幻想組曲-恋-
お花の曲がり角 −前 編−
時計草、その花に魅入ったが最後、聖者は受難から逃れられない。
ったく。なぁんで元生徒会長だからっつっておれが、卒業式の花を下見するっていう雑用しなきゃなんねぇんだよ。おまけに同行するはずの元副会長はインフルエンザとかでドタキャンときた。書記をはじめ、元生徒会の連中に電話すれば、タケルは間違いないから独りでも大丈夫だろ、と無責任なことを吐いて受験勉強だのデートだのと云いやがる。
だいたいがどいつもこいつもおれを頼りすぎなんだよな。生徒会長なんてやりたくなかったっつーの。だれだよ、おれを指名したのは。
んなもん、やれるかっ!
……。
というのはあくまでも心の叫びであって、小心者のおれはついついうなずいてしまう。
自分で云うのもどうかと思うが、おれはわりとオールマイティになんでもこなせる。そのおれの唯一の欠点が、自己主張できないということだ。それゆえに下手な役回りが多い。
だめだなぁ、おれ。
実りのない文句を垂らしながら、ようやく目的地――交差点の一角にある、やたらとでかい花屋に着いた。曲がり角だけに、道路に面した二辺が全開されて、ここは花屋の敷地か? と突っこみたくなるほど歩道まで花が溢れている。バケツに盛りだくさんに入った花から、鉢植えの花まで。
あまり花を気にしたことはないが、ここまで花ばっかりだと嫌でも香りに気づいて、視覚的にも豪勢だ。
そのなかで、へんに気持ち悪い花を見つけた。なんとなく毒々しい感じだ。
近づいて長身の躰を折った。とたん。
「イテッ」
「いったぁーい」
おれと同時に叫んだのは甲高い女の声だ。どうやらお互いに頭をぶつけたらしい。
まるで鏡を見ているみたいに、おれと彼女はそれぞれに額を手で押さえ、顔を見合わせた。なんでぶつかるのが正面デコになるんだと疑問に思いながら、おれは躰を起こしてまじまじと彼女に見入る。
彼女というよりは女の子だ。高三になって格段に背が伸びたおれからすれば、胸より背が低い。まあ、それはどうでもいい。それよりもその格好が奇妙すぎる。
髪は真っ黒で、頭上には猫みたいな黒い耳をつけ、黒いワンピースにタイツと、やたら色白の顔を除いて全体的な印象が黒だ。なんかの劇の衣裳か?
「ちゃんと謝ってよね。それが礼儀ってものでしょ!」
「あ、ごめんな」
くるくるした瞳で一見いたいけな女の子は、見た目と違って勝気だ。
それに比べ、自分からぶつかったつもりはなくてもつい従ってしまうあたり、やっぱりおれは小心者だ。
いざ謝ると、女の子は自分が催促したくせにぎょっとした顔でおれを見上げた。
「……あなた、もしかして見えてる? というより、触れてる!?」
女の子は疑問を飛ばし、何を思ったのかおれの手を取って自分の胸に引き寄せた。
触れた刹那、熱いのか冷たいのかわからない疼痛を覚える。
なんだ、この感覚?
この現状に混乱したまま、おれはなんとなく違和を感じた。
見えてるとか触れてるとか、驚くことなのか? と考えていると、ふと違和感の正体に気づく。
こいつ、十才並みの容姿のくせに、おれの手にちょうどいいほど胸がでかい。思春期少年の性なのか、出来心でぎゅっと握ってしまった。
「いやんっ」
やってしまってから、しまった、と後悔したが、反応は思っていたものと全然違う。心なしか女の子の瞳が潤んだ。
ためしにもう一度。
「いやんっ……じゃなくって、し、失礼なっ!」
最初の勢いと比べるとずいぶんと迫力がなく、しかもおれの手を離すわけでもない。
ぷ。
思わず吹きだすと女の子の顔が赤くなった。
「あなた、名前は?」
「タケル」
「属性は?」
「属性?」
ゲームのやりすぎか?
