幻想組曲-恋-
転生の調べ 〜惑いの面輪〜 後 編
助けられなかった悔恨。
あの苦しみは二度と…………。
時は昔。妖かしが世を惑わす時代。
「とうさま、かあさま。行って参ります」
気丈に振舞う父といまにも泣きそうな母に、最後となるかもしれない笑みを向けて、 はなは迎えの牛車に乗り、でこぼこの道を揺られて旅立った。
静かだった牛車の外が俄かに騒がしくなってきた頃、街の滑らかな道がはなを心地よくさせていた。
それと相反して、はなの中には消しきれない不安が集う。
覚悟はしてきたはずなのに。
その気持ちを整理しきれないうちに牛車が止まった。
とたんに簾が開けられる。
びっくりして見開いたはなの瞳と、上等な着物を身に着けた青年の切れ長の瞳が合った。
「ふーん、おまえか」
冷たく残忍な光がその瞳に宿っている。
はなは小名田堵の娘として生まれたが、 人の良い両親は、生活の苦しい農民に租税賦課を強要できず、納められない租税のかわりに、 両親は受領の息子へ側女として娘を差し出した。
「りょうさま! だめです。もっと優しく云ってあげてください!」
父とともに、側近に対する荒い言葉遣いと態度を見せるりょうを怖れもしないはな。
贅沢な暮らしの中で気侭に育ったりょうを、はなは度々戒めた。
最初の頃は睨みつけ、腹いせに乱暴な振舞いをしていたりょうも、 次第にはなのその生意気さが気に入り、わざと怒らせるようなこともあった。
「はな、出かけるぞ! 町のはずれでおまえの好きな桜が満開らしい!」
りょうは大きな声で云うと遠慮もなしに、はなが使っている部屋の戸を勢いよく開けた。
はなが嬉しそうに、
「はい!」
と頷くのを見て、りょうの瞳にも嬉々とした表情が宿る。
出会って一年を越える。
二人の心は急速に近づいていった。
「うわぁ、きれい!」
はなのはしゃぐ声がりょうに喜びをもたらす。
大きな桜の木から、風に揺られて花びらが降ってくる。
その花びらが、はなの頭に留まった。
それを払いのけてやると、りょうははなに顔を近づけた。
「りょうさま?」
「今日は付き人なしだ。いいだろ?」
クスクスと笑う、はなの無邪気さが愛おしい。
その躰はもう決して無邪気ではないのに。
くちびるが触れる刹那。
ほかに人影もなかったはずのこの時に、だれかが土を急いで踏みしめてくる音が耳に入る。
触れそうになっていた顔を離して目についたのは、驚くほど近くに駆け寄ってきていた、りょうより年若い少年の姿。
なにかを決意した必死な様とその手に鈍く光る刃物が同時にはなの視界に入る。
その少年の目は真っ直ぐにりょうへと向かっていた。
「父上の仇だ!」
はなの躰が咄嗟に動く。
りょうと少年の間に入ったとたん、腹部が熱く貫かれた。
少年は刃物を引き抜こうとしたが、はなはそれを許さなかった。
りょうさまを傷つけないで――――。
少年が腰を抜かしてへたり込む。
「はな?!」
りょうが背後からはなを抱きかかえ、共に崩れ落ちる。
はな、はな、はな――――っ!
りょうの大きな声が空気を揺るがす。
「……りょうさま……いつの日か……また会いたい……会えますか……?」
はなの瞳に、桜の中で揺れているりょうが映る。
桜の花に……貴方を……希ふ――。
はな――――――っ。
「おまえたちが悪いんだ。おまえたちに租税を迫られて父上は自害した。おまえの父上が悪い。おまえもだ……」
少年が放心したように呟き続ける。
だからといって、なぜはなが――――。
苦しい。
眠れない。
もう会えないということが身を刻む。
あの日からはじめての満月の夜、誘われるように“魔”に身を委ねた。
はなを探せども探せども、この時に姿は現れず――。
「おまえは、はなじゃない」
そう云っては切り裂き、目の前に女が倒れた。
「おまえが、はなを殺した」
そう云っては切り裂き、目の前に少年が倒れた。
この手で幾人の命を奪い、歳月を重ねてきたのか。
はなを求める心だけが息づき、哀しみを失いかけた頃、一人の若い術師がりょうのまえに現れた。
「そなたが魔と契約した年――十八の年を迎える春、魔の憶えが蘇るであろう。 その時から最初の満月を迎えるまでにはなを探すがよい。 探し当てるまで、そなたの魂が静まることはない。数え切れぬほどの命を無にした、そなたへの罰。そして温情でもあろう。よいな」
術師の横にぼんやりとした影が佇んでいる。
はな……?
その気が緩んだ瞬間を狙ったかのように、りょうへの術が施された――。
はなっ!!
