「なんのために」
 颯天は急くように云い、そして凛堂会の男たちが、何!? と意気込むなか、永礼は独り、動じることもなく問い返す。
「トップに取り入るためです」
「そのためにフィクサーUが関口組と組んだというのか。薬物の件も?」
 颯天はためらう。
 アンダーサービスエリアのフィクサーを監視をするよう命じられて、颯天はEタンクに落とし前として潜入させられた。その命令は普通に考えれば、フィクサーの行動を怪しんでいるという前提があるに違いなく、颯天が永礼の問いかけに肯定すればそれを裏付けることになる。
 颯天の迷いを察したように肩をつかむ手がきつくなった。祐仁が自分の身を自分で守ると云ったことに懸けるしかない。そうしなければ目的も果たされない。
 颯天は覚悟を決めるべく息を呑み、それからうなずいた。
「そうです。関口組に入って僕は聞いたんです。関口組長とフィクサーUが……」
「ということだ」
 颯天に最後まで云わせることなく関口組の男がさえぎった。直後、目の前に何か落ちてきたかと思うと猿ぐつわをかまされた。
 んんっ!?
 それは予定外のことで、颯天は軽くパニックに陥る。シャツのボタンを弾き飛ばしながら胸もとをはだけられ、刃物を持った男はアンダーシャツを引き裂き、また別の男がベルトを外した。上半身が裸になり、羽交い締めにされた次にはカーゴパンツが引き下ろされた。
「こいつはいろいろ知りすぎた。悪いがこっちで始末する。永礼組長さんよ、あとは我が身を案じることだ」
 ふぐっ。
 放せと云ったつもりが少しも言葉にならない。どこかで計画がすり替えられた。そう理解しながら颯天にはどうすることもできない。自由になるべく躰を激しくひねったとき、左肩の鎖骨の下に刃物が突き立てられた。
 ぐっ。
 突き刺されたわけではないが、すっと下に引かれれば、ひりひりとした痛みが走って颯天は布を咬みしめて悶えた。ひと筋の赤いラインがだんだんと太くなって下へと伝っていく。
 関口組の男は見せつけるように刃物をかざし、にやりとして永礼を挑発すると、行くぞ、と颯天を引きずるように歩かせながら凛堂会の事務所をあとにした。

 どういうことなんだ!?
 叫んだところで、猿ぐつわをかまされて颯天は呻くような声しか出せない。なんにもならないとわかっていながら躰をよじって抵抗し、何度も転びそうになりながら階段をおりた。
 さきの歩道には二台の車が横付けされている。颯天は二台めの車の後部座席に連れていかれた。後ろにまわした手に冷たく固いものが触れ、カチャリとした金属音がする。おそらく手錠だ。頭を押さえつけられて、無理やり躰を押しこめられた。すでに隣にだれかが座っていたと気づいたのはその直後で、その人物によってシートベルトが装着されると、颯天はさらに身動きができなくなった。
「相変わらず、情けない恰好が似合うな」
 侮った声に颯天はハッとして隣に目を向けた。一瞬、言葉に詰まる。それ以前に言葉を発することはできない。
 車が急発進して背中がシートに押しつけられ、手錠が手首にも背中にも食いこむ。猿ぐつわをしていなければ、不満をぶちまけて舌を咬んでいたかもしれない。それが幸いだったとしても、颯天がラッキーだったと思うには程遠い。
 車のスピードが安定したところであらためて隣を振り向き、颯天は睨めつける。返ってきたのは気取った笑みだった。
 颯天の顔に手が伸びてくると後頭部にまわって、晒し木綿の結び目をほどいた。
「……工藤さん、おれは好きでこんな恰好してるんじゃない。されたんだっ。どうなってるんです? どういうことですか!?」
 解放されたとたん、颯天はまくし立てた。
「そう昂奮するなよ」
「昂奮するなって云うほうがおかしいでしょう!」
「颯天、バカだなぁ、おまえは。良く云えば、純粋なんだろうけど」と春馬はほくそ笑み――
「おまえ、よっぽど永礼組長に可愛がられてたらしいな。四人くらい、殺(や)ろうと思えば殺れただろうに、おまえのためにそうしなかった」
 と、永礼にもまた呆れ返ったふうに春馬は首を横に振った。