「……ひょっとして……人間なの?!」
まさか、という疑心暗鬼でもって訊ねられたおれは、自分が人間であることに自信をなくす……わけはない。そこまでの小心者じゃない。
「きみも人間だろ?」
「わたしを下等動物と一緒にしないで。失礼だわ!」
「じゃあ、なんなのさ?」
「心して聞きなさいよね」
女の子は大げさに威張って見せた。
「小悪魔」
「は?」
「だから、小悪魔」
たしかに女の子を見ればどこかの漫画に出てきそうな悪魔の格好だ。けど、“悪魔”ならまだしも小悪魔ってなんだ? ていうか、人間じゃないなら――。
ぎゅ。
いやんっ。
ぷ。おもしろい奴。
が、おれはロリータな趣味はないし、いつまでも女の子のお遊びに付き合うわけにもいかない。用事がある。ましてや、人通りがないからいいものの傍から見れば、おれは明々白々たる性犯罪者だ。
「とにかく痛くして悪かった。おれ、用事あるから。じゃな」
女の子がしっかりとつかんでいるせいで、軽く引いても手は抜けず、おれは引き剥がすように手を離した。
猫の耳がぴくぴくと動いて、女の子は食い入るようにおれを見つめる。同時にその背後でも何かがうごめく。……尻尾だ。黒く細長い尻尾の先端は、お決まりみたいに三角になっている。ゆらゆらとした動きが滑らかで、精巧にできてるなと思いながら、おれは女の子の脇をすり抜けて店の中に入った。
店員は見当たらず、呼びかけると、レジが置いてあるカウンターの奥のほうから声がした。無用心極まりなく、店先の花を盗られても気づかないんじゃないだろうかとおれは心配になった。余計なお世話だろうが。
店員に相談に乗ってもらいながら、ふとさっきの場所を見ると女の子は消えている。
なんとなく気になる。
これまでも、カノジョがいたことはあるが、おれのあまりのお人よしぶりが相手を呆れさせてうまくいかなかった。それこそ、なんとなく気になる、という以前の問題で、なんとなく付き合ってきたせいかもしれない。
いや、待て。気になる、って、さっきのは“女の子”だぞ。
だからさ、まあ、いなければいないでかまわないんだ。
おれは馬鹿みたいに自分同士で会話した。
不必要な思考を振り払い、店員との話に集中しようと努めた。
サンプルを見せてもらうと、一万円もあれば花束でもアレンジでもけっこう立派なやつができるとわかる。
気のいい店員にお礼を云って店を出た。歩道に出て辺りを見渡してみたが、女の子はいない。
目を落とすと、気味悪い花がまた目に入る。
「すみません。これ、なんて花ですか」
「あ、それね、時計草。雌しべが時計の針みたいでしょう。英語圏ではパッションフラワーって呼ばれてるの。“キリストの受難”て意味。磔っぽく見えない? 夏の花で、いつもは温室に入れてるんだけど、今日はお天気いいから」
キリストの受難、か……たしかに雰囲気は合ってる。
あとから気づいたのだが、胸をつかんだ手のひらが火傷を負ったように赤くなっていた。
* * * *
「……ということで、一人三百円出せば充分だと思うけどどうだろう?」
月曜日の放課後、おれが説明すると元生徒会の連中は一様にうなずいた。
「じゃあとは――」
「ついでだし、注文はタケルに任せていいよね」
なんだって?
元書記はおれをさえぎって、またもや押しつけようとする。
「そうだな。タケルは間違いねぇし」
なんだとこら。
仮病を使った元副会長は悪びれることなくほざいた。
「だよな。じゃ、悪いけど、タケルに任せっからよろしくな」
マジ、ぶち切れそう。
『だから、云っちゃえばいいのよ! せーのっ!』
「ふざけんなっ」
教室がしんと静まり返った。
……あれ、おれ、いま声にしたのか?
「……タケル、そんな怒んなくても」
「あ、いや――」
『だからここで引っこんじゃだめなんだってば。この際なんだから云っちゃえ!』
だよな。せっかくだし。
「だから、おれはいいように使われるのは金輪際ごめんだ。てめぇらで勝手にしろ」
……。心の声に負けてまた云ってしまった。昨日も内心で一人二役やってたし、おれ、二重人格かもしれない。
「タケル……」
「タケルくん……」
いくつもの顔が戸惑っておれを見返す。
どうする、おれ。
『ここは悪魔になって命令を下すべきとこだよ!』
よ、よし!
「副会長、おまえが注文だ。書記、おまえは会計。ほか、クラスごとに別れて当日のセッティング係だ。いいな?」
彼らは一歩も二歩も引きそうな顔を向けたままで返事はない。
やっぱ無理だ。
『じゃなくってぇ。ここは一睨みするところでしょ。迫力満点の命令つき。やってみて』
そうか?
疑問に思う一方で、ここで引き下がるには気まずすぎる。おれは目を細めて彼らを見渡した。
「いいな?」
その気になったおれの声は自分でも唸るように低く聞こえた。
「はいっ」
「わかりましたっ」
「が、頑張ります!」
彼らはビクッと姿勢を正して口々に答えながら、そそくさと教室を出ていき、おれ一人が取り残された。
主張できない性格とはどうやっておさらばできるのか、とずっと考えてきたが、実はこういう強気な自分も潜んでいたらしい。
いままでみたいになんでもかんでもグズグズと引き受けるより、命令するほうが気分はいい。
相反して、なんとなく、もっとほかに云い様があったのではと思わないでもない。これまでの自分の性格基準からすれば、“悪魔の囁き”に負けてしまった。
これでよかったのか?
「いいに決まってるじゃない。タケルを使おうって百年早いんだよ。ううん、永久に無理」
「そうか……」
待て。
そこでハッとした。
いまのはおれの心の声じゃない。それより、いまになって心の声は女だったことに思い至った。