幻想組曲-恋-

お花の曲がり角 −前 編−


 おれはふっと後ろを振り返る。
 ――。
 背後の机に、昨日と同じ劇の格好そのままで、女の子が座っていた。昨日よりちょっと大きく見えるのは気のせいか。

「タケル」
 軽やかに手を振りながらおれの名を呼んだ彼女は、勝気なところは少しも見られない。むしろ愛想ふりまくりだ。
「なんでこんなとこにいるんだ?」
「んー……パパのお願いかな」
「パパ?」
 そう問いかけたとたん、彼女の背後に黒くて馬鹿でかい図体(ずうたい)が現れた。どう見てもこうもりのお化けっぽい。現実離れした姿に驚くより呆れた。
「おまえか、娘を傷物にしたのは」
 地の底を震わすような(よど)んだ声は日本語だ。着ぐるみが(しゃべ)っているみたいで、怖いよりも笑いそうになる。
「傷物?」
「タケル、見て」
 彼女はいきなり胸を(はだ)けた。目のやり場に困りつつも見てしまった。目に入ったのは赤っぽい(あざ)のような手形だ。
 ……。そんなに力を入れた覚えはないが、同じ場所であることには違いない。それにも増して、おれの手のひらの赤みもまだ引いていない。
「もしかして、それ昨日のおれの手形――」
「認めたな。未熟者の分際で我が娘に標をつけるとは。覚悟はあるんだろうな」
 認めるも何も、馬鹿正直と云われようが、小心者であろうが、嘘はおれの道義に反する。
 見損なうな。
 その気持ちがおれの中にちょっとした反感を生んだ。
「覚悟、ってなんだ?」
「本来ならばあやつと同じように磔刑(たっけい)といきたいところだが、娘が痛くおまえを気に入っておる。おまえがどれだけの聖者であろうが、未熟者であるのには違いない。悪魔に鞍替(くらが)えするならいまだな」
 あやつ? 聖者? 悪魔に鞍替え?
「意味わかんねぇ」
 おれにしては強気な口調だ。さっきの気分が持続しているのか、そのまんまの気持ちを口にすると爽快感がある。
「ほう。娘よ、でかしたぞ」
 ともすれば、殴り飛ばされそうな言葉遣いにもかかわらず、彼女が云うところの父親は満足げだ。
「でしょ。じゃ、タケル。一カ月後にあの場所で待ってるよ」
 意味不明の親子会話を交わし、二人――いや、彼らの格好と彼女が自称、小悪魔だという発言を考えれば、正確には“二悪魔”は散るように消えた。

 現実とかけ離れた一幕だったせいか、不思議と動揺はない。
 ところで、あの場所、ってどの場所だ? 一カ月後という、アバウトな時間指定もよくわからない。どのみち、行く義務はないだろう。
 両親不在で祖父母に育てられているという事情上、国立一本狙いのおれは、前期でだめなら後期だし、それこそ必死こいて試験勉強の真っ最中になる。
 おれは知らねぇぞ。


 * * * *


 その後の卒業式は、おれの命令どおりに動いた元生徒会が、クラスごと無事に担任への花束贈呈をすませてくれたし、試験は前期で合格した。
 あれからおれは小心者を脱した。周囲を驚かせようがおかまいなく、ふてぶてしい態度が根付いた。もともと頭は回るほうで、自分で先回りしてやりがちだったが、人を動かす方法もあると知った。
 あの二悪魔からは以後なんの音沙汰もなく、単なる幻想だったと思うことにして、一カ月を過ぎてもほったらかした。受かった大学は遠方で、この町は離れることになり、そのうち、奇妙な出来事も忘れるだろう。

 そして三月の終わり、引っ越しの準備をすませ、明日からは向こうに行って、アパートでの独り暮らしが待っている。しばらくは帰ってこないだろうし、今日は上着がいらないほど天気がよく、おれは町並みの見納めにと外に出た。
 ぶらりとしているうちに、いつのまにかおれの足はあの場所に向かう。いざ離れるとなると心残りで、良心が(とが)める。
 あの場所、というのは当然、曲がり角の花屋しかない。変わらず歩道まで花が溢れている。そのなかに時計草を見つけた。やっぱり気味悪いが、ついつい魅入ってしまう。

 身をかがめようとしたとたん。
 どんっ。
 イテッ。
 正面から体当たりされた。というより、抱きつかれた? しがみつく躰を見下ろすと同時に、その本人の顔が上向いた。
「もうっ、待ってたんだから!」
 猫耳が垂れて、いかにも元気がなく見える。
 そして、抱きつかれたことよりもその姿におれは驚いた。
「なんか、短期間ででかくなりすぎじゃないか」
「タケルに合わせたんだよ。どう?」
 子供っぽさは抜けていないが、顔立ちは変わらず悪くない。それからおれはやっぱり胸に目がいってしまった。
「まあ……それなりに」
「それなり、じゃなくって可愛いでしょ。それにタケル、見て!」
 彼女はいきなり片方の胸を開けた。
「おいっ、こんなとこで――」
「大丈夫。いまバリア張ってる。それよりもわたしの胸、タケルが来ないから“お肌の曲がり角”来てるんだよ!」
 あまりの勢いに胸を見ると、おれの手の赤みは引いたのに彼女の胸はちょっと(ただ)れていて、おれの手形が(いびつ)に残っている。
「どうしたんだ?」
「貸して」
 云うなり、彼女はおれの手を取って胸に置いた。彼女は安心したようにため息をつく。手のひらの中で肌のざらつきがなくなり、ボリュームアップしたと感じたのは気のせいか。うっとりした彼女を見てまた出来心が――。
 ぎゅ。
 いやんっ。
 せっかく立ちあがった耳がまた垂れた。
 ぷ。やっぱ、おもしれぇ。
 ていうか、はっきりさせないと。