 本当にそうなのかはわからない。フィクサーUの動向を知った時点で、永礼から課せられた颯天の任務は終わったかもしれず、颯天を見棄てたという可能性はある。だからといって、計画に加担しているふりをしている以上、いまそう反論するわけにはいかない。
「工藤さん、だから、おれは役に立てると云ったんだ。それなのになんでこうなってるんですか?」
「おまえはさぁ、ほんとに可愛がられてるよ」
「それはさっきも聞きました。おれが訊きたいのは……」
「まったく違うことを云ってるつもりだけどな。おまえはやっぱりどんなに下級の男娼でも、バカみたいに無垢だ。どんな奴だろうと人をどこかで信用してるだろう。だから、おれのことを疑いもしない。おれは逆だ。なんでもかんでも疑ってかかる」
 春馬は場違いにも見える、可笑しそうな笑みをこぼした。目を見ても作り笑いではなく、本当におもしろがっている。颯天は春馬の言葉から真意を探った。
「……工藤さんを信用したおれがバカだって云いたいんですか」
「正解」
 春馬は再会したときのようにケタケタと興じて笑う。
「おれを……騙したんですか」
 春馬は首をかしげて颯天を覗きこむ。
「騙したのはお互い様なんじゃないのか」
「……お互い様?」
「おれは伊達に組織に入れたわけじゃない。そこは組織にも見る目があったんだろうけど、ひとつだけ、おれを見くびったのが間違いだ。不本意な場所に置かれても、おまえは自分から逃げようともしなければ、その場所を利用して伸しあがろうともしない。何をしなくても、才能がなくても気に入られて可愛がられるのは逆らわないからだ。そういうおまえみたいな受け身の人間とおれは違う」
「ち――」
 違う、と反論しかけて颯天は口を噤んだ。
 凛堂会に引き渡されたときは祐仁に裏切られたと思った。けれど、希望は捨てきれずに、どうにか生き延びてきた。いま捨てなくて正しかったと思うが、それはあやふやな未来でしかなかった。あまつさえ、今回の陰謀では永礼のことを心配もして、嫌悪するどころか情を植えつけられている。受け身だと云われれば否定はできない。
「監視なしでは一歩も部屋を出られなかった。おれは、いまやっとチャンスを得て工藤さんと関口組の計画に加担している。ただ受け身でいたわけじゃない」
「へー、一往(いちおう)は気に障るわけだ」
 春馬は人を喰ったような云い方をした。
 こうやって春馬と行動をともにしてきても、昔あった隔たりが埋まることはなく、どこかよそよそしさを感じていた。それはよそよそしさ以上に、敵がい心だったかもしれない。
「おれにだってプライドはあります」
「あー、じゃあちょっと名誉回復してやる」
 春馬は鼻先で笑い、「ひとつだけ、権力者に取り入るのがおまえの才能かな」と颯天を侮蔑した。
「おれはだれにも仕える気はないし、そんなことはどうでもいい。早く自由になりたいんだ。それなのに、なんで拘束されなくちゃいけないんですか? 約束が違う! いいかげん手錠を外して服をください!」
「颯天、聞いてなかったのか」
 春馬はゆっくりと首を横に振って続けた。
「おれはおまえみたいに能天気じゃない。おまえが裸同然にされた理由をわかってないのか」
「……なんですか」
 春馬は知っているのか。颯天はびくりとしながらも惚けた。
「おまえがだれのために動いているか、おれは知っているということだ、颯天。おれがおまえを信用すると思うか。あのひとの庇護下にいるおまえを。あのひとなら、確実に情報を取るために盗聴器くらい仕掛けてそうだからな」
 颯天は春馬を凝視した。そうやって、春馬の意図を探ろうとしたがわかるはずもない。
「……そうだとしたら、工藤さんの裏切りも知れてますよ」
「承知のうえだ。そういうふりをしていた、って、すべて終われば云い訳が立つからな」
「すべて終わるって……」
 その言葉には、殊更(ことさら)なんらかの自信に満ちた陰謀が見えた。
「まあ見てろって。おまえの処分は関口組長の意志一つでどうにでもなる。また取り入って飼われたらどうだ? 気に入られてるみたいだし」
 春馬は云い放ったあと、含み笑いをしてはまた含み笑うということを繰り返した。

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