駆け寄って自分と海野の間に入った花南の躰を背後から抱き寄せ、 領はそのままくるりと躰を回し、海野に背を向けた。
おれが欲していたのは、はなの面輪じゃない。
はなの心だ。
すべての風景が消え、ただ空間に、散り急ぐ桜の花びらが舞い続ける。
――痛みが背中を覆う。
はな……あの時に云うことのなかった言の葉……。
それでも会いたいと希ってくれたはなは、花南としてここに在る。
「領?!」
「はな、愛しているから……」
花南の耳もとにそう告げた瞬間に、重石が取れたように領の心が軽くなる。
領の腕に包まれたまま、花南は躰の向きを変え、その瞳に見入った。
「りょうさま……ありがとう」
領が強く目を閉じる。
「……やっと違えなかった……」
「でも、あたしたちはまた……」
「はな……また会えるだろうか……この次は最初から……はなの心を違えることなく……」
領の躰が力尽きたように崩れる。
それを支えていた花南も一緒に座り込んだ。
「もう、この命も最後でいいから、領といま、ずっと一緒にいたいよ」
「そうだな……もう、この時代だけでいい……。いまのこの瞬間の至福を抱いて……このまま共に……おまえを連れて行きたい」
途切れ途切れに呟く領の声がかぼそくなっていく。
「おいていかないで……」
あの時、りょうはこんな想いを抱いて……狂った――。
「もう、よかろう」
見知らぬ男の声が降りかかる。
花南と、彼女の肩に顔を埋めていた領が、声の主を振り仰ぐ。
花希には似つかわしくない、落ち着いた男の声。
花希は右手を上げて、自分の顔を撫で下ろした。
そこに現れたのは、いまの時代にはそぐわない着物を纏った面長の若い青年だった。
「おまえは……おれに罰を与えた……術師……」
「そう、そしてそなたが求める、はなにも罰を」
「なぜ……はなに?! はなは……なにも悪いことはしていない!」
「はなが自分で望んだこと。そなたへの罰を少しでも易くしようと、はなが自ら己を頼ってきた。 そして共に、己もそなたたちに付き添うという罰を自らに与えた。罰は罰をもって効力が発揮される」
「術師さま……あなたはもしかして……」
哀しみをその瞳に宿した術師は、悟ったはなに目をやり、頷いた。
「はな、そなたにはすまないことをした。あれは闘おうとしなかった父上の弱さであったのに。 己の容易い思い込みがすべての災いを招いた。りょうの魔を防ぐことも敵わず、術師として一人前になるまで十年。 本来、罰せられるは己であったのだ。申し訳ないと思っている。最後でもかまわぬと云う、はなの希いを叶え、 今生においてはそなたの近くにはなを置いた。 そなたたちが廻り合えたということは、千年の時を経て、無下に散った魂たちが治まったということであろう。 ようやく己も永眠れる」
術師は身を屈め、領の背に手を当てた。
「ここまで変わらず互いを追い求めたそなたたちの――ときに、 はなの苦難には敬を顕し、己の寿命を授けよう」
領の背からナイフが落ち、熱い痛みがなくなり、意識が鮮明になる。
「共に生きてゆくがよい」
その言葉を残し、安堵の笑みを口に宿した術師は桜が舞う幻想に満ちた風景を連れて消えた。
二人は校庭の片隅にある桜の木の下に座り込んでいた。
「花南」
「領」
揃えて紡いだその名は、この時代で共に生きていく証。
桜の花に 貴方を、きみを、希ふ
桜花希の存在と領の荒んだ行動は人の記憶から消え、 海野は何事もなかったように取り仕切り役に戻っていた。
「花南、おれは医者を目指す」
鮮やかな黄緑色の葉桜の下、罪を抱持した領が決心を伝えた。
「おれが奪った命のぶん、おれはこの時代で命を返す」
「うん。じゃ、あたしはナースを目指す」
くっ。
領が笑う。
「そう云うと思った。単純な奴」
花南は無邪気に笑い、
穏やかな、そして花南への抑えきれない激愛を終始湛えた領の瞳を見上げる。
領は抗議されるまえに、そのくちびるに素早くキスをした。
千年の記憶は、時に苦しく、時に哀しく、そしていま、ただ愛おしく。
もう繰り返されることのない今生の命を共に全うするまで、そして、 永遠に魂が離れることのないように――
我 きみの心を ただ 希ふ
― 終 ―
Many thanks for reading.
Material by LEITA.
牛車(ぎっしゃ)… 貴人が利用した牛の乗り物
小名田堵(しょうみょうたと)… 田地経営をおこなった有力百姓層(大名田堵より小規模)
受領(ずりょう)… 現地に赴任して行政責任を負う筆頭者
*ブログお仲間さんからのお題【仮面】からできた作品です。