「おまえ、どっから出てきたんだ? まえもそうだったけど、なんかおれら、ありえないぶつかり方してないか?」
「あ、これ」
 彼女が指差したのは時計草だ。
「悪魔のくせになんでそんなとこにいるんだ?」
「んー、これがわたしの家だから」
「家?」
 そのまんますぎてよくわからない答えだ。まあ、正面からぶつかった理由はわかった。
「ずっと昔、パパがこのお花を気に入ってママを生んだの。わたしはたっくさんいる、子供の一人」
「ずっと昔とかママを生むってなんだ?」
「ずっと昔っていうのは二千年くらい前かな。ママはつまりパパが命を与えたってこと。ママは聖者の受難を象徴してるみたいで、パパってば、ママを見てると気分よくなるんだって」
「んじゃ、聖者とか鞍替えとかなんだ?」
「タケルにパパいる?」
 彼女はとうとつに訊いた。
「いや」

 母親は独身のまま若くしておれを生むと、すぐ死んだらしい。よって父親がだれなのかまったく知らない。祖父母に訊いても困惑が返ってくるだけで明確な答えがなかった。
 父親のことをはじめて訊ねた小学生のときは、知らせないほうがいいという判断でそうしてるのかと幼いなりに解釈して、それ以上に訊くことはなかった。最近になって、聞きたいという意思を明確にして再び訊ねてみると、祖父母は本当に知らないということがわかった。

「だよね」
 彼女はこっくりと首を上下させる。
「なんだ、だよね、って」
「タケルのママは“マリア”と同じ」
「マリア?」
「そ。処女懐胎(かいたい)。つまりタケルは“聖者”の素質を生まれながらにして持ってる。でもそれって環境次第でどうにでもなるの」
「つまり……」
「そ。神様にも悪魔にもなれるってこと」
 なるほど、それが鞍替えか。それに、その奇異な誕生所以で、二悪魔を見てもへんに適応力が発揮できたわけだ。
「パパの、でかした、ていうのはなんだ」
「タケルは、千年ごとに生まれる“聖者”なんだよ。千年前の聖者がどうだったかは、まだわたし生まれてなかったから知らないけど、二千年前の聖者は“真の聖者”になって、いまだにパパは手こずってる。これでタケルが真の聖者になったら、パパの出番がなくなるの。つまり、わたしは真の聖者を阻止するための“可能性”ってこと。パパはあのときのタケルの態度を見込んだんだよ」
「真の聖者、って“救世主”のことか?」
「そう。わたしはタケルが真の聖者になるまえに見つけちゃって、だからお手柄!」
「神様と悪魔、どっちを選ぶかっていってもなぁ。ってか、おれ、おまえのパパみたく、こうもりにはなりたくない」
「ああ、あれはおふざけ。実物は“タケル”と同じ。見たらびっくりするかも。だって、神様も悪魔ももとはおんなじなんだよ」
 彼女はおれの名と『おんなじ』をヘンに強調した。

「ふーん。んで、待ってて会ったわけだし、もういいんだよな? おれはこの町を離れるし」
 どうびっくりするのか興味はあるが、せっかく方向転換できた自由気ままな性格を謳歌(おうか)しない手はない。じゃ、と胸に置いた手を離そうとしたとたん、彼女が止めた。
「ついてく」
「は?」
「だって、タケルが聖者の手で触るから、こんな(あと)ついちゃったんだよ。聖者なら聖者らしく責任は取るべきでしょ?」
「おまえ、おれに聖者になってほしいのか?」
「……そんなことない」
 彼女は自分がした質問に矛盾が生じていると気づいて、決まり悪そうに曖昧(あいまい)な返事をした。
「おれはまだ聖者でも悪魔でもないだろ」
「それはどっちだっていい。とにかくまたお肌の曲がり角来ちゃうから、タケルに触ってもらわないとだめなの! いいよね? わたし、だれよりもきっとタケルに尽くせると思うの」
 彼女はにっこりと首をかしげた。なるほど、小悪魔、か。妙に納得しながら、おれはまだ彼女の胸に置いたままの手を見て考えこむ。
 小心者の(から)が破れたのは、彼女のおかげでもある。神様か悪魔かなんてひとまず置いといて、いまのところは人に()き使われるより、指図するほうがいい感じだ。

「名前、なんだ?」
「なぁんでも」
「んー……時花(ときか)、でどうだ?」
 時計草をちらりと見て、ごく簡単に決めると、“時花”はこっくりとうなずく。手の中で胸が揺れた。
 ぎゅ。
 いやん。
 いいかもしれない。
 おれの中の悪魔的下心が決心をそそのかす。

「すみません。この時計草ください」

 時花がおれに飛びつく。上向いた可憐(かれん)な顔が(ほころ)び、花みたいにくちびるが開いた。
 それが受難の始まりであろうが、選ぶ権利はおれにある。
 迷うまでもなく、おれは時花を喰った。

− The Conclusion. − Many thanks for reading.

――◆◆†◆◆――PASSION――◆◆†◆◆――

偉大なる救世主、及び、マリアを絡めていますが、冒涜する意はまったくありません。
くれぐれも物語のスパイスということをご留意ください。

*ブログお仲間さんからのお題【ターニングポイント】からできた作品(ブログ先行公開に加筆推敲)